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アリアのお遣い

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「広告誌、なかなかの評判じゃない? 」
 ミス・レイチェルはフレットウェル社が発行した性玩具の広告誌を一通り眺めてから、艶然と微笑んだ。
「特にこのビリヤードの下りが良いわね。切なさが出ていて」
 最終回は、ご婦人方からなかなかの評判をいただいていた。先日のビリヤードの件を、やや脚色して書いた。それくらいの学習能力はある。
「キャベツ畑の寓話から、随分と成長したじゃない」
「まあ、失礼だわ。キャベツ畑の寓話だなんて。あれは、あくまで恋愛小説で」
「キャベツはもうたくさんよ」
 うんざりと、ミス・レイチェルは肩を竦めてみせる。
「もっとたくさん資料が必要ね」
 造作の整った顔に、何やら企みのある仄暗い影が落ちた。
「そうだわ。資料が必要なあなたに、ぴったりの場所を紹介するわ」
 さすがに何度目ともなれば、アリアもピンとくる。
 唇を尖らせ、首を横に振った。
「ジョナサン卿を怒らせるのは、嫌よ」
 無知なアリアが不適切な発言をするたびに、ケイムかこめかみに青筋を浮かせるのだ。顔を赤くして憤怒する彼が脳裏を過る。
「あら。あの男は喜んでるわよ」
 いい加減に流して、ミス・レイチェルはまたもや艶めいた笑みを浮かべる。何やら企てのある笑みだ。
「そうそう。メリッサ夫人がフレットウェル社で一本書いて良いってお返事よ。それを手土産に、あなた、ちょっと遣いに行ってくださる? 」
「ジョナサン卿の会社に? 」
「ええ。そうよ」
 不自然なくらいにミス・レイチェルは頷く。
 アリアの嫌な予感は的中しそうだ。
 

 アリアの予想通り、ケイムは不機嫌極まりなく顔を曇らせ、椅子にどかっと腰を下ろした。
「ふん。次は何の条件をつけてきたんだ?  あの女? 」
 アリアは、おずおずと花模様が箔押しされた白い封筒を差し出す。
「あ、あの。ミス・レイチェルから手紙を預かって来たの」
 ケイムはいかにも機嫌が悪いまま、手紙を引っ手繰る。乱暴に封を開けて中身を見るなり、便箋を握り潰した。
「あんの女狐め! ふざけるなよ! 」
 そのまま屑籠へ。
「ねえ。ミス・レイチェルは何てお手紙に書いてあったの? 」
 確かめてすぐに屑籠行きなんて、余程の内容だ。
「お前は知らなくて良い! 」
 ケイムが鼻息を荒くし、吐き捨てる。
「まあ。また子供扱い? 酷いわ! 」
 アリアは憤慨する。
 ケイムはかなり大きく舌打ちすると、いらいらしたままぐしゃぐしゃに髪を掻き乱した。
 それから、長い長い溜め息の後に、ようやく気持ちを整えたようだ。
「お前に、小説の資料を提供してやれだと」
 打って変わって、落ち着いたトーン。
「貸せない本なの? 」
「本ばかりが資料じゃねえだろ」
 言うなりケイムは立ち上がると、そのまま窓辺に立つ。
 アリアに向けた背中には、見えないはずの青い炎が揺らめいていた。
 かなりのご立腹だ。
「俺にだって社長としての矜持があるんだ。それをあの女、俺を試しやがって」
 何やらぶつぶつと繰り返している。
「いや。面白がってるのか? 」
 振り返ったケイムと、ばっちり目が合った。
「なあに? 」
 ケイムの激しいものから静かな怒りまで一通り黙って見つめていたアリアは、彼と目が合うなり怪訝に小首を傾げる。
 彼が何故これほど怒っているのか。ミス・レイチェルは手紙に一体何を記したのだろう。
「くそっ! 足元見やがって! 」
 ケイムは足を踏み鳴らした。
 ミス・レイチェルは彼に余程の無理難題を強いたのだろう。それはアリアにもわかった。
「ウェストクリス社で、次に持ってくるお前の小説を広報誌に載せるかどうか、検討しているだとさ」
 手紙の内容を話すケイムに、たちまちアリアの顔に赤みが差した。
「連載を貰えるの! 本当に! 」
「それは、俺次第だと」
「ケイムおじさま次第? 」 
「だから、おじさまはやめろ」
 いらいらと戒め、ケイムは執務机にて何やら便箋に記すと、社名の入った封筒にそれを突っ込んだ。それから呼び鈴を鳴らす。
 一拍置いて、扉がノックされた。
「入れ」
 ケイムのぶっきらぼうな返事の後、彼の秘書だとかいう若い男性が一礼する。
 ケイムは今しがたの封筒を差し出す。
「これを、ウェストクリス社の女社長に渡してくれ」
「畏まりました。では、誰かを遣いに」
「いや。お前が直々に行ってくれ」
「畏まりました」
 意味ありげに秘書が、アリアを一瞥した。
「それから、俺はこのお嬢さんと次回作の交渉に入るから、誰も寄せ付けるな」
「ですが、二時間後に投資家のボビー氏との会食が」
「大丈夫だ。一時間半くらいで済ませる。済ませてみせる」
「畏まりました」
「いいか。社運が掛かってるんだ。誰も近づかせるなよ」
 ケイムは念押しした。


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