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3 そしてちょっとだけ近づいた週末

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夕方、飲み会の誘いがあった。
いつもなら迷わず参加だが今日は断る。
逆にビックリされた。そりゃそうだ。
昨日は祝日、今日は金曜日。行かないわけはない、そんな日なのに。

でも、自分には子猫が待っているのだ。

ゆっくり猫と遊びたい。元気かなぁ。

そして、猫以外にも大切な約束がもう一つ・・・・。

猫はきっと大丈夫だ。
朝湯たんぽを温かくしておいてきた。
ある程度かけた布で暖かくもあるだろう。部屋も暖かくしてきた
こっそりお昼前に用事を作り外出して、そのまま自宅に帰って様子を見てきた。
しょうがない、ミルクもあげたかったし。

元気でいたし、ミルクも飲んでトイレも少しお世話にして。
ものすごい急ぎ足だったが気になるよりはいい。

離乳食を食べるならお昼は帰らないでもいいのか?
さすがに毎日昼帰るのは無理だろう。


そして・・・・。
仕事をしながら傍らには携帯を。
連絡は来ない。もう一つ、大切な約束の相手。
彼女は仕事中。

そろそろと飲み会グループが席を立つ。

「町野君、今日行かないの?」

「ああ、悪い。しばらく無理かも・・・とりあえずは今日は無理なんだ。楽しんできて。」

「そうなんだ、町野君が来ないとつまらないなあ。」同期の鈴木さんが言う。

「そんなこと言って他の誰かと勝負して酔いつぶすつもりでしょう?ほどほどに、お手柔らかに。」

「そうなんだよね、町野君じゃないと相手にならなくて。また行こうね。」

「うん、行ってらっしゃい。」

そう言って手を振る。

同期の一人、鈴木凛さん。
名前はかわいいが、彼女は本当に酒豪という冠をもって生まれたようなのだ。
何でも実家が代々続く酒蔵とか。
酒樽のそばで育ったという実力は計り知れない。
何人つぶされたことか。
俺も危ないくらい飲まされた。だが決して負けてはいない。
ただ料金と健康を考えて周囲が止めるだけだ。
今日も誰かが犠牲になるんだろう。

手を振って見送るとほとんど残りは少なくなった。

相変わらず怖いくらいの無表情で仕事をしている小路さん。
ぼんやりと見つめながらも思う。
やっぱり好みなんだよなあ。

どっちが?
こっちの見慣れた無表情も、昨日の新鮮な笑顔の表情も、どっちも。

何が切り替えのスウィッチなんだろう?
社内と社外か?でも歓迎会でも仮面だったし。
デザイン部に仲のいい同期がいたら聞くのに、いないのだ。
本人に聞いてみるか。
もしかして今日分かるかもしれない。
そういう予感も自分の中で大きくなる。
今日・・・どうなるんだろう?


ぼんやりそんな事を考えて見ていたらこっちを見た彼女と目が合った。
瞬間逸らされ下を向かれてしまった。
ついついガン見していたかもしれない。

気を付けよう。
まだ何も始まってない。
最初から嫌がられてしまうのは避けたい。


自分の仕事は終わってる。パソコンを閉じて彼女のところに歩いていく。


「小路さん、お願いしてたこと、まだ時間かかりそうかな?」

「あと10分くらいいいですか?」

「ああ、ごめんね。急がなくていいから。終わったら教えてね。」

自分の席で大人しく待つ。携帯で猫サイトを渡り歩く。
しばらく集中していたらしい、携帯がメールの着信を知らせた。
待ちに待った小路さんからだった。

『もうすぐ終わります。猫の話を聞きたいし、可能なら会いたいです。どうすればいいですか?出来たら外での待ち合わせでお願いします。』

文字とはいえ、かつてない長いセンテンス。もう喜びしかない。

確かに一緒に帰るのは無理だろう。
最寄り駅が同じなら簡単だ。
駅の改札で待つ。声をかけて先に改札を入ってもらって自分が続けばいい。

『昨日のあたりが近所なら家が近いですか?自分は駅から5分くらいです。部屋に猫はいます。先に駅に行きます。改札で挨拶してもらえれば時間差で改札をくぐって近くに乗ります。どうでしょうか?』

『お願いします。』

『それでは、駅で。』

「小路さん、お先に失礼するけど、大丈夫かな?よろしくお願いします。」

固い顔でうなずかれた。
ちょっと罪悪感を感じないでもない。
それでも、彼女も会いたいんだよな・・・・。
そう自分に言い聞かせて会社を出た。

とりあえず彼女が自分の部屋に来てくれることが決定した。
喜びを隠せてる自分を大人だとほめてあげたい。
本当は叫びたいくらいの喜びを押し殺してる。

携帯をポケットに入れて指先で触りながら歩く。
会社の人と内緒で待ち合わせというのもドキドキするもんだ。

絶対会社には彼女を作らないと決めていた。
いろいろと噂になりやすい。
バレたら異動を勧められたりする場合もある。
最悪別れた後まで噂は消えない。

そんな欲しがり雀の餌になる気はない。

そう思っていたのに。

でも、ちょっとワクワクする気持ちとともに鼓動が早くなるのを抑えられない。

また猫サイトの続きを見ようかと思って辞めた。
彼女に聞こう、知らないなら一緒に調べよう。

それより一度デートに誘いたい。無理だろうか?

さっきまで考えていたのは社内恋愛はしない主義だということなのに、自分は今まったく反対の事を考えている。

やっぱり好きだった・・・だよな?自分に聞く。

顔だけじゃなく。不思議なところを知りたいという欲求だけじゃなく。
もっともっと彼女の素の部分を自分に見せて欲しいと思ってる。
自分にだけ。

昨日からずっと思ってるのは猫と彼女の事ばかり。
猫を撫でながら彼女の事を考える。
じゃあ彼女の事を抱きしめたら猫の事を考えるか?
まさかだ、考えない。
やっぱり彼女の事を考えるだろう。

人と猫。
それだけの差だからだろうか?

ぐるぐる自問自答が繰り返されて、今更自覚した自分の気持ちをゆっくり確かめていたら声を掛けられた。

「町野さん、お疲れ様です。」

そういって改札をくぐる彼女。
うっかり気が付かなかった。

まだまだ表情は硬い、無表情のまま先に歩いて行った彼女。
少し遅れてゆっくり改札をくぐる。
彼女の隣の車両に乗るように並ぶ。
ちょっと計算ミス。同じ車両の端と端だった。
間には多くの人がいてもちろん彼女の姿は消えた。

それでも同じ車両の中にいることにすら喜びを感じて。
途中多くの人が降りて彼女の姿をとらえられた頃、自分の駅に着いた。

もういいだろう。
急ぎ足で彼女の横に並んだ。

「お疲れさま、小路さん。」

「はい。」

相変わらず愛想はないのだが、想定内だ。


「じゃあ、感動のご対面だけど、食べるもの買っていく?宅配とる?」

「・・・・どちらでも。」

「じゃあ、一人じゃ頼めないから宅配とることにしていい?」

ピザとかどんぶりものとかチラシがあるだろう。
途中コンビニでお酒を買おう。

お茶とコーヒーの用意だけでいいと思ったのにのに。
そんな事を考えて。

ちらりとこちらをうかがう様に見られた。
何だろうと目で問う前に視線はそらされてしまった。

そして途中、コンビニ前で立ち止まる。

「ねえ、小路さんも飲めるよね?何か買わない?もちろん奢るよ。」

「はい。」

小さく返事をして甘いカクテルの缶を二本いれてきた。
まさか本当に飲むとは。しかも二本も。

歓迎会でも飲んでいたのは見てる、まったく変わらない無表情で。

寝ない、乱れない。それは知ってる。
別にいいんだけど。
寝ても、乱れても・・・どうなっても。
そんな思いは上手に隠して。

会計して自分の部屋に向かう。
なんとか会話をと思っていいろいろ尋ねる。
返事は単語にヒゲが生えたくらいの長さだった。

どうやらやはりあの公園の近くに住んでるらしい、一人暮らし。
残念だが猫は飼えないと。
無表情で答えていたのに、最後にそう答える時は悲しそうな顔になった。
かなり表情が出たと言っていいほどに。


「そうか、無理か。俺のところもダメなんだ。一応実家に聞いたら飼いたいって言ったから実家に連れてっていいかな?母親が主婦だから目も届くし寂しくないと思う。」

そう言った時のうれしそうな顔が・・・・とてもかわいかった。

でもすぐに普通の無表情になったのが残念だった。

「いつも食事は自炊派?」

「はい。作ってます。」

表情は相変わらずでも言葉が少しソフトになっただろうか?
分かる自分もすごい。

「そうか、えらいね。部屋もきれいそうだよね。」

「・・・いえ。」

それはどっちに対してだろうか?
そんなえらいなんて・・・か、もしかして結構乱暴な状態の部屋に住んでるのか?

まあいい。少しづつ、少しづつで。

「出前何にしようか?何食べたい?チラシはピザと寿司と丼ものがあるよ。俺も頼んだことないからおすすめは知らないけど。」

顔をあげてこっちを見る。 何だ???
聞くより前にまたすぐに下を向かれた。



結局答えはないまま部屋に着いた。



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