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陛下、結婚式まで待てません 〜国外追放された偽りの聖女は、隣国で真実の愛を育みます

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「フィオリーネ、只今をもってお前との婚約を破棄する!」

 王家主催の煌びやかなパーティーの最中、第一王太子で婚約者のアラン様が、わたしを指差しながら声高に宣言した。途端に会場は、水を打ったように静まり返る。
 
 わたしは前に進み出て、アラン様を見上げた。

「……理由を、お聞かせいただけますか?」
「ふんっ! 白々しい! 聖女だと偽ったからに決まっているだろう! ここにいるメリッサがそれを証明したのだ!」

 アラン様がそっと肩を引き寄せたのは、男爵令嬢で学友のメリッサ様。わたしはまったく意味が分からなかった。
 四歳の時に聖女の力を発現して以来十二年間、一日も欠かすことなくヴェルデ王国のために祈りを捧げてきたのだから。

 華やかな水色のドレスを着たメリッサ様は、子猫のように震えながらアラン様に縋りつく。

「アラン様、私、とっても怖かったんです……」
「大丈夫だよ、メリッサ。もう君を危ない目に合わせたりはしない。フィオリーネ、お前は真の聖女であるメリッサを陰で執拗に虐めていたそうだな?」
「う、嘘です……!」
「黙れっ! 多数の証拠や目撃証言があるのだ! 黒目黒髪の分際で聖女と偽り王家を欺くなど死罪に等しい。が、俺も寛大な心の持ち主だ。今回は特別に隣国への追放で許してやろう」
「っ……!!」

 ここ、ヴェルデ王国で黒目黒髪は不吉の象徴とされている。だからわたしが聖女として目覚めた時、貴族から非難する声が多数あったと両親に教えられていた。

『フィオリーネは私たちの誇りなのだから』
『あなたは何も恥じることはありませんよ』

(ああ、お父様、お母様……)

 メリッサ様が波打つピンクブロンドの髪の間から、すみれ色の瞳を細めてわたしを蔑むように笑いながら見下ろしていた。そのことに、アラン様も他の誰も気づいていない。

 わたしは辺りを見渡した。どうやら国王夫妻は席を外しているらしい。アラン様の独断で婚約を破棄され国外追放になるなど、王家に忠誠を誓い、厚い信頼を得ているドロッセル公爵家に対する侮辱も甚だしい。けれど――

「ふん、やはり偽物でしたか」
「前々からそうだと思っていましたわ」
「何度見ても黒目黒髪は不気味ですわね」
「……っ」

 今のわたしは――偽りの聖女と貴族たちに罵られるわたしは無力だった。国王夫妻もアラン様に甘いことで有名だから、期待はできない。

 わたしは衛兵に連れられ、馬車に押し込まれる。そして屋敷いえへ寄ることも許されず、隣国へと追放されたのだった。


 ♢♢♢

 
「ん……」

 わたしは大きな揺れで目を覚ます。どうやら馬車の中で眠ってしまったらしい。無理もない。今日も朝早くから大聖堂で祈りを捧げていたのだから。

 外の様子を知りたかったけれど、窓は厚い布で覆われているため車内は真っ暗。心細くて泣きそうになるのを、ぐっと堪える。

 ほどなくして馬車が停止すると、乱暴に扉が開けられた。わたしが降りると、馬車はさっさと元の道を戻って行った。
 と、人の気配を察知して、わたしは後ろを振り返る。

「お待ちしておりました、フィオリーネ様」
「あの、あなたたちは……?」
「宮殿まで護衛を務めさせていただきます。ささ、こちらへ。陛下がお待ちでございます」
「は、はい……」

 衛兵の皆さんと一緒に緑豊かな森を抜けると、異国情緒溢れる立派な宮殿が左右対称に建っているのが見えた。ここは――
 
「ラッサム王国へようこそ、フィオリーネ。俺はマルクス・ラッサムだ」
 
 黄金きん色の玉座に腰掛けた陛下が、微笑みながら歓迎してくれた。
 初めて目にする銀色の髪、エメラルドのような切れ長の瞳、小麦色をした健康的な質感の肌。象牙色の服の上からでも分かる、均整のとれた屈強な体躯。
 神々しいお姿に、思わず見惚れてしまいそうになる。

(いけない、きちんとご挨拶をしていなかったわ)

 わたしは姿勢を正し、一礼する。

「ヴェルデ王国から参りましたフィオリーネ・ドロッセルと申します」
「黒曜石のように煌めく瞳、新月の夜のように艶やかな髪。うむ、見目麗しいではないか」
「そ、その、私は……」
「書簡では聖女となっているが、我が国では黒目黒髪こそが聖女の証なのだよ」

 わたしは驚いて、目を丸くした。

「ラッサム王国は長らく聖女不在だからと、そうとは知らずにわざわざ君を連れて来てくれたようだ。実にありがたい」
「で、では、国のために一生懸命、祈らせていただきます」
「しかしその服装では窮屈だろう」
「……っ」

 ヴェルデ王国では、聖女は慎ましい服装をすることが古くからの慣わしだった。だからわたしは、物心ついた頃から可愛らしいドレスを一度も着たことがない。

 頭の上からつま先まで真っ黒な格好をしたわたしは、まるでカラスみたい。そんなわたしの心を読んだかのように、陛下は微笑みながら言葉を続ける。

「理知に富んだカラスも嫌いではないが、フィオリーネにはもっと明るい色が似合う。部屋へ行き、好きな服に着替えるがいい」
「はい……」

 侍女さんたちに案内された部屋は、想像していたよりもずっと広くて開放的だった。大きな窓、不思議な模様の絨毯、天蓋付きのベッド。クローゼットには数えきれないくらいの服や靴やアクセサリーが用意されており、わたしは目をぱちくりさせる。

「フィオリーネ様、お気に召されたものはございますか?」
「えっと、どれを選んでいいのか分からなくて……」
「でしたら、わたくしどもにお任せください!」
「よ、よろしくお願いします……」

 あれよこれよという間にわたしは着替えさせられ、鏡の前に立つ。

「まぁ! とてもお綺麗ですわ!」
「これが、私……?」

 鏡の中からこちらを見つめ返すエキゾチックな装いの少女は、まぎれもなくわたしで。妖しくも可憐な姿に心が弾む。

 金糸やビーズ、スパンコールとともに金属のモール糸が縫いつけられた桃色のドレス。耳と首と額には黄金色の独創的な形をしたアクセサリーが添えられ、手首にはたくさんのブレスレット。下ろしていた髪の毛もドレスに合うよう結ってもらい、気分は異国のお姫様になったよう。

「さあ、陛下にお見せいたしましょう!」
「えっ?」

 侍女さんたちに連れられ、再び陛下の元へと向かう。

「よく似合っているではないか、フィオリーネ」
「あ、ありがとうございます……」

 初めて男性の前で華やかなドレス姿を晒したわたしは、恥ずかしくて俯いてしまう。すると陛下が、わたしの顎を指で持ち上げた。

「こんなにも美しいのに、なぜ隠そうとするのだい?」
「そっ、それは……!」

 宝石のような瞳で甘く見つめられると、心臓がトクンと跳ねる。陛下は指を離すと白い歯を覗かせた。

「フィオリーネ、舞ってくれないか?」
「その、あいにくダンスは苦手で……」
「構わない。音楽に合わせて体を動かすだけでいい」
「……はい」

 陛下が右手で合図をすると、音楽が奏でられる。聞いたことのない、でもどこか懐かしさを感じる、繊細で力強いメロディ。わたしは陛下に言われた通り、音楽に合わせて体を動かしてみる。

(ああ、体が羽のように軽い――)

 シャラン、シャラン、とアクセサリーが動く度に涼しげに鳴った。わたしは無我夢中で舞い踊る。楽しい。嬉しい。もっともっと踊りたい。
 やがて演奏が終わると、陛下が拍手を送ってくれた。

「素晴らしかったよ、フィオリーネ」
「……ありがとうございます!」

 こんなにも晴れ晴れとした気持ちになったのは、いつ振りだろう。ヴェルデ王国で黙々と祈りを捧げていた時には、決して感じることのなかった気持ちに、わたしは充足感を得る。

「聖女の舞は、海や大地に実りをもたらす」
「聖女の舞……ですか?」
「ラッサム王国では聖女の舞が祈りになるのだよ」
「……では、夜明け前から祈りを捧げなくても良いのですか?」

 陛下は答える代わりに、わたしの頭を優しく撫でてくれた。かあっと耳の先まで熱くなる。

「今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい」
「は、い……」

 侍女さんたちに豪奢な浴場で体を丁寧に洗ってもらい、髪の毛を入念に乾かしてもらい、お日様の匂いがするふかふかのベッドで横になると、わたしはすぐに夢へと落ちた。


 ♢♢♢


 ラッサム王国へやって来てから半年が経った。白かった肌は小麦色に焼けて、以前よりも心身共に健康になったと思う。

 大地を明るく照らす太陽に感謝して舞い、大地を潤す雨に感謝して舞い、大地に芽吹く草木に感謝して舞った。

 自然そのものが音楽だと気づいた時に陛下にそう伝えたら、慈しむように頭を撫でてくれた。またしても心臓がトクンと跳ねる。

 淡く弾けるこの感情は、きっと――


 ♢♢♢


 わたしと陛下は石造りの四阿あずまやから、紺碧に輝く海を眺めていた。子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。

「フィオリーネが来てから、皆の笑顔が増えたよ」
「そう、ですか……嬉しいです」

 ヴェルデ王国では国のために祈ることが当たり前で、わたしが黒目黒髪だからと貴族から邪険に扱われることすらあった。労わってくれたのは平民の皆さんと心優しい両親だけ。

(お父様、お母様、元気にしていらっしゃるかしら――?)
 
 わたしが偽りの聖女だとアラン様に婚約破棄されて、肩身の狭い思いをしていなければいいのだけれど。どうしようもなく両親に会いたくなって、視界が霞む。陛下に悟られないよう、わたしは顔を逸らす。

「大丈夫か、フィオリーネ」
「はい……大丈夫です……」
「俺は楽しいことや嬉しいこと、苦しいことに悲しいこと、全てをフィオリーネと共有しながら生きてゆきたいと思っている」
「陛下……」

 わたしは陛下を見上げた。すると陛下が指で涙をぬぐってくれた。トクン、トクン――胸が高鳴る。
 
 陛下の顔が近づき、わたしは身を任せるように目を閉じた。柔らかな唇の感触に、ふにゃりと体の力が抜ける。トクン、トクン、トクン、トクン。

「きゃっ!」
 
 陛下がわたしをお姫様抱っこする。あまりに突然で、わたしは陛下に抱きつくしかなかった。

 そのまま入ったことのない部屋――陛下の寝室へ運び込まれる。再び甘く蕩けるように唇を塞がれ、わたしはうっとりとしてしまう。

「フィオリーネ、君を愛している」
「……わたしも、陛下を愛しています」
 
 半分まで満ちた月が、蜜夜を静かに照らしていた。
 
 
 ♢♢♢


 わたしは陛下と結婚することになった。妃教育はヴェルデ王国で受けていたので、今はラッサム王国の礼儀作法について教わっている。
 侍女さんたちも笑顔で、わたしの身の回りの世話をしてくれた。

「皆さん、いつもありがとうございます」
「フィオリーネ様にお仕えするのが、わたくしたちの幸せですから」

 侍女さんたちはふふふ、と笑い合う。わたしもつられて笑った。

(ラッサム王国の人たちはみんな優しくて親切だわ。これからもこの国のために頑張らなくちゃ)
 
「フィオリーネ様、陛下がお呼びでございます」

 そこへ臣下さんがやって来た。もしかしたら、結婚式についての相談かもしれない。わたしは胸を躍らせながら、陛下の元へと急ぐ。

「陛下――っ!!」

 そこにいたのは陛下だけではなかった。かつての婚約者、
 アラン様が来客用のソファに座っていて、わたしは体を強張らせる。婚約破棄されたパーティーの日を思い出して、動悸がした。

「こちらへおいで、フィオリーネ」
「……はい、陛下」

 陛下の声に、わたしは平常心を取り戻す。

(大丈夫よ、フィオリーネ。陛下がそばにいてくださるわ)

「アラン王子が君に大切な話があると言って聞かなくてね」
「大切な話、ですか?」

 わたしの姿を認めるなり、アラン様は青色の目を見開く。心なしか年齢よりも老けて見えるのは、髪の毛にツヤがなかったり、目の下にクマができていたり、整った顔に複数のニキビがあるせいだろうか。

「お前、フィオリーネなのか?」
「……そうですが」
「ふぅん」

 そう言い、ニヤリと笑う。ねっとりと絡みつくような視線を全身に感じ、わたしは陛下の後ろに隠れた。

「すっかり垢抜けていい女になったじゃないか。どうだ、側室にしてやるからヴェルデ王国に戻って来い。メリッサが聖女の格好を地味だと言って嫌がるし、祈りの力も殆どないと不満の声が上がっている。だから婚約破棄を取り消す代わりに、大神殿で祈りを捧げろ」
「お断りいたします」
「よし、では今すぐに――はぁ!?」
「私は陛下と、マルクス様と結婚します。だからヴェルデ王国には戻りません」

 わたしの返答に、アラン様が血相を変える。

「黒目黒髪の分際で聖女を務められたのは、誰のおかげだと思っている!? 王家の後ろ盾がなければお前は即刻、聖女の座から引きずり落とされていたに違いないのだぞ!!」
「……っ」

「これ以上、フィオリーネを貶めるのであれば、その喉を掻き切る」

 マルクス様はいつの間にか、短剣を手にしていた。柄は巨大な宝石で作られており、シャンデリアの灯りを吸い集めるように爛々と輝いている。
 鋭い切っ先がアラン様のか細い喉に向けられ、誰もが動けずにいた。

 陛下の怒気を帯びた顔つきに、見ているこちらまで萎縮しそうになる。アラン様はヒュッと小さく喉を鳴らし、力無くソファから大理石の床へと崩れ落ちた。

「今後、少しでもフィオリーネに近づいたらヴェルデ王国もろとも滅びると思え。分かったな?」
「わ、分かった。分かったから……ひいいっ!」

 アラン様は情けない叫び声を上げながら、逃げるように帰って行った。

「怖い思いをさせてしまってすまない」
「いえ、わたしは平気です。だってマルクス様の妃になるのですから」

 マルクス様は穏やかに微笑んだ。

「強くなったな、フィオリーネ」
「はい。マルクス様や皆さんのおかげです」

 マルクス様はわたしを抱きしめながら、優しく頭を撫でてくれた。大好きな人の温もりを求めて胸元に顔をうずめると、身も心も満たされていく。

「フィオリーネ、誰よりも君を愛している」
「……はい、私もマルクス様を愛しています」



 ♢♢♢


 結婚式当日。

 国中から宮殿に人々が集まり、みんな笑顔で祝福してくれた。近くの池では、国花であるハスの花が待ち侘びたように咲いている。甘くみずみずしい香りがして、わたしは深呼吸をした。小鳥のさえずりが耳に心地よい。

 熱気を帯びた風に、大地を照りつける太陽の光。真夏のラッサム王国は、一年のうちでもっとも賑やかで華々しい季節。敬愛する国王陛下の結婚式だからと、昼間からあちこちで宴が開かれている。

「皆さん、すごく楽しそうですね」
「ラッサム王国は長らく聖女不在だったからな。フィオリーネが来てくれ、祈りの舞を踊ってくれたおかけで、我々はこうして生かされている」

 赤いドレス姿のわたしは、首を横に振った。シャラン、シャランとアクセサリーが、涼しげな音を奏でる。

「わたしに居場所を与えてくださったのは、マルクス様です。そればかりか、真実の愛まで教えてくださってわたし、とっても幸せで、もう、どうにかなりそうで……」
「フィオリーネ、君は本当に可愛くて放っておけないな」

 ちゅ、ちゅ、と頰に甘い口づけを何度も落とされる。くすぐったいような、物足りないような。でも――

「ふふ、続きは結婚式で、マルクス様。あっ!」

 わたしは細かな刺繍の施されたヴェールをなびかせながら、笑顔で愛する二人に抱きついた。

「お父様っ! お母様っ!」
「おお、私たちの可愛いフィオリーネ」
「まあ、とっても綺麗ね。結婚おめでとう、フィオリーネ」

 アラン様が逃げ帰ってあまり経たないうちに、ヴェルデ王国は地図から消えた。聖女の力は国の加護も含まれる。メリッサ様はそれだけの力を持っておらず、聖女に頼りきっていたヴェルデ王国は、あっさりと他国に乗っ取られてしまった。

 このことを予測していたマルクス様は、わたしの両親をラッサム王国へ移住させてくれた。元ヴェルデ王国の平民の皆さんは無事だと聞いている。ただし王家や貴族、アラン様、メリッサ様がどうなったかは知らないし、知りたいとも思わない。

 願わくば、新しい国では黒目黒髪だからと蔑まれることがありませんように。もし誰かが傷つき困っていたら、手を差し伸べる勇気を持ちたい。たとえ、かつてわたしを疎んだ人であっても。

 わたしは今日も自然と一体になって、舞い踊る。
 この世界で生きる全ての人たちを想いながら。

「では、誓いの口づけを」

 わたしとマルクス様の唇が重なり合うと、割れんばかりの拍手が湧き起こる。

「幸せにするよ、フィオリーネ」
「……はい、マルクス様」

 わたしは嬉し涙を浮かべながら、こくりと頷く。それからとびきりの笑顔で、澄み渡る青空に向かって花束を投げた。


 END

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