逃げた先に、運命

夢鴉

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四章 散らばった真実をかき集めて

28-1 情緒?理性? どこかに置いてきました

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 ――蜜希さんがこの家に来てから三日。

 蜜希さんとの甘い日々を過ごせると思っていた俺は、見事に師走の空気に飲まれていた。

「ただいま帰りました……」
「おかえり、暁月くん。今日も見事なゾンビ状態だね」

 蜜希さんが女神のような微笑みで出迎えてくれる。
 俺はあまりの眩しさにぎゅっと目を閉じた。

「蜜希さんが輝いて見える……」
「何言ってるのさ。ほら、寒いから早く入って」
「うぅ……」

 俺の丸まった背中を撫でさすりながら、蜜希さんが玄関の扉を閉める。
 呆然と靴を脱いでいれば、蜜希さんがさっさと俺の鞄を持って部屋の中へと入っていく。
 俺はそれを追いかけ、リビングのソファに飛び込んだ。

「こーら。そんなところで寝ない! 風呂! 飯!」
「うう……蜜希さんの鬼……」
「鬼で結構。まったく。アルファってみんな体力あるんじゃなかったの?」

 呆れたように言う蜜希さんに、俺は言い返す気力もなかった。
(体力はあるけど、限度ってものがあるんですよ)と内心で返事をして、俺は重い身体をゆっくりと起こした。
 駄目だ、疲労で視界がユラユラしている。

「大丈夫?」と問いかけて来る蜜希さんが天使に見えるのも、きっと疲れのせいだろう。
 俺は頷いて答えた。


 十二月も半ばが過ぎ、気づけば冬休み前になっていた。
 課題の山に簡単な試験……その対策に奔走する日々。
 何せ兄に見張られている身だ。点数を落として「家出なんかしているからだ」なんて言われたくない。ちょっとしたプライドもある。

 それはまあいいとして。
 問題はバイトとして投げ込まれている、ホテルの方だった。

 クリスマス前の予約、内装の変更、海外からの問い合わせ、冬期休暇中の長期滞在時の対応……エトセトラ、エトセトラ。
 何より、併設されているレストランがSNSでバズってしまったらしく、そっちの応援に回されるようになってしまったのが運の付きだった。
 ホテルの予約管理をしながら、慣れないレストランのホールで働く日々。

(なんで俺が……)
 そう思わなくもないが、『アルファの経営する三ツ星レストラン』が売りであるうちでは、『アルファ』という種は会社の顔としてこの時期は重宝されるのだ。
 しかもそれが社長の孫で、オーナーの弟ともなれば――――理由は明白だろう。

「俺、宵月旅館に帰りたいです」
「君の家はこっちでしょ」
「ひどい。俺を見捨てるんですか、蜜希さん」
「えぇ……? もう。情緒どうしたのさ」

 わからない。わからないけど、たぶんその辺に置いてきた気がする。

 ソファに座って動けないでいれば、蜜希さんが困った顔をしている。
 動かないといけないのに、身体が拒否する。自分の身体なのに。

「仕方ないなぁ。こっちに持ってきてあげるよ」
「ほんとうですか」
「うん。感謝してよね」

 してますしてます。すごくしてます。

 蜜希さんは食事を運んできてくれる。
 温かいスープとバケット。透明の容器に入ったサラダと、バケットに乗せるおかずを何品か。

「なんか……オシャレですね?」
「どうせなら洋食も食べてみたくて」

「せっかく暁月くんが買ってきてくれた本だし、一回は使ってみないともったいないじゃん」と言われ、俺は嬉しさと気恥ずかしさにダウンした。
(蜜希さん、読んでくれたんだ……)

 沢山の物を買って帰って来た時、蜜希さんは怒っていたと思う。
 腕を組んでいたし、正座させられたから間違いない。
 その時買ってきた物は、蜜希さんが帰った後にでも適当に処分しようと思っていたが、まさか使ってくれているとは。

「俺、今嬉しすぎて胸がいっぱいです」
「胸はいっぱいでもお腹は減ってるでしょ。スープだけでもいいから食べて」
「はい」

 俺は渡されるスープカップを受け取る。
 ご丁寧にスプーンまで渡され、俺はお礼を言って口を付けた。

 トマトとオリーブの香りが鼻孔を優しく撫でる。
 ごろっとした野菜は丁寧に煮込まれたお陰で角が丸くなっている。スプーンで掬い上げて口に入れれば、ほろりと崩れるジャガイモ。

「暁月くん忙しそうだし、身体が温まる物がいいなって思ったけど、スープだけだとどうしてもお腹空いちゃうでしょ? お腹が適度に膨れて、身体にも良さそうだなって思って作ったんだけど。どう? 初めてにしては上出来じゃない?」
「天才です。好きです」
「味の感想を聞いてるんだけど?」

 蜜希さんが眉を下げながら俺を見る。
 俺の好きはスルーする方向らしい。

「もちろん、味も最高です。今まで食べた中でかなり上位に入るくらいには」
「へえ。上位かぁ」
「はい」

 ちなみに俺の中の上位は

 一位 蜜希さんの作ってくれたおにぎりと味噌汁
 二位 今回蜜希さんが俺の為を思って作ってくれたミネストローネ
 三位 蜜希さんが分けてくれた夏祭りのイカ焼き

 である。
 その下には『蜜希さんの作ってくれた甘めの卵焼き』とか『蜜希さんとデートの際に食べに行ったハムとたまごのサンドイッチ』が入っている。

「蜜希さんが作ってくれるものなら、何でもおいしいですけどね」
「ふーん? お世辞にしてはいい線いってるじゃん」
「お世辞じゃないです」

 俺はスープを飲み干して、蜜希さんを見る。
 蜜希さんは少し驚いた顔をしていた。まさかそう返されるとは思っていなかったんだろう。

 俺は蜜希さんの左手を握る。
 蜜希さんの腰に右手を回せば「ストップ」と止められた。
 ハッとする。無意識だった。

「何しようとしてるの?」
「抱き締めようかと」
「駄目です」
「充電……」
「だめ」

 俺は口を尖らせる。
 疲れ切った頭には、彼の拒否の言葉がそんなわけないと思っても理不尽に聞こえて来る。
 ぐっと腕に力を込めれば、「駄目だって」と腕を叩かれた。

「どーしてもですか?」
「どうしても」
「何で駄目なんですか」
「なんでって……暁月くん、結構脳みそ溶けてない?」

 溶けていると言われれば、そうかもしれない。
 でも、そんなことより蜜希さんを抱き締められないことの方が俺はきつい。

 俺は縋るように蜜希さんを見上げる。
 蜜希さんが言葉に詰まったのを感じる。よし、もう一押しだ。

「本当に、だめですか?」
「うっ」
「十分……いや、五分でいいので」

 だめですか。
 そう呟くと、蜜希さんが大きくため息を吐いた。諦めの声だった。

「仕方ないなぁ。いいよ、もう。でも、五分じゃなくて三分だけね」
「嫌です。五分」
「僕は一分でもいいんだけど」

 今度は俺が折れるしかなかった。
 一分なんてそれこそ一瞬だ。せめて一瞬か三回は無いと回復出来る気がしない。

「……わかりました」

 俺が頷くと、蜜希さんは「本当かなぁ」と笑った。
 その顔に心臓が掴まれる。その瞬間、『惚れた方が負け』なんて言葉が頭を過った。


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