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四章 散らばった真実をかき集めて
29-1 閻魔大王からの挑戦状
しおりを挟むこの高いビルを前にすると、身がすくむような思いがする。
――天を見上げるほど高く聳え建つ、鉄の箱。
都心の一等地にある建物の一番上には『AKATSUKI』の文字と、会社ロゴが大きく書かれている。
『AKATSUKI』グループ、本社である。
此処に呼ばれたのは、つい一時間前。
出社前の早朝という時間に、よくもまあ、人を呼び出せるものだと内心で悪態を吐く。
蜜希さんとの時間を切り裂くように響いた着信によって、俺の天国は真っ逆さまに崩れ落ちた。
電話口で『社長が呼んでおります』と告げた覚に、俺は駄々を捏ねようとしたが『では、迎えに参ります』と言われたことで承諾するしかなくなった。
蜜希さんが俺の家にいることを知られてはいけない。
彼に知られれば、きっと祖父にも伝わる。彼は俺の監視役でもあるのだから当然かもしれないが。
「凛様。お待ちしておりました」
自動ドアを超えれば、覚が慇懃に頭を下げて出迎える。
白を基調としたシンプルなエントランスは埃一つなさそうで、完璧だ。
『ザ・アルファの経営する会社』という雰囲気に、俺は居心地が悪くなる。
「わざわざ俺を出迎えるなんて、暇なのか?」
「社長がお呼びです。ご案内いたしますか?」
「いい。俺一人で行く」
「承知しました」
覚は淡々と頭を下げる。
「社長室におります」と告げられ、俺は無言で彼の前を通り過ぎた。
エレベーターに乗り込めば、静かな音で鉄の扉が閉まった。
上がって行くのを全身で感じながら、俺は大きく息を吸い上げた。
「はぁ……キッツ……」
ゴン、と鉄の壁に頭をつける。全身で寄り掛かって、腕を組んだ。
朝、蜜希さんと過ごすという、最高の時間を経験してしまったからか、今の時間との落差に思考も気持ちも追いつかない。
エレベーターは頂上まで上がって行く。それまでには、気持ちの整理もしておかなければ。
(それにしても、情けないな、俺)
覚と目が合ったら開口一番で蜜希さんとの時間を邪魔したことに、文句のひとつでも言おうと思っていたのに。
静かな音を立てて、エレベーターが上がっていく。
遠ざかっていく地上を無情に見送り、上っていくこと、数秒。
エレベーターは最上階へとたどり着いてしまった。
ビルの一番上だなんて悪趣味だ、何かがあった時に逃げ遅れるんじゃないか、とどうでもいいことを考えながら、赤いカーペットの上を歩いていく。
いくらするのかもわからない壺を横目に、俺は部屋をいくつか超えていく。
場所も悪趣味なら、内装も悪趣味だ。
カーペットを踏みしめること、数十歩。
突き当りに近い場所に、社長室はあった。
「ふー……」
重厚な扉を前に、俺は呼吸を整える。
……緊張で心臓が止まりそうだった。
今までも何度も来たことはあるが、一向に慣れる気がしないし、慣れたいとも思わない。
今すぐ蜜希さんのところに帰りたかったが、諦めて俺は扉を二度、ノックした。
コンコン。
「誰だ」
扉の向こうから、圧迫感のある声が聞こえた。
少し掠れたその声は、社長――祖父のものである。
「凛です。入ってもよろしいでしょうか」
「ああ。お前か」
「構わん」と祖父が告げる。「失礼します」と俺は扉を開けた。
扉の向こうには、凛の家のリビングほどの大きさの部屋が広がっていた。
広々とした部屋の中には、高そうな木造の机と革張りのソファが二つ。そして高そうな椅子に腰かけた祖父の姿がある。
真っ白な髪を後ろになでつけ、きっちりとしたスーツを着込んだ彼は、ぱっと見で社長、もしくはそれに準ずる職業の人間だとわかる。
少なくとも、アルファであることは見た人間全員が明確に理解するだろう。
「遅いぞ」
「すみません。車が渋滞していたもので」
「いい訳はいい」
ぴしゃりと言い放つ祖父に、俺は口を噤む。
相変わらず人の話を聞かない。そういうところが俺は嫌だと思うが、祖父には関係ないのだろう。
祖父は視線を上げることなく、何かの資料を見ながら問いかけて来た。
「凜。お前の最近の行動は目に余る」
「はぁ……でも、大学はちゃんと行ってますし、兄さんのホテルでの業績だって落としていません」
「本気で言っているのか」
祖父の視線が、僅かに俺を見る。
瞬間、蜂にでも刺されたような痛みが全身を突き抜ける。
……錯覚だ。わかっている。
だが、体は動きを止めてしまった。
祖父は続ける。
「大学はお前が勝手に選んだ所だろう。行くのも、トップの成績を維持するのも当然の事ことだ。寧ろ一度でも下がったことを恥じるべきだ」
「……はい」
「暁月の人間があんな格下の大学に行くだけでも我が家の名折れだというのに……よりによってアルファだなんて。お前は当家の足を引っ張ることしかできないのか」
「……申し訳ございません」
俺はただただ頭を垂れた。
祖父の愚痴なんて、もう慣れたものだ。聞き流すのも、ここ数年で得意になったと思う。
祖父はそれから『暁月家とは』、『アルファとは』と、持論を聞かせた。
まるで自分が世界の中心部であるかのような言い分に、俺は異常性を感じたが、これもいつものことである。聞き流していればいい。
耳を傾けずにいれば、ふと「そこで、お前には責任を取ってもらうことにした」と祖父の声が聞こえる。突然の変化球に、心底驚いた。
「責任?」
「ああ。父親があんな風になって、私も一も……少し甘くし過ぎたようだ。お前が迷惑極まりないことを続けているのも、私たちの育て方が悪かったのだろう」
まるで俺の性格を、彼らの失態かのように言うのだから、居心地が悪い。
俺は思いっきり眉を寄せた。
しかし、祖父は俺を見ることなく言葉を続ける。
「そこで、私たちはお前の性根を叩き直すことにした。――来週のクリスマス、併設されているレストランで、前年の百五十パーセントの売り上げを上げろ」
「っ、はあ!?」
(百五十ッ!?)
飛び出しかけた声を咄嗟に飲み込む。
何を言っているんだ、この人は。
「ひゃ、く五十なんて、出来るわけがないだろ!」
「できないのなら構わん。その際は、別の物を代償にするだけだ」
「代償って……」
まさか。いや、でも。
「宵月旅館、とか言ったか。田舎の小さな旅館でノーマークだったな。ベータが建てた旅館の価値は知れているが、そこそこの年数続けられているようだし、客層と立地を見れば、売り方によっては良い収入減になる」
「っ、アンターー!」
「お前が出来ないのなら、その不足分を彼等から貰うしかあるまい。ベータの分際でアルファのお前を誑かし、誘拐した報いは受けるべきだ。そうだろう?」
瞬間、俺は全身に火がつけられたような怒りを感じた。
それと同時に、彼が蜜希さん達を知ってることに危機感を覚える。
兄はアンタには知られていないって言っていたのに、それも嘘だったのかもしれない。
(やっぱり、信じるんじゃなかった)
唇を噛みしめる。兄の言葉は疑うべきだと、幼少の頃から胸に刻んでいたのに、知られていないことに安堵して詰めるのを忘れてしまった。自分の失態だ。
何も言わない俺に、祖父は呆れたような視線を投げた。
そんなこともわからないのか、と言わんばかりだ。
「私が彼らを知っているのが、そんなに不思議か? 少し考えればわかるようなものだが……私はお前たちの保護者だ。愚鈍な孫とはいえ、行動は常に把握しているべきだ。それが保護者としての責任だからな」
保護者。責任。
全て彼に見合わない言葉だ。
(自分の身内を監視したいだけのくせに、物は言いようだな)
俺は彼を睨みつけた。
祖父はクックと喉を鳴らす。
挑戦的に上げられた口角が、俺の不快感を煽る。
彼は優雅にカップを持ち、口をつけた。
カチャリと音を立て、カップがソーサーに置かれる。「それにしても」と、彼は眉間に皺を寄せた。
「覚は見逃したようだが、暁月家の人間の足枷になるのであれば黙ってはいられまい。まったく……なぜこの私がわざわざこんな話をしなければいけないのか。オメガなんぞに誑かされるからだ。あの時のアイツの顔を覚えていない訳じゃないだろう」
鋭い視線が俺を射抜く。
ああ。忘れてなんかない。でも、誑かされてもいない。
(それを言ったところで、この人はどうせ聞かないだろうが)
どうすればいい、と思考が高速で回っていく。
蜜希さんたちに手は出されたくない。……でも、だからといって、前年の百五十パーセントを叩き出せる施策もない。
「法的にも処すべきか。誘拐、教唆、洗脳……オメガに誘惑されたとでも言えば、それらしい罪には問われるだろう。暁月の名に傷はつくだろうが、どうせ大した傷でもない」
握りしめた手が震える。爪が手の平に食い込む。
(この、くそジジイ……ッ!)
冷静な思考が、彼の言葉にどんどん食いつぶされていく。
彼の言い分は何一つ合っていない。冤罪もいいところだ。
しかし、それを『本当』にしてしまう力を持っていることは、俺がよく知っている。
「アルファであるお前の人生の投資に比べれば、取るに足らないことだろう。社会もいずれ納得する」
本気で、アルファ一人の人生のために複数人のベータとオメガが不幸になろうが、この人は興味もないのだ。
噛みしめた唇の隙から、殺気立った獣のような息が聞こえる。
ここまで人に対して怒りを覚えたのは、初めてだった。
――足枷。法的。収入源。
まるで宵月家を駒としてしか見ていないような発言だ。
今すぐに掴みかかって怒声を浴びせたい気持ちに駆られるが、そんなことをしたら確実に祖父は宵月家を排する方へと舵を切るだろう。それだけは阻止しなくてはいけない。
とはいえ、彼に宵月家の良さを語ったところで、理解してもらえるわけがない。
そもそも、彼みたいな人間に蜜希さん達の良さを語りたいとも思わないが。
「……わかりました。その条件、受けます」
自分はどれだけ苦しんでもいい。
だが親切にしてくれた彼女たちを、あの場所を奪われるのは、我慢ならなかった。
「そうか」
祖父は俺を見て笑う。
口が笑みを携え、俺は全身がぞわりと毛羽立つのを感じる。
今すぐ撤回したかったが、ぐっと堪えた。人間、やらなければいけない時がいずれ来る。
それがもし今なのだとしたら――覚悟を決めるしかないだろう。
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