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第一部 六章 オーブを求めて
不穏なノルド
しおりを挟むノルド町のとある喫茶店で二人の男が話をしている。
一人は黒いローブを着ており、フードを深く被っているため顔もほとんど見えない怪しい男。
もう一人は両袖が肩で破れている白い道着を着ている筋肉質な男。
小洒落た喫茶店に似合わない二人の男には、物珍しさからか店内に居る人間の視線が多少集まっていた。しかし会話までは聞こえていないらしい。
「本当にいいのかア? 一時期は格闘技の天才とまで謳われたナクウルさんともあろうお方が、気でも触れたんじゃあねえのオ?」
「ふん、貴様には分からんだろう。奴は格闘家を侮辱している。このままでは神聖な大会が奴の金儲けの餌と化してしまう……いや、既にそうなっている」
白い道着の男、ナクウルが険しい表情で告げ終わったタイミングで、店員が「お待たせしましたー」と注文された品を持って来る。
丸いテーブルに置かれたのは丸まったチーズと魚の刺身が串に刺さっている料理。黒ローブの男は店員が離れないうちに早速串を持ち、自身の口へと連続で刺さっているチーズや魚を入れて飲み込む。
「あーわりーんだけどもう一本同じの貰えるかア? これ結構美味いから」
店員は笑顔で「かしこまりました」と返事をして厨房へ戻っていく。
「いやア、奢りで助かったぜエ。つーかお前何も食わねえのかア? せっかく来たんだから少しは頼めよ。頼まなかったらもう客じゃねえだろうがア」
「俺はいい。そもそもこういった店自体好きではないしな」
この喫茶店で話をしようと決めたのは黒ローブの男であった。ナクウルは別に来たくて来たわけではない。
「ふーん……おっと話を戻すかア。で、だから殺すのかア?」
「ああいった金の亡者は懲りないだろう。早々に始末する必要がある。だが、俺の拳は誰かを殺すためのものではない」
「だから俺に声を掛けたってことだろ、そこら辺は聞いたからいいってのオ。……分かってるだろうなア? 約束だ、そいつを殺してやる代わりにお前の大切なモノを頂く」
「悪魔は願いを叶える時に代価を要求するというが、貴様は悪魔なのか?」
世界中の伝承、小説、絵本などでは悪魔がいつも代価を求める。
何かを楽して叶えたいというのなら、相応の対価がなければ叶わない。現実の厳しさを教えるような取引を悪魔はするという。黒ローブの男が持ち掛けたのはまさに悪魔の取引だ。
「いやいや、俺は人間だぜエ? ちっぽけな人間さア」
「ふん、どうだかな……。まあとにかく決行は明日、俺が奴を倒し、貴様がトドメを刺す。頼んだぞ殺人鬼」
そう告げたナクウルは席を立ち、店の入口へと真っ直ぐに向かう。
代金は先に払っているため問題ないので黒ローブの男も止めない。元々乗り気ではなかったのだから注文しないのもまあ仕方ない。強引に注文させることも出来たがナクウルの意思を尊重したのである。
「うわっ!? ちょっ、ちょっと待ちなさい! 謝りなさいよ!」
「あの体格、おそらく格闘大会の選手でしょうか。随分と人相が悪いですね」
店を出て丁度、ナクウルは誰かとぶつかったようだが謝らず、びくともしなかった大きな体を進ませてどこかへ行ったらしい。
ぶつかられた相手が「何よあいつ」と愚痴りながら入って来た。朱色の無袖上衣に上下逆向きの黒のスカーフ、短い赤髪の少女の姿に見覚えがあったため黒ローブの男は「ほう」と思わず呟く。
「こりゃまた、面白くなりそうだねエ」
黒ローブの男は不気味に笑いながら店を出て行った。
* * *
茜色の陽が町全体を照らす。
暇潰しのために外に出たセイムだが、未だにエビル達のことも、暇を潰せるようなものも見つけられていない。だが、面白いことを探しているセイムの耳に、突如として周囲の賑やかな声とは全く違う悲鳴が聞こえてくる。それが女性の声だったからかセイムは全速力で駆けて人だかりを見つけた。
人だかりを掻き分けるように進んでいくと男性が民家の壁にもたれかかっていた。胸の中心に細い刃物が貫通したかのような傷がある彼はすでに事切れている。
死神という種族から見てもその殺害は鮮やかなものであると理解できる。一撃で背後から串刺しにされたであろう刺し傷もそうだが、人目があるにもかかわらず堂々と殺して現場から素早く去る手際のよさだ。明らかに殺しに慣れている。
「死んでる……こんな時間にこんな場所でか、素人じゃねえな」
「お、おい、こいつ……コルスさんじゃねえか?」
人混みのなか、遺体となっている男のことが記憶に引っ掛かったものがいた。
オレンジ色のリストバンドとピアスをしている短髪の男。特徴を見れば、一人だけではなくほとんどの者に心当たりがあり、動揺して騒めき出す。
被害者が誰か分からないセイムは隣で驚いている男に話を聞くことにした。
「コルス……なあアンタ、コルスってのがこの男の名前なのか?」
「なんだお前知らないのか? 余所からきたってことか……この男、コルスさんはホーストさんって人と一緒に格闘大会で何回か優勝しているすごい人なんだ」
「そんな実力者がやられたってのか……」
ざわめく人混みのなかセイムは気になる怪しい人物を見つける。
黒いローブを着ていて、目元まで深くフードを被っている男。怪しすぎる見た目だがその怪しさで頭にあった憶測を確信に変化させる。
ポツリと「魔信教か」と呟いたセイムの言葉は誰の耳にも届かない。
「ねえ、コルスさんの近くに落ちてる紙、何だろう」
遺体の傍らに落ちていて、風で飛ばされそうになっている白い紙。
犯人の手がかりになるかもしれないそれを近くの女性が拾い上げ、書かれていた文字を見つめた後で不安気に隣の男性へと話しかける。
「……これに書いてあるのってもしかして大会に出る人間じゃない?」
「うわ本当だ、去年や一昨年に大会に出た実力者の名前だぞ」
「ま、まさかだけど、ここに書いてある名前の人を全員襲うつもりじゃないよね……」
「ホーストさん、ホーストさんに報告しないと!」
周囲にいた人間の行動は三つに分かれた。
一部の者達は灯台へと急ぎ、一部の者達は怖がりながら現場から離れていき、残りの者達はまだ見ていたいのか野次馬として現場から動かない。しかしその場にいたセイムのとった行動は三択のどれでもなく、魔信教のような服装をした人物の追跡だった。
全身黒づくめの怪しい男にバレないよう尾行していたセイムだが、人気のない路地裏に入っていく時にはもう違和感を抱いていた。明らかに誘われているとしか思えない進行方向だったので、もう気付かれていてもおかしくない。
背負っている大鎌がギリギリ通るような狭さの路地裏に入ったセイム。そしてある程度進んだところで全身黒づくめの男は口を開く。
「うんうんうんうん、もうバレている……誘い込まれたのに気付かない愚か者」
「……ちっ、まあ予想してたけどバレてたのかよ。でも俺は戦闘の方が向いてるからな、返り討ちにしてやるよ」
背の大鎌に手をかけて振ろうとしたセイムは道の狭さを改めて実感した。横幅が狭すぎて大鎌が思うように動かせず、壁に当たって引っかかってしまったからだ。
「ムリムリムリムリ、返り討ちなんてムリなんだよなあ。今度こそ黄泉の世界に送ってやる。安心しろよなあ、残りの連中もみーんなみーんな黄泉送りにしてやるんだからなああ」
「……ちょっと待て、その口調、声……お前」
男は黒いローブの中から両手で二本の刀を取り出して、思うように動けないセイムに振りかぶる。
「〈デスドライブ〉」
迫る刃を迎え撃つのではなく、セイムは死神としての身体能力を引き出して、大鎌を放してから左右の壁を蹴って上る。かなり素早い動きだったので迎撃も間に合わないと判断した結果だ。狭い路地では大鎌を振り回しづらく不利なため使えない。
「またまたまたまた、抵抗するんだなあ……! 俺は悲しいぞ、なーんで死を拒むんだ。黄泉の世界へ行って仲良く遊べばいいのになあ、エレナも喜ぶのになあ」
「お前、なんで生きて……スレイ! なんでお前が生きてんだよ!」
「俺だってよく分かったなあ、死神小僧の分際でよお。お手柄だなあ」
男はフードを上げて顔をセイムに見せつける。
縮れ毛の長髪、赤い瞳。確信していたが顔は以前戦ったスレイそのもの。殺したはずの人間がなぜ目前に出現しているのかセイムには見当もつかない。
人間は生き返らない。寿命以上には生きられない。だからこそ命に重みがある。
仮に蘇るとして、スレイが蘇ることだけは納得出来ない。セイムにとって仇でもある彼が平然と剣を振って来るのは何かがおかしい。我慢ならない。
「ちっ、何でお前が生き返る。何回生き返っても俺がぶっ殺す!」
『捜しているのは死んだ娘の婚約者でして。縮れ毛で、瞳の色は赤く、性格は気のいい青年でした。何よりもエレナの幸せを優先してくれた彼――スレイ君くらいはせめて生きていてほしい……』
スレイの後方に着地したセイムの頭に、メズール村で関わったズンダの言葉が唐突に過ぎる。このやらなければやられる状況下で甘いことを考えている場合ではないのは分かっている。だがやり辛そうな表情になり、動きも一瞬止まってしまう。
「どうしたんだあ? 戦意が削がれてるみたいだなあ」
好戦的なスレイが両手に持つ黒い刀を空へ掲げると、刀を黒炎が覆っていく。
黒い炎といえばセイムは話でしか知らないが邪遠だろう。少なくともスレイは以前こんな不気味な技を使ったことがない。
「なんだ、そりゃ……」
「黒く黒く黒く黒く、魔剣ダークフレイズ!」
茜色に染まっていた町が暗くなり始める。もう夜になりつつある時間だ。
黒炎は刀身全体を覆い、スレイが刀の先端を向けると溢れ出さんばかりの黒炎が路地裏を焦がし尽くす。黒炎が収まるとあちこち焦げついている路地裏に――セイムの姿はなかった。
「はいはいはいはい、いってらっしゃい……黄泉の国へ」
二本の刀をローブの中にしまったスレイは颯爽とその場を離れていく。
路地裏で起きた戦闘は誰一人気付く者がおらず、スレイはそのまま人混みに紛れて姿を晦ました。
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