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23.「ここは神々の森ですよね?」

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 ◇


 ――昨日大事なことを思い出した気がするのに、また濃い靄がかかっている。
 まるで、忘れて欲しいみたいに。忘れさせるみたいに。

 翌朝、同じベッドから起床したロルフとニーナは、日が昇る前から身支度を調え城を出た。この城にはじめてきたときは立派な馬車だったが、今日は一頭の馬の上でロルフの背に張り付いている。

「ロルフ様、どこへ行かれるんですか?」
「この国にとって大切な仕事を担っている者たちの村だ。それに、今日はロルフではなく王族と繋がりがあるどこかの貴族の道楽息子・ロルだ」

(村? 農耕をやっている村のことかしら? その前にその偽名ばればれなんじゃないかしら……設定も曖昧だし)

 ニーナはそう苦笑しながら改めてロルフの服装に目をやる。
 普段身に纏っている漆黒に豪奢な装飾が施された王族らしい服装ではなく、どこかの下級貴族のような服装に濃藍のマントを羽織っている。深くフードを被っているため、ロルフを象徴する碧眼や白銀色の髪は隠されている。

 道楽息子、と呼ぶには少し怪しい雰囲気だとニーナは思う。
 それに、ニーナが着ているのも、ロルフが普段用意してくれていたドレスではなく、調香師選抜試験のために引っ張り出したたんぽぽ色の一張羅だ。
 馬に積まれたのは入るだけの食料とニーナが作った二十個の《癒やしの香水》。

(食料と一緒に香水を……? 一体誰に?)

 ニーナの頭ではこれから行き着く場所など見当もつかない。
 ロルフは手慣れた様子で優雅に馬を走らせる。振り返ると王城はどんどん小さくなり、ニーナの実家付近さえ通り過ぎて、王都の中心部から離れた場所に辿り着く。
 それに農耕を営む村がある方面とは全く逆方向だ。

(この先に村なんてあったかしら……?)

 ニーナは思わずぽかんと口を開けてしまう。
 そこはウィルデン王国を囲む《神々の森》だった。

「ここからはゆっくり行こう」

 馬の進行を緩やかにしたロルフは迷うことなく神々の森に足を踏み入れた。ニーナは驚いておずおずとロルフのマントを引っ張る。

「あの、ここは神々の森ですよね? 神々の森は立ち入り禁止なのではないのですか?」
「ああ。表向きには、な。本来であれば竜の聖なる力が結界となり入ることはできない。だが王が病に伏せ、実質的に力を持つのが王太子一人になった今、森の一部はこうして国内からであれば簡単に入ることができてしまう……それに、違法だが隣国との往来もできる。国境のようなものだな。そんなこの森を護ってくれている誇り高い者たちがいる」

 そんな裏技は初耳だ。この国では神々の森に侵入はおろか近づくことさえタブーとされている。けれどニーナも子供の頃何度かこの森に入り遊んだ記憶があった。蘇った記憶が正しければ《彼》に出会ったのもこの森だ。そう考えると確かに森全体に竜族の結界が張ってあり近づくことはできない、という常識は少なくともニーナが物心ついた頃には現実では無かったのだ。

「見てごらん、ニーナ。ここが目的地――森を護る者たちの村だ」

 ニーナがひとり納得していると、馬はグルルッと唸って足を止めた。
 そこはまだ森の中だけれど、目の前には小さな小屋が並んでいる様子は、一目でここに暮らしている人たちがいるのだと悟る。神々の森に入れること同様、この場所で暮らす者がいることをニーナは全く知らなかった。今日は驚きの連続だ。

「森を護る仕事とはなにを具体的にはどういったことをされている方々なのですか?」
「ああ、それは――」
『あっ! ロル様だあ! みんなー! ロル様が来てくれたよお!』

 目の前にぴょんっと現れたのは一匹の子猫だった。木から飛び降りてきたのだろう。空中でくるりと回って、人の姿に戻るとぱっと笑顔で声をあげた。
 子猫の声を合図にぞろぞろと家の中や物陰から人が集まってきて、あっという間にロルフとニーナは囲まれてしまった。

『なんだって、ロル様が』
『まあっ。仰ってくださればお迎えにあがりましたのに! お疲れでしょう。どうぞ家の中へ』
『ロルさまぁ! この前の絵本の続き読んでえ』

(王都にいるときと雰囲気が全然違うわ)

 ニーナはロルフを取り囲む人たちの反応をみて更に驚いた。ニーナが王都でロルフに初めて会ったとき、周りの人は『極悪王子』と陰口をいい、蔑んでいた。向けられる視線は憎悪だけでそこには親しみや王族に対する敬愛のようなものは一切感じられなかった。
 けれど、今目の前にいる人たちはどうだ。ロルフに自ら近づき、親しげに声をかけ、子供たちはその足にまとわりついて鬼ごっこや絵本の読み聞かせを強請っている。

「おい、危ないから足から降りろ。絵本は新しいのを持ってきたからそれを読んでやる。それからミース、鬼ごっこはまた今度だ。おい勝手に始めるなっ」

 それになにより、ロルフの表情が柔らかい。正確にはフードを被っているので表情は口元しか分からないが、声色があきらかに違っていた。

(話の内容から、いつもロルフ様鬼ごっこや読み聞かせをしているのね、意外だわ)

 はしゃぐロルフがなんだか微笑ましくて、ズッと見ていたくなってしまう。
 けれども、それはロルフがまとわりつく子供達を抱き上げながらニーナに声をかけたところで一旦見学は終了してしまう。

「おいっ、よじ登るな。ニーナ、バッグの中から食料と香水をだしてくれないか」
「はい、これですね、ロル……様」

 ニーナは思わず普段通り『ロルフ』と呼んでしまいそうになり慌てて言い直した。幸いこんなにばればれだと思っていた偽名に誰も疑問を抱いていないらしく、ニーナが言いよどんだことに対して気にする者はいない。そもそも、まさか王族がここにいるとは思ってもいないのだろう。

「どうぞ、《癒やしの香水》です。夜眠る前でも、少し疲れたときでもお使いいただけると思います」

 村人の家に招き入れられたニーナはロルフと一緒に《癒やしの香水》を食料と一緒に森を護る人々に配った。子供達は普段目にすることがあまりないらしく、小さな手に乗せられた香水瓶を物珍しげに覗き込んでいる。

「この香水を作ったのはこの女性だ。彼女の香水はシンプルだが優しく美しい。子供でも使えるように調合してくれたんだ」
『ふふっ、ロル様この香水が大変お好きなんですのね』
「そうだな。なくては生きていけないと思っている」

 隣で取り交わされる会話にニーナは耳まで真っ赤になっている自分を自覚せざるを得ない。
香水のことだと分かっているし、会話の流れでそう言っているだけなのかもしれないがロルフの口から香水を褒めてもらえるとやっぱり恥ずかしくて、嬉しい。

 物珍しげに辺りを見渡すニーナに村の長老だという人物がこの森の人々について話してくれた。その話によるとこうだ。

『神々の森に住む者たちは皆、先祖のネコの血が強い』
『そのため魔力がほぼ無いに等しく神々の森の聖力に頼らざるを得ない』
『だがその代わりにずば抜けた身体能力と聴力、夜目が利くため王国の裏方として森への侵入者を絶対に見逃さず全て王へ報告する大切な役割を担っている』

 因みに村は神々の森の力により隠されていて招いた者以外はたどり着けなくなっているらしい。

「すごいわ……! 国を支え護ってくださっていた方を今まで知らなかったなんて……!」

 ニーナは感激し一人一人にお礼を言ってまわった。今まで、隣国のことなど遠いおとぎ話のように感じるほど平和に暮らせていたのは彼らのおかげだったのだ。
 香水を配りながら感謝を伝えるニーナは、後ろからドレスを引っ張られ、振り返ると少年がこちらを見上げにこっと笑った。

『やっぱりおねえちゃんだ! 僕だよ! わかる? あのとき木の上から助けてくれたでしょ?』
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