本の御魂が舞い降りる

景綱

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第五話 思い出を抱いて

【七】流瀧の涙

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 消防車の放水がはじまっている。
 流瀧は茶トラ猫に指示をして、素早く隣家の植え込みに隠れ様子を窺った。

 おかしい。あの炎。
 放水された水がね返されている。それどころか火の勢いは増している。割れた窓ガラスからは黒煙が立ち昇っていた。

 茶トラ猫から飛び降りて呆然と黒煙をみつめた。
 これでは、もう。流瀧の胸の内におりが溜まっていく。
 いやいやいや、奇跡は起こる。きっとみんな大丈夫だ。

 なんだ。今、何かの気配がした。
 流瀧は身構えて、当たりの様子に注意を払う。
 笑い声だ。なんと耳障りな笑い声だろう。背筋がゾクゾクッとする。

 おもむろにその声のしたほうを見遣ると、炎と黒煙の中から嘲笑あざわらう声がした。その姿ははっきりせず煙の中へと消えてしまった。

 いったい、誰だ。すでに気配は感じられない。
 今はそれどころではない。樹実渡たちを救わなくては。

 それにしても、あの火はなんだ。普通の火と違う。魔の者の火か。そうだとしたら、狙われる理由があるのか。いや、あいつらにはおそらく常識が通じない。理由などないのかもしれない。

 このままではダメだ。早く火を消そう。
 流瀧は消防車の陰に駆け寄り身を隠すと、放水されている水に気を放ち混ぜ込ませる。

 よし、水の中に水龍が宿った。これで火の手も弱まるはずだ。
 ここは消防隊に任せて、家の中に行こう。

 流瀧は自分の周りに水のバリアーを張り、ハルの家の中へと踏み込んでいく。
 黒煙で視界が悪い。炎と煙は生きているかのようにまとわりついてくる。なんて粘着質な奴らだ。邪魔をするな。

 水のバリアーを強めて炎と煙を背後へ流していく。舌打ちを耳にした気がしたが無視をした。
 どこにる。樹実渡、火乃花、ハルはどこだ。

「うぉっ」

 炎が大波の如く壁となり立ちはだかった。同時に炎の大波は一直線に向かってきた。
 負けてなるものかと水のバリアーに気を最大限送り込み、襲い掛かってくる炎の大波を弾き返して進み行く。

「水龍よ、炎を消し去るのです」

 流瀧はあるだけの力を振り絞ってバリアーの気を攻撃に転じた。
 小さな水龍が縦横無尽に炎の中を飛び交い魔の炎に食らいつく。炎が小さくなり道が開けていく。

「ハル、樹実渡、火乃花。どこです。返事をしてください」

 耳を澄ませても返事はない。間に合わなかったのだろうか。そんなこと、あってはならない。
 まだだ。諦めてはいけない。樹実渡と火乃花がそう簡単にやられるわけがない。なら、ハルはどうだろう。流瀧は項垂れた。この炎の中ではもうダメかもしれない。

 流瀧は頭を振り、大丈夫だと自分自身に言い聞かせる。
 炎は水龍のおかげで萎んでいっている。黒煙もだいぶ消えてきていた。
 これで居場所を突きとめられる。どこだ、どこにいる。お願いだから無事でいてくれ。

「ハル、樹実渡、火乃花」

 一縷いちるの望みを抱き探し続けた。

 残るはキッチンだけだと一歩踏み入れたとき、木の枝で出来た大きな球状のものが姿を現した。木の枝は焼け焦げて炭と化している。もしかしたら、この中に。

 期待が膨らんでいく。
 ゆっくりと炭と化した木の枝に手を伸ばす。ごくりと生唾を呑み込んで手を触れると、バラバラと崩れ落ちてきた。床一面に広がる炭の欠片。その中央には倒れているハルと寄り添う樹実渡と火乃花がいた。

「ハル、聞えますか。樹実渡、火乃花、目を覚ましてください」

 肩を揺らせて叫ぶ。遅かったのか。ぴくりとも動かない。
 ハルの脈をとってみたが何も感じない。嘘だ、これは悪い冗談だ。

「早く起きてください。お願いですから」

 流瀧は涙目になりながら呼びかける。
 背後からの足音と声に振り返る。消防隊と救急隊がやってくるところだった。

 流瀧はハッとしてすぐに人形のふりをした。
 ハルは担架に乗せられて救急車で運ばれていく。ハルの心臓が再び動き出してくれたらいいのだが。その確率は残念ながら低いだろう。

 火はすべて消えてはいるが、ハルの家はもう炭化した柱を残すのみ。
 青い空に浮かぶ雲が流れていく。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。
 消防隊に気づかれないように動かなくなった樹実渡と火乃花を抱き寄せた。

「樹実渡、火乃花。帰ろうな」

 待っていてくれた茶トラ猫が入り込んで来て素早く背に乗った。しっかりと二人を抱えて語りかける。

「みんなのもとへ帰ろう」

 ふいに樹実渡と火乃花の身体が軽くなった。二人の姿は焼け焦げた料理本と御伽草子に変わっていた。

 二人は力を失ってしまったというのか。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ。

「樹実渡、火乃花、諦めてはいけません」

 声をかけても返事はない。
 流瀧はグッと歯を食いしばって必死に涙を堪えた。泣いてはいけない。二人はまだ元に戻れるはずだ。そうだろう。

「ああ、くそっ。くそっ。くそったれ」

 景色がぼやけてどうしようもなくなる。
 これは何かの間違いだ。今は休んでいるだけだ。生きているはずだ。きっとそうだ。だから、泣くな。

「キミトーーーーー、ホノカーーーーー」

 茶トラの背に揺られながら二人の心に届くように叫ぶ。

 んっ、なんだ。
 走り行く中、目の端に一瞬黒い影が映った。すぐに振り返りあたりに目を向けたが誰もいない。気のせいだったのだろうか。

 ふと脳裏に悪魔小僧ぷくぷくの姿が思い浮かぶ。まさかとは思うが……。頭を振って嫌な考えを振り捨てた。

「おい、流瀧」

 流瀧は突然の声にあたりを見回した。どこだ。

「上だ、上」

 流瀧が天を仰ぐと小さな翼を広げて茶トラ猫の真上を飛ぶ悪魔小僧ぷくぷくと目が合った。
 流瀧は眉間みけんしわを寄せて睨む。

「おまえの仕業か、ぷくぷく」
「違う。あの火事は俺様じゃない。悪魔だがあんなことはしない。知っているだろう。それよりも大事な話がある。とりあえず、あの竹林に来い」

 ぷくぷくはそれだけ話すと飛んで行ってしまった。
 確かに、あいつは悪魔らしいことをしない。本当にそうか。信じていいのか。
 大事な話か。いったいなんだろう。


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