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義賊の正体

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 このところの日課といえば、鏡と他愛ない会話をすることだ。
 内容は拙いもので、アデリーの唯一の楽しみが、メイドの給金で王都の老舗の菓子店のチョコレートを買うことだったとか、御伽話のお姫様が着ているような、淡いピンクの刺繍レースがひらひらしたドレスに憧れていたとか、もらってうれしい花は真っ赤な大振りの薔薇だとか。主にアデリーに関することばかり。
 たまには鏡のことも話してと言っても、のらりくらりと、はぐらかされてしまう。
 代わりに、公爵の好みを聞かされる。
 酒豪だが、悪酔いしてアデリーに無礼を働かないように控えているとか。
 飲んでも飲まなくても、無礼には変わりないけど。アデリーは鼻白む。
 凝ったメニューより、家庭料理の方が口に合うとか。
 アデリーの好物であるジャケット・ポテトを、ランハートも好むなど、意外と庶民派だ。
 外面を気にして言い出せないが、実は甘党で、チョコレートに目がないとか。
 アデリーが月に一度のお楽しみである「シュガー・アンド・サム」のチョコレートにも、目をつけていたとか。
 貴族が来ると店は貸切となり、二人が顔を合わせることはなかったが。
 同じ店を訪れていたとは、何だか運命的ですね。などと、鏡は茶化す。
 そもそも、何故、公爵は自分を見初めたのか。
 その質問のたびに、鏡は言葉を濁す。
 彼の初恋ですよ。
 などと、一度だけふざけた回答をいただいたが、嘘でしょ……と睨みつけると、それきり正式な返答はない。
 公爵の今まで出会った女性といえば、極端に我儘か、異様に媚を売る者しかいなかったらしい。
 毅然として信念の揺るぎないアデリーのような女は、初めてのタイプだったとか。それが、外見含めてランハートの好みど真ん中だったと、鏡はうそぶく。
 つまらない冗談は、結構よ。
 氷の公爵様は若い時分から、目も眩むような美人をとっかえひっかえしていると、専らの噂くらい、平民のアデリーの耳にもちゃんと届いている。


 屋敷を出るランハートの馬車を見送ったら、アデリーは一目散に鏡の間に駆け込んだ。
 慣れない金の指輪が重い。
 百合の刻印を指の腹でなぞりながら、アデリーは溜め息をつく。
 正直、これで良かったのか。混乱していた。頭の片隅では、今すぐ指輪を突き返せ、まだ間に合うと、もう一人の自分がぶつぶつ言っている。
「ねえ、鏡。私、とうとう、あの方の妻になってしまったわ」
「……」
「ちょっと? 聞いてる? 」
「……」
「返事してよ」
「……」
「いないの? 」
「……」
「何よ! 相談したいときに! 」
 頬を膨らませるアデリーの姿が、鏡の中に映った。


 ランハートが発ってちょうど一時間後、扉をノックする音が響いた。
「奥様。ヒューゴ神父がお見えです」
 不機嫌そうなロベルトの声が続く。
 薬指に妙な締め付けを感じながら扉を開けると、声色通りにロベルトは眉間の縦皺を一層深くし、口元をへの字に曲げていた。
「奥様に限って、そのようなことはないと、存じておりますが」
 前置きなく、ロベルトが言う。
「旦那様の留守に、他の殿方を招かれませんように」
 使用人が出しゃばり過ぎ。などと注意するには、アデリーの妻の経験値は高くない。まだ、一月も経たない妻と言う立場より、長年勤めてきた家令の方が格上だ。
「人の好奇の目というものがございます」
 公爵家の品を損ないかねない振る舞いに、ロベルトが苦言を呈するのは致し方ない。
 理解は出来るが、認めるのは違う。
「ヒューゴ神父は、父親同然の方です」
 ぴしゃり、とアデリーは言い返した。
「スノウ・ホワイト様の前例もございますし」
「やめなさい」
 翠緑の瞳が険しくなる。
 毅然としたたたずまいは、アデリーの周りに触れ難い障壁を作り上げた。
 踏み込んだら、金縛りに遭うのではないかというほどの、神々しささえある。
 金の髪が光を受け、煌めいた。
 ロベルトは息を呑んだ。
「し、失礼しました」
 アデリーには敵わない。ロベルトは、すぐさま頭を下げた。


「誰もいないな」
 応接間に通されたヒューゴ神父は、声を潜めた。
「はい」
 アデリーは慎重に頷く。
 紅茶を出したメイドに、これから込み入った話をするため、応接間のある二階には決して立ち入らないようにと、釘を刺してある。
 おかげで、二階全体がシンと静まり返っていた。
 ぬるくなった紅茶を、ヒューゴ神父は一息に喉に流し込むなり、早口で言う。
「ウィルソン商会の連中が、若い娘を外国に売り飛ばしているらしい」
 スプーンをむやみやたらとかき混ぜ、液体の中で無駄にミルクの輪を作っていたアデリーは、ふと指の動きを止める。
「確かな情報ですか? 」
「ああ。私の元へ、命からがら逃げてきた娘を今、預かっている」
 ウィルソン商会とは、聞き覚えがある。
 ランハートが深入りしていなければ良いが。
 浮かないアデリーの顔と、前回の訪問の際にはなかった薬指の指輪を目敏く見つめ、ヒューゴ神父は重々しい溜め息を口端から漏らす。
「彼の妻になる決心がついたんだな」
 アデリーは首を横に振る。
「私は、あの方には相応しくないから」
「どうして? 」
「どうしてって……それは……」
 アデリーは、睫毛を伏せる。
「アデリー。公爵は領民想いの良い方だよ」
「でも、国王の実弟よ」
「彼は彼だ。国王とは関係ない」
「……割り切れないわ」
 金細工の見事な百合の刻印をなぞる。
 神父はその動きを何とも言えない目で追った。
「すまないね、アデリー。君を危険な目にあわせて」
 ハッとアデリーは顔を上げる。
 そこには、すでに迷いはなかった。
 翠緑の瞳が、真っ直ぐ神父を見据える。
「謝らないで、神父様」
 ソプラノの、澄んだ声で続ける。
「これは、私が決めたことです」
 その声に澱みはない。


 今晩の月は、細い三日月。
 白く細長い月では、地上まで光が届かない。
 公爵は王宮に寝泊まりすると言う。
 都合が良かった。
 晩飯を終えたアデリーは、自室のクローゼットから、大きな旅行鞄を引っ張り出した。
 普段は奥深くに押し込んで、誰の目にも晒させない。
 音を立てないように配慮しながら蓋を開けると、中には黒一色の装束が詰め込まれていた。


 アデリーは、漆黒のジャケットにズボン、といった男勝りの出立ちになる。ルーベンス・ハットは先代のお下がりだ。
 ばさり、とマントを羽織った。
 仮面をつける。
 ラ・ポム・アンポワゾネ毒りんご
 今宵も彼女は、窓を開けて、二階からひとっ飛びに地面に着地し、闇に紛れた。





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