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扉の向こう側
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「……終わったな」
雑多な音が遠退き、再び静寂が戻る。
ようやく、大好きな人が戻って来た。
アリアが愛しい夫に微笑んだときだ。
どくん、と体を何かが突き抜けた。直後、強烈な痛みがアリアを襲う。
「お、おい。アリア」
視界が揺らいだ。
焦る夫に「平気よ」などと返すどころではない。
それまでは、どことなくお腹がチクチクして違和感があったが、さほど気にはならなかった。
だが、緊張が解けたと同時に溜まっていたものが一気に吹き出したように、アリアの子宮を内部からどんどんと何かが叩いて、激痛に飲み込まれる。
体中の神経が引き攣れ、立っていられない。呼吸すら苦しい。もう声も出せない。
「どうした、おい」
ハアハアと荒く息を吐き、その場に蹲るアリアに、ケイムの顔から血の気が引いていった。
「もしや、陣痛ではないか? 」
すでに陣痛がどのようなものか把握しているルミナスが言い当てた。
「陣痛だと? 」
オロオロとケイムはアリアの背中をさする。
「嘘だろ。まだ臨月じゃねえはずだ」
「そんなもの、あやふやだ」
「お、おい。生まれるのか? 」
「そうだな」
「こんな場所で? お、おい。嘘だろ」
「落ち着け、ジョナサン」
「これが落ち着いていられるか。おい、どうすりゃ良いんだよ」
「すぐ屋敷に引き返すぞ」
「く、苦しそうだぞ。動かして大丈夫か? 」
「だからといって、このまま、ここにいるのはまずい」
「下手に動かしたりして良いのかよ」
「愚図愚図してたら、こんな場所で赤ん坊を産み落としてしまうぞ」
「こんなときに冗談かよ」
「私は至って本気だ」
「まさか死んだりなんかしねえよな。なあ」
「縁起でもないことを口走るな」
いらっとこめかみに筋を浮かせ、ルミナスは二十年来の友人であり、娘婿でもある男をギロリと睨みつけた。
「くよくよするな、ジョナサン。お前らしくないぞ」
産室となったアークライト邸の応接室の前で、頭を抱えて蹲るケイムに、ルミナスがブランデーのグラスを差し出した。
「くよくよするに決まってるだろ」
恨みがましくルミナスを睨みつける。
アリアが産室に入り、間もなく六時間だ。
絶え間ない彼女の呻きに、ケイムは頭を抱えたまま首を横に振った。
「まあ、飲みたまえ」
ルミナスは気晴らしにと、とっておきの高価な酒を勧めた。
それを真横からひょいと取り上げたのは、レイモンドだ。
「お父様。ジョナサン卿を酔っ払いに仕立てないでください」
不服そうな大人達にわざとらしく溜め息を吐き、レイモンドはチラリと視線をずらす。
その先にあったのは、空っぽのワインボトルが数本床に転がっていた。
なかなか聞こえない産声を待っている間に、二人はいつしか何本もボトルを空けていたのだ。
「駄目ですよ。もう、酒臭くて堪らない。赤ん坊を酔わせるつもりですか? 」
レイモンドは白い目を向けた。
「飲まなきゃ不安なんだよ。アリアにもし何かあれば」
ケイムは頭を抱えて体を小刻みに揺する。
幾ら成人したといえど、アリアはまだ成熟し切っていない。体が出産に耐えられるかどうか。
医療が発達したとはいえ、未だに出産で命を落とす女性は多い。
ルミナスが肩をぽんと叩いた。
「アリアはアークライトの血を受け継いだ娘だ。うちの家系はなかなかしぶといのばかりだから、大丈夫だ」
「ホントかよ」
「アリアを信じて待て」
「あ、ああ。そうだな」
扉の向こうでは、苦悶に満ちた唸りが続いていた。
とにかく、アリアの生命力を信じるしかない。
ケイムは半泣きになりながら、扉の向こう側を想像した。
雑多な音が遠退き、再び静寂が戻る。
ようやく、大好きな人が戻って来た。
アリアが愛しい夫に微笑んだときだ。
どくん、と体を何かが突き抜けた。直後、強烈な痛みがアリアを襲う。
「お、おい。アリア」
視界が揺らいだ。
焦る夫に「平気よ」などと返すどころではない。
それまでは、どことなくお腹がチクチクして違和感があったが、さほど気にはならなかった。
だが、緊張が解けたと同時に溜まっていたものが一気に吹き出したように、アリアの子宮を内部からどんどんと何かが叩いて、激痛に飲み込まれる。
体中の神経が引き攣れ、立っていられない。呼吸すら苦しい。もう声も出せない。
「どうした、おい」
ハアハアと荒く息を吐き、その場に蹲るアリアに、ケイムの顔から血の気が引いていった。
「もしや、陣痛ではないか? 」
すでに陣痛がどのようなものか把握しているルミナスが言い当てた。
「陣痛だと? 」
オロオロとケイムはアリアの背中をさする。
「嘘だろ。まだ臨月じゃねえはずだ」
「そんなもの、あやふやだ」
「お、おい。生まれるのか? 」
「そうだな」
「こんな場所で? お、おい。嘘だろ」
「落ち着け、ジョナサン」
「これが落ち着いていられるか。おい、どうすりゃ良いんだよ」
「すぐ屋敷に引き返すぞ」
「く、苦しそうだぞ。動かして大丈夫か? 」
「だからといって、このまま、ここにいるのはまずい」
「下手に動かしたりして良いのかよ」
「愚図愚図してたら、こんな場所で赤ん坊を産み落としてしまうぞ」
「こんなときに冗談かよ」
「私は至って本気だ」
「まさか死んだりなんかしねえよな。なあ」
「縁起でもないことを口走るな」
いらっとこめかみに筋を浮かせ、ルミナスは二十年来の友人であり、娘婿でもある男をギロリと睨みつけた。
「くよくよするな、ジョナサン。お前らしくないぞ」
産室となったアークライト邸の応接室の前で、頭を抱えて蹲るケイムに、ルミナスがブランデーのグラスを差し出した。
「くよくよするに決まってるだろ」
恨みがましくルミナスを睨みつける。
アリアが産室に入り、間もなく六時間だ。
絶え間ない彼女の呻きに、ケイムは頭を抱えたまま首を横に振った。
「まあ、飲みたまえ」
ルミナスは気晴らしにと、とっておきの高価な酒を勧めた。
それを真横からひょいと取り上げたのは、レイモンドだ。
「お父様。ジョナサン卿を酔っ払いに仕立てないでください」
不服そうな大人達にわざとらしく溜め息を吐き、レイモンドはチラリと視線をずらす。
その先にあったのは、空っぽのワインボトルが数本床に転がっていた。
なかなか聞こえない産声を待っている間に、二人はいつしか何本もボトルを空けていたのだ。
「駄目ですよ。もう、酒臭くて堪らない。赤ん坊を酔わせるつもりですか? 」
レイモンドは白い目を向けた。
「飲まなきゃ不安なんだよ。アリアにもし何かあれば」
ケイムは頭を抱えて体を小刻みに揺する。
幾ら成人したといえど、アリアはまだ成熟し切っていない。体が出産に耐えられるかどうか。
医療が発達したとはいえ、未だに出産で命を落とす女性は多い。
ルミナスが肩をぽんと叩いた。
「アリアはアークライトの血を受け継いだ娘だ。うちの家系はなかなかしぶといのばかりだから、大丈夫だ」
「ホントかよ」
「アリアを信じて待て」
「あ、ああ。そうだな」
扉の向こうでは、苦悶に満ちた唸りが続いていた。
とにかく、アリアの生命力を信じるしかない。
ケイムは半泣きになりながら、扉の向こう側を想像した。
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