猫縁日和

景綱

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第8章 幸せの扉

(8-8)

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 花屋『たんぽぽ』に来てからもうじき一年になる。

 春、夏、秋、冬。それぞれの花たちをこの目で見て覚え、節子から仕事を学び一人前の花屋の店員に近づけたはず。いろいろあったなと物思いにふけってしまう。

 また春が来た。少しは成長できたのだろうか。
 入り口横でいつも通りツバキは丸く眠っていた。ツバキのおかげで今がある。その思いは忘れることはない。

「ツバキ、ありがとうね」

 起きないで尻尾の先を小さく振っている。聞こえているようだけど、今は動きたくないみたい。ツバキはきっと『わかっているよ』と尻尾で伝えているのだろう。いや、『どういたしまして』だろうか。

 梨花はふと先日の結婚式を思い出して頬を緩ませた。
 父があそこまで泣くなんて思わなかった。号泣だもの。
 そこまで泣かなくてもって思ったけど、父の思いが伝わってきて胸が熱くなった。
 父ほどではないけど、もちろん、母だって泣いていた。

 結婚式もドキドキしっぱなしだった。颯との誓いのキスのときは心臓が口から飛び出すのではないかって思ってしまった。
 それにブーケトスのとき、みんなの「あっ」との声に何が起きたのかと思ったら、まさかのブーケがホームラン。
 みんなの頭上を越えてしまうという大失態を犯してしまった。
 大問題だと思ったのは、ほんの少しの時間だけ。
「梨花ちゃん、楓の頭にお花が飛んできた」って満面の笑みでブーケを手に走り寄る楓の姿を見たときは、そこにいた全員の頬が緩んでいた。もちろん、自分もだ。

 まさか次は楓の結婚。なんて、まだ楓の結婚は先の話だろう。
 いい思い出ができた。

 その中でもやっぱり一番はウェディングドレスだろう。
 純白のウェディングドレスを着ることができたし、お色直しで着たブルーのドレスに淡いピンクのドレスも素敵だった。式場のスタッフのおかげでだいぶ綺麗な仕上がりになったもの。
 もちろん、颯のタキシード姿も格好良かった。

 あっ、そうそう楓と悠太にベールを持ってもらったことも素敵な思い出のひとつだ。可愛かった。ベールボーイにベールガールっていうらしい。

 あの子たちみたいな子供を産みたいって思ってしまった。
 梨花はそっとお腹に手を触れて「元気に育ってね」と語りかける。

 颯との結婚、そして新たな命がここに。こんなに幸せになっていいのだろうか。

「ニャニャ」

 気づけばツバキが顔だけもたげてこっちを見ていた。
 ツバキがくれた幸せだ。梨花はもう一度「ありがとうね、ツバキ」と口にした。
 ツバキはその言葉と同時に大口をあけて欠伸をしていた。まったく、もう。わかっているのか、わかっていないのか。賢いツバキのことだから、照れ隠しかもしれない。そういうことにしておこう。

「梨花ちゃん、来たよ」

 扉が開くと同時に楓が顔を出す。

「楓ちゃん、いらっしゃい。悠太くんも一緒ね」
「ねぇねぇ、お腹の赤ちゃんは元気?」

 楓が満面の笑みで尋ねてきた。

「元気だよ。お腹に耳をあててごらん。悠太くんもね」

 二人ともニコリとして耳を当てる。

「うーん、よくわからないな」
「そうか、わからないか」

 心音を聞くための何か器具があったと思うけど、ないからしかたがないか。

「おやおや、楓ちゃんに悠太くんいらっしゃい」
「節子婆ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「あっ、そうだ。梨花ちゃん、花屋さんをやめちゃうって本当なの」

 ああ、楓の耳にもその話が伝わってしまったか。辞めるとは言ってはいない。ただ実家に帰ると話しただけだ。
 いわゆる産休だ。いや、そう思っているのは自分だけなのだろうか。結局、辞めることになるのだろうか。颯は、それを望んでいるのだろうか。
 節子も怪我は完治しているから、辞めても何の問題もない。

 せっかく一年間勤めたのに、辞めるというのはもったいない。正直、迷ってはいる。実際のところ、颯の稼ぎがあれば働かなくても大丈夫そうだし、そう考えると辞めてもいいのかもしれない。それでも、やっぱり辞めるのは寂しい。

 節子と一緒にここで働くことは楽しいから、産休のあと復帰したい。
 ここにいれば楓とも会えるし、すみれとも会える。それだけじゃない。ここはあたたかい空気に包まれていて癒される。子育てするのにもいい環境だ。

 どうしよう。

 颯との新たな住まいは駅前の賃貸マンションだ。徒歩での通勤ではなくなり、今は颯が車でここまで送ってくれている。復帰したとしてもきっと颯は同じように送ってくれるだろう。

 あと一ヶ月もすれば実家へ帰省してしまう。それまでに答えを出さなきゃいけないのだろうか。そんなことはない。早急に決めることはない。辞めるか復帰するかは、ゆっくり考えることにしよう。

「楓ちゃん、まだ辞めるかは決めていないんだ。けど、赤ちゃんを産むのにお店には来られなくなっちゃうんだ」
「そっか。じゃ辞めないでまた戻って来て。ユウタくんもそう思うでしょ」
「うん、ぼくも辞めないでほしいな」
「嬉しいな。ふたりともありがとう」
「ニャニャッ」
「おや、ツバキも『辞めないで』って言っているみたいだね」
「困ったな。どうしようかな。その話はゆっくり考えてみるからね。楓ちゃんも悠太くんもそれでいいでしょ」

 楓と悠太はニコリとして頷いた。

「ニャッ」
「あっ、ツバキもそれでいいよね」

 ツバキが一瞬頷いたように思えてフッと笑ってしまった。
 ここはやっぱりあたたかい場所だ。
 颯とももう一度相談してみよう。

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