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30.認識に齟齬があったようです

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「お義兄さん! ロミルダを俺にください!」

 さすがは騎士と言うべきか、ラファエルの声は良く通り、私の言葉を完全にかき消してしまった。

(それにしても……なぜその話を今持ち出すのかしら?)
 
 もっと他にも言うことがあるだろうに、あえて恋人役の台詞を選んだ理由を教えてほしい。
 
 お兄様もラファエルの唐突な宣言に驚いているようで、目を見開いている。
 あのお兄様を動揺させてしまうなんて、ラファエルはなかなかの強者だと思う。

「あ、あの……ラファエル……?」
「陛下と妃殿下から聞いた話だと、そちらの方はロミルダの実の兄だと思ったから、挨拶をしておこうと思って」
「……陛下から、お兄様のことを聞いたのですね」
「うん。ロミルダの命を狙っていることも聞いたから、ロミルダを探している間、生きた心地がしなかったよ」
 
 ラファエルはへにゃりと眉尻を下げると、騎士服のポケットから青薔薇の首飾りを取り出す。
 彼の両手が私の首にまわり、それを着けてくれた。

 胸元に戻ってきた小さな重みを感じると、どことなく安心して頬が緩んだ。

「この首飾りはロミルダに贈ったのに、妃殿下に渡してしまうなんてひどいじゃないか」
「妃殿下を守るために必要だと判断しました」
「あのね、俺はロミルダを守りたくて渡したんだよ?」
「そうは言っても、妃殿下の安全が最優先ですので」
「ロミルダがそうでも、俺はそうじゃないよ」
「妃殿下に対して不敬です」
「うぐっ……正論だけど、それほど俺はロミルダが大切なんだよ」
「……っ!」
 
 もちろん仲間として大切に想ってくれているのだろう。

 そうわかっているのに、彼に愛されているのではないかと、勝手な解釈が頭の中を歩き始めてしまったせいで頬に熱が宿る。
 
「俺はロミルダの力になりたいって、言ったでしょ?」
「え、ええ。そうですね。覚えています」
「覚えているなら、どうして俺を頼ってくれないの? ロミルダが助けを求めてくれたら、全力で守るのに」
「ですが……」
 
 ラファエルが大切な存在だから頼れるわけがない。
 私とお兄様の事情に巻き込んで、失いたくないのだから。

 答えられない私を見たラファエルは、青色の瞳に悲しみの色を乗せた。
 
「ロミルダにとって俺は、そんなに頼りないのかな?」
「頼りないとは思っていませんが、お兄様が強いので……殺されてしまうのではと思って、不安だったのです」
「そ、そんなに強いの?!」
「ええ、どんな任務でも完璧に遂行するので、私の古巣では<死神>と呼ばれています」
「さすがはロミルダの兄……」

 手練れの暗殺者たちからも恐れられるほどの腕前と残忍さで恐れられているお兄様だからこそ、ラファエルには会わせたくなかった。
 
(お兄様はきっと、自分の正体を知ってしまったラファエルを逃がさないわ。だから、私がお兄様を足止めしてラファエルを逃がすしかないわね)
 
 果たしてどれくらい持ち堪えられるのかわからないけれど、やってみるしかない。
 幸にも制服のスカートの中にはまだ武器が残っているから、それを使ってお兄様に先制攻撃をしかけよう。
 
 即席で作戦を立てていると、ラファエルがお兄様から私を隠すようにして、目の前に立った。
 
「どれほど強くても、俺はロミルダのためなら立ち向かうよ」
「どうして、そこまでしてくれるんですか?」
「ロミルダとはもっと一緒に思い出を作っていきたいし、もっとロミルダの笑顔を引き出したいから。それに――」

 ラファエルは言葉を切ると、表情を曇らせた。
 青い瞳は悲しそうで、だけど切実な感情を込めて、私を見つめる。

「俺は、ロミルダの片想いが終わるまで見守ると決めているんだ」
「……はい?」

 私はラファエルへの想いを彼に伝えていただろうか。
 いや、彼には使節団を見送った後に伝えるつもりだったはずで。
 
 気持ちと情報の整理が追いつかず、頭の中がいっぱいになって、思考が停止してしまいそうだ。
 
「ごめん。実は俺、ロミルダが陛下に告白しているところを聞いてしまって……」
「ま、待ってください! 誤解です!」
「でも、俺は庭園でロミルダが陛下に告白しているところを聞いたんだ」
「ああ、あの時のことですか!」

 どうやら先日、陛下にお兄様の捜査のことで話していたところを、ラファエルが断片だけ聞いてしまったのだろう。

 原因がわかったおかげで、ようやく混乱から抜け出せた。
 
「あの時は、お兄様の捜査にラファエルを加えないよう陛下にお願いしていたんです」
「ど、どうして?! やっぱり頼りないって思っている?!」
「そうではありません! 私は、ラファエルを巻き込みたくなかったんです」
 
 ここまで来たら、当時のことを全て話すしかないだろう。
 とはいえ気弱になってしまいそうだから、拳を握って自分を奮い立たせた。
 
「あの時、陛下は私に、『それほどラファエルを好いているのか?』と聞いてきたんです」
「え?」
「だから私は『はい。好きです』と……言ったんです」
「ええっ?!」

 ラファエルはすっかり固まってしまい、茫然としている。
 安心できる相手と思っていた人物が自分に好意を寄せていたのだから、そうなってもしかたないだろう。

 彼の眼差しが変わってしまう瞬間を見たくなくて、私は視線を外した。
 
「二人とも、話は済んだか?」

 これまで沈黙を守っていたお兄様が会話に割って入ってきた。
 
 相変わらず感情の読めない表情をしているのに、身に纏うのはゾッとするような強い殺気で。

「ラファエル・バルヒェット。お前はこの子を好いているのか? それともお前にとっては、都合のいい仕事仲間で恋人役か?」

 地を這うような低い声で、ラファエルに問いかけた。

(なんだか、怒っているような声だわ)

 お兄様がラファエルに質問した理由を推測しようとしても、彼と過ごした時間があまりにも短いせいで、真意を掴みかねる。

 一方でラファエルもまた、ぴんと糸を張ったような緊張感を纏っている。

 二人の眼差しがぶつかり、火花が散ったような錯覚がした。
 
「俺はロミルダを好いています。だから、ロミルダが陛下への片想いを終わらせるまで見守ろうと思っていましたが……誤解していたようなので、これからは遠慮なくロミルダに俺の気持ちを伝えていくつもりです」

 ラファエルの返答を聞いて、心臓がとくとくと駆け足で鼓動を打ち始める。

(これも恋人の演技なの? それとも――)

 わずかな期待が顔を覗かせたその時、お兄様が喉で笑う気配がした。
 
「自分から告白せずに相手の気持ちが変わるまで待つとは、とんだ腰抜けだな」
「そう言われても構いません。俺はロミルダの心を守りたいので」
「……なるほどな」
「ちなみに今はロミルダのお義父さん――あ、ロミルダの養父のことなのですが、彼にロミルダとの結婚を認めてもらう条件を満たすために、今は絶賛不穏分子取り締まり中です。王国中の不穏分子を洗い出して取り締まって、功績を積んでいる最中です!」

 初耳の聞き捨てならない事実が聞こえてきたけれど、もしかしてこの件には陛下が一枚噛んでいるのではないだろうか。
 ラファエルが利用されている気がしてならない。

「ですから、お義兄さんにロミルダを殺させません。覚悟してください」

 宣戦布告したラファエルは私の目の前に立って、お兄様から私を隠した。
 
「……」
「……」

 両者譲らず睨み合いが続き、一触即発の空気が横たわる。

 どちらが先に動くのか固唾を飲んで見守っていると、お兄様が短く息を吐いて、姿勢を楽にした。
 
「……ベルファス王国の王室直属の機密部隊では、任務に失敗した者は殺される。私はこの子が任務に失敗した時のことを考えると、気が気でなかった」

 それはまるで、妹を想う兄のような言葉で、私は耳を疑った。
 
「もしもこの子が任務に失敗した時、私が率先して消そうとしなければ、他の者がこの子を殺しに行くはずだ。どんな残忍な手で殺されるかわからないのなら、私がひと思いに殺した方がいいと思っていた」

 お兄様の言う通り、組織の人間は失敗した者に容赦しない。

 噂を聞く限りでは、任務に失敗した者は無残な最期を迎えているらしい。

 だから私は、陛下の暗殺を失敗した時に、口の中に隠していた毒で死のうとした。
 それを陛下に阻止されてしまい、さらには彼の隠密になる勧誘を受けることになってしまったのだけど。
 
「レンシア王国の国王から虐げられていないか心配だったから、もしも苦しめられているのならやはり、見つけ出して私が手をかけるべきだと思っていた。この子がこれ以上、苦しまないようにするのが兄の務めだと思っていた」

 淡々と過去を語り始めたお兄様に、私もラファエルも声をかけずに耳を傾けていて。
 だけど私たちのもとに遠慮なく近づいて来た足音の主が、その話を遮った。

「――それで、自分の目で見た妹はどうだったか? 苦しんでいるように見えたか?」

 聞き慣れた鷹揚な口調が、私の隣まで近づいてくる。

 幾人もの騎士を引き連れた陛下が歩み寄り、彼もまた私の前に立ち、自分の背に隠した。
 
「陛下、どうしてここに……」
「大切な部下を守りに来た。それと――」

 陛下はお兄様を見て、ニヤリと企み顔になる。

「優秀な人材を我が国の戦力に迎えたいと思って、勧誘しに来たんだ」
「……はい?」
 
 陛下が言うには、お兄様が私を探し出すために単独行動をとったことで、使節団の面々がお兄様を反逆者とみなしたそうだ。
 今は処分対象となったお兄様を探すために、使節団の中に潜んでいる別の暗殺者が動いているらしい。
 
 その話を聞いたお兄様は、相変わらず無表情のままで、少しも動揺していない。
 
「覚悟していたことなので構いません。どのみち、この子の死を見届けてから私も後を追うつもりでした。この子を守るためだけに生きていたようなものですので」
「それなら、私の下で働くのはどうだ? 妹の成長を見届けられるし――うちは優秀な人材を大切にしているものでね。たった一度の失敗で腕の立つ人材を捨てる国なんかにその身を捧げる必要はないだろう。命を捨てるくらいなら、俺に預けろ」
 
 かつて幼い頃の私にかけてくれた言葉を、お兄様にも告げたのだった。
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