四度目の結婚 ~不完全なオメガと冷徹な夫の甘い運命~

ひなた翠

文字の大きさ
3 / 20
第一章:冷徹な夫との新婚生活

ヒート時の決定的な拒絶

しおりを挟む
 身体の異変に気づいたのは、夕方のことだった。下腹部が熱く疼き、肌が敏感になっていく。息が荒くなり、身体の奥から甘い熱が湧き上がってきた。鏡を見ると、頬が紅潮していて、瞳が潤んでいた。

(ヒートだ)

 心臓が高鳴り、期待が胸を満たした。オメガのヒートは、アルファを惹きつける甘い香りを放つ。過去の夫たちも、ヒートの時は僕を抱いてくれた。痛いだけで何も感じなかったが、少なくとも拒絶はされなかった。

(今度こそ)

 心の中で呟きながら、僕は身体を清めた。浴槽に湯を張り、バラの香りの入浴剤を溶かす。身体を沈め、丁寧に洗っていく。髪も念入りに洗い、柔らかく梳かした。湯から上がると、薄い絹の夜着を纏う。いつもより透ける素材で、身体の線が全て見える。

 鏡の前に立ち、自分の姿を確認した。ヒートの影響で、身体は熱く火照っている。肌は桃色に染まり、瞳は潤んで艶めかしい。首筋からは甘い香りが立ち上り、自分でも分かるほど濃厚だった。


(もしかしたら)
 期待が膨らんだ。ヒートの匂いなら、レオニードも無視できないかもしれない。アルファは本能的にオメガのヒートに惹かれる。抱いてくれるかもしれない。子どもを授かることができるかもしれない。

 部屋を出て、廊下を歩き始めた。使用人たちの視線が突き刺さるが、今は気にならなかった。身体が熱く、頭がぼうっとしている。足元がふらつき、壁に手をついて進んだ。

 レオニードの部屋の前に立ち、ノックをする。いつもより強く、何度も叩いた。中から低い声が聞こえてくる。

「入れ」

 扉を開けると、レオニードは書斎机に向かって書類を読んでいる。蝋燭の明かりが彼の横顔を照らし、鋭い眼光が紙面に注がれていた。僕が入ってきても、顔を上げる気配すらない。

「あの……」
 声が震えた。身体が熱く、息が荒い。レオニードはペンを動かし続け、僕を無視している。

「今夜こそ、お願いします」

 懇願するような声を出すと、レオニードの手が止まった。ペンを置き、ゆっくりと顔を上げる。深い紺色の瞳が僕を捉え、何かに気づいたように目を細めた。

「……ヒートか」
 低い声が響き、心臓が跳ね上がる。レオニードが立ち上がり、こちらに近づいてきた。

(来てくれる)

 期待が胸を満たした。レオニードは僕の前で立ち止まり、顎を掴んで顔を上げさせた。鋭い視線が僕を見下ろし、冷たさだけが伝わってくる。

「勘違いするな」
 冷たい声が耳朶を打ち、期待が一気に崩れ落ちた。

「結婚してやったのは、お前の家の後ろ盾のためだ」
 心臓が凍りつき、息が止まりそうになる。

「オメガを抱く気はない」

 はっきりと告げられた拒絶の言葉に、涙が溢れそうになった。レオニードは僕の手を払いのけ、身体を離す。

「出ていけ」
 命令の声に、僕は思わずレオニードの腕に縋り付いた。

「お願いします……身体が、熱くて……苦しいんです」

 必死に訴えると、レオニードは苛立ったように舌打ちをして、僕の手を振り払った。力任せに払われた手に、身体のバランスが崩れる。足がもつれ、後ろに倒れ込んだ。

 ゴン。

 鈍い音が響き、視界が真っ白になった。後頭部に激痛が走り、身体から力が抜けていく。何かにぶつかった。ベッドの柱だと、ぼんやりと理解した。

「……っ」

 声も出せず、床に崩れ落ちる。痛みで頭が割れそうになり、耳鳴りがした。視界がぼやけ、天井が揺れている。

「おい」
 レオニードの声が遠くから聞こえた。足音が近づき、僕の前に膝をつく気配がした。

「だいじょ……」
 手が伸ばされてくるのが見えた。大きな手が、僕の肩に触れようとする。

「平気です」

 涙目で言葉を絞り出し、僕は自分で身体を起こした。手のひらを床につき、よろよろと立ち上がる。頭が痛み、目の前が暗くなりそうだった。

「待て、医師を呼ぶ」

 レオニードの声が背後から聞こえたが、僕は振り返らずに部屋を飛び出した。扉を開け、廊下へと出る。足がもつれ、壁に手をついて進んだ。頭の痛みが増し、吐き気がする。視界が揺れ、まっすぐ歩けない。

 自分の部屋に辿り着き、扉を開けて中に入った。扉を閉めるとその場に崩れ落ち、床に座り込んだ。

(後ろ盾のため)

 涙が溢れてきて、止まらなくなった。顔を覆い、声を殺して泣いた。フェルゼン家がリヒテンベルク家の力を必要としていたことは知っている。

 この結婚で、レオニードは男爵から伯爵になったのだから。

(僕はただ――自分の子がほしいだけなんだ)
 自分の子を抱きたい。育てたい。家族がほしい。

(それの何が悪いんだ)

 感情が乱れ、涙が次々と溢れてくる。一人だけでいい。自分の子をこの手で抱きたい。笑顔を見たい

 どうして、その夢が叶わないのだろう。三度の結婚で、一度も妊娠できなかった。

 医師は問題ないと言ってたのに。ヒートも来るし、身体に異常はないと。なのに、どうして子を授かることができないのだろう。

(四度目の結婚も、駄目なのか)

 絶望が胸を満たし、息が苦しくなった。ベッドによじ登り、枕に顔を埋める。涙が枕を濡らし、嗚咽が漏れた。

 身体が震え、寒気がした。ヒートで身体は熱いのに、心は冷え切っている。丸くなってベッドの上で震えていると、ノックの音が響いた。

「エミール様、医師がお見えです」

 メイドの声が扉の向こうから聞こえた。僕は返事をすることもできず、ただ黙っていた。鍵を開ける音がして、扉が開く。

 足音が近づき、ベッドの横に誰かが立つ気配がした。

「レオニード様から、頭を打ったので診察するように言われております」

 老齢の医師の声が聞こえた。身体を起こされ、後頭部を調べられる。冷たい手が傷に触れ、痛みが走った。

「傷は浅いですね。手当てをします」
 薬を塗られ、包帯を巻かれた。医師の手は優しく、丁寧に治療してくれる。

「しばらく安静にしていてください。目眩や吐き気があれば、すぐに呼んでください」
 医師が部屋を出て行き、再び一人になった。僕はベッドに横たわり、天井を見つめた。

(こんな中途半端な優しさなんて、いらない)

 心の中で呟いた。頭を打ったから医師を呼ぶ。最低限の気遣い。夫としての義務を果たしているだけ。

 抱いてくれないなら、気遣いも必要ない。僕が欲しいのは、子どもだけ。

 時間が過ぎ、ヒートの熱が身体を蝕んでいく。下腹部が疼き、息が荒くなる。誰にも抱かれず、ただ苦しいだけのヒートだった。

 深夜になり、僕は起き上がってベルを鳴らした。メイドが部屋に入ってくると、僕は低い声で告げた。

「フリッツを呼んでください」
 しばらくして、フリッツが部屋に入ってきた。僕の従者として、長年仕えてくれている男だった。

「坊っちゃん、お怪我は大丈夫ですか」
 心配そうな声に、僕は頷いた。

「平気です。フリッツ、頼みたいことがあります」
「何でしょうか」
「レオニード・フェルゼンについて調べてください」

 フリッツの表情が変わり、真剣な眼差しで僕を見つめた。

「何を、お調べすればよろしいでしょうか」
「全てです。生い立ち、戦歴、フェルゼン家のこと。なぜ僕と結婚したのか。なぜ四度も結婚している僕を選んだのか。全て知りたいんです」

 フリッツは少し考え込むように沈黙し、やがて頷いた。

「承知しました。数日お時間をいただけますか」
「ええ、急ぎません。丁寧に調べてください」
「かしこまりました」

 フリッツは一礼して、部屋を出て行った。扉が閉まり、再び静寂が戻ってくる。

 僕はベッドに横たわり、窓の外を見つめた。月が雲に隠れ、暗い夜空が広がっている。風が木々を揺らし、葉擦れの音が聞こえてきた。

 頭の傷が鈍く痛み、身体が重い。ヒートの熱も相まって、意識が遠のいていく。僕は目を閉じ、暗闇の中に沈んでいった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。

伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。 子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。 ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。 ――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか? 失望と涙の中で、千尋は気づく。 「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」 針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。 やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。 そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。 涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。 ※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。 ※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。

処理中です...