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第三章 彼女の嘘

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 永塚を殺害したのは、直樹と詩音。それはつい先程まで、雄吾達の中にあった前提条件の一つだった。

 しかし山本は言った。
 昨夜ここに来たのは、女の子二人だと。

 彼が可愛いと思った以上、そのうちの一人が直樹だった可能性は0だ。男性的な見た目の彼が、たとえ女装をしていたとしても「可愛い子」にはどうやったって成り得ない。
「となると。もう一人、誰かいたってこと?」
 山本に教えてもらった妙義山道口のある、中之獄神社方面へ車を走らせながら、雄吾は結衣の言葉に肯く。結衣は憤慨したように鼻を鳴らした。
「そんな大切なことを、なんで最後に話すのあの店員」
「まあ、そう言わないでやってくれ」
 山本も、女性を前に言うには少々下世話な言い方だったが故に、結衣が店を出たタイミングで漏らしてしまったのだろう。じろりと雄吾をめ付けながら、「それで?」と結衣は続ける。「もう一人って、どんな女だったの」
「ああ…」
 そこで雄吾は続きを話すのを少々躊躇った。結衣を見る。彼女は怪訝そうな表情で、雄吾を見ている。迷っていた。彼女に、そのもう一人の女の容姿を話して良いものか、良いものか。
 何故なら、その女の容姿は、雄吾達が良く知る人物と似通っていたのだから。
「雄吾?」
「あ、ええと。うん」
 軽くどもりつつ、雄吾は結衣を見つめた。ここで、結衣にそのことを隠す理由は無かった。それに彼女は自分と同じだけの情報を持ち、わざわざここに来てくれた。むしろ、言わない方が失礼とも思えた。
「その女なんだけど」
 雄吾は端的に、山本から聞いた女の容姿を伝える。結衣の目は、みるみるうちに見開いた。
「…絵美さん?」
 結衣は、その容姿の特徴を持つ彼女の名前を呟いた。

 背は低くて、髪は肩ぐらいだったかな。そんで青い、メッシュが入ってて。化粧、めっちゃ濃かった気がする。なんも喋んなかったけど、まあぶっちゃけ可愛かったよ。

 山本の言葉が甦る。
 その女と一緒にいた、もう一人の女の特徴は、間違いなく詩音だった。詩音と関係があり、青メッシュの入った髪の女性は、彼女しか思い浮かばなかった。
 結衣は困惑の色を表情に示す。
「どういうこと?なんで絵美さんが」
「俺にも分からないけど。でも」
「でも?」
「あ。いやなんでも無い」
「…ふーん?まあいいけど」
 眉間に皺を寄せる結衣を尻目に、雄吾は今程口から出そうになった言葉を胸の内まで仕舞い込んだ。
 絵美さんが永塚さん殺しに関わっていること。雄吾の中で、思い当たる節があった。

 先月末頃に永塚さん、絵美さんに告白したらしいよ。

 永塚は絵美のことを好いている。サークル内における周知の事実なのだが、対する絵美の態度は冷めたものだった。絶対零度、彼のことを全く相手にしない。先輩であることも無関係に。好意が無いのは明白だった。告白が上手くいかなかったと聞いても、「やっぱりな」という感覚でしかなかった。

 雄吾は、知っていた。
 思い返すのは、四日前に行われた、不定期開催のサークル男子会。会の最中のことだった。

 今確認した。やっぱり観月は来ないらしい。狙うなら、次の旅行先だ。

 便所に向かう最中だった。店内の隅、人が少ない場所で、スマートフォンを耳に当て、酔った様子で話す、永塚に出くわした。

 お前らにも場所は伝えるよ。分かってるって、皆でやるって約束だろ?

 思わず、彼の死角の位置に隠れた気がする。隠れた方が良いというより、隠れるべきであると、無意識的に体が反応した。

 夕希斗の薬、本当に効くんだろうな。今から楽しみで仕方ねえよ。ムカつくあの女の態度が変わる様がよ。

 酒のせいだけではない、逸る心臓の鼓動。聞いてはならないことを聞いてしまっているような、まるで寝静まった夜、離婚話をする両親の話を聞いてしまったかのような緊張感。尿意があったことすら、その瞬間忘れる程だった。
 会話の内容、そして夕希斗という名前。
 雄吾はその名前を知っていた。成都大に入学した当初、食堂であった一悶着。金髪で、峻険しゅんけんな態度の男。
 その男が春馬夕希斗はるまゆきとという名前で、サークル「セイムズ」の中でも一際幅を利かせている男だと知ったのは、四月のあの騒動があってから、少し経ってからのことだった。

 まず、あれだろ。内密ってやつだな。これも無くさねえように、いつも持ち歩いてっから安心しろよ。え?やめろ?大丈夫だよ、ゲロったりしねえから。

 雄吾は体が熱くなった。己の体温とは思えない程で、内臓が溶けそうな感覚にとらわれた。
 永塚という男は、女は下に見る存在だと豪語し、実際に蔑んでいた。普段は剽軽で、外野でいる分には面白いが、人として尊敬できない。雄吾達からの印象はそうだった。

 永塚がセイムズの夕希斗と、交友関係があること。
 彼らは、恐らく女性を狙う計画を話していたこと。
 彼から受け取ったという「薬」。 
 彼が狙う、女性。
 雄吾は最悪の想像をした。
 近いうちに彼らは、絵美の身を脅かす存在になるのではないか、と……

「あ。あれ鳥居じゃない?」
 結衣が前方を指差して言う。彼女の指差す方向には、車のヘッドライトで照らされた、真っ赤で大きな鳥居が、そびえ立っていた。
 中之獄神社。鳥居の奥には、七福神である大黒天の、黄金色で巨大な像があるらしい。大きさは20メートル、およそビル七階建程のものらしく、一度目にしてみたいものだが、今回は訪れた目的が目的なだけに、鳥居をくぐりその像と対面することは、流石にはばかられた。
 神社の隣、「県立妙義公園」の看板が掲げられた駐車場に車を停める。エンジンを停めてドアを開けると、耳の中が虫の声で支配された。
 二人で車を降り、スマートフォンの明かりを頼りに、山道入口まで進んでみる。やってきた道を徒歩で戻る形だ。街灯はちらほらあるが、薄暗い。車も通らない。普段は東京の喧騒の中で過ごしている分、いわば真反対の雰囲気。若干、鳥肌が立つものだった。
 二人で、山道を真正面に見据えた。入口を超えたところで、足を止める。灯りは無い。暗闇。夕方に見た天使の腹にぽっかりと開いた口の中も、同じく黒一色だった。無意識にそれらを重ね合わせてしまい、雄吾は身震いする。
 山本の言葉を思い返す。
 ここの登山は、どのルートでも至難であると彼は言っていた。昨夜、本当に詩音達はここに来たのだろうか。永塚の死体を持って、この場所に。
 想像していた以上に暗い。たとえ、本当に永塚の死体を詩音達がここに遺棄していたとしても、それを今見つけ出すなど、この環境では到底不可能に思えた。その痕跡も同様に。
 つまりは、何もできないのが実情だった。

 雄吾達は車に戻ってきていた。午前一時を過ぎたところである。人気は無い。雄吾達の車の灯りはまるで、真っ暗闇の中で一際光る北極星のよう。しかしそんなロマンチックなものに例えようが、二人の間の雰囲気はそれとはかけ離れていた。当然だった。
「これからどうするか」
 山道から車に戻った矢先、雄吾は結衣に問う。
「あれ、やってみるのもアリじゃない?」
 そこで結衣は閃いたかのように、大きな瞳をぱちぱちと二度、瞬きさせ、人差し指を立てた。
「あれ?」
「『成り代わり』。あんたが天使からもらったっていう、あれ」
「ああ、なるほど」
 結衣の言いたいことは次のとおり。絵美もしくは詩音に成り代わって、どちらか一方がもう一方に、それとなく探りを入れるというものだった。
 確かに名案に思えたが、少し考えた結果、雄吾は首を横に振った。
「今は駄目だよ。この時間じゃ、二人共寝てるだろ」
 天使が言っていた。意識が無い相手に成り代わることはできないのだと。
 今思えば、直樹に『成り代わり』ができたのは偶然の産物だったのかもしれない。昨夜、あの時間帯に彼が起きていなければ、それはできなかったはずだから。
 結衣は助手席にもたれかかる。しかし、すぐに前に乗り出した。「二人のどちらかに成り代わるのは、日が昇ってからで良いと思うけど。じゃあ、こうしない?」
「何を?」
「私に成り代わってくれないかな」
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