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第三章 月夜の少女

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 翌日の昼になって俺は父さんの執務室に呼び出された。

 その心当たりがあるだけに俺の足取りは重い。

 回廊を歩いていると正面からオーギュストが歩いてくる。

 そうして目の前で立ち止まった。

「どういうことか訊いてもいいか?」

「……なにを?」

「サイラスがご機嫌だ。おまえを妃に迎えると豪語してる。男同士では妃とは言わないだろう? どういうことなんだ?」

「あのバカ兄貴、そんなこと言ってるのか? 弟を襲っただけじゃ足りないってのかよ」

 思わず愚痴るとオーギュストが驚いた顔をした。

「おまえサイラスに襲われたのか?」

「おまえもあの変態兄貴を止めてくれ。昨夜はなんとか阻止できたけど、俺の……初めては貰うとか、妙なこと口走ってるし」

「初めて? だっておまえにはあのノエルって恋人が」

「あれは恋人じゃねーよ」

「?」

「いつか心の整理がついたら詳しいことを話すから、今はおまえからも兄貴を止めてくれ。無理強いで結婚させられるなんて俺は嫌だからなっ!!」

 それだけを言ってオーギュストを置いて歩き出す。

 残されたオーギュストが疑問符を浮かべているのが、容易く想像できたけど今打ち明ける勇気はなかった。

 俺に対して態度の変わってきたオーギュストの認識まで変えそうで。

 ノエルってある意味で男の理想だからなあ。

 俺も第三者として思うよ。

 ああいう女の子が本当にいたら恋人にしたいのにって。

 だからってそれが俺である以上、男としても女としても執着されるのは、正直気が重い。

 どうにかできないかなとため息が漏れた。

 嫌々執務室までやってくると大扉を数度ノックした。

「入れ」

 中から聞こえた声は不機嫌というより呆れているように聞こえる。

 肩身の狭い思いで中に入れば父さんが正面に腰掛けていた。

「サイラスがそなたとの結婚を申し入れてきた。妃に迎えたいそうだ。どういうことだ? どうしてバレた?」

「昨日の夕食を兄貴がパスしたのは、その間に俺の部屋に隠れるためだ」

「は?」

 呆れたのか父さんは瞳を見開いて絶句した。

「そんなこと想像もしなかったから、俺は普通に時間がくる前に隠れようと思って隠し部屋に行って……その、風呂に入ったんだ」

「まさか覗かれたのか?」

「ノゾキならまだ可愛いげあったな。風呂場に直接入ってきたよ。あの変態兄貴」

「ふう」

「後はまあテキトーに想像してくれ。俺にも羞恥心はあるからな、父さんっ」

 赤くなって顔を背ければ、父さんは複雑そうな顔をして、それでも一言だけ問いかけてきた。

「まさか……無理強いはされていないだろうな? 女の身体ではそなたには抵抗はできなかっただろうし」

「それは安心してくれ。俺が本気で嫌がれば兄貴には無理強いできねーよ。ま。嫌がらないように仕向けられないか、そっちがこれからは気掛かりだけど。結婚まで示唆してきたし」

「それはサイラスが相手では結婚したくないという意思表示か?」

「俺さ、一度でも兄貴のこと名前で呼んだことがあるか?」

「家出するまでは兄上。戻ってきてからは兄貴としか呼んでいないな」

「そういうこと。俺にとってはあくまでも兄貴なんだよ。男じゃない」

 断言すると父さんは深々とため息をついた。

 どこか気の毒そうな気配を感じるのは俺の気のせいだろうか。

「結婚したくないのかって確認するってことは、父さんとしては兄貴の相手が俺でも、全然構わないってことなのか?」

「この場合そなたの相手がサイラスでも、と言い換えるべきだな。正しくは」

「俺の相手?」

 不思議そうに問いかければ父さんは重々しく頷いた。

「このままではそなたは普通に結婚できない。男とも女ともだ。跡取りを意識する男が、普通に子供を産めるかどうか不明のそなたを奥方にしたいとは言ってくれないだろう。夫婦生活が望めないそなたと結婚したいという令嬢や姫君たちもいまい。そんな状態でもいいと言ってきたのが唯一サイラスだ」

「でも、俺のことはともかく兄貴は世継ぎなんだ。普通はもっと跡取りを意識しないか?」

「わたしの調べたところによれば、そなたは女としては生きられる。それははっきりしているからな」

「まさか……男とそういう関係になれば、なんて言うんじゃないだろうな?」

「可哀想だがそうだ。女のときにそなたが男と契れば、そなたは生粋の女になれる。そうすれば子供も産めるだろう。だが、元々が男だったそなただ。おそらく普通の男では考えられないはずだ」

「否定はしないよ」

 女として男に抱かれるなんて、相手がだれであってもお断りだ。

 でも、兄貴なら受け入れやすいんじゃないか。

 父さんはそう考えたってことか。

 父さんは父さんで俺のこと考えてくれてるんだな。

 俺が普通の幸せを掴めるように尽力してくれてる。

 それはわかるんだけど。

「その渋い顔。サイラスが相手でも嫌なのか?」

「……それより兄貴の見合いの話はどうなったんだよ?」

「サイラスが見合い相手の姫君に、そなたへの愛を切々と綴った詩を贈って破談となった」

「は?」

 今度は俺が絶句する番だった。

 それってなに?

 理解不能。

 それが本心だった。

「弟王子とどうかお幸せに。相手の姫君からそう返事がきた」

「頭イテー」

 惚気で当て付けて相手の姫君を怒らせたということだ。

 嫁ぐ前から本気で愛した相手がいる王子なんて、だれも本気で相手にしてくれないだろう。

 政略結婚にしても誠意を見せてくれない相手を選ぶとも思えない。

 女として意識していないと暗示されて、それでも笑って政略結婚だからと諦められる女は、そう多くはないだろうから。

「わたしもできるなら諦めさせたかった。そなたがサイラスを兄としか見ていないことはわかっていたし。一般なら許されても王家では普通は兄弟の結婚は避けがちだしな」

「だけど俺の事情が変わったから、父さんの考えも変わった?」

「そなたに人並みの幸せを味わわせてやりたいのだ。それがすこし不本意でも、そなたが孤独に生きずに済むなら、わたしは認めるつもりだ」

 それだけ俺が結婚できる確率が低いってことだ。

 生涯独身で孤独に生きるしか道がないってことだ。

 それは親として父さんには不憫に思えるんだろうな。

 それはわかるよ。

 わかるけど。

「俺の気持ちわかってないよ、父さん」

「シリル」

「結婚とか子孫を残すことだけが幸せに繋がるわけじゃない。生涯独身でも幸せに生きた人ってきっといると思うよ」

「そなたはわかっていない。何故人は求め合うのか。何故人はひとりでは生きられないのか。人はひとりで生きていけるほど強くはないのだ」

 それを理解しろと望むには俺は若すぎると父さんはため息をついた。

 確かに言われたことはわからない。

 楽観してると言われたらそれまでだ。

 でも。

「政略結婚で不幸になった人も大勢いるよ?」

「そなたはつつかれたくないところばかり突いてくるな」

「兄貴を夫に迎えろなんて言わないでくれよ。シリルを殺さないでくれ」

「シリル?」

「父さんたちにはノエルも俺も同じに映っているかもしれない。でも、俺にとってノエルはあくまでもノエルであって俺じゃない」

「……」

「ノエルが生き残るってことは俺が死ぬってことなんだ。共存ならいいよ? でも、男としてのシリルがこの世から抹消されるなんて。そんなの……」

 顔を歪めると父さんはなんとも言えない顔で黙秘した。

 その拘りは男としてわかるからだろう。

 同性っていうのは、こういうとき理解し合えるなと感じる。

「性別に拘るな、シリル」

「でも」

「ノエルはそなただろう? 男でも女でもそなたはそなただ。そしてサイラスは男でも女でもそなたを愛している。その気持ちも理解してやってくれ」

 なにも言えない俺に父さんはただじっと視線を固定していた。

 まるで俺が現実から逃げ出さないように見張っているみたいに。

 そんな父さんに俺はなにも言えなかった。

 俺の拘りが小さなものに思えて。
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