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第三章「大人の世界は単純明快」
先生との大人の関係
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それから四ヶ月が経った。
原稿の受け取りは月に一度。先生が指定した日時にマンションを訪問し、手書き原稿を受け取って帰る――はずだった。
四ヶ月で四回。同じことが繰り返された。
二回目は十月の半ばだった。本来の指定日より一週間早く、先生から連絡が来た。「原稿が上がった。取りに来い」。萌木さんの担当時代のスケジュール表を見れば、先生がこんなに早く書き上げることは一度もなかったとわかる。なのに、一週間も早い。
マンションに着くと、先生はリビングのソファに座って珈琲を飲んでいた。テーブルの上に茶封筒はない。原稿はどこだろう、と部屋を見回す私に、先生が珈琲カップを置いて立ち上がった。
「先生、原稿」
「ほしいならわかるだろ?」
先生は何もしなかった。ソファの傍に立ったまま、私を見下ろしている。前回は先生がボタンを外した。今回は違った。先生は自分からは触れてこない。わかるだろ、という言葉が意味するところを理解した瞬間、指先が冷たくなった。
自分で、ワイシャツのボタンに手をかけた。一つ、二つ。先生の目の前で、自分の指で服を脱いでいく。先生の視線が鎖骨に落ちて、ほくろの上で止まった。あとは前回と同じだった。先生の唇がほくろに触れ、胸に吸い付き、ソファの上で抱かれた。違うのは、服を脱いだのが私自身の手だということだけだった。
原稿がほしいから、自分の意思で服を脱いだ。そのことが、前回よりもずっと深く胸に刺さった。
三回目は十一月の頭。また指定日より一週間早い連絡だった。「原稿が上がった」。同じ文面。同じ呼び出し。マンションのドアを開けた先生は、いつもの黒シャツではなくラフなカットソー姿だった。
「先生、原稿」
「ほしいなら……わかるだろ」
もう迷わなかった。自分でボタンを外し始めると、先生が私の手首を掴んだ。リビングではなく、廊下の奥へと引かれていく。初めて通される部屋だった。先生の寝室だ。カーテンが半分閉められた薄暗い部屋に、大きなベッドが据えられている。シーツの匂いに先生の体臭が混じっていて、心臓が跳ねた。
ベッドの上に押し倒された。三回目の先生は、今までで一番激しかった。服を剥ぐように脱がされ、ベッドの上で何度も体勢を変えられ、深く、強く、執拗に求められた。先生の荒い息が首筋にかかり、名前を呼ばれるたびに身体の奥が蕩けていく。シーツを掴む指が震えて、先生の背中に爪を立てて、甘い叫び声を何度もあげた。
四回目は十二月。今回は先生から声をかける前に自分からコートを脱いでいた。先生の目が少しだけ見開かれて、それからゆっくりと口元が緩んだ。その笑い方が妙に優しくて、胸の奥がちくりと痛んだ。
四回とも、先生は事後にシャワーを浴びに行き、私は着替えて玄関に置かれた原稿を持って帰った。行為の最中は名前を何度も呼ぶくせに、終わった途端に壁を作る。甘さと冷たさの落差に、毎回胸の奥を抉られた。
妻がいるのに、どうして私を抱くのだろう。
その疑問は四ヶ月間、ずっと頭の中にあった。先生は萌木さんの夫だ。萌木さんは二人目を望んでいる。それなのに先生は月に一度、指定日を待たずに私を呼び出し、身体を求めてくる。妻以外の女を抱いて、シャワーを浴びる。
六年前の冬、先生は言った。
――大人の世界は、超がつくほど単純明快だからな。好きか嫌いかじゃない。反応するかしないかだ。
あのとき先生の膝の上にいた女性の顔が、脳裏に浮かんだ。髪を振り乱していた女性。障子を開けた瞬間に弾かれたように離れ、茶封筒を掴んで逃げるように出ていった。あの人が萌木さんだと気づいたのは、この出版社に入ってからだった。新人研修の日、隣のデスクで微笑んだ萌木さんの横顔を見た瞬間に、六年前の書斎の光景がフラッシュバックした。あのとき先生の膝に跨っていた女性と、穏やかに「よろしくね」と差し出された手の持ち主が、同じ人間だった。
萌木さんは先生のファンで、担当編集者で、やがて妻になった。あの冬の日、先生の膝の上で唇を重ねていた二人は、その後も関係を続けて結婚したのだろう。
萌木さんは二人目がほしいと言っていたのに。
――どうして私を抱くんですか?
その問いかけだけは、どうしても先生には聞けなかった。
原稿の受け取りは月に一度。先生が指定した日時にマンションを訪問し、手書き原稿を受け取って帰る――はずだった。
四ヶ月で四回。同じことが繰り返された。
二回目は十月の半ばだった。本来の指定日より一週間早く、先生から連絡が来た。「原稿が上がった。取りに来い」。萌木さんの担当時代のスケジュール表を見れば、先生がこんなに早く書き上げることは一度もなかったとわかる。なのに、一週間も早い。
マンションに着くと、先生はリビングのソファに座って珈琲を飲んでいた。テーブルの上に茶封筒はない。原稿はどこだろう、と部屋を見回す私に、先生が珈琲カップを置いて立ち上がった。
「先生、原稿」
「ほしいならわかるだろ?」
先生は何もしなかった。ソファの傍に立ったまま、私を見下ろしている。前回は先生がボタンを外した。今回は違った。先生は自分からは触れてこない。わかるだろ、という言葉が意味するところを理解した瞬間、指先が冷たくなった。
自分で、ワイシャツのボタンに手をかけた。一つ、二つ。先生の目の前で、自分の指で服を脱いでいく。先生の視線が鎖骨に落ちて、ほくろの上で止まった。あとは前回と同じだった。先生の唇がほくろに触れ、胸に吸い付き、ソファの上で抱かれた。違うのは、服を脱いだのが私自身の手だということだけだった。
原稿がほしいから、自分の意思で服を脱いだ。そのことが、前回よりもずっと深く胸に刺さった。
三回目は十一月の頭。また指定日より一週間早い連絡だった。「原稿が上がった」。同じ文面。同じ呼び出し。マンションのドアを開けた先生は、いつもの黒シャツではなくラフなカットソー姿だった。
「先生、原稿」
「ほしいなら……わかるだろ」
もう迷わなかった。自分でボタンを外し始めると、先生が私の手首を掴んだ。リビングではなく、廊下の奥へと引かれていく。初めて通される部屋だった。先生の寝室だ。カーテンが半分閉められた薄暗い部屋に、大きなベッドが据えられている。シーツの匂いに先生の体臭が混じっていて、心臓が跳ねた。
ベッドの上に押し倒された。三回目の先生は、今までで一番激しかった。服を剥ぐように脱がされ、ベッドの上で何度も体勢を変えられ、深く、強く、執拗に求められた。先生の荒い息が首筋にかかり、名前を呼ばれるたびに身体の奥が蕩けていく。シーツを掴む指が震えて、先生の背中に爪を立てて、甘い叫び声を何度もあげた。
四回目は十二月。今回は先生から声をかける前に自分からコートを脱いでいた。先生の目が少しだけ見開かれて、それからゆっくりと口元が緩んだ。その笑い方が妙に優しくて、胸の奥がちくりと痛んだ。
四回とも、先生は事後にシャワーを浴びに行き、私は着替えて玄関に置かれた原稿を持って帰った。行為の最中は名前を何度も呼ぶくせに、終わった途端に壁を作る。甘さと冷たさの落差に、毎回胸の奥を抉られた。
妻がいるのに、どうして私を抱くのだろう。
その疑問は四ヶ月間、ずっと頭の中にあった。先生は萌木さんの夫だ。萌木さんは二人目を望んでいる。それなのに先生は月に一度、指定日を待たずに私を呼び出し、身体を求めてくる。妻以外の女を抱いて、シャワーを浴びる。
六年前の冬、先生は言った。
――大人の世界は、超がつくほど単純明快だからな。好きか嫌いかじゃない。反応するかしないかだ。
あのとき先生の膝の上にいた女性の顔が、脳裏に浮かんだ。髪を振り乱していた女性。障子を開けた瞬間に弾かれたように離れ、茶封筒を掴んで逃げるように出ていった。あの人が萌木さんだと気づいたのは、この出版社に入ってからだった。新人研修の日、隣のデスクで微笑んだ萌木さんの横顔を見た瞬間に、六年前の書斎の光景がフラッシュバックした。あのとき先生の膝に跨っていた女性と、穏やかに「よろしくね」と差し出された手の持ち主が、同じ人間だった。
萌木さんは先生のファンで、担当編集者で、やがて妻になった。あの冬の日、先生の膝の上で唇を重ねていた二人は、その後も関係を続けて結婚したのだろう。
萌木さんは二人目がほしいと言っていたのに。
――どうして私を抱くんですか?
その問いかけだけは、どうしても先生には聞けなかった。
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