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悪女の仮面
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マチルダは姉以外に自室に他人を招き入れたことはない。
拒んだことなど、一度としてない。
しかし、掃除に入るメイドでさえ躊躇するほど。
別に生活範囲に結界を張っているわけではないのに。
ハキハキした滑舌の良さや、元来の鋭い眼光、加えて冷たそうな雰囲気を醸し出す容貌が、誰しもを遠ざけているらしい。
だからといって、今更、直す気にはなれない。
二十歳にもなって、一体、誰に媚を売れというのか。
いつだって遠巻きでしか見られない。もう慣れっこだ。
そんなふうにあまり人との付き合いがないマチルダだったから、独身の娘の部屋に異性を招き入れる意味など、深く考えなかったのだ。
マチルダの寝室は、世の中の年相応の娘より遥かに幼っぽい。
キリリとしたイメージから誤解されているが、彼女は可愛らしさを好む。
壁紙は淡いピンクの小花模様だし、カーテンやシーツもピンク。チッペンデール様式に用いられるベル・フラワーの細工が柱に施された天蓋ベッドと、同じ造りの書斎机とチェア。座面に布を貼ったソファも、ピンクだ。
アンサーは少女趣味丸出しのソファに、窮屈そうに身を縮めて座っている。
居心地悪そうにするくらいなら、さっさと出ていけば良いのに。
心の中で悪態をつきながらも、こんな男でも姉の想い人であるから、一応もてなしくらいはしてやる。
「メイドにお茶を用意させましょうか」
「結構です」
「ではウイスキーでも」
「それも結構」
もじもじしつつ、意思表示はしっかりしている。
「……」
「……」
だが、自分から口を開く気配は一向にない。
アンサーは喉がカラカラのようで、しきりに舌で唇の輪郭を舐っていた。
「お話がないなら、早く食堂へ行きましょう」
アンサーが話し始めるのを窓辺でじいっと待っていたマチルダは、とうとう痺れを切らし、彼に向けた背をくるりと反転させた。
そのまま素通りしようとしたときだ。
「あ、あの! 待って! 」
アンサーが立ち上がる。
反射神経抜群で、マチルダは手首を掴まれたかと思えば、真後ろに引かれた。
「な、何をなさるの! 」
カッとマチルダの頬に朱が走る。
ぐらりと傾く体を、何とか踏ん張って耐えた。
腕がもげそうになるくらいに上下に振って、手枷を解く。
「な、何って」
きょとん、とアンサーの目が丸くなる。
「気安く異性の手に触れるなんて」
父ですら、馴れ馴れしく体に触れたりはしないのに。
男性に免疫のないマチルダは、ギロリとアンサーを睨みつけると、何事か喋ろうとした彼を無視し、ドアへと足を速めた。
「マチルダ様、待って」
再び手首に彼の指が絡む。
「僕はあなたが気になって仕方ないんだ」
貧弱な体型だろうと、やはりいっぱしの男。力では敵わない。今度は彼も油断していないから、マチルダが手を振り払おうとしても、びくともしない。
「仰ってる意味がわからないわ」
内心は弱り切っていたが、チラリとすら見せずに、ふてぶてしくマチルダは返答する。
「イメルダ様だけを相手にするつもりはない、ということですよ」
「わ、私を愛人にするつもり? 」
「何だ、話が通じてるじゃないか」
いつもの神経衰弱気味な態度は微塵もない。アンサーは口元を皮肉っぽく吊った。
「ふざけないで! 」
カッと頭に血が昇った。
「あなたはお姉様の婚約者なのよ! 」
「勿論」
「だったら」
「妻は妻。愛人は愛人。線引きはしますよ。ちゃんと」
世間一般のだらしない男性の例になっているような物言い。
アンサーの正体を見て、マチルダはますます頭から湯気を吹かんばかりにいきりたつ。
どん、と絨毯を靴裏で叩いた。
「あ、あなた! 私のことを何て思ってるのよ! 」
「稀代の悪女。男に見境のない尻軽。淫猥な眼差しで数多の男を狂わせる女」
「何ですって! 」
「社交界でのあなたの評判ですよ。マチルダ」
「馬鹿にしないで! 」
それは、あくまで社交界で広まっているデマだ。
つまらない噂を否定するのは姉くらいなものだから、口さがない貴族連中はますます尾鰭をつけて吹聴する。悪口、陰口、それらは貴族にとって娯楽の一つと言っても良いくらいに。
拒んだことなど、一度としてない。
しかし、掃除に入るメイドでさえ躊躇するほど。
別に生活範囲に結界を張っているわけではないのに。
ハキハキした滑舌の良さや、元来の鋭い眼光、加えて冷たそうな雰囲気を醸し出す容貌が、誰しもを遠ざけているらしい。
だからといって、今更、直す気にはなれない。
二十歳にもなって、一体、誰に媚を売れというのか。
いつだって遠巻きでしか見られない。もう慣れっこだ。
そんなふうにあまり人との付き合いがないマチルダだったから、独身の娘の部屋に異性を招き入れる意味など、深く考えなかったのだ。
マチルダの寝室は、世の中の年相応の娘より遥かに幼っぽい。
キリリとしたイメージから誤解されているが、彼女は可愛らしさを好む。
壁紙は淡いピンクの小花模様だし、カーテンやシーツもピンク。チッペンデール様式に用いられるベル・フラワーの細工が柱に施された天蓋ベッドと、同じ造りの書斎机とチェア。座面に布を貼ったソファも、ピンクだ。
アンサーは少女趣味丸出しのソファに、窮屈そうに身を縮めて座っている。
居心地悪そうにするくらいなら、さっさと出ていけば良いのに。
心の中で悪態をつきながらも、こんな男でも姉の想い人であるから、一応もてなしくらいはしてやる。
「メイドにお茶を用意させましょうか」
「結構です」
「ではウイスキーでも」
「それも結構」
もじもじしつつ、意思表示はしっかりしている。
「……」
「……」
だが、自分から口を開く気配は一向にない。
アンサーは喉がカラカラのようで、しきりに舌で唇の輪郭を舐っていた。
「お話がないなら、早く食堂へ行きましょう」
アンサーが話し始めるのを窓辺でじいっと待っていたマチルダは、とうとう痺れを切らし、彼に向けた背をくるりと反転させた。
そのまま素通りしようとしたときだ。
「あ、あの! 待って! 」
アンサーが立ち上がる。
反射神経抜群で、マチルダは手首を掴まれたかと思えば、真後ろに引かれた。
「な、何をなさるの! 」
カッとマチルダの頬に朱が走る。
ぐらりと傾く体を、何とか踏ん張って耐えた。
腕がもげそうになるくらいに上下に振って、手枷を解く。
「な、何って」
きょとん、とアンサーの目が丸くなる。
「気安く異性の手に触れるなんて」
父ですら、馴れ馴れしく体に触れたりはしないのに。
男性に免疫のないマチルダは、ギロリとアンサーを睨みつけると、何事か喋ろうとした彼を無視し、ドアへと足を速めた。
「マチルダ様、待って」
再び手首に彼の指が絡む。
「僕はあなたが気になって仕方ないんだ」
貧弱な体型だろうと、やはりいっぱしの男。力では敵わない。今度は彼も油断していないから、マチルダが手を振り払おうとしても、びくともしない。
「仰ってる意味がわからないわ」
内心は弱り切っていたが、チラリとすら見せずに、ふてぶてしくマチルダは返答する。
「イメルダ様だけを相手にするつもりはない、ということですよ」
「わ、私を愛人にするつもり? 」
「何だ、話が通じてるじゃないか」
いつもの神経衰弱気味な態度は微塵もない。アンサーは口元を皮肉っぽく吊った。
「ふざけないで! 」
カッと頭に血が昇った。
「あなたはお姉様の婚約者なのよ! 」
「勿論」
「だったら」
「妻は妻。愛人は愛人。線引きはしますよ。ちゃんと」
世間一般のだらしない男性の例になっているような物言い。
アンサーの正体を見て、マチルダはますます頭から湯気を吹かんばかりにいきりたつ。
どん、と絨毯を靴裏で叩いた。
「あ、あなた! 私のことを何て思ってるのよ! 」
「稀代の悪女。男に見境のない尻軽。淫猥な眼差しで数多の男を狂わせる女」
「何ですって! 」
「社交界でのあなたの評判ですよ。マチルダ」
「馬鹿にしないで! 」
それは、あくまで社交界で広まっているデマだ。
つまらない噂を否定するのは姉くらいなものだから、口さがない貴族連中はますます尾鰭をつけて吹聴する。悪口、陰口、それらは貴族にとって娯楽の一つと言っても良いくらいに。
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