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1章 獣人領から砂界へ

2-1 従者と時の権能と旅立ち

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 邪神復活の儀式から一週間後、未だにベッドで療養させられている僕のもとに宰相が見舞いにやってきた。

 その様子を目にした彼は呆れ顔になる。

「エル。医者からは体調は万全と聞いていたが?」
「ええと……。テアが放してくれなくて……」

 これはもはや患者をベッドに縛り付ける拘束ベルトに近い。

 ベッド脇に縋りついたテアは僕の下半身を抱きしめ、いーっ! と宰相に威嚇していた。

 その毛色や獣耳も相まって、忠犬と名高い異国の犬種、ブラックシバドッグみたいだ。
 慕ってくれるのがこそばゆい反面、とても不自由なのが辛い。

 でもこうなった彼女は理屈じゃ動かない。
 それを知る宰相は追及をしなかった。

「別に悪いことではない。お前はそれだけ人に好かれることをした人間で、テアもこの状況を喜んでいる証明だ。テア、そうなのだろう?」
「うぐぅっ……!」

 それが日常だった。
 と、当たり前のように語られてしまうとテアも怯むらしい。

 少しばかり顔を赤らめ、動きが鈍る。

「そ、それで宰相は何をしにきたんですか? 今日は見舞いの果物も見えないですよっ」
「今日ここに来たのはほかでもない。お前の今後についての知らせだ。獣人領はお前を国外追放すると決定した」
「……っ!」

 言いきるが早いか否か。
 テアは目にも留まらぬ速さで宰相の顔面を拳で打ち抜こうとした。

 肌を打った音の大きさ、動きによってかき乱される空気の荒れ具合によって、一撃の威力が窺い知れる。

 後衛気味の僕では視認もできなかった。

「この国を救った人に向かってその仕打ちはなに!?」
「言いたいことはわかる。エルは本来なら国を挙げて恩を返すべき相手だ。これから獣人領には草木が芽吹き、豊かになるだろう。その恵みを味わわせてやりたい。だが、遠からぬうちにその繁栄を阻止すべく人間が攻め込んでくる。それに巻き込むわけにはいかない」

 獣人領を束ねる六名は強者揃いだ。

 僕の従者という立ち位置ながら次期有力候補だったテアはそれに比肩するし、六人をまとめる宰相も並外れている。

 文人のような出で立ちでも、彼はさっきの拳を手の平で止めていた。

「そんな理由で国を捨てろって言うの……!?」
「そもそも邪神の力を100とするなら、個々の勇者は10以上。我らに至っては1かそこらだ。身内をその舞台から遠ざけるわがままくらいは利く」

「宰相。僕だってここで生まれ育ったんだ。命を拾ったなら拾ったで、もう一度みんなのために働きたい」
「それは認められない。邪神がいてようやく抗えるものの、人間には幾度も敗北している。それに付き合わせるわけにはいかない」
「……何が勇者よ。あいつら、衰退期の獣人領には旨味がないからってわざと生かさず殺さずで人と物を略奪し続ける悪魔なのに……」

 テアは苦々しそうに言う。

 略奪の歴史はいつからか知れないほどだった。
 この土地の者なら、それを思い返すだけで血がにじむほど拳を握ってしまう。

 テアだって地方に住んでいた親戚一家と親をその影響で奪われていた。

「エル。理解してもらえるな?」
「…………はい」

 優しい顔で言われれば断れない。
 彼は孤児の僕を育ててくれた養父だからだ。

 邪神の器として育ててきた過去は、彼も酷く悔やみ続けていた。

 単にここまで養育してくれただけではない。
 生贄とは違う道がないかと夜も遅くまで書斎で邪神の文献を調べたり、前日には涙を呑んで抱き締めてくれたりした。

『お前には、詫びる言葉もないっ……』

 と、彼がこぼした懺悔は今も耳に残る。

 だからこそ、その復活以上に何かをするのはかえって彼を苦しめるに違いない。

 今この時の表情こそ、晴れやかだった。
 この国外追放は、ようやく親として用意することができた巣立ちなんだと思う。

 宰相を親と思うのなら、拒むことはできない。

「そうさな、ただの追放では心苦しい。いつまで平和が続くかはわからないが、これから収穫される故郷の味はお前たちの移住先にも卸すとしよう」
「えっ。お前“たち”?」

 僕はオウム返しに問いかける。

 宰相はさも当然のように笑って受け取っていた。

「テア。無論、お前はエルについていくのだろう?」
「……みんなには、お世話になりました。でも、もうエルを放さない」
「おめでとう、と言ってやれるのはこれが最期になるか否か。ふははっ」

 彼女は少しばかり気後れした様子だったが、また拘束ベルトのように抱きしめてくる。

 養父とこんな問答をするなんて婚姻の宣言のようなものだ。

 笑って許されるくらい公認の仲とはいえ、僕らは共にまだ十六。
 まだ早――いや、獣人領なら割とありがちな年齢だった。

「さて、善は急げだ。アイオーン、入れ。彼らの身支度を頼む」
「承知しました」

 宰相が声をかけると、大きな荷物を背負ったホムンクルスが入室した。
 彼女は“邪神”から与えられた《時の権能》だ。

 宰相は僕がこうして生き返ることができた時のため、世話役のホムンクルスを作ってくれていたらしい。

 権能は簡単に言うと、時空魔法の神髄であり、その解説機能だ。

 一般的な時空魔法を桁違いに精密化したり、無詠唱化したり、独自の時空魔法を発現させたりと、もはや既存の時空魔法とは別物の力を与えてくれる。

 ホムンクルスはその器として最適だったらしく、今はこの形で手助けしてくれている。

「マスター。体調把握のため、お手を失礼します」
「うん。いつもの《解析》だよね」
「そうです。時空魔法による一定空間の精査。一般人の粗末な術式では材質の区別がやっとですが、あなたが権能を振るえば構成成分すら知覚できます」

 “邪神”の神という通称は伊達ではないらしい。
 そんな存在に授けられたものもまた軽く人外の領域だ。

 今の僕には扱いきれないため、こうして手解きをしてくれている。

「比較対象として、テア。お手」
「んんー? 近い言葉なのに要求が違いすぎて笑えてきちゃうなー。どーしてやろうかなー」

 アイオーンの言葉に口元をひくひくさせながら応じるものだから、僕がテアの手を引ったくって《解析》を開始する。

「血液性状に大差なし。各所が破綻していた魔力回路もほぼ治癒してる」
「ご名答です、マスター。生来の魔力回路にあった無駄が自己治癒の過程で是正されたこともあり、より効率よく魔法を行使できるでしょう。旅にも耐えうる健康体です」

 彼女は太鼓判を押すように宰相に頷きを見せた。

 続いて彼女に急かされ、僕らは身支度を整えていく。

 程なくそれも終わり、僕は宰相と向かいあった。

「あの、宰相」
「なんだ?」
「……今まで、お世話になりました」
「こちらこそ。お前を育ててきた時は代えがたいものだった。これからは自己犠牲など考えなくていい。誰にはばかることなく、存分に自分の人生を楽しめ」
「はい!」

 そうして最後の言葉を交わし、部屋を出る。

 屋敷の外にはすでに飛竜が用意されていた。
 これで飛びたてということらしい。

 アイオーンが手綱を握り、その後ろに僕たち二人が座る。
 そうして飛び立つ飛竜の背から見下ろし、故郷を後にするのだった。
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