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最終章

閑話——過去から未来へ

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「レンくん!!」

 王城のだだっ広い通路を一人で歩いていたレンへ、後方から呼び止める声が掛かった。
 自分を呼ぶ声に足を止め、声の主を探して振り返る。通路の奥、角の辺りで手を上げていたのはマーレだった。
 応えるように片手を上げると、駆け寄ってくる彼女を待った。
 だいぶ探させたようだ。目の前へやって来た少女は息を切らせ肩を上下させている。

「やっと見つけた!」

「悪い。総隊長に呼ばれてて」

 事前に声を掛けられており訓練の後そのまま総隊長の執務室へと行っていた。他の騎士に伝えていなかった為に、所在が分からずその辺りを探して回っていたのだろう。
 大丈夫か? と声を掛ければ、平気と眉尻を下げて笑みを見せる。
 何度か大きく呼吸を繰り返すと、息を整えたマーレが真っ直ぐレンを見上げた。

「…少し、話せる?」

 いつもとは違う緊張を滲ませた表情に、レンもマーレへと真っ直ぐに向かい合う。

「ああ」


 場所を移そうとやって来たのは、以前にシャガールとマーレと三人で話した訓練場の端だった。
 あの時と同じようにレンが丸太へ腰掛ける。座ろうとしないマーレへ視線を上げると、こちらを見つめる真剣な眼差しが向けられていた。
 彼女の両手はギュッと握られ、巻き添いになったスカートには皺が出来てしまいそうだ。

「今日は、ベルルム・レクシオンとして、貴方に謝罪させてください」

「……」

 およそ三年前。フェリシモール王国と隣国との国境付近に存在していた公国がある。
 名を『レクシオン公国』。
 その小さな公国が隣国に対し独立を求めて反旗を翻すという内乱が起こった。
 レクシオン王族は代々精霊契約を継承する家系であり、強力な魔法を使う魔術師を多く排出する一族だった。
 レクシオン側はその魔術を応用し、その近辺を生活圏としていた獣人達を支配し、自陣の戦力とし、隣国との戦力差を賄おうとした。
 結局その謀略は瓦解し、公国側が自滅する形で終息を迎えたのだった、のだが。
 何の因縁なのか、記憶を失っていたマーレがレクシオンの血を引く王族の末裔で、レンが公国側に利用された獣人の一人である事が判明したのだ。
 一時はお互いにどう接するべきか分からず、距離を置こうとしていたのだが、シャガールの介入によってえみを取り戻すという共通の目的を優先することになったのだ。


 おそらくその件だろうと思っていたレンは、腰を上げマーレの正面へ立つ。
 頭一つ分小さな、まだ少女と言っても差し障り無いその人を見つめた。

「謝っても許されるような事では無いと分かっています」

 拳が軋む音が聞こえて来そうな程力のこもられた手は、僅かに震えているのがわかった。

「それでも私達のした事は…人として最低な事だったって、理解しているつもりです」

 微かに潤んだ瞳を伏せ、マーレが深々と頭を下げる。

「本当に申し訳ありませんでした」

 震える体で腰を折る少女へ歩み寄ると、レンはその肩へと手を添えた。

「マーレ、頭を上げてくれ。…もういいんだ」

 青い髪をさらりと揺らし、マーレがゆっくりと顔を上げる。その目に映ったのは穏やかに緩められたエメラルドだ。

「マーレのせいじゃ無いのはちゃんと分かってる」

「でもっ!」

「確かにあの内戦は悲惨なものだった」

「…っ…」

 レンが再び丸太へ腰掛ける。マーレに向かってポンポンと隣を叩いて見せ、まあ座れと促した。
 マーレがおずおずと隣へ座る。レンは自分の膝へ肘を置くと、両手を握り合わせ、その先の地面へと視線を投げた。

 アルクに拾われたばかりの頃は周りの誰も信じられなかったし、悪夢にうなされる事も多くあった。
 戦場の光景ははっきりと鮮明に脳裏に焼き付いている。忘れる事など無いだろう。

「でもあの時、オレにもっと力があれば、違った結果になってた筈なんだ」

 何かを言い掛けたマーレを制し、レンが言葉を紡ぐ。
 マーレはその横顔をじっと見つめた。

「オレは…弱かったんだ」

 力がある事は知っていた。それが人間達から忌避されている事も。
 だから隠れる術を学んだ。獣人である事を隠し、力を行使する事を拒み、人と偽る道を選んだ。
 逃げたのだ。

「力があったのに、それを使わなかったのは弱さだ。使う為の努力をしなかったのも、学ぶ事を望まなかったのも弱さ。あの内戦はそんなオレの弱さが招いた結果でしかなかった」

「…レンくん…」

「だからマーレのせいじゃない。マーレがこれ以上気に病む必要はない」

 それでもなお浮かない表情のマーレに、レンは口角を上げて続ける。

「それにもしあの場に居なかったら、アルクさんに拾われる事も無かったし、こうして騎士団に所属する事も無かったしな」

「…あ」

「えみに出会う事も無かったし、シャガールにも会えて無かった。…マーレにも、な」

 きっかけは最悪だったかもしれないけど、今この瞬間を後悔なんてしてない。
 みんなに出会えた事、偉大な先祖が知れた事、何より力を得た自身で大切な人を守れる事に後悔などあろう筈も無い。

「だからもういいんだ。お互い、過去に縛られるのは終わりにしよう」

 強い光を宿したエメラルドが真っ直ぐにマーレへと向けられる。その力強くも穏やかな瞳に、ようやくマーレの表情から強張りが消えた。
 それにと続けるレンにマーレが首を僅かに傾ける。

「これからの方がずっと大変だろ?」

「……そうだね」

 人族は魔族との共存の道を歩もうとしている。
 敵対したことしか無かった種族同士がだ。平坦な道の筈がない。
 今まで誰も選ばなかったその茨の道を、えみが命を掛けて切り拓いた。過去ばかりに囚われている場合ではないだろう。

「オレはもっと強くなる」

 膝へ置いていた左の手の平を見つめる。多くのものを壊した獣人の手と、沢山の仲間達と取り合って来た人間の手がそこにはあった。
 えみが言ったように、千年後に笑って過ごせる人が今よりずっと多くあるように、あわよくばその中に獣人達がいられるよう、差別や偏見が無い世界になって欲しいと願う。
 全ての人間に受け入れられるのは難しい事かも知れない。けれど、せめて大切だと思える奴と肩を並べて歩けるような世界になって欲しい。獣人達がもっと胸を張って生きていける世界に。

「えみが示したように、オレがその道標になりたいと思ってる」

 その左手がマーレへと差し出される。

「力、貸してくれよ」

 驚きに見開かれた青い瞳が穏やかに微笑むレンを映す。
 瞬きで零れそうになった涙を拭った。笑みを浮かべ、差し出された手をぎゅっと握り返す。

「私でよければ喜んで」

 レンはもうすでに前を向いている。次に自分がすべき事を見据えてそれに向かって進もうとしている。
 自分も見習わなければと、マーレは柔らかなエメラルドを見つめた。
 過去を嘆いて泣くのは今日で終わりにしよう。

「私も強くなる。レンくんやみんなに追い付けるように」

「おぉ」

 顔を見合わせクスクスと笑い合う。
 マーレの表情はいつもの笑顔の似合う少女のものへと戻っていた。

 そう言えばとレンが口を開くのを、マーレが首を傾げて促した。

「記憶戻ったんだよな?」

「え? うん、そうだよ」

「…ベルルムって呼んだ方がいいか?」

 呼び慣れない名に眉尻を下げるレンに、マーレはフルフルと首を振った。

「ううん。マーレで…マーレが良い」

「そっか。改めて、宜しくな、マーレ」

「こちらこそ」


 さてと立ち上がるレンがマーレ越しに後ろへ視線を投げた。

「で? お前らはいつまでそうしてんだ?」

 え? とレンの視線の先へ振り返るマーレ。
 視界に捉えた建物の影から、ひょっこり顔を出したのはシャガールとえみだった。
 と、その後ろからもう一人。まさかのプラーミァの姿に、マーレだけでなくレンも驚いた。

「シャルくんにえみ!?」
「プラーミァさんまで…何してんすか」

 バツの悪そうなえみに対して、シャガールは悪びれもせずに片手を挙げてやってくる。

「いやほら。殴り合いになったら止めなきゃと思って!」
「なる訳ねーだろ」

「二人が心配で…てへ」
「マーレの覚悟を見届けに」

「ったく。お節介な奴らだな」

 そう言うレンの口元は緩んでいる。そう言いながらどことなく嬉しそうなレンに、マーレはクスクスと喉を鳴らした。

「あー安心したら腹減ったなー。みんなでえみん家行くか?」

「えっ?」

「そうね。おやつが食べたいわ」

「ええっ? プラーミァさんが!?」

「訓練も終わったしなー」

「レンくんまで!?」

「私も!! 甘いもの食べたい!」

「マーレまで…分かったよ! とびっきりのを作っちゃおっか!」

 みんなで城門へと歩き出す。
 シャガールとえみが乗って来た馬車へ乗り、アルカン邸へと向かったのだった。


「よぉ。遅かったな」
「なんでやねん!」

 何故かそこには誰よりも住人の顔をしたハワードが居るのであった。
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