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6 ~阿愁の秘密
しおりを挟む世にはすべての女人をときめかせる美貌をもつ男がいる。
眺めているだけで心臓のドキドキが止まらない。
(僕の心臓のドキドキも止まらない)
あまりにフツーでごめんなさいと己の容貌について心の中で両手を合わせ平謝りに謝っているのは、范将軍の副官である薛弼戈。
結婚願望の強いこの副官の口癖は『嫁さん欲しい』。
そして今、勤務中であるにもかかわらず弼戈が羨望の眼差しを向けているのは一人の青年。青年の職業は巫祝であり、范将軍の上役が国都に招聘した人物である。
霊符を駆使することを得意とする巫祝は優秀なだけでなく、たいへんな美形であった。
数日前のこと。
本当に天は二物を与えたのかと、ほとんどひがみで霊符書写の方法を尋ねてみた。
試しに訊いてみただけなのに、巫祝は、
『まず筆ですが二本用意します。霊符は墨と朱で書きますから。紙は霊符の活用に応じて用意し、硯は石質が湿潤であればまあよいでしょう。これらの文房四宝は、日常使いの道具として使用してはなりません。決して俗事には用いないようにします』
『……はあ、なるほど、です』
『このとき使用する水もいろいろです。草の葉に宿る朝露を用いたり、山間に湧き出る清水を用いたり。それぞれの水にも露水や湧水などと名がついているのですよ』
あまりに詳しい説明が返ってきたので後悔し、恥ずかしさもあって曖昧な返事になってしまったのに。巫祝は話上手なのか、言葉を砕いて丁寧に教えてくれた。
呪力のこめられたお札を、霊符という。この巫祝にとっては大切な仕事道具でもあるから秘密事項かと思ったのに、ヤな顔ひとつせず教えてくれて拍子抜けしたものだ。
顔のイイ男は気前もいい。負けたと弼戈は思った。
巫祝とは、様々な知識を蓄えた方術を駆使する者のことである。
遥か昔――大地に住む民は、天地から受ける計り知れぬ力〈自然災害〉をどうにか制御したいと考えていた。その結果、天文を識り暦法をつくり、祭祀や祈祷を行うことによって、天地の〝気〟を制御するようになっていく。そういった知識と技能の保持者が「巫祝」と呼ばれるようになっていった。
そうして自然と向き合い多くの学問を修めた巫祝の中から、やがて、仙人の駆使する仙術までも扱える術師が現れるようになる。
弼戈の目の前にいる青年がそうであり、歴史の経緯からみても能力が高すぎて自分と比較するのもおこがましく、うらやむしかない存在だった。
「あれ巫祝殿、お出かけですか? どちらへ?」
耳にすればほうっと安心してしまう、低い声が返ってくる。
「ええ、妓楼へ」
「それはそれは」
怪盗を惜しいところで逃してからはキラッキラした美貌を振りまきもせず、軍営内の与えられた室にひきこもっていたのに珍しい。
「いってらっしゃいませ」
見送りながら弼戈は、先日南衙禁軍の上役と接待した藍生楼を気に入ったのだろうと思った。
不思議話に遭遇すると、阿愁はどうしても放置できない。
正義感ではない。喉が渇いたから水を飲む、眠いから寝る、それらに似た本能的な欲望のようなものがはたらいてしまう。なんとなく、抗えないのだ。
不思議の話というものは、確かに起こった〝事実〟であっても常識や理性では信じられないものだ。現実離れした奇妙キテレツな出来事であり、首をつっこめば洩れなく危険がくっついてくる、なんてことも多い。それでもなお動いてしまうのは、ひとつには自分は大丈夫という自信があるからだった。
それは。
(常人には踏み越えられぬ一線を飛び越えている)
阿愁はそう思いながら、片手で左眼を押さえた。
(色の異なる目。ここには鬼が棲んでいるのだから)
阿愁が望めば鬼は出現する。願えば、忠実に動いてくれる。
幼い頃、『鬼を飼っていると思えばいい』と言ったのは兄である。
楽観的な兄らしい言葉だった。
(けれどまあ、そのお気楽さに救われてきたかしらね)
イロイロ問題のある左眼とは、深く考えずにこの歳まで付き合ってきた。たぶん、この先もそうだろう。生まれつきなのだから悩んだところでしようがない。努力したところで変えられないのだ。
(ただ、うざったいのは)
他人に詮索されること。
双眸の色について問われるのは避けたい。新たな客となった礼寿が苦手なのは、髪に隠している左眼を見られているような気がするからだ。彼自身、もっさり前髪のせいで目線が定まらないだけかもしれないが。礼寿と対話しているとじっとりした視線を感じて逃げだしたくなるときがある。
(訊かれたら、生まれつきと笑い飛ばすしかないだろうけど)
ここ数日のことをあれこれ考えながら歩いているうちに遊里の南曲に着いた。
酉の刻。この時季の、夜の始まる時刻。
阿愁は髪を結いあげ、闇に紛れる濃紺の袍衫で男装している。
「面倒事には時間をかけるな」
兄の言葉だ。責任感のない兄らしい言い方だが、今では阿愁もそのとおりだと思っていておまじないのように使っている。入り組んで込みいったことに長々とかかわっていてはいずれボロがでるもの。沈黙すべきひとつやふたつを抱えているならなおさらで、ついでに兄の秘密まで抱えているのだから。
「面倒事には時間をかけるな」
もう一度独り呟いて、阿愁は自己暗示をかけた。
《次回 阿愁の秘密 続き》
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