千年前失恋して引き籠りの魔女になったので、今度は殺してくれませんか?

潮 雨花

文字の大きさ
3 / 44

皇帝クリストフェル




 皇帝が待つという部屋は、大きな扉の向こう側にあった。
 中は意外と簡素で狭く、部屋にはびっしりと本が詰め込まれた本棚と、大きな執務机と椅子しかない。
 そしてその椅子に座る皇帝は、少女の見た目と大して歳の差がないであろう少年だった。
「初めまして、僕はクリストフェル。気やすくフィーと呼んでね」
 ニコニコと微笑む彼は、銀色の髪と紫色の瞳を持つ、線の細い美少年だった。
 国を任せられているとは思えない年齢に見えるが、少女は彼を凝視し、そして目を細めた。
「あなたも、相当の魔力持ちなのですね」
 魔力を持つ人間は肉体の成長速度が遅い傾向にある。この少年も、その類だとすぐに分かった。
「やはり魔女殿は本物だね。あなたの目には皆が見る以上に僕が子供に見えるかな? そこにいるデュクスなんて、赤子も同然でしょう」
 背後に立つデュクスを一度振り返り、少女は小さく笑った。確かに長い時を生きてきた彼女にとって、二十代前半くらいのデュクスは赤子も同然だ。
 そしてそれは彼も同じなのだろう。
 自分だけ時間に取り残される虚しさを、彼は知っているのだ。
 だがそれについて議論するほど親しくもない。
 少女は彼の質問を無視し、クリストフェルへ問いを投げかけた。
「あなたは、私をいつからご存じなのかしら」
 少女はまだ、自分がどれだけの歳月眠っていたのかを知らない。
 クリストフェルが少女と同じく長い時を生きているのであれば、その謎もすぐに解けるはずだ。
「僕が生まれたのはあなたが眠りについてから二百年後のことだ。それから八百年、あなたのことは気になってたんだ」
 知りたかったことを、クリストフェルはすぐに教えてくれた。
(千年も……)
 千年も経っていれば、やはりあの青年は既にこの世にはいないだろう。
 自分で否定していながら、彼の生存をまだ諦めきれていなかった己の心に、少女は自嘲する。
「僕はあなたのことを、何て呼べば良いんだろう? デュクスから名がないと聞いているけど」
「――闇の魔女と、そう呼べば良いわ」
「ちょっと長くない? あなたが生きた時代はそれでよかったかもしれないけど、最近は愛称って言って、親しみを込めて名前を短くして呼び合うのが流行ってるんだよ」
「なら、魔女と」
 呼び方などどうでもいい。
 どうせほとんど顔を合わせないはずだ。
 名など、呼ばれる存在がいなければ意味をなさない。
 闇の魔女としても、名を持つなどあってはいけないことだ。
 それが闇の魔女としてこの世界に生まれた、少女の存在を意味するのだから。
「そう、あなたがそれを望むのなら、魔女殿って呼ばせてもらおうかな」
 顔に張り付いている笑顔はそのままに、クリストフェルは声を弾ませた。
(――嫌な笑顔……)
 敢えて子供っぽく見せているのか、ただ本心を隠しているだけなのか、クリストフェルの笑顔の裏には毒々しいものが滲んでいた。
 八百年も生きていれば、色々経験しただろう。
 人とは違う時を外の世界で生きた彼は、地下牢でひとり生きてきた少女よりも酷い人生を歩んできたのかもしれない。
 人間の身体で長く生きれば、それだけ色々なものが歪んでいく。
 クリストフェルはその手本のように少女の瞳には映っていた。
「じゃあ魔女殿。僕はあなたに、この国で自由に暮らしてほしいと思ってるんだけど、あなたはどうしたい?」
「自由に……?」
 皇帝である彼の言葉に、少女は疑いの眼差しを向けた。
 何を企んでいるのだろう、と腹の内を覗こうとしたが、顔に張り付いた笑顔からは何も読み取れない。
「あなたは僕と同じ存在だからね。もしかしなくても、長い付き合いになると思うんだ。せっかく外に出てきたんだし、好きにしたらいいよ」
「……この国を滅ぼしても良い、ということ?」
 少女の言葉に、室内がピキッと凍り付いた。
「私がそういう存在であると知りながら、野放しにするということはそういうことよ」
 闇の魔女は滅びの象徴だ。
 それを知らない無垢な子供ではないはずである。
「僕たちがあなたを起こしてしまったこと、やっぱり怒っているのかな?」
 クリストフェルから、やっと笑顔が引っ込んだ。
 真っすぐに見つめてくる紫色の瞳にはしかし、怒りや憎悪、絶望や恐怖の色はない。
 その瞳に宿っていたのは、悪戯がバレた子供のような反省の色だった。
「怒っては……いないけど」
 この国の人間は、少女の想像しない反応ばかりする。
 純粋なのか、それともただの馬鹿なのか。その判別がとてつもなく難しい。
(人と接するって、こんなにも難しいものなの?)
 予想できない反応をされると、こちらもどうしていいかわからなくなる。
 つい助けを求めるように背後のデュクスを振り返ってしまうくらい、少女は狼狽していた。
「陛下。レディが困っておいでです」
 デュクスと目が合うと、彼は意外にも助け船を出してくれた。
「うん?」
 困っているのはこちらの方だ、と言いたげなクリストフェルへ、デュクスは「恐れながら」と言い置き続けた。
「レディは陛下を試しただけなのでしょう。それを真面目に捉えられ、レディは困っています」
 少女の気持ちを正しく代弁したデュクスに、クリストフェルは「へぇ」と目元を細めて頬杖をついた。
「そうか、僕は試されたのか……。そんなことをしてくる人間、ここ六百年くらいいなかったからうっかりしていたよ」
 ゾクリとするほど冷たい笑顔を浮かべたクリストフェルに、ようやく少女はホッと胸を撫でおろした。
「あなたこそ、私を試しているじゃない」
 無駄に愛想良くしたかと思えば、途端に本性を曝け出す。
 それは彼が歩んだ人生経験から築き上げられた処世術なのだろう。
 馬鹿にされたものだ、と少女は小さく微笑んだ。
「私の前で感情を隠したりする必要はないわ。あなた方が何をしても、私は何もしないから」
「何もしないって、どういうことだろう?」
「言葉のままよ。私をどんな風に扱おうとも、私はそれで何か事を起こしたりはしないわ。――あなたたちにも、何の期待もしていないもの」
「『あなたたちにも』……か」
 クリストフェルは少女の言葉を反芻した後、しばらく黙り込んでしまった。
 その様子を、少女は黙って見守っていた。
 彼がどんな答えを出すのかを、じっくりと待ち続ける。
「…………」
「…………」
 長い間、静寂で包まれた室内の沈黙を、ある瞬間、クリストフェルが手をパン、と叩いたことで破った。
「よし! 僕はこれからあなたのことを『姉様』って呼ぶことにするよ」
「……………は?」
 何をどうしたらそういう結果になったのか、まるでわからない。
 会話の前後が全く繋がっていない。
 呼び方云々の話はとっくに終わっているはずだ。それを、今この瞬間、考えていたというのか。
(なんなの? この子……)
 幼い子供のような突飛な発想についていけない。
「今日から僕はあなたを姉だと思うことにするってこと! 昔、僕にも姉がいたんだけどね、もう死んでしまったし。お互いもう家族なんていないでしょ? 良い考えだと思うんだ」
「――……どの辺が良い考えなのかわからないわ」
「だから、お互い家族だって思えば自分を偽る必要なんてないだろう? でも結婚っていうのは姉様を縛りすぎるし、これから長い付き合いをするなら、家族の方がいいと思って」
「……家族、ね……」
 クリストフェルは、そういう人たちに囲まれて生きた時代があったのだろう。家族の絆で結ばれ、自分を偽ることなくすべてを曝け出していた時代を思い出して、彼と似た境遇にある少女をその輪に引き入れようとしている。
 それが彼の考える、人知を超えた魔力をもつ少女との和平の証なのだろう。
「私を幽閉してもいいし、隷属に下れと命じても怒らないと言っているのに、本当にそれを望むの?」
 感情の籠らない口調でそう尋ねると、クリストフェルは目をぱちくりさせてにっこりと微笑んだ。
「自分より力の強いあなたをどうして冷遇できるっていうの? 僕はあなたの国の馬鹿な人間どもとは違うよ」
 言葉の端々に棘がある言い方だ。既に彼の中で少女は「姉」であり、「家族」と認識しているのだろう。
 強力な魔力をもつ人間を自分たちの都合で一方的に虐げた顔も知らない人間たちに憤りを覚えているようだった。
 笑顔を浮かべる瞳の中に、ここにはない者たちへ向ける憎悪の念が見える。
「この国にも、姉様に害為す者たちがいるかもしれない。そのときは我慢しないで、そこのデュクスに教えてやってね。ちゃんと、僕が直々に手を下すから」
 無邪気な笑顔の裏に残忍かつ狂暴な本性が見え隠れする。
 彼は一度懐に入れた者を異常なまでに守る危うい部分があるのだろう。
 きっと元々純粋なのだ。彼の狂気的な発想は長い時を生き過ぎたせいだ。
(あと数百年もすれば、それも無意味だとわかるだろうけど……)
 千年以上生きた少女にはわかっている。
 そしてそれを教え説くことが無駄であることも。
 

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない

柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。 バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。 カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。 そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。 愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【完結】ありのままのわたしを愛して

彩華(あやはな)
恋愛
私、ノエルは左目に傷があった。 そのため学園では悪意に晒されている。婚約者であるマルス様は庇ってくれないので、図書館に逃げていた。そんな時、外交官である兄が国外視察から帰ってきたことで、王立大図書館に行けることに。そこで、一人の青年に会うー。  私は好きなことをしてはいけないの?傷があってはいけないの?  自分が自分らしくあるために私は動き出すー。ありのままでいいよね?