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第一章 禁じられた森で
第九話 初めての会話
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明日花は一人で森へ足を運んだ。昨日ひょっとこの男の子に会った場所に辿り着ける自信はなかったけれど、とりあえず、森に向かえば何とかなる気もした。
由香には何も話していない。みよと茂にも、出掛けてくると声を掛けただけで、森に行くとは告げていなかった。由香の両親が「近付いちゃ駄目」と注意するのだから、みよと茂も駄目だと言って、しかめっ面を見せるだろう。
由香にすら話していない理由は、自分でもよくわからない。けれど、あの子とは一人で会ったほうがいいような気がして。本当に、何となくだけれど。
森に入ると、夏にしては涼しい空気が身体を包んだ。太陽の光を直接浴びていた時は、肌が焼けるかと思った。森の空気が肌を冷ましてくれるようで、心地いい。
ひょっとこくんはいるだろうか。そういえば特に会う約束をしたわけでもなかったと、森に入った直後に思い出した。
でも、いる気がするんだよなあ。なぜかはわからないけれど。
直感で動くのは、明日花の悪い癖だ。母の小百合が渋い顔で、明日花に何度も言い聞かせてきた。「よく考えて行動しなさい」と。何事にも計画を立てて行動する小百合には、明日花の直感的な行動がお気に召さないらしい。
計画を立てても計画通りに動けないし、計画を立てるだけ無駄だよね。と、明日花は考えている。
そういえば、昨日は森で迷ったのに、対策も何も考えてなかったな。とにかく、あのひょっとこに会いたくて森までやってきたけれど、また迷ったらどうしよう。
こういうところが、小百合に「考えなし」と叱られる理由だろうか。でも、何とかなるだろうと思ってしまう。うん、今回だって、何とかなるさ。
不意に、ひんやりとした空気が肌に触れた。森の空気とも違う。冷蔵庫を開けた時に漏れてくる冷気と似ている。
「もしかして、また迷子になったのかい?」
突如として聞こえた声に、明日花は肩を飛び上がらせた。視界に聳え立っていた大木の幹に手を添えて、ひょっとこが立っている。いつの間にか、昨日訪れた場所に辿り着いていたようだった。
それより、結構、好みの声だ。明日花はそっと口元を押さえた。昨日聞いた声は短い悲鳴だったから、特に気にしていなかったけれど、低過ぎず、高過ぎず、心地のいい男の子の声だ。いつか見たアニメに出てくる格好いい男の子の声に、似ているかも。
ひょっとこを外したら、美少年が現れるかもしれない。明日花は密かに期待を膨らませた。
明日花は速足で男の子に近寄った。男の子は、今日も学ランを着ている。長袖長ズボンだから、とても暑そうだ。どうして、そんなに暑そうな格好をしているのだろう。
「こんにちは!」
男の子の前で立ち止まり、元気よく挨拶をした。男の子はびくりと肩を揺らす。
「名前は何ていうの? どうして、ひょっとこを被ってるの?」
明日花の勢いに押されたのか、少年から、わずかに引いたような雰囲気を感じた。明日花はわざとらしく咳払いをしてみせる。
「ごめん。自己紹介は、わたしが先だよね。わたしは、速水明日花。……って、あれ? わたし、昨日挨拶したよね。まあ、いっか。それで、ひょっとこくんは?」
「ひょっとこくん……」
男の子は呆然と呟いた後、ふふっと笑みを漏らした。
「忙しない子だなあ。僕は、四十万司だよ。ひょっとこは、被りたいから被っているんだ」
「ふうん。名前は格好いいけど、変な子だね」
「ひょっとこが?」
「そうだよ。ひょっとこを被りたいって子は、わたしの周りにいないもの」
司は興味深そうに頷いた。
「君の初めてをいただけて光栄だよ」
「やっぱり変だ!」
ひょっとこを好んで被っているのも変だけれど、司の言動も何だかおかしい。聞いている明日花が恥ずかしくなる理由は何だろう。明日花には見当もつかなかった。
「ねえ、昨日はどうして喋ってくれなかったの?」
明日花が訊ねると、司はひょっとこの裏に隠れた頬を掻いた。
「それは、まあ……君が突然話し掛けて来たものだから、驚いていたんだよ」
「それだけ?」
「それだけだよ。挨拶は基本だからね。挨拶されたら、ちゃんと返すさ。昨日は悪かったね」
明日花は納得して頷いた。確かに、大人に「近付いちゃ駄目」と注意されている森で出会った上に、いきなり話し掛けられたら、明日花も驚くかもしれない。相手が不審者の可能性もあるし(今回は子供同士だったけど)、警戒心を持っても仕方がないだろう。
「明日花は、何をしにここへ来たんだい? 迷ったなら、森の外まで送って行くよ」
司の落ち着いた話し方と声に、明日花はほう、と息を漏らした。
クラスの男の子と、全然違う。明日花と同じ歳くらいに見えるのに。ずっと年上に思える。いきなり、名前も呼び捨てだし。明日花は胸がどきどきとした。ただ、顔はひょっとこだけど。
「迷ったわけじゃないよ。でも、迷わずに帰れるかは……ええと、運次第?」
「迷ったんだね」
「違うよ。四十万くんに会いに来たんだけど、迷わず真っ直ぐに来られたもん」
「僕に会いに来たの?」
ひょっとこが大きく傾いた。明日花は内心で唸った。せっかく〝イケボ〟なのに、ひょっとこが邪魔をしている。
「昨日はお話できなかったし、どうしても気になっちゃって」
「僕に一目惚れでもしたかい?」
「ひょっとこに……?」
一瞬の間が空いた後、二人同時に笑い出した。
由香には何も話していない。みよと茂にも、出掛けてくると声を掛けただけで、森に行くとは告げていなかった。由香の両親が「近付いちゃ駄目」と注意するのだから、みよと茂も駄目だと言って、しかめっ面を見せるだろう。
由香にすら話していない理由は、自分でもよくわからない。けれど、あの子とは一人で会ったほうがいいような気がして。本当に、何となくだけれど。
森に入ると、夏にしては涼しい空気が身体を包んだ。太陽の光を直接浴びていた時は、肌が焼けるかと思った。森の空気が肌を冷ましてくれるようで、心地いい。
ひょっとこくんはいるだろうか。そういえば特に会う約束をしたわけでもなかったと、森に入った直後に思い出した。
でも、いる気がするんだよなあ。なぜかはわからないけれど。
直感で動くのは、明日花の悪い癖だ。母の小百合が渋い顔で、明日花に何度も言い聞かせてきた。「よく考えて行動しなさい」と。何事にも計画を立てて行動する小百合には、明日花の直感的な行動がお気に召さないらしい。
計画を立てても計画通りに動けないし、計画を立てるだけ無駄だよね。と、明日花は考えている。
そういえば、昨日は森で迷ったのに、対策も何も考えてなかったな。とにかく、あのひょっとこに会いたくて森までやってきたけれど、また迷ったらどうしよう。
こういうところが、小百合に「考えなし」と叱られる理由だろうか。でも、何とかなるだろうと思ってしまう。うん、今回だって、何とかなるさ。
不意に、ひんやりとした空気が肌に触れた。森の空気とも違う。冷蔵庫を開けた時に漏れてくる冷気と似ている。
「もしかして、また迷子になったのかい?」
突如として聞こえた声に、明日花は肩を飛び上がらせた。視界に聳え立っていた大木の幹に手を添えて、ひょっとこが立っている。いつの間にか、昨日訪れた場所に辿り着いていたようだった。
それより、結構、好みの声だ。明日花はそっと口元を押さえた。昨日聞いた声は短い悲鳴だったから、特に気にしていなかったけれど、低過ぎず、高過ぎず、心地のいい男の子の声だ。いつか見たアニメに出てくる格好いい男の子の声に、似ているかも。
ひょっとこを外したら、美少年が現れるかもしれない。明日花は密かに期待を膨らませた。
明日花は速足で男の子に近寄った。男の子は、今日も学ランを着ている。長袖長ズボンだから、とても暑そうだ。どうして、そんなに暑そうな格好をしているのだろう。
「こんにちは!」
男の子の前で立ち止まり、元気よく挨拶をした。男の子はびくりと肩を揺らす。
「名前は何ていうの? どうして、ひょっとこを被ってるの?」
明日花の勢いに押されたのか、少年から、わずかに引いたような雰囲気を感じた。明日花はわざとらしく咳払いをしてみせる。
「ごめん。自己紹介は、わたしが先だよね。わたしは、速水明日花。……って、あれ? わたし、昨日挨拶したよね。まあ、いっか。それで、ひょっとこくんは?」
「ひょっとこくん……」
男の子は呆然と呟いた後、ふふっと笑みを漏らした。
「忙しない子だなあ。僕は、四十万司だよ。ひょっとこは、被りたいから被っているんだ」
「ふうん。名前は格好いいけど、変な子だね」
「ひょっとこが?」
「そうだよ。ひょっとこを被りたいって子は、わたしの周りにいないもの」
司は興味深そうに頷いた。
「君の初めてをいただけて光栄だよ」
「やっぱり変だ!」
ひょっとこを好んで被っているのも変だけれど、司の言動も何だかおかしい。聞いている明日花が恥ずかしくなる理由は何だろう。明日花には見当もつかなかった。
「ねえ、昨日はどうして喋ってくれなかったの?」
明日花が訊ねると、司はひょっとこの裏に隠れた頬を掻いた。
「それは、まあ……君が突然話し掛けて来たものだから、驚いていたんだよ」
「それだけ?」
「それだけだよ。挨拶は基本だからね。挨拶されたら、ちゃんと返すさ。昨日は悪かったね」
明日花は納得して頷いた。確かに、大人に「近付いちゃ駄目」と注意されている森で出会った上に、いきなり話し掛けられたら、明日花も驚くかもしれない。相手が不審者の可能性もあるし(今回は子供同士だったけど)、警戒心を持っても仕方がないだろう。
「明日花は、何をしにここへ来たんだい? 迷ったなら、森の外まで送って行くよ」
司の落ち着いた話し方と声に、明日花はほう、と息を漏らした。
クラスの男の子と、全然違う。明日花と同じ歳くらいに見えるのに。ずっと年上に思える。いきなり、名前も呼び捨てだし。明日花は胸がどきどきとした。ただ、顔はひょっとこだけど。
「迷ったわけじゃないよ。でも、迷わずに帰れるかは……ええと、運次第?」
「迷ったんだね」
「違うよ。四十万くんに会いに来たんだけど、迷わず真っ直ぐに来られたもん」
「僕に会いに来たの?」
ひょっとこが大きく傾いた。明日花は内心で唸った。せっかく〝イケボ〟なのに、ひょっとこが邪魔をしている。
「昨日はお話できなかったし、どうしても気になっちゃって」
「僕に一目惚れでもしたかい?」
「ひょっとこに……?」
一瞬の間が空いた後、二人同時に笑い出した。
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