術師たちの沈黙

碧井永

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7 ~阿愁の秘密 続き

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 先日、聞きこみをした女衒ぜげんが言っていた。
『消える美丈夫は、そろそろ南曲で遊びはじめるんじゃないかね』
 中曲や南曲にはそこそこお金持ちの通う妓楼が並ぶ。
 高位にある官吏というものは、自分の邸に家妓や愛人をもっているのでわざわざ妓楼に通う必要がない。よって、中級以下の官吏や地方官吏、文人墨客、豪商などがこの辺りの得意客となる。
 客に合わせて妓女の教養も上がっていき、詩文の素養や歌舞音曲に優れた者が多く籍をおいている。身体からだは売らずに芸だけを売る、芸妓などもいた。
 女衒によれば、美丈夫は中曲もおおかた荒らした後だという。素韻そいんから得たときには北曲という情報だったが、素韻もはん将軍の副官が話しているのを立ち聞きしただけであり、人から人へと伝わるうちに情報の鮮度が落ちていたようだ。
 人は伝えられたものしか知らない。
 嘘か誠か、情報の質を見極めるにはやはり現地での聞きこみが一番なのだ。
 というわけで。
 男装中の阿愁あしゅうは今宵、南曲にやって来たのであるが。
 身につけているのは丸襟筒袖の袍衫ほうさんで、絹布でできている。まあまあお金持ちに見えないとマズいので、どこぞのボンボンですがなにかというテイにしていた。
(いないわね、なにやってんのよ美丈夫)
 南曲は格の高い妓楼が軒を連ねている。警備もそれなりに厳重になっているせいか、妓楼を端から順に回ってみたが荒らしている気配はなかった。もうグチるしかない。
 残るは一軒。藍生楼らんせいろうだ。
 ここは中級貴族や文人墨客の集う妓楼で、さながら教養人達の社交場の観を呈しているという。三階建ての建物は他の妓楼と同じように色とりどりの布で飾られて華やかではあるものの、派手さの中にも造りに趣がある。遊びながら芸術や学問を論じる場とはこういうものかと、阿愁は頷くと同時に、格式ばったところに場を荒らす美丈夫が来るのかと首をかしげてしまった。
 疑問はあれど、行くしかない。
(一見の客は断られるから)
 ほかでやったのと同じく、阿愁は裏へ回った。大きな妓楼には庭があるので、塀を乗り越え、まずは庭に忍びこむ算段をしている。入ってしまえば客のフリができるが、塀は人の身長を軽く越えているので女の身では体力的に忍びこむまでがたいへんである。
 しかし阿愁はフツーの女ではない。
 周囲は夜の闇に沈んでいる。
 時折、酔客の笑声や楽器の音が聞こえてくるものの、裏路地を歩く人はいない。
(集中しよう)
 呼吸を整えるために一度息を吐きだした。
 次に目蓋まぶたをおろし、そして目をみはる。
「出てきて碧水獣へきすいじゅう
 阿愁は左眼にむものに声をかける。命じるというよりは、お願いするといったほうが近い。付き合いが長いこともあって、見鬼師けんきし使役しえきするような主従関係ではなく、お友達感覚になってしまっていた。
 途端、微かな水煙とともに阿愁の腕の中に出現したのは白い仔虎である。
 成長しきっていない形態なので片腕で抱えられるが、おそらくは虎の妖怪である。上顎からは二本の牙がはえていて、四肢には水煙を纏っている。奇妙なことに、この水煙に触れても濡れないし冷たくもない。グゥオグゥオと唸り声をあげ、窮屈なところから解放されて伸びをするように顎を振っているさまは、ちょっと可愛くもあった。
 先程呼びかけた『碧水獣』が名字なまえである。
 阿愁の左眼が紺碧の色をしているのは、鬼の名字によるものかもしれないしまったく関係ないのかもしれない。
(鬼が出てきても瞳の色はそのままだし)
 左右で色の異なる双眸を思い出し、阿愁はパチリとまばたきをした。
 視線の先にいるのは仔虎の形をしているが、鬼だ。腕に顎をすり寄せている碧水獣を撫でてやると、モフモフの体から頭が上がる。阿愁を的確に捉えている両の目は、銀色。
「一晩に何度もごめん。これが最後だから。あたしを塀の中へ運んでくれるかな」
 わかった、というように碧水獣がグゥオと鳴く。
 この鬼は人語を解するが、しゃべらない。阿愁にはそれが残念であった。
(しゃべってくれれば相談もできるのに)
 鬼は自らのことを語りはしない。たとえ人が、鬼の存在と能力を認めていようとも。
 語らなくてもいいから、ひきこもりの話し相手になってくれればと阿愁は思う。せっかくひとつの身体を共有しているのだ、日々閉じこもっていても話しかけたいときだってあったりする。
(あれこれ説教されたらウザいだろうけど)
 わがままな考え事をしながら碧水獣を見下ろしているうちに、仔虎の体はどんどん大きくなっていき、重さも増した。両腕から飛びだして地に降り立ち、阿愁を軽々と背に乗せる。体重を感じさせない動きであり、虎本来のしなやかな律動美があった。
 今の碧水獣は阿愁が腰かけられるほどだが、最大で一般的な虎の三倍ほどになる。
 普通の虎とは異なる見た目をしているから、大きさがどれほどであれ、碧水獣と遭遇すれば人は悲鳴をあげて逃げだすだろう。
(束縛も支障もなく大きさが変わるなんて。いったいどんな仕組みなのか)
 よしよしと艶のある毛を撫でてやれば再び鬼はグゥオと喉を鳴らす。
 飛び越えますよという合図らしい。
 体が大きくなっているので、その分、辺りに響く咆哮も大きくなっているのだが、碧水獣は気がきくらしく、声を抑えているのがまた愛らしかった。

 無事、藍生楼の敷地に入った阿愁は庭の築山の影に隠れて様子をうかがっている。
 夜明けが近づいていた。
 美丈夫が荒らしているとしたら、そろそろトンズラする時刻だ。
(ここで遭遇できなければ日を改めなきゃならない。面倒だな)
 仔虎に戻った碧水獣を小脇に抱え、観賞用の池の辺りに向かってみた。散策できるよう板を張って木道が整えられている。夏になれば池には蓮の花が咲き乱れることだろう。
(さすがは格の高い妓楼、つくりが贅沢ね)
 生まれてこの方一度も入ったことはないが、貴族邸とはこんなカンジなのかと阿愁は首をめぐらせた。客も寝入ったのか、妓楼内は先程よりも静かになっている。
 しんと静まっている分、目に映る景色の色がどこか抜け落ちてしまったかのように感じる。全然知らない場所にいるのだと突きつけられた気がして、阿愁はそれなりに緊張した。
 その直後。
 抱えていた碧水獣が腕から逃れた。
 狭い木道に降り立ち、顎を上向けて夜空をうかがうようにしている。微かだが、髭と白い毛が揺れているように見えた。碧水獣は動かない。
(なに?)
 神経質になったと同時に、今度は前方から人が現れる。
 突然、ぬっと出現したのだ。まるでこの場所へ至る異界の道を歩いてきたかのように、なにもない暗闇から抜け出てきたのだった。
「風が怪しいと思ったんだけど。気のせいだったかなー」
 妙に間延びした声だった。男のものだ。
(風?)
 そういえば碧水獣の髭がそよそよと揺れていた。言われてみれば確かに、頬には雨期特有の湿った空気があたっている。だが、わずかな風だ。
 人影は視界に捉えているものの、男はまだ影に染まっていて、灯りの当たっている足許あしもとしかはっきりしない。革の長靴ちょうかを履いている、その足がゆっくりと近づいてくる。
 灯りは徐々に男の全身を浮きあがらせる。
 その姿形を見とめて阿愁はハッと息を呑んだ。
「美丈夫!」
 歳は自分と同じくらいだろうか。
 緩く波打つ茶色の髪はだらしなく垂らしたまま、甘さがムダに漂う目尻も垂れている。釣り灯籠のほのかな灯りであるにもかかわらず、受けて異様に輝く双眸は髪と同じに茶褐色。上背のある身体は蔓草文の捺染なっせん〈プリント〉された袍衫をまとっていて、いかにも遊び人ふうに革帯まで襟を折り返しているのが、なんとなくカチンときた。
 それはそれ、これはこれ、美丈夫は美丈夫であり顔や姿の立派な男である。
 阿愁は顔の美醜に頓着しないが明らかにそうとしか表現できなかった。
「ふーん、袍衫着てるのに男じゃないんだ」
 耳にすれば脱力してしまう男の声音は甘ったるい。
(うそ、バレた!?)
 さっきの一言で女と見抜いたのだろうか?
「お嬢さん、オレと恋の花を咲かせてみませんか?」
 会話に脈絡もへったくれもない。と、思う時間は与えられなかった。
 いつの間にやら男は距離をつめ、阿愁の両手を握ってぶらぶら揺すっている。
「え」
 二人の間には小型とはいえ碧水獣がいたはずだ。
 どこ行ったと目線を下げれば、碧水獣は男の片足にかじりついている。男は尋常でない獣を気にもとめていないらしい。
「さあ、お嬢さん。この花をどうぞ」
 その場で一回転した男の右手にポンッと一輪の紅の花が出現した。夾竹桃きょうちくとうらしいが、どこから取り出したのか阿愁にはサッパリわからなかった。
(雑技の演技者か)
 ヘンに感心しているうちに、またも男が距離をつめて阿愁の髪に花を挿す。
「陽に焼けていないお嬢さんの白い肌には、紅色がよく似合う」
(そうきたか)
 相手に思考する隙を与えない。――それが男のやり方なのだろう。
 心臓の音が聞こえるほどの至近距離で矢継ぎ早に口説くのは自分に夢中にさせるため。
 甘くささやいて心をとろかす。まずは視覚から攻めて、それから聴覚、触覚へと。
 女好きのする顔だ、優しく触れられれば女人は落ちる。
(なら、落ちなければどうでる?)
「おまえか」
 阿愁が声を鋭くすれば、粗野な中にも甘さを漂わせていた男の動きが止まる。
「妓女の記憶を失わせ、タダ飯食らってトンズラする。性悪男はおまえか」
 言葉で突き刺せば、男の片方の口角がにっとつり上がった。
「あーあ興ざめ。ぶち壊し。なんでそんなコト言っちゃうかなー無粋だなー」
「なら、認めるのね?」
「強気もそのへんにしとけば? オレ、趣味誘拐なんだけど。女人限定で」
「知ってる」
 阿愁が応じると、男の表情が固まった。感情が削ぎ落とされる、そんな音がするかのように。すとんと情動を消した。
(そんな顔もできるのか)
 阿愁は観察する。
 遊び人を装ってはいるが、常に知恵を巡らせている。思考力が高いのだ。
(その証拠に)
 男は初めて相手に違和感を覚えたらしい。違和感はそのまま己の誤りに直結する。
 間違えた、と認識したのだ。
 くっと苦々しく息をつめ、素早く視線を真下へ投げた。
 片足にかじりついているのは碧水獣だ。
「こいつ」
「鬼よ。おまえと同じ」
「鬼なのはわかってた。つか、あんた見鬼師じゃないだろ? 符籙ふろくに護られてないもんな」
 符籙とは、鬼の弱点となるお札であり、見鬼師であれば身につけている。
(そう)
 男――鬼は油断したのだ。
 対峙する者が見鬼師ではないと判断した。だからそばで虎の妖怪がうろうろしているのは〝とり憑かれている〟からだと考えた。虎の鬼を使役しているのではないのだと。
 相手を、虎の鬼にとり憑かれた哀れな女だと。
 弱い存在とみくびった。
「世にはね、召鬼法しょうきほうの執行者でなくても鬼と共にいられる者がいるのよ」
 召鬼法は鬼を強制する決まり事であり、この法に則って見鬼師は術を執行する。優秀な術師であれば鬼を意のままに使役することができ、これが役鬼やくきとなるのである。
 阿愁は見鬼師ではない。
 術師として修行していないから召鬼法を執行できない。
 見誤ったのは鬼の失敗だった。
「オレの妖術がかからないのは気になってたんだけど」
 にわかには信じられないのだろう。相手を量るように鬼が目をすがめている。
「目力で女人の抵抗力を奪うんでしょ」
「男の誘惑に鈍感なのかなって」
「失礼なっ」
 しかし鬼は立ちなおりが早い。
「ちっと試してみてもいい?」
 なにを、と訊くまでもない。
 阿愁は面倒だなと思うだけだ。
(この鬼、粘着系なのか打たれ強いだけか)
 などと眺めているうちに鬼は片足に碧水獣をぶら下げたまま大きく後方へ飛び退いた。
 なにをしているのか、両手の指の先に小さな光の玉のようなものを操っている。
 両の指をすり合わせれば、光の玉はみるみるうちに二口ふたふりの大剣に形を変じた。抜き身の剣の柄頭には見事な房飾りがついている。
 一連の動作に見とれた阿愁はふうっと息を吐きだした。
「宝剣といえるほどの名剣なんですって? 名はそれぞれ濮陽ぼくよう歐冶おうやだった?」
 感動して尋ねたのに。鬼は忌々しさ増し増しとばかりに「ち」と舌打ちした。
「それも知ってんのかよ」
 両のてのひらに出現させた大剣を、鬼が握りなおす。
「んじゃ遠慮なく」
 驚くべき早業で鬼は斬りかかってきた。





《次回 術師と術師<第一部 終話>》




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