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アークライト家の秘密
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イザベラは辛抱強く言葉を待っている。
ルミナスはドロシーとは違って、なかなか割り切れないようだった。始終、目を泳がせて、そわそわと膝を揺らす。何度も開いた口は、しかし言葉が詰まったようで、再び引き結ばれる。
そんなことを五回は繰り返しただろうか。
乾いた唇を舌で舐め取り、ようやく決心がついたと、ルミナスはイザベラを見据えた。
「アリアの父親は私ではない」
「……! 」
イザベラは、幻聴かと自分自身を疑った。
何かとんでもないことを聞いてしまったような。
何度も瞬きし、何事かを返そうとしたが、あまりに衝撃過ぎて声すら出ない。人は心底驚いたときは、言葉を失う。イザベラはまさにそんな心境だった。
「ミレディは父の愛人だったんだ」
ルミナスは、さらに秘密を重ねた。
「彼女とは幼馴染みでね。兄弟同然だった。彼女を女として見たことなんて、一度もない」
かつて、ルミナスは彼女を忘れられないと語っていた。
だが、それは、イザベラが考えていた想いとは全く別の、ルミナス特有の気持ちだった。
「父の子を妊娠しているとわかって、私は幼馴染みを助けるため、お腹にいる義理の妹を救うために、ミレディと婚姻したんだ」
そのときのルミナスの決断に至るまでの葛藤に、イザベラは馳せる。
ルミナスが夫に名乗り上げなかったら、どうなっていただろうか。
愛人を持つことがある種の社会的地位を見せしめるためとはいえ、幼い頃から知る娘に手を出したとあれば、父はおろかミレディまで悪様にこき下ろされ、アークライト家の名声は地に堕ちる。
しかも、すでに子を成して。
婚姻すら結んでいない関係で。
スキャンダル以外の何ものでもない。
ルミナスの決断がなければ、アリアはこの世にはいなかった。間違いなく。
「ミレディは、父との子を何が何でも産むのだと言い張ったからね」
反対すればするほど、気持ちの昂っている者にとって、余計に火をつけ燃え上がらせてしまう。
「母上は私を蔑んだよ。何て愚かな息子だと。もっとやりようがあっただろうと。だが、あのときの私にとっては、最善の策だった」
やはりルミナスは思いやりある男だ。
「母上の悔しさは、わからないでもない。娘同然に思っていた女が、あろうことか父の愛人だったんだからね」
ミレディとルミナスの父は、いつから関係を変化させたのだろうか。『ドロシーの娘』を、『ルミナスの妹』を演じながら、ミレディは着実に大人の女性となり、平然と裏切っていたのだ。ドロシーの怒りは半端なかったはず。
「それ以来、母上とは疎遠だった。君と婚姻するまで」
ドロシーは、物分かりの良いルミナスにどれほど歯噛みしただろう。
「ええ。私は絶望のあまり、王都の屋敷に篭り、二度とこの屋敷を訪れることはないと」
ドロシーは認めた。
だが、ルミナスが新たな妻を迎えたと聞きつけ、ようやく重い扉を開いた。彼女にとって、やはり息子はかけがえがない。
「私とミレディは上辺だけの婚姻だ。実質、この屋敷で父とミレディは夫婦のように振る舞っていた」
だからこそ、ルミナスは妊婦相手にかなり戸惑い、頓珍漢なことを繰り返すほど無知だった。
「使用人から真実が漏れることを恐れて、事情を知る家令以外は全員解雇。極力、屋敷に関わらないよう、住み込みも取りやめた」
アークライト家の世間一般とは違った使用人に対する扱いは、それが原因だったのか。イザベラは、ようやく理由を知る。
「父とミレディが亡くなったときも、二人は逢引きの最中だったんだ」
まだ幼い子供を残して亡くなった二人。
ルミナスは、辛そうに目を伏せる。
「アリアはこのことは? 」
尋ねたイザベラに、ルミナスは緩く首を横に振った。
「ミレディに仕えていたメイドが、解雇された恨みで喋ったよ。三年前に」
「……! 」
イザベラは言葉を失う。
幾ら恨み節があるといえど、幼い子供を犠牲にするとは。
そのときのアリアの衝撃を想像し、イザベラの胸はぎゅっと絞られた。
「以来、アリアは口では私のことを父と呼ぶが、兄のような扱いだよ」
アリアの大人びた態度には、そのような切なさが隠されていたなんて。
「彼女は私の娘だが、妹でもある。そんな複雑な関係に、彼女自身、かなり辛抱しているんだ」
無邪気なアリア。
だが、その心の内は、イザベラが思うよりも遥かに混沌とした想いが渦巻いているのだろう。
「彼女はなりたいんだよ。私の娘に。そして、君の娘にも」
アリアがちょっと照れながら、イザベラのことを「お母様」と呼んだときの顔を思い出す。
イザベラはとうとう堪え切れなくなり、涙が頬の線に沿って流れ落ちた。
ルミナスはドロシーとは違って、なかなか割り切れないようだった。始終、目を泳がせて、そわそわと膝を揺らす。何度も開いた口は、しかし言葉が詰まったようで、再び引き結ばれる。
そんなことを五回は繰り返しただろうか。
乾いた唇を舌で舐め取り、ようやく決心がついたと、ルミナスはイザベラを見据えた。
「アリアの父親は私ではない」
「……! 」
イザベラは、幻聴かと自分自身を疑った。
何かとんでもないことを聞いてしまったような。
何度も瞬きし、何事かを返そうとしたが、あまりに衝撃過ぎて声すら出ない。人は心底驚いたときは、言葉を失う。イザベラはまさにそんな心境だった。
「ミレディは父の愛人だったんだ」
ルミナスは、さらに秘密を重ねた。
「彼女とは幼馴染みでね。兄弟同然だった。彼女を女として見たことなんて、一度もない」
かつて、ルミナスは彼女を忘れられないと語っていた。
だが、それは、イザベラが考えていた想いとは全く別の、ルミナス特有の気持ちだった。
「父の子を妊娠しているとわかって、私は幼馴染みを助けるため、お腹にいる義理の妹を救うために、ミレディと婚姻したんだ」
そのときのルミナスの決断に至るまでの葛藤に、イザベラは馳せる。
ルミナスが夫に名乗り上げなかったら、どうなっていただろうか。
愛人を持つことがある種の社会的地位を見せしめるためとはいえ、幼い頃から知る娘に手を出したとあれば、父はおろかミレディまで悪様にこき下ろされ、アークライト家の名声は地に堕ちる。
しかも、すでに子を成して。
婚姻すら結んでいない関係で。
スキャンダル以外の何ものでもない。
ルミナスの決断がなければ、アリアはこの世にはいなかった。間違いなく。
「ミレディは、父との子を何が何でも産むのだと言い張ったからね」
反対すればするほど、気持ちの昂っている者にとって、余計に火をつけ燃え上がらせてしまう。
「母上は私を蔑んだよ。何て愚かな息子だと。もっとやりようがあっただろうと。だが、あのときの私にとっては、最善の策だった」
やはりルミナスは思いやりある男だ。
「母上の悔しさは、わからないでもない。娘同然に思っていた女が、あろうことか父の愛人だったんだからね」
ミレディとルミナスの父は、いつから関係を変化させたのだろうか。『ドロシーの娘』を、『ルミナスの妹』を演じながら、ミレディは着実に大人の女性となり、平然と裏切っていたのだ。ドロシーの怒りは半端なかったはず。
「それ以来、母上とは疎遠だった。君と婚姻するまで」
ドロシーは、物分かりの良いルミナスにどれほど歯噛みしただろう。
「ええ。私は絶望のあまり、王都の屋敷に篭り、二度とこの屋敷を訪れることはないと」
ドロシーは認めた。
だが、ルミナスが新たな妻を迎えたと聞きつけ、ようやく重い扉を開いた。彼女にとって、やはり息子はかけがえがない。
「私とミレディは上辺だけの婚姻だ。実質、この屋敷で父とミレディは夫婦のように振る舞っていた」
だからこそ、ルミナスは妊婦相手にかなり戸惑い、頓珍漢なことを繰り返すほど無知だった。
「使用人から真実が漏れることを恐れて、事情を知る家令以外は全員解雇。極力、屋敷に関わらないよう、住み込みも取りやめた」
アークライト家の世間一般とは違った使用人に対する扱いは、それが原因だったのか。イザベラは、ようやく理由を知る。
「父とミレディが亡くなったときも、二人は逢引きの最中だったんだ」
まだ幼い子供を残して亡くなった二人。
ルミナスは、辛そうに目を伏せる。
「アリアはこのことは? 」
尋ねたイザベラに、ルミナスは緩く首を横に振った。
「ミレディに仕えていたメイドが、解雇された恨みで喋ったよ。三年前に」
「……! 」
イザベラは言葉を失う。
幾ら恨み節があるといえど、幼い子供を犠牲にするとは。
そのときのアリアの衝撃を想像し、イザベラの胸はぎゅっと絞られた。
「以来、アリアは口では私のことを父と呼ぶが、兄のような扱いだよ」
アリアの大人びた態度には、そのような切なさが隠されていたなんて。
「彼女は私の娘だが、妹でもある。そんな複雑な関係に、彼女自身、かなり辛抱しているんだ」
無邪気なアリア。
だが、その心の内は、イザベラが思うよりも遥かに混沌とした想いが渦巻いているのだろう。
「彼女はなりたいんだよ。私の娘に。そして、君の娘にも」
アリアがちょっと照れながら、イザベラのことを「お母様」と呼んだときの顔を思い出す。
イザベラはとうとう堪え切れなくなり、涙が頬の線に沿って流れ落ちた。
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