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金色
しおりを挟む「それじゃ」
クリストフェルの部屋のドアが閉まったのと同時に、少女はデュクスに背を向けて歩き出す。
これから仕事がある彼はここに残るが、少女は特にここに残る理由もない。
だから帰ろうとした。
瞬きの間に、デュクスの屋敷に居るはずだった少女はしかし、闇の中にいた。
「え……?」
バッ、と振り返るが、広がるのはどこまでも深くどこまでも黒い、闇だ。
「…………」
少女は金色の腕輪に無意識に触れていた。それをギュッと握りしめ、この闇の中から出ようと試みる。
「なん……で……」
少女は、闇の中から出られなかった。
こんな事、初めてだ。
茫然と立ち尽くしていると、ひたり、ひたりと、何かが闇の奥からやってくる音が、少しずつ近づいてきた。
少女は瞠目し、そしてすぐに己の魔力でそれを追い払おうとする。
しかし――。
長い縄のようなものが闇の中から伸びて、少女の手に絡みついて来た。
それに触れられた瞬間、少女は身体を硬直させる。
魔力が使えない。
少女は『黒い何か』を振り払い、金色の腕輪を胸元で抱きしめる。
(いや……、いや、いや! 助けて……!!)
心の中で叫んだとき、少女の金色の腕輪が眩い光りを放つ。
『黒い何か』はその光に晒されるのを嫌がり、奥の方へと去っていく。
それを気配で感じた少女はそれと同時に、鈴の音を聞いた。
リン、リリン。
少女の身体が、光りに包まれていく。
眩しくて、目を開けていられなくて。
ギュッと瞼を閉じると、不意にその光が和らいだ。
そっと目を開ける。
「――だ、れ……?」
少女の前には、金色の何者かがいた。
その何者かは、手にスズランの花を持っている。
『――ィ』
「え……?」
『リ――ィ』
「なに……?」
スズランの花が、リンリン、と鈴のような音を奏でる。それを持つ長い指に、少女は見覚えがあった。
恐る恐る顔上げる。
懐かしい騎士服。
金色の髪。
気難しそうな吊り上がり気味の深い水面のような青い瞳。
『――リリィ……』
記憶の中の青年が、立っていた。
『リリィ・ベル……』
彼は、少女が知るスズランの別の名を口にする。
そう、記憶の中の青年は、この花を『リリィ・ベル』と呼んでいた。
「…………」
目の前に立つ淡い恋を抱いた青年を前に、少女は何も言い出せない。
彼は、困ったように微笑んでいた。
そして彼は、手を伸ばしてくる。
少女の頬に触れるか触れないかの位置で、その動きが止まる。
「…………」
『…………』
長い事、見つめ合っていた。
青年は困ったような笑みを浮かべたまま、少女は今にも泣きそうに瞳を潤ませて、ただ見つめ合う。
最初に口火を切ったのは、少女だった。
「――私のこと、恨んでいたの?」
『…………』
「私のこと、殺したいほど……憎んでた?」
『…………』
青年は困ったような笑みを崩さない。
これは少女の中に眠る記憶の欠片だ。
何を尋ねても、彼が答えるはずがない。
そうとわかっていても、少女は尋ねずにはいられなかった。
「私は――……、ずっと死にたかった」
『…………』
「私……、あなたになら、殺されてもよかったのに……」
最期の瞬間を彼の手で終えられたなら、どれほど幸せだっただろう。
憎まれていたっていい。
疎まれていたっていい。
この青年に自分の想いと同じ気持ちを返してほしいとは思わない。
だがせめて、この気持ちを抱いたまま葬ってもらえていたら、少女は愛しい小さな恋心を胸に抱き、何の未練もなく長すぎるこの生を終わらせることができたのに。
「どうして、そうしてくれなかったの……?」
少女の方から手を伸ばす。すると青年は、そんな少女を抱きしめた。
これは覚えている。
彼が、初めて少女を抱きしめてくれたときの記憶だ。
『ここから、出たいとは思わないか?』
青年が尋ねてくる。
地下牢に捕らわれていた少女は、あのとき『ここが私の居場所だから』と答えた。
『どうか、希望を捨てないでくれ。あなたは自身のことを闇の魔女だというが、私にはあなたが、普通の少女にしか見えない』
黒髪に黒い瞳。闇に属する者を意味する色を持ちながら、少女は穢れを知らない可憐な乙女だ。
何百年もの歳月をただひとり、地下牢で過ごした少女は、ゆっくりと年齢を重ねていくものの『魔女』と呼ぶには、あまりにも純粋で無垢だった。
『私は――』
青年は突き飛ばすようにして少女から身体を離す。
彼の双眸は、悲し気に揺れていた。
おおよそ、憎まれていた、とは思えないその瞳に、少女は思わず手を伸ばそうとする。
だがその手は、彼には届かなかった。
強い力で身体を引っ張られ、少女は闇の中から引きずり出された。
「大丈夫か!!」
ハッとして、いつの間にか閉じていた瞼を押し開ける。
少女は、城の廊下にいた。
両腕を捕まれていた少女は、身体が密着しそうな距離にいる彼を見上げる。
「あ………」
「大丈夫か? 私が誰か、わかるか」
尋ねられ、彼が記憶の中の青年ではなく、デュクスであることに遅れて気づく。
彼だと気づいた瞬間、少女の瞳から一筋の雫が零れ落ちた。
「え……?」
ポロポロと、止めどなく少女の瞳から涙が溢れ出す。
何故自分が泣いてるのかわからず、少女は手の平で涙を拭いながら狼狽する。
「……別の場所に行こう」
デュクスの手が、少女の金色の腕輪に触れる。
そして瞬きをひとつの後、見慣れない場所へと転移させられた。
細い肩を抱かれ、彼に促されるままソファに腰を下ろす。
涙が止まらなくてされるがままそれに従っている少女の隣に、デュクスも腰かけた。
「何があったんだ?」
ふるふる、と少女は頭を左右に振る。
何でもない、そう言いたかったのに、声が出ない。
「私に、助けを求めただろう」
言いながら、デュクスの指が少女の腕輪を撫でる。
「これは、私とあなたを繋ぐための魔道具だ。いやだと、助けてと、そう叫ぶあなたの声がした」
「…………」
「一体、何があったんだ?」
両手で涙を拭い続ける少女の手を、デュクスがやんわりと払い、代わりに彼の指が少女の目尻から流れる涙を拭っていく。
「私には、言いたくないか?」
寂しそうな瞳に見つめられ、少女は唇をきつく引き結ぶ。
「私では頼りないか」
「…………」
「誰かに話すことで楽になったり、改めてわかったりすることもある。どうか逃げないで、話してほしい」
優しい、どこまでも優しい慈しみの籠った眼差しが、少女を包み込んだ。
その瞳に見つめられてるうちに、涙もおさまっていく。
「――屋敷……」
まだ震えてしまう声で微かに呟くと、彼は同じ言葉を繰り返した。
「屋敷……に、戻ろうと……したら……」
目の前は真っ暗な空間だった。
あれは少女がいつも籠っている空間で、だが今回は意図せずそこへ転移してしまった。
少女はかいつまんで闇の中で起こったことをデュクスに途切れ途切れ話した。
一度は躊躇っていたのに、一度声に出してしまったら言葉は意外とあっさり唇から零れ落ちていく。
「…………」
デュクスは少女の話に耳を傾けながらも、何か考え込んでいる。
彼には記憶の中の青年とのことは言わなかった。
知られたくなかった。
あの青年の存在を話してしまったら、あの青年に恋していた気持ちを知られてしまいそうで。
それがなぜか、嫌だった。
「しばらくの間、魔力は使わない方が良いんじゃないだろうか?」
「……どうして?」
「原因はわからないが、魔力のコントロールができなくなりつつある、ということだろう。原因がわかるまでは使わない方が良い」
「…………」
彼の言う通りだ。
こんなことは初めてで、少女もどうしたらいいのかわからない。
またあの闇の中へ行ったら、二度と戻ってこられないかもしれない。
それだけならまだいい。
もしそうなってしまったら、あまりよくないことが起こるような、そんな予感がした。
「――そうするわ」
素直にデュクスの提案を受け入れ、少女は彼に屋敷に転移してもらった。
部屋に戻り、少女は寝台の上に腰を下ろし、身体を横たえる。
寝台の上に広がった黒髪が、窓から射し込む太陽光の光りに照らされて艶やかに輝いた。
その光を避けるようにして、少女は寝返りを打つと、不自然に短くなった髪がその拍子に頬にかかる。
ゆっくりと流れる時を、少女は寝台の上で過ごした。
瞼を閉じても、この身体は睡眠を必要としていないため、眠ることもできない。
あの闇の世界ではないと、少女は眠ることができない。
『姉様が千年の眠りについた本当の理由を、姉様は忘れてる』
不意に、クリストフェルに言われた言葉を思い出した。
「私が、眠りについた理由……」
地下牢に居た頃、少女はそこで時が流れていくのを待っていた。
けれどあの青年との別れが辛くて、今までのように時を過ごしていることができなくなって、少女はあの闇を作り出した。
「あの人が、いなくなったから……」
今日が最後だと言って、青年は地下牢にやってきた。
『お別れです。魔女よ』
口元に笑みを浮かべていたあの青年の突然すぎる別れの言葉。
どうして、と尋ねることは簡単だった。
だが、聞けなかった。
『今までありがとうございます。騎士様』
あぁもう会えないのか。
そう思った時、自然と唇から零れたのは感謝の言葉だった。
彼からは多くのことを学んだ。
外の、彼が経験した色々な話を聞いて、そんな時間が楽しかった。
その気持ちだけは、伝えたかった。
わざわざ地下牢に通って、闇の魔女の話し相手をしてくれた彼にできるお礼など、そのくらいしかなかった。
だから少女は、出来る限りの笑顔を作った。
すると青年の顔から、笑顔が消えて――。
「え……?」
少女は、そこで記憶が途切れていることに気が付いた。
「そのあと、どうなったんだっけ……?」
その後に続くのは、自分が作った闇の世界に閉じこもり、彼のことばかりを思い返していた頃の思い出ばかりだ。
「私、大切なことを、忘れてる……?」
もう千年以上も前のことだ。
記憶も曖昧で、忘れていることがあっても今まで気にしていなかった。
それに気づいてもいなかった。
「なんだろう……」
忘れている、という感覚ではなく、そこだけ綺麗になくなっているような、そんな違和感を覚える。
『たぶん、あの手記に込められた呪いのせいだろうけど』
クリストフェルは、記憶の中の青年が残したという手記には、呪いが掛かっていると言っていた。
どんな類の呪いなのかはわからない。
だが、少女の記憶を消すくらいには、強力な呪いなのだろう。
「…………」
少女は考え込んだ。
彼が残した手記に秘められた何かが、気になる。
セルジュの手にあるという手記には、少女が知らなければならない、思い出さなければならない記憶も、閉じ込められているのではないだろうか。
だからセルジュは、今回の件を引き起こし、少女を誘き出そうとしている。
そう考えれば、恐らく犯人であろうセルジュが、あの仔猫を媒介にメアリーに呪いをかけたのは、少女に対する忠告なのでは、と予測ができた。
早く来ないと、身近な誰かをまた狙う、と。
きっとクリストフェルもそれに気づいている。
だから呪いを受けたメアリーを前に、少女が何もしなかったと、そんなこと意味がないのだと、セルジュに無言の圧力をかけたがったのではないだろうか。
「でも、そうだとしても……」
メアリーがダメならば、他の誰かを襲うだろう。
方法はわからないが、その可能性は高い。
「こんな時に……」
魔力が不安定なときにこんな問題を抱えるなんて、何て不運なのだろう。
だがもし、それすらも計算していたとしたら……。
「ッ……!」
少女は寝台から起き上がり、部屋を飛び出した。
胸騒ぎがする。
理由はわからないが、今すぐデュクスの元へ行けと、心の中の誰かが、そう囁いた気がした。
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