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元の世界へ

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「アリシア、今日も一緒に行かない?」
 あれから一度も施設へ出向く気配のない私を心配しているのか、何かを疑っているのか、家を出る前にニコラさんから声をかけられた。

「今日は……やめておきます。もう少しで本が読み終わるので。明日は、一緒にお邪魔させてもらおうかな」

 こんな言い訳、不自然でしか泣かないのに、ニコラさんは「分かった」と言って出かけて行った。
 見送る後ろ姿を目に焼き付ける。

 もう、ニコラさんの姿を見るはこれで最後だ。
 背中が見えなくなれば、私はこの家を出ていく。

「……大好きです。ニコラさん。これからもずっと……」

 届くことのない告白。
 視界が霞んで、ニコラさんの後ろ姿もハッキリと見えなくなってしまった。

 私だけが幸せになんて、なってはいけない。
 番にしてもらった。それだけで十分じゃないか。
 もう甘い蜜はたっぷりと吸わせてもらった。
 そろそろ、現実に戻らなくてはいけない。

 涙を腕で拭うと部屋へ戻り、実家を追放された時のワンピースに着替えた。
 今見ると、こんなにも薄汚れていたんだ。
 
「やっぱり私は、薄汚れてるくらいが丁度いいわね」
 自嘲じちょうめいて呟く。

 部屋を片付け、ダイニングテーブルの上に『今まで、ありがとうございました』とだけ書いた手紙を置いた。

 行く当てもなく家を出た。
 最後にもう一度、二人で過ごした家を見上げたかったけど、意地で振り返らなかった。
 見てしまえば、きっと心が揺らいでしまう。

 自分の足元にだけ集中し、いつも歩く道とは違う方向へと足を進める。
 そうすれば、顔見知りに会う確率を少しでも減らせると思った。
 誰かに見つかって、ニコラさんに報告されるのを恐れていた。

 数ヶ月という時間を過ごしてきたが、まだまだ知らない景色がたくさんあるんだと思った。
 数時間も歩けば、方角すらも分からなくなってしまった。
 知り合いに会う可能性も殆どないだろう。

 私はとある場所を探すことにした。
 元の森へ帰る【時空の入り口】。
 それはずっと存在しているわけではないと、ニコラさんが言っていた。
 夜のうちに雨が降った翌日の午後、それは現れる。

 昨日は都合よく雨が降っていた。
 きっと私を元の世界に帰そうと、運命が動いている。
 水溜りを踏まないように気をつけながら、ニコラさんの言う『野生の勘』だけを頼りに歩き回った。

 一度、木の実を拾いに森へと行ったことがある。
 あの時の光景を思い出す。
 不思議な違和感を与えるもやが掛かった場所。
 その靄を潜ると、人間界へと行けるのだ。

 もしも元の世界に戻れたら、番の契約はどうなるのだろうか。
 そんな疑問が脳裏を過った。
 時空を越えれば、無くなってしまうかもしれない。
 
 そうなったとしても、後悔してはいけないと自分に言い聞かせる。
 前を向くと、少し先に小さな森があるのを発見した。

 歩みを早めると、森の入り口に靄が掛かっているのが分かった。

「あれだわ……!」

 きっとこの先が、元の人間界に繋がっている。
 私は大きく深呼吸をしてから、森への入り口へ一歩踏み込んだ。
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