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 小沢道文は軽快にペダルを漕いでいる。
 ポンプ隊の最年少から半ば強制的に借りた自転車で後を追う俺は、年の差の開きが十あるといった事実を疑いたくなるほど、ゼイゼイと荒い息を吐いて、重くなった足を踏ん張った。
「お前、ホンマにレスキューかよ」
 真横から、忘年会のビンゴ大会で当てたとかいうマウンテンバイクを漕ぐ橋本から、軽蔑そのものの言葉を浴びせられる。
「先に行ってください」
「おら、遅れんぞ。さっさと漕げ」
 門扉に掛けられたポストに新聞を放り込んでいた小沢の姿は、すでに彼方だ。
 そもそも俺がこれほど疲労困憊なのは、ひとえにお前の責任だ、橋本よ。
 宣言通り、橋本はいかがわしい触れ方は一切なかった。
 ファミレスを出た後、深夜の手順のための話し合いの最中、出前を取ったり、配信ドラマを鑑賞したときも、不自然なほどの距離があった。
 深夜の調査のために夕暮れ時から眠りに入るときも、ベッドを俺に明け渡すと、LDKのラグの上でタオルケット一枚で寝入っていた。
 それでも、いつ蒲団に忍び込んでくるかわからない。
 爛々と目が冴え、とうとう目覚まし時計が鳴り響くまで一睡も出来なかった。
 結局、橋本は誓いを破ることはなかった。
 せっかくの睡眠の機会を損してしまった。
「しっかし、小沢も苦労人やなあ」
 自転車が坂道を登る。遥か前を進む小沢は手馴れたものだ。涼しい顔でペダルを漕ぐ橋本とは裏腹に、俺といえばヒイヒイと喉奥を引き攣らせる。
 そんな必死な俺にはお構いなしに、橋本は呑気に話し始めた。
「子供が産まれて数カ月後に奥さんが車に撥ねられて他界。それから再婚もせず、ずっと仕事一筋やろ。蕎麦屋も傾いてるし、っていうか火事で焼失したし。そんなにすぐに保険は下りひんやろうし。桜庭、さては同情で結婚決めよったな」
「何でそう卑屈な考え方なんですか」
「小沢に嫉妬してたくせに。綺麗事、言うつもりか」
「だから、違いますって。俺は心から麗子さんの幸せを」
「名前で呼ぶな、ボケ」
 長い脚で車体を蹴られ、ぐらついた。
「大体、そっちこそどうなんですか。気持ち良さそうな寝顔して。俺が隣の部屋で、どんな気で」
 心外だと言わんばかりに橋本が目を見開いたので、一旦言葉を区切った。
 驚いているといった方が正しいか。まさしく豆鉄砲を食らった鳩で、人相が変わってしまっている。
 何だよ、その顔は。垂れた目をめいいっぱい大きくして。
「何や?襲ってほしかったんか?」
 大きな誤解を与えたことにようやく気付いた。危うくハンドルを妙な方向に切りかけた。
「違っ!変なこと言わないでください」
「そうか、そうか」
「だから、違うから!」
 しどろもどろで言い返すうちに、どんどん小沢と距離が離されていく。そうしているうちに、とうとう小沢の姿は見えなくなってしまった。
「ほら、見失ったじゃないですか」
 責任を橋本に転嫁させてやる。ったく。俺はそんなに尻軽じゃねーし。
 一旦、坂の頂上でブレーキを掛けた。
 最早、小沢の姿はどこにも見当たらない。
「あのペースじゃ、放火しようにも、無理あるな」
 すっかり離されてしまったことを詰ることもせず、橋本は顎に拳を当てて己の意見を消化していた。
「そもそも、あんな不器用そうな人に爆弾が作れますかねえ?」
 ファミリーレストランで料理を運んできた小沢の指を思い起こす。肉刺だらけの武骨で、会計レジの打ち込みに苦労していた様は、およそ繊細と対極をいく。手先の器用さとは明らかに縁遠い。
「こうしていてもしょうがないし。もう帰りましょうよ」
 言いながら、つい大きな欠伸が出てしまう。
 そうやな、と後ろの声が渋々ながらも同意したことで、ペダルに足を掛けて思い切り踏んだときだった。
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