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chapter 2
巡り巡るグルーヴ(2)
しおりを挟む客足もまばらな平日の22時過ぎ。今日はきっと暇だろうからとマスターは開店する少し前から急遽例のカレーを煮込み始めた。今も付きっきりで仕上げの段階に入っている。
カウンターを任されているのは私ともう一人、歳は私より下だけどキャリアは上の樋口くん。
人懐っこい樋口くんと他愛もない話をしながら暇な時間帯をやり過ごしていると再生していたレコードがラストの曲でそろそろ終わりそうだ。お客さんからのリクエストもないので次にかけるレコードを選ぶ。あまり考える余裕もなかったのでぱっと思い付いたザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』にした。
レコードに針を落とし一曲目が流れ始めるとボリュームを調整する。途中の歓声に迎えられるように店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ、あー阿部さん、こんばんは」
先に気付いた樋口くんが声をかける。
「こんばんは樋口くん、ちょっと久しぶり?相変わらずいい選曲だねリカちゃん。あ、この匂い、仕込んでる?」
「こんばんは。もう少しで出来そうですよ、あ、今日はお一人じゃないんですね」
お連れさんがいた。一人じゃないのは初めてでは無いが、阿部さんが誰かを連れてくるのは珍しい。その理由を好きな物は独り占めしたいタイプとか何とか言っていた。
明らかに若そうな男の子。樋口くんよりさらに年下っぽい。風貌からしていかにもバンドマンて感じだから、この前阿部さんが言ってたバンドのボーカルの子かな。……何か既視感あるな。
「テーブル席にします?」
「あぁ、カウンターでいいよ。大事な話は済ませて来たし。リカちゃんはほんとに気が回るねぇ、おまえも見習えよ」
「今日はリカさんよりオレの方が先に阿部さんが来た事気付いたじゃないですか、充分でしょ」
阿部さんは物怖じしない樋口くんをいじるのが趣味だ。
「阿部さんはビールでいいですか?えっと、」
「……あ、オレもビールで」
派手な見た目に反して初めて連れて来られた場所に落ち着かない様子がちょっと意外でかわいらしい。
「カレー食べます?」
「もちろん。おまえは?」
「カレーですか?」
「そ、ここのマスターの特製チキンカレー、うまいよ」
「……じゃあせっかくなんで、いただきます」
奥の厨房にいるマスターにオーダーを伝えると、あと五分待てと返事があったので、それを阿部さんに伝える。そのやり取りの間ボーカルの彼は何故かずっと私の方を見ていた。
「私の顔、何か付いてる?」
「あ、すみません、じっと見ちゃって」
無意識だったのか指摘すると恥ずかしそうに目を逸らされた。
「何か、知り合い、に似てて。……ビートルズ、好きなんですか?」
「そうなんだ、ならおあいこかな。私も一目見て知り合いに似てるなって思ってたの。ビートルズは大好きだよ」
「ほら、だから言ってるだろ、おまえの髪型とか格好とかバンドマンにありがち過ぎて個性がないって」
若者相手に容赦ない阿部さん。この前言っていた大変と言うのは音楽だけでなくこういう事にまで口を出さないといけないと言う事かな。
カレーが出てくるまでの間ずっと阿部さんの説教が続いていた。嫌にならないのかなと心配になったが、彼は真剣に阿部さんの話を聞いている。柔軟性があって、何より阿部さんの事を信頼しているのが見て取れて安心した。
「はいおまちどおさん」
ようやくカレーの登場だ。
阿部さんはいつも通り、彼は少し遠慮がちにカレーを口に運ぶ。
「……うま」
その一言と表情に満足気に笑うとマスターはまた厨房に戻って行った。
その後も何度か阿部さんに連れられて彼、杉浦くんはこの店を訪れた。時にはバンドのメンバーも全員一緒に、ライブ後の打ち上げの二次会に利用してもらうこともあった。
そのうちに、すっかりこの場の空気に慣れた彼は一人でもふらっと飲みに来るようになった。
「理香子さん、ビールおかわり」
杉浦くんはいつもカウンター席に座って私か樋口くんかマスター、時には仲良くなった常連さんと話をする。若いのに古い洋楽に詳しくて、五十を過ぎた常連のおじさん達もそんな彼がかわいくて仕方がない様子だった。
「そういえばリカさんの事、理香子さんて呼ぶんだね、呼び難くない?リカコさん」
樋口くんが素朴な疑問を彼に投げかける。
本名の『理香子』が呼び難いと言うのは実は昔から結構言われる。逆に『リカ』や『リカちゃん』は呼び易いらしく、私はいつも『リカ』と略されて呼ばれるし、私自身もそれに慣れていた。
そういえば何故彼がいつの日からか私の名前を略さずに『理香子さん』と言うようになったのか、理由は聞いた事が無かった。
「あぁ、みんなが呼ばないならオレはあえて理香子さんて呼ぼうかなって、名前ってちゃんと意味があって付けられてると思うから」
何そのキュンとする理由。ちょっとドキッとしたわ。……天然なのかな。
「……えっと、リカさん結婚してるの、知ってるよね?」
樋口くんも杉浦くんの天然具合を感じ取ったのか予想だにしなかった返答に質問した本人がドギマギしている。
「知ってますよ、もちろん。あ!そんな変な意味じゃ無いですから」
私と目が合って急に焦り出した。
自分の言った言葉がどう捉えられたのかようやく理解したらしい。
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