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n+1周目

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 それから間もなくしてイリアが行方不明になる事件が起きたが、驚くことにそれを解決したのはユーク様だった。イリアを腕に抱いたユーク様が森から出てきたときは我が目を疑った。
 まずユーク様がイリアを探しに出ているとは思いもしなかったし、まさか子供を抱き上げたりするような人とも思っていなかった。しかも腕からは血を流していた。
 聞きたいことは山ほどあったのに、あの人は相変わらず何の説明もしないで俺にイリアを預けてさっさと帰ってしまった。
 あの人はいつだってそうだ。お前には関係ない、どうでもいい、そう言って理解されることを必要以上に拒絶する。前までは俺もそれでいいと思っていた。どうせ理解なんてできないし、したくもないと。だが、今は違う。
 まあ、俺が一方的に理解したいと考えを改めたところで、あの人が素直に答えてくれるようになるはずもなく、相変わらず取り付く島もなかったが。しかし、イリアを探しに行った理由を問うたとき、あの人の目が動揺したように揺らいだのを俺は見逃さなかった。あの人自身が自分の変化をまだ受け入れられていないようにも見えた。だが、病み上がりの体を引き摺って、怪我を負いながらもイリアを野犬から守り、腕に抱いて帰ってきたことにそれほど複雑な理由があるとは俺には思えなかった。
 きっと答えを得られる日はそう遠くない。そんな予感がした。



***



「おい、ついてくるな!!」

 何やら騒がしい声がして表に出ると、ユーク様が帰ってくるのが見えた。ただ、その後ろには12歳くらいの少年がついてきていて、さきほどの言葉はその少年に向けて放たれた言葉のようだった。
 イリアの一件で数日間筋肉痛に苦しんだユーク様は、体力を取り戻す目的で散歩に出たはずだった。それが何故少年に跡をつかれながら帰ってくることになるのか。ユーク様がこの少年に何かしたのではと悪い想像が駆け巡る。
 状況が掴めずに眺めていると、俺に気付いたユーク様はもともと眉間に寄っていた皺をさらにぎゅっと引き締めて嫌そうに顔を顰めた。

「……どうされました?」
「どうもしない!」

 怒鳴って答えるなり、背後の少年には見向きもせず玄関から中に入ってしまう。
 取り残された彼は嫌な顔をするでもなく、ただ残念そうに肩をすくめた。その様子にますます疑問が湧く。

「えーと、すみません、ユージン様が何か?」
「あっ、あんた、ジルさん?」
「はい、そうですが……」
「おれ、ライルってーの。よろしくな」

 ライルと名乗った少年は人懐こい笑みを浮かべ、手を差し出してきた。こちらとしては初対面だったが、余所者の俺たちの名前はどうやら村人の間では知られているらしい。
 やけに親しげな態度にやや戸惑いつつ差し出された手を握り返したところで、もう一度「ユーク様がどうかしましたか?」と聞いてみる。すると、ライルはぱっと表情を明るくした。

「さっき助けてもらったんだよ!」
「え?」
「おれ、盗みを疑われてて、盗んでないって言っても誰も信じてくんなくて、そこにユージン様が通りがかってさ。おれたちの話をちょっと聞いて、現場の様子見たら、すぐに解決しちゃったんだよ。結局盗みでも何でもなくて、ただの勘違いだったんだけどさー、勘違いで盗人扱いされちゃたまんないよな」

 ライルが早口に捲し立てるのを頭の中で咀嚼する。仔細はわからなかったが、ユーク様がライルを助けたということだけはなんとか理解した。理解はしたが、あのユーク様が? と信じられない気持ちが残る。

「んで、疑いを晴らしてくれたお礼をさせてほしいって言ったんだけど、断られちゃって」
「それでここまで?」
「うん。まあ、お礼に渡せるもんなんて全然ないんだけどさ、このままじゃ気が済まなくて。だってユージン様、まともに礼も言わせてくんないんだぜ?」

 ちぇ、とライルは拗ねたように唇を尖らせた。それは少し想像がつく。帰ってきた時のあの不機嫌な様子からしても、本人としてはライルを助けたのは不本意だったのかもしれない。だがら感謝もされたくないし、ライルにも素気ない態度をとる。
 その難儀な性格に呆れを感じていると、ユーク様の消えていったドアの向こうをぼんやり眺めながらライルが独り言のように呟いた。

「ユージン様ってクールでかっこいいよなぁ。さっきも一瞬で解決しちゃったしさー、冷静で頭も良くて、ちょっと近寄り難い雰囲気あるけど、そこも含めてかっこいいっつーか」
「そ……う、ですか」
「そうだよ! イリアを助けたことだって、全然恩に着せないって聞いたぜ? たった一人で森まで探しにいってさぁ、野犬も追い払って。すげぇかっこいいじゃん」

 きらきらと輝く瞳で熱く語るライルには申し訳ないが、なんだか全然知らない人の話をされているみたいで会話に身が入らない。話の内容は事実なのだが……、なんだろう、あの人をこんなに好意的に捉える言葉を未だかつて聞いたことがないせいだろうか。とにかく、ものすごく複雑な気分だ。
 ライルの言う“クール”は冷淡さと言い換えることができるし、近寄り難いのは他者を信頼していないからだし、謝礼を断るのはもらったところであの人にとっては無価値だからかもしれない。ライルの言葉を否定する言葉がすらすらと頭に浮かんできたが、さすがに純粋な少年の思いに水を差すことはできず俺は曖昧に相槌を打つことしかできなかった。

「うーん、やっぱこのまま礼をしないってわけにはいかねぇよな……。あのさ、ユージン様っていちご好きかな?」
「いちご、ですか?」
「そー。おれんちの農地で作ってんの。おれが渡せるのってそんなもんだけなんだけど……」

 そう言ってライルは不安そうに俺を見上げた。正直なところ、あの人がそれを受け取るかどうかはわからなかった。いちごが好きか嫌いかという話ではなく、ユーク様は農民の子供からの品を快く受け取るような人じゃないという話だ。少なくともこの村に来る前までの彼なら、絶対に受け取りはしないだろう。
 侯爵家嫡男であるユーク様の手元には彼の父に媚びへつらう人間から豪奢な品々が常に届いていた。平民には一生にひとつだって買えないような値段のそれをユーク様は簡単にゴミ箱に捨ててしまえるような人だ。
 だが、テレサの差し入れを食べるあの人は、イリアから花を受け取ったあの人は……。

「……きっと受け取ってくださると思います」
「ホントっ?」
「ええ」

 希望を込めての返事にライルは嬉しそうにはにかんだ。そして、「今度一番きれいで甘い粒厳選して持ってくる!」と言って軽い足取りで帰っていった。
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