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第7話 衛生検査とは、すなわち証拠隠滅の別名である
しおりを挟む飲食店経営者にとって、「衛生検査」という言葉は「死刑宣告」に近い響きを持っている。
特に、この店のように、食材の調達ルートが法的にグレー(主にモンスターの解体品)で、店内の人間関係がブラック(元魔王軍の店員と、一日中居座る無口な魔法使い)である場合、それは文字通りの命懸けのイベントとなる。
午後二時。王都から派遣された衛生検査官、ギラス氏がやってきた。
銀縁メガネ、定規で測ったような七三分け、そして手に持った分厚いチェックシート。彼は「埃一つ、カビ一胞子も見逃さない」という鋼の意志を全身から発していた。
「では、厨房を拝見します」
ギラス氏の冷徹な声が響く。
俺は額に浮いた冷や汗を拭いながら、笑顔で彼を案内した。
「ええ、どうぞ。自慢の清潔なキッチンです」
嘘だ。
ついさっきまで、そこではアルドが狩ってきた「暴れバイソン」の解体ショーが行われていた。血痕を拭き取るのに洗剤を三本使い切ったところだ。
厨房に入ると、そこにはエプロン姿のヴァネッサと、なぜか当然のように部屋の隅に立っているミアが待ち構えていた。
今日のシフトはヴァネッサだけだ。ミアは頼んでもいないのに勝手に入り込んでいる。アルドと村長は「余計なことをするから」という理由で森へ捨ててきた。
「ふむ……」
ギラス氏がシンクの周りを指でなぞる。
埃はついていない。当然だ。ヴァネッサが「殲滅」したからだ。
「随分と綺麗ですね。洗剤は何を?」
「『酸性スライムの消化液』です」
「はい?」
ヴァネッサが即答した。俺は即座に遮った。
「酸性の! クエン酸系の! 洗剤の商品名です! 『スライム』というブランドなんです! 汚れを溶かすように落とすから!」
「はあ……なるほど」
ギラス氏は不審そうにメモを取った。
危ない。ヴァネッサの辞書に「比喩」という言葉はない。彼女は本当にスライムで皿を洗っている。皿が少し薄くなっている気がするのは考えないようにしよう。
「次は冷蔵庫の温度管理を見せていただきましょう」
ギラス氏が大型冷蔵庫の扉に手をかける。
俺の心臓が早鐘を打った。
待て。一番下の段。そこには確か、昨日の残りの「マンドラゴラの塩漬け」が入っているはずだ。
あれを見られたら終わりだ。「人の顔をした野菜」が冷蔵庫に入っている店など、即刻営業停止処分だ。
俺は背後のミアに視線を送った。
客なら客らしく座っていてほしいが、今は彼女の魔法だけが頼りだ。
頼む。なんとかしてくれ。隠すんだ。
ミアは無表情のままコクリと頷き、杖を僅かに動かした。
ギラス氏が扉を開ける。
「む……?」
冷蔵庫の中は、整然としていた。
肉、野菜、卵。完璧だ。マンドラゴラは消えている。
俺が安堵のため息をつこうとした、その時だった。
「店長さん。この一番下の段にある……『黒い球体』はなんですか?」
は?
俺が覗き込むと、マンドラゴラがあった場所には、野菜の代わりに、直径二十センチほどの「漆黒の闇」が渦巻いていた。
空間魔法による亜空間ゲートだ。
ミアのやつ、マンドラゴラを異次元に飛ばしたのはいいが、ゲートを閉じ忘れて「虚無」を冷蔵庫に置き忘れてやがる。
「あー、それは……えっと……」
「冷却装置ですか? 手を入れると指が吸い込まれそうな感覚がしますが」
「最新式の! 脱臭炭です! 匂いどころか光さえも吸収する、超強力なやつです!」
俺は必死で言い訳を並べた。
その横で、ヴァネッサが「フッ、甘いな」と呟き、一歩前に出た。
「検査官殿。その黒い球体について深く追求するのはお勧めしない」
「な、なぜですか?」
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているからだ……」
ヴァネッサが赤く光る瞳でギラス氏を見下ろす。
ただの脅迫だ。衛生検査でニーチェを引用して検査官を脅す店員がどこにいる。
ギラス氏は顔を青ざめさせ、パタンと冷蔵庫の扉を閉じた。
「け、結構です! 衛生状態は極めて良好! 文句なしのAランクです!」
「えっ、いいんですか?」
「はい! 長居は無用……いえ、お忙しいでしょうからこれで!」
ギラス氏は逃げるように裏口から走り去っていった。
チェックシートには震える文字で『合格(二度と来たくない)』と書かれていた。
俺はその場にへたり込んだ。
とりあえず営業停止は免れた。だが、この店が「王都のブラックリスト」に載ったことは確実だろう。
俺は冷蔵庫を開け、未だに渦巻いている「虚無」を見つめながら、静かにミアに告げた。
「……おい、ミア。これ、どうやって捨てるんだ?」
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