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最終章
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意識を取り戻しても、ユアンの身体はすぐには思うように動くことができなかった。
一人で歩く事もままならず、両手に残る痺れのせいで、食事すら一人で取ることができない。
ユアンはそれを悲観する様子もなく、カイゼルを中心に邸の人々の助けの元、少しずつ回復に向けて取り組み始めた。
カイゼルはユアンの意識がなかった頃と変わらず、ユアンの身の回りの世話を続け、ほとんどの時間をユアンと共に過ごした。
「ユアン、口を。」
小さく開くその口に、カイゼルは少しずつ食事を運ぶ。
「前にも、こんなことがあったように思うな。」
「そう、で、すね。」
「自分で匙を持ってみるか?」
ユアンは小さく頷くと、まだ少し震える手で匙を受け取り、ゆっくりとスープを掬った。
「ゆっくりで、いいぞ。」
掬ったスープは、口元に運ばれるまでに、ぽたぽたと、ほとんどが溢れ落ちる。
それでも、ゆっくりと残ったスープが口元まで運ばれた。
こくりと、それを嚥下すると、ユアンはふふふと笑ってみせた。
「で、できま、した!」
ユアンのその顔を見て、カイゼルは何度も頷いた。
これだけのことなのに、目頭に熱いものが込み上げる。
自分は、思いの外涙腺が弱かったのかもしれない。
もう一度と、何度も繰り返すユアンをカイゼルは優しく見守った。
ユアンの意識がなかった時、訪れた侯爵とセレンはユアンを連れ帰ると申し出た。
こんな状態では、婚姻など無理だと。
連れて帰り静かに過ごさせたいと。
婚約を解消してもらっても構わないと、そう申し出てきた。
侯爵家の人々はユアンのことを心から心配していた。
原因は何であれ、心も身体も傷ついてばかりのユアンを、これ以上傷つけずに家族が見守る中静かに過ごさせたいと、そう思うのは当然のことだった。
カイゼルはその申し出を受け入れることはなかった。
この状態で悪天候の中、長い移動をさせることも無理があるが、それ以上にユアンを手放すなどできる訳がなかった。
カイゼルと辺境の皆の懇願で、二人は渋々帰って行った。
「ユアン、お前の母親とセレンが、天候が落ち着き次第ここを訪れるぞ。」
「かあ、さま、と、に、さまが?」
ユアンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ああ、それまでもう少し歩けるように、練習してみるか?」
「は、はい!」
立つ事すらままならなかったユアンは、日毎数歩ずつではあるが、歩けるまで回復していた。
よたよたと、数歩進んでは、待ち受けるカイゼルに抱きつく。
時折辛そうな表情を見せるが、泣き言は言わない。
ユアンの華奢な身体を抱き止める度に、生きていられるのが、本当に奇跡だったとカイゼルは思う。
ユアンにはまだ伝えていないが、侯爵家の人々が連れ帰りたい訳は、他にもある。
今の状態では、ユアンは子を宿すことが難しいだろうと、医者に告げられたことだ。
カイゼルはこれ以上の奇跡は望まない。ユアンが生きてここにいるだけでいい。
子はできずとも、ユアンさえいれば、それでいいのだ。
夜に隣で眠るユアンを見ていると、カイゼルは時折恐ろしくなる。
このままユアンが目を覚まさなかったらと、人形のように見えたユアンを思い出す。
そもそも生きているのかと、何度も確認してしまう。
寝息を確認したり、頬に触れて温かさを確認したり。
そんなカイゼルの前で、やっとできるようになった寝返りをうち、カイゼルの胸元に擦り寄るユアンに心底安堵する。
そっと抱きしめるユアンは温かい。
「ユアン、愛している。暖かい時期が来たら、綺麗な姿で式をあげよう。誰が何と言おうと、ユアンはわたしの妻になるんだ。」
「…カイゼルさ、ま?」
寝ていると思っていたユアンが、カイゼルを見上げている。
「すまない。起こしたか…」
「もう、すこしで、つまに、なるん、です、ね。」
「聞いていたのか?」
「ごめ、なさ、い。でも、うれし…」
「いいんだ。どんな衣装にするか、これから考えよう。きっと、何でも似合うぞ。」
ユアンは恥ずかしそうに、微笑んだ。
「起こして悪かったな。寝るか。」
「はい、おやすみ、なさ、い」
「おやすみ。ユアン愛している…」
「ぼく、も…」
ユアンが眠りにつくのを見守りながら、カイゼルは執務室に溜まったままの書簡の山を思う。
ラグアルと公爵家から届けられたものだ。
一通も封を切らず、全てそのままにしてある。
書かれているだろうことは想像がつく。
カイゼルは詫びを受け入れるつもりはない。
ただ、これ以上ユアンに関わりを持たせたくない。
翌日、使用人たちに髪を結い上げられたり、少しだけ化粧を施され、納得がいかなそうにしているユアンを横目に、カイゼルは書簡をしたためた。
ユアンの意識が戻ったこと、これ以上の詫びも何もいらない。ただもう関わりを持つ事はないと、それだけを記すと、公爵家へ届けさせた。
「もう、ぼくは、おとこ、なのに…」
ユアンの台詞に、カイゼルは思わず笑った。
やはり、そう言うのかと。
雪で閉ざされた辺境の地で、ゆっくりと優しく時間は過ぎて行った。
一人で歩く事もままならず、両手に残る痺れのせいで、食事すら一人で取ることができない。
ユアンはそれを悲観する様子もなく、カイゼルを中心に邸の人々の助けの元、少しずつ回復に向けて取り組み始めた。
カイゼルはユアンの意識がなかった頃と変わらず、ユアンの身の回りの世話を続け、ほとんどの時間をユアンと共に過ごした。
「ユアン、口を。」
小さく開くその口に、カイゼルは少しずつ食事を運ぶ。
「前にも、こんなことがあったように思うな。」
「そう、で、すね。」
「自分で匙を持ってみるか?」
ユアンは小さく頷くと、まだ少し震える手で匙を受け取り、ゆっくりとスープを掬った。
「ゆっくりで、いいぞ。」
掬ったスープは、口元に運ばれるまでに、ぽたぽたと、ほとんどが溢れ落ちる。
それでも、ゆっくりと残ったスープが口元まで運ばれた。
こくりと、それを嚥下すると、ユアンはふふふと笑ってみせた。
「で、できま、した!」
ユアンのその顔を見て、カイゼルは何度も頷いた。
これだけのことなのに、目頭に熱いものが込み上げる。
自分は、思いの外涙腺が弱かったのかもしれない。
もう一度と、何度も繰り返すユアンをカイゼルは優しく見守った。
ユアンの意識がなかった時、訪れた侯爵とセレンはユアンを連れ帰ると申し出た。
こんな状態では、婚姻など無理だと。
連れて帰り静かに過ごさせたいと。
婚約を解消してもらっても構わないと、そう申し出てきた。
侯爵家の人々はユアンのことを心から心配していた。
原因は何であれ、心も身体も傷ついてばかりのユアンを、これ以上傷つけずに家族が見守る中静かに過ごさせたいと、そう思うのは当然のことだった。
カイゼルはその申し出を受け入れることはなかった。
この状態で悪天候の中、長い移動をさせることも無理があるが、それ以上にユアンを手放すなどできる訳がなかった。
カイゼルと辺境の皆の懇願で、二人は渋々帰って行った。
「ユアン、お前の母親とセレンが、天候が落ち着き次第ここを訪れるぞ。」
「かあ、さま、と、に、さまが?」
ユアンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ああ、それまでもう少し歩けるように、練習してみるか?」
「は、はい!」
立つ事すらままならなかったユアンは、日毎数歩ずつではあるが、歩けるまで回復していた。
よたよたと、数歩進んでは、待ち受けるカイゼルに抱きつく。
時折辛そうな表情を見せるが、泣き言は言わない。
ユアンの華奢な身体を抱き止める度に、生きていられるのが、本当に奇跡だったとカイゼルは思う。
ユアンにはまだ伝えていないが、侯爵家の人々が連れ帰りたい訳は、他にもある。
今の状態では、ユアンは子を宿すことが難しいだろうと、医者に告げられたことだ。
カイゼルはこれ以上の奇跡は望まない。ユアンが生きてここにいるだけでいい。
子はできずとも、ユアンさえいれば、それでいいのだ。
夜に隣で眠るユアンを見ていると、カイゼルは時折恐ろしくなる。
このままユアンが目を覚まさなかったらと、人形のように見えたユアンを思い出す。
そもそも生きているのかと、何度も確認してしまう。
寝息を確認したり、頬に触れて温かさを確認したり。
そんなカイゼルの前で、やっとできるようになった寝返りをうち、カイゼルの胸元に擦り寄るユアンに心底安堵する。
そっと抱きしめるユアンは温かい。
「ユアン、愛している。暖かい時期が来たら、綺麗な姿で式をあげよう。誰が何と言おうと、ユアンはわたしの妻になるんだ。」
「…カイゼルさ、ま?」
寝ていると思っていたユアンが、カイゼルを見上げている。
「すまない。起こしたか…」
「もう、すこしで、つまに、なるん、です、ね。」
「聞いていたのか?」
「ごめ、なさ、い。でも、うれし…」
「いいんだ。どんな衣装にするか、これから考えよう。きっと、何でも似合うぞ。」
ユアンは恥ずかしそうに、微笑んだ。
「起こして悪かったな。寝るか。」
「はい、おやすみ、なさ、い」
「おやすみ。ユアン愛している…」
「ぼく、も…」
ユアンが眠りにつくのを見守りながら、カイゼルは執務室に溜まったままの書簡の山を思う。
ラグアルと公爵家から届けられたものだ。
一通も封を切らず、全てそのままにしてある。
書かれているだろうことは想像がつく。
カイゼルは詫びを受け入れるつもりはない。
ただ、これ以上ユアンに関わりを持たせたくない。
翌日、使用人たちに髪を結い上げられたり、少しだけ化粧を施され、納得がいかなそうにしているユアンを横目に、カイゼルは書簡をしたためた。
ユアンの意識が戻ったこと、これ以上の詫びも何もいらない。ただもう関わりを持つ事はないと、それだけを記すと、公爵家へ届けさせた。
「もう、ぼくは、おとこ、なのに…」
ユアンの台詞に、カイゼルは思わず笑った。
やはり、そう言うのかと。
雪で閉ざされた辺境の地で、ゆっくりと優しく時間は過ぎて行った。
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