グレープフルーツムーン

青井さかな

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chapter 4

Get Back(1)

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 午後九時を過ぎた。
 もう終わった頃かな。
 私の送ったメッセージに気付いたら、彼はどうするだろう。
 リナは、あれからどうしただろう。
 私に出来る事はきっとここまでで、後は二人次第……。



 ――六時間前

 陽射しの穏やかな昼下がり、夫が仕事に行く為に自宅を出てしばらくして、入れ替わるようにインターフォンが鳴った。

「いらっしゃい」

 ドアを開けて来訪者を招き入れる。

「今まで、どこにいたの?」

 私の問いかけに終始無言で家に上がり、リビングの椅子に座る。

「リナ」

「……実家に、帰ってた」

 まさか、一番あり得ないと思っていた場所に居たのか。

「どうして?行く場所無いにしても、リナは絶対実家に帰る事はないって思ってた」

 今から行くと連絡があってから、あらかじめ用意していたコーヒーをリナに差し出しながら言う。

「あんなとこ帰るつもりなんてなかった。……離婚した頃、もう本当にこれまでの自分の行いとか反省して、自分が嫌になって少し独りになって出直したいって、思ったの。そんな時に、……母親が、入院してるって連絡が来て、末期癌で。けど正直どうでもいい、私には関係ないって思ったんだけど、私一人っ子だし、家の事とか面倒だけど避けられない事もあって、それで帰る事にした」

 そうだったんだ。

「それならそうって言ってくれたら」

 私にだって何か力になれる事があったかもしれないのに。

「私だってリカに頼りたかったよ。でも、あの人本当に最悪で、私が病院に行ったら、顔色一つ変えずに何しに来たのって、最初からわかってた事だけど私が何してもありがとうの一言も無いし、それでリカの優しさに甘えてたら私きっと全部投げ出して帰ってた」

 リナとお母さんの関係、あんまり話したがらないから改めて詳しく聞いたこと無かったけど、そこまで根深かったんだ。

「けど、日に日に弱って行くのがわかって、私はこの先地元に戻って暮らしていく気はなかったから、実家の整理も進めていこうと思って、昔から母親の部屋には絶対に入るなって言われてたんだけど、そういうわけにもいかないから小さい頃以来初めて入ったら、……そしたら母親の部屋に、私が中学の時全部捨てられたと思ってたお父さんのレコードが、全部置いてあった。それも、すごくキレイな状態で。……それで、やっとわかった。お父さんが亡くなって、一番辛かったのはお母さんだったのに、なんでわかってあげられなかったんだろうって。今更仲良くなんて無理だけど、せめてちゃんと最期まで見届けようって」

 両親も健在で兄弟もいて、結婚して実家は出たとはいえ何かあってもすぐ駆け付けられる距離で生活していて、今までも、なんならこれからも家族に甘えようと思っている私には、想像もつかない苦労だ。

「それで、お母さんは?」

「うん、二週間前、亡くなった。私が最初連絡貰った時余命三ヶ月って言われてたんだけど、半年以上も生きてくれてね、本人としては苦しい時間が長くなって辛かったかもしれないけど」

 半年以上も、ずっと一人で向き合っていたなんて。

「リナ、それでも、やっぱり言って欲しかったよ、どうして一人で全部背負いこむの」

 リナは俯いて顔を歪める。

「ごめん……。リカならそう言ってくれると思ってた。だから言えなかった。私はリカが辛い時、いつも何も出来なくて、……それどころか、友達として、人として、あり得ないことしたから」

 とても苦しそうに、絞り出すようにリナが言う。

「それって」

「ごめんなさい。私、今更謝って済む事じゃないのはわかってるけど、大学四年の頃、リカと浅野さんがまだ付き合ってる時に、……浅野さんと、一度だけ、」

 その先をどう言葉にしていいか迷っているのかリナは黙り込んでしまった。

「リナは、浅野さんの事好きだったの?」

「……あの頃は、今考えても、正直、わからない。……ただ、浅野さんは私が本当に音楽を好きになるきっかけを与えてくれた人だと出会った頃からずっと思ってて、サークルの中でも特別な人っていう認識はあった。でもそれが恋愛感情かと言われたら本当にわからなくて、私にとってはリカの彼氏っていうのが前提としてあったから、そういう風に意識して見た事も無かった。……だから、お酒飲んでたとはいえ、何であんな最低な事が出来たのか、自分でも信じられなくて、今でも後悔してる」

 その表情に、言葉に、嘘は無いように思えた。

「けど、そんなの全部ただの言い訳だよね。リカの事を思えばちゃんと拒否しないといけなかったのに、出来なかった。……浅野さんへの気持ちを自覚したのは、浅野さんが亡くなって、それもかなり経ってから」

 おそらくは浅野さんが強引に迫ったんだろうな。リナもあまり聞かれたくないだろうし、私もそんなに知りたい訳でもないからこれ以上追求はしない。
 今更でも話す気になってくれた事の方が嬉しかった。

「リナ、もういいよ。なんとなくわかってたから。もう終わったことだよ。……もう、浅野さんは、いないんだから」

 弾かれたように顔を上げたリナの悲しそうな瞳が真っ直ぐ私を見つめる。

「私もね、本当の事言うと、浅野さんと付き合う時、本気で浅野さんの事好きになってたわけじゃなくて、リナと浅野さんがどんどん仲良くなって、このままだと二人が付き合う事になるんじゃないかって思って、それが嫌で浅野さんと付き合う事にしたの。……まぁ付き合ってくうちにちゃんと好きにはなってたと思うけど、別れるまでずっとそのモヤモヤした気持ちは続いてた。……今になって思えば、私は浅野さんにリナを獲られるのが嫌だったんだよ」

 何も言えずにリナはじっと私の様子を窺っていた。

「私が変な意地張ったりしなければ、もしかしたら浅野さんもあんな事にならずに、リナがずっと苦しむ事もなくて、もっといろんな事がうまくいったんじゃないかって、何度も思った」

「リカ、それは」

「それでも私は、音楽もレコードもお酒も、リナと一緒だったから好きになって、今でも大切な私の一部。リナと出会わなかったら、今の私はいない」

「………」

「だから、リナ、……戻って来て」

 リナが肩を震わし涙を流しながら頷く。「ごめん」と何度も繰り返すリナに「もういいから」そう言って、私はリナを私はそっと抱きしめた……。






「落ち着いた?」

 ひとしきり泣いて少し疲れた様子のリナにコーヒーを入れ直してあげる。 

「ありがとう」

 一口飲んでふぅっと一息つく。

「じゃあ、リナが突然いなくなった理由はわかったから、次は、突然現れる気になった理由を聞こうかな」

「………」

 コーヒーのカップを両手で持ったまま、またリナは黙り込んだ。

「リナ、ここまで来てだんまりは無しだよ」

「……何あの写真、なんでリカが、知ってるの」

 やっぱりそれか反応したのは。まぁ予想通りだけど。
 杉浦くんが『ドアーズ』に来てくれたあの日、出勤前に撮った彼らのポスターとライブハウス『HARVEST』の写真をその後私はリナに送っていた。

「うちの店の常連さんなの」

「……嘘でしょ」

「嘘じゃないよ、正確にはあのバンドのマネージャーさんが私が働き始める前からの常連さんで、少し前に連れて来られたの」

「……どこまで、知ってるの?」

「リナのあの時の相手が杉浦くんだった事?」

 リナが両手で顔を覆って大きな溜め息をつく。

「なんで、だからと言ってそんな簡単にわかるわけ」

「私だって信じられなかったよ。……いろんな偶然が重なったの」

 そして杉浦くんが『ドアーズ』に来るようになってから、リナとの関係に私が気付くまでの経緯を話してあげた……。






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