千年前失恋して引き籠りの魔女になったので、今度は殺してくれませんか?

潮 雨花

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皇帝クリストフェル

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 皇帝が待つという部屋は、大きな扉の向こう側にあった。
 中は意外と簡素で狭く、部屋にはびっしりと本が詰め込まれた本棚と、大きな執務机と椅子しかない。
 そしてその椅子に座る皇帝は、少女の見た目と大して歳の差がないであろう少年だった。
「初めまして、僕はクリストフェル。気やすくフィーと呼んでね」
 ニコニコと微笑む彼は、銀色の髪と紫色の瞳を持つ、線の細い美少年だった。
 国を任せられているとは思えない年齢に見えるが、少女は彼を凝視し、そして目を細めた。
「あなたも、相当の魔力持ちなのですね」
 魔力を持つ人間は肉体の成長速度が遅い傾向にある。この少年も、その類だとすぐに分かった。
「やはり魔女殿は本物だね。あなたの目には皆が見る以上に僕が子供に見えるかな? そこにいるデュクスなんて、赤子も同然でしょう」
 背後に立つデュクスを一度振り返り、少女は小さく笑った。確かに長い時を生きてきた彼女にとって、二十代前半くらいのデュクスは赤子も同然だ。
 そしてそれは彼も同じなのだろう。
 自分だけ時間に取り残される虚しさを、彼は知っているのだ。
 だがそれについて議論するほど親しくもない。
 少女は彼の質問を無視し、クリストフェルへ問いを投げかけた。
「あなたは、私をいつからご存じなのかしら」
 少女はまだ、自分がどれだけの歳月眠っていたのかを知らない。
 クリストフェルが少女と同じく長い時を生きているのであれば、その謎もすぐに解けるはずだ。
「僕が生まれたのはあなたが眠りについてから二百年後のことだ。それから八百年、あなたのことは気になってたんだ」
 知りたかったことを、クリストフェルはすぐに教えてくれた。
(千年も……)
 千年も経っていれば、やはりあの青年は既にこの世にはいないだろう。
 自分で否定していながら、彼の生存をまだ諦めきれていなかった己の心に、少女は自嘲する。
「僕はあなたのことを、何て呼べば良いんだろう? デュクスから名がないと聞いているけど」
「――闇の魔女と、そう呼べば良いわ」
「ちょっと長くない? あなたが生きた時代はそれでよかったかもしれないけど、最近は愛称って言って、親しみを込めて名前を短くして呼び合うのが流行ってるんだよ」
「なら、魔女と」
 呼び方などどうでもいい。
 どうせほとんど顔を合わせないはずだ。
 名など、呼ばれる存在がいなければ意味をなさない。
 闇の魔女としても、名を持つなどあってはいけないことだ。
 それが闇の魔女としてこの世界に生まれた、少女の存在を意味するのだから。
「そう、あなたがそれを望むのなら、魔女殿って呼ばせてもらおうかな」
 顔に張り付いている笑顔はそのままに、クリストフェルは声を弾ませた。
(――嫌な笑顔……)
 敢えて子供っぽく見せているのか、ただ本心を隠しているだけなのか、クリストフェルの笑顔の裏には毒々しいものが滲んでいた。
 八百年も生きていれば、色々経験しただろう。
 人とは違う時を外の世界で生きた彼は、地下牢でひとり生きてきた少女よりも酷い人生を歩んできたのかもしれない。
 人間の身体で長く生きれば、それだけ色々なものが歪んでいく。
 クリストフェルはその手本のように少女の瞳には映っていた。
「じゃあ魔女殿。僕はあなたに、この国で自由に暮らしてほしいと思ってるんだけど、あなたはどうしたい?」
「自由に……?」
 皇帝である彼の言葉に、少女は疑いの眼差しを向けた。
 何を企んでいるのだろう、と腹の内を覗こうとしたが、顔に張り付いた笑顔からは何も読み取れない。
「あなたは僕と同じ存在だからね。もしかしなくても、長い付き合いになると思うんだ。せっかく外に出てきたんだし、好きにしたらいいよ」
「……この国を滅ぼしても良い、ということ?」
 少女の言葉に、室内がピキッと凍り付いた。
「私がそういう存在であると知りながら、野放しにするということはそういうことよ」
 闇の魔女は滅びの象徴だ。
 それを知らない無垢な子供ではないはずである。
「僕たちがあなたを起こしてしまったこと、やっぱり怒っているのかな?」
 クリストフェルから、やっと笑顔が引っ込んだ。
 真っすぐに見つめてくる紫色の瞳にはしかし、怒りや憎悪、絶望や恐怖の色はない。
 その瞳に宿っていたのは、悪戯がバレた子供のような反省の色だった。
「怒っては……いないけど」
 この国の人間は、少女の想像しない反応ばかりする。
 純粋なのか、それともただの馬鹿なのか。その判別がとてつもなく難しい。
(人と接するって、こんなにも難しいものなの?)
 予想できない反応をされると、こちらもどうしていいかわからなくなる。
 つい助けを求めるように背後のデュクスを振り返ってしまうくらい、少女は狼狽していた。
「陛下。レディが困っておいでです」
 デュクスと目が合うと、彼は意外にも助け船を出してくれた。
「うん?」
 困っているのはこちらの方だ、と言いたげなクリストフェルへ、デュクスは「恐れながら」と言い置き続けた。
「レディは陛下を試しただけなのでしょう。それを真面目に捉えられ、レディは困っています」
 少女の気持ちを正しく代弁したデュクスに、クリストフェルは「へぇ」と目元を細めて頬杖をついた。
「そうか、僕は試されたのか……。そんなことをしてくる人間、ここ六百年くらいいなかったからうっかりしていたよ」
 ゾクリとするほど冷たい笑顔を浮かべたクリストフェルに、ようやく少女はホッと胸を撫でおろした。
「あなたこそ、私を試しているじゃない」
 無駄に愛想良くしたかと思えば、途端に本性を曝け出す。
 それは彼が歩んだ人生経験から築き上げられた処世術なのだろう。
 馬鹿にされたものだ、と少女は小さく微笑んだ。
「私の前で感情を隠したりする必要はないわ。あなた方が何をしても、私は何もしないから」
「何もしないって、どういうことだろう?」
「言葉のままよ。私をどんな風に扱おうとも、私はそれで何か事を起こしたりはしないわ。――あなたたちにも、何の期待もしていないもの」
「『あなたたちにも』……か」
 クリストフェルは少女の言葉を反芻した後、しばらく黙り込んでしまった。
 その様子を、少女は黙って見守っていた。
 彼がどんな答えを出すのかを、じっくりと待ち続ける。
「…………」
「…………」
 長い間、静寂で包まれた室内の沈黙を、ある瞬間、クリストフェルが手をパン、と叩いたことで破った。
「よし! 僕はこれからあなたのことを『姉様』って呼ぶことにするよ」
「……………は?」
 何をどうしたらそういう結果になったのか、まるでわからない。
 会話の前後が全く繋がっていない。
 呼び方云々の話はとっくに終わっているはずだ。それを、今この瞬間、考えていたというのか。
(なんなの? この子……)
 幼い子供のような突飛な発想についていけない。
「今日から僕はあなたを姉だと思うことにするってこと! 昔、僕にも姉がいたんだけどね、もう死んでしまったし。お互いもう家族なんていないでしょ? 良い考えだと思うんだ」
「――……どの辺が良い考えなのかわからないわ」
「だから、お互い家族だって思えば自分を偽る必要なんてないだろう? でも結婚っていうのは姉様を縛りすぎるし、これから長い付き合いをするなら、家族の方がいいと思って」
「……家族、ね……」
 クリストフェルは、そういう人たちに囲まれて生きた時代があったのだろう。家族の絆で結ばれ、自分を偽ることなくすべてを曝け出していた時代を思い出して、彼と似た境遇にある少女をその輪に引き入れようとしている。
 それが彼の考える、人知を超えた魔力をもつ少女との和平の証なのだろう。
「私を幽閉してもいいし、隷属に下れと命じても怒らないと言っているのに、本当にそれを望むの?」
 感情の籠らない口調でそう尋ねると、クリストフェルは目をぱちくりさせてにっこりと微笑んだ。
「自分より力の強いあなたをどうして冷遇できるっていうの? 僕はあなたの国の馬鹿な人間どもとは違うよ」
 言葉の端々に棘がある言い方だ。既に彼の中で少女は「姉」であり、「家族」と認識しているのだろう。
 強力な魔力をもつ人間を自分たちの都合で一方的に虐げた顔も知らない人間たちに憤りを覚えているようだった。
 笑顔を浮かべる瞳の中に、ここにはない者たちへ向ける憎悪の念が見える。
「この国にも、姉様に害為す者たちがいるかもしれない。そのときは我慢しないで、そこのデュクスに教えてやってね。ちゃんと、僕が直々に手を下すから」
 無邪気な笑顔の裏に残忍かつ狂暴な本性が見え隠れする。
 彼は一度懐に入れた者を異常なまでに守る危うい部分があるのだろう。
 きっと元々純粋なのだ。彼の狂気的な発想は長い時を生き過ぎたせいだ。
(あと数百年もすれば、それも無意味だとわかるだろうけど……)
 千年以上生きた少女にはわかっている。
 そしてそれを教え説くことが無駄であることも。
 
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