教養が足りない、ですって

たくわん

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夏の終わりが近づいた頃、ハルトマン侯爵がエリーゼの部屋を訪れた。

「エリーゼ、今夜の舞踏会に同行してほしい」

エリーゼは顔を上げた。ここ数ヶ月、彼女は社交界から完全に遠ざかっていた。図書室に籠もり、学問に没頭する日々。それが彼女の全てだった。

「お父様、私は」
「分かっている。お前は社交界など興味がないだろう。だが、これは公爵家主催の舞踏会だ。我が家の立場上、欠席するわけにはいかない」

エリーゼは溜息をついた。公爵家。つまり、アレクシスの家だ。

「彼に会いたくないのですが」
「お前はもう、彼のことなど気にならないはずだ。違うか?」

侯爵の言葉に、エリーゼは考え込んだ。確かに、アレクシスのことを考えることは少なくなった。いや、ほとんどない。彼女の頭は今、王国の問題で満たされている。

「分かりました。参ります」

その夜、エリーゼは深い青のドレスに身を包んだ。かつてのような華やかさはない。だが、シンプルな装いの中に、凛とした美しさがあった。

公爵家の邸宅は煌びやかに飾られていた。貴族たちが集い、音楽が流れ、笑い声が響く。

エリーゼが会場に入ると、周囲の視線が集まった。

「あら、ハルトマン侯爵令嬢」
「婚約破棄されてから、初めて見るわ」
「随分やつれたんじゃない?」

囁き声が聞こえてくる。エリーゼは表情を変えず、父と共に歩いた。

「エリーゼ様」

声をかけられて振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。アレクシス・ヴァン・ブルンナーだ。

「お久しぶりです」

アレクシスは社交的な笑顔を浮かべている。その隣には、ロザリンドが腕を組んでいた。

「お元気でしたか?」
「ええ、とても」

エリーゼは短く答えた。不思議なことに、胸は何も痛まなかった。かつて愛していたはずの男。だが、今は他人のように思える。

「ロザリンドと私の結婚式は秋に予定しています。ぜひお越しください」

ロザリンドが得意げな笑みを浮かべる。

「残念ながら、その頃は忙しくて」

エリーゼは静かに断った。

「まあ、何がそんなに忙しいのかしら?読書?」

ロザリンドの言葉に、周囲の令嬢たちがくすくすと笑う。

「ええ、読書です。とても有意義な時間を過ごしていますから」

エリーゼは微笑んだ。その笑顔には、かつてのような悲しみはなかった。

アレクシスが何か言おうとしたが、エリーゼは軽く会釈して立ち去った。もう、彼らと話すことは何もない。

会場の隅で、エリーゼはワインを手に取った。周囲では貴族たちが政治談議をしている。

「国王陛下の財政改革は急進的すぎる」
「貴族への課税強化など、前代未聞だ」
「だが、効果は出ているようだぞ。税収が増えたと聞く」

エリーゼは耳を傾けた。自分の提言が実行され、成果を出している。それを知ることが、何より嬉しい。

「しかし、あの改革案を考えたのは誰なんだ?」
「さあな。陛下のブレーンだろう」

エリーゼは小さく笑った。誰も、それが社交界の笑い者だった侯爵令嬢だとは思いもしないだろう。

「エリーゼ様」

振り返ると、若い男性貴族が立っていた。

「よろしければ、一曲いかがですか?」

エリーゼは一瞬迷ったが、頷いた。久しぶりの舞踏だった。

踊りながら、男性が話しかけてくる。

「あなたは最近、社交界に姿を見せませんでしたね」
「ええ、少し体調を崩していまして」
「でも、今夜のあなたは以前よりも輝いて見えます」

エリーゼは驚いて相手を見た。お世辞だろうか。だが、男性の目は真剣だった。

「以前のあなたは、どこか影があった。でも、今は違う。何か、目的を見つけたような」

エリーゼは微笑んだ。

「そうかもしれません」

曲が終わり、エリーゼは会場を見回した。華やかな衣装、宝石、笑顔。だが、それらは全て表面的なものに見えた。

彼女が本当に興味を持つのは、もっと深いところにあるもの。王国の未来、民の暮らし、政治の在り方。

「お父様、そろそろ帰ってもよろしいでしょうか」

侯爵は娘を見て、優しく頷いた。

「ああ、もう十分だろう」

馬車に乗り込む際、エリーゼは公爵家の邸宅を振り返った。そこでは、アレクシスとロザリンドが楽しそうに踊っている。

「幸せそうね」

エリーゼは呟いた。だが、それは皮肉ではなかった。本心からの言葉だった。

「あなたたちには、あなたたちの人生がある。私には、私の人生がある」

馬車が動き出す。窓の外を流れる夜景を見ながら、エリーゼは考えた。

次の提言書は何を書こうか。王国にはまだ、解決すべき問題が山ほどある。

「憂国の民」としての自分。それが、今の彼女の全てだった。

そして、それこそが、彼女が本当になりたかった自分なのかもしれない。

馬車は静かに、ハルトマン侯爵家へと向かっていった。
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