冷遇された入り婿は後悔する──10年後の再会と精算──

星森 永羽

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外国での日々

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 風呂場の湯気の中、俺は湯船の縁に腰をかけ、背を向けた。  
 ジュヌヴィエーヴは袖をまくり、静かに背中に手を伸ばす。

 柔らかな布が、そっと肌をなぞる。

「……昔、半年、風呂に入れなかった時があった」

「半年も? 戦地にでもいたのですか?」

「そうだな。生きるか死ぬかだった」

「……大変でしたね」

 俺は目を閉じた。

 お前に、監禁されたんだよ。

 けれど、その言葉は飲み込んだ。  
 今、ここで言うべきことじゃない。  




 船が到着し、降り立ったオーランド国。  
 陽射しは強く、空はどこまでも青かった。  

 ジュヌヴィエーヴをホテルに残し、俺は大学へ向かった。  
 目的は、領地に講師を派遣してもらうため。教育の質を上げるには、外の知見が必要だった。

 だが、教授陣は逆にこう言ってきた。

「ならば、そちらからの留学生を受け入れたい。実力を見たいのです」

 悪くない条件だった。俺は即座に了承し、契約書にサインをした。

 交渉を終え、ホテルへ戻る。  
 だが、部屋にジュヌヴィエーヴの姿はなかった。

 ベッドは整えられたまま、荷物もそのまま。  
 だが、彼女の気配がない。

 胸がざわついた。

「……まさか」

 俺はホテルを飛び出し、通りを走った。  
 この国は広い。言葉も違う。もし何かあれば──

 焦りが喉を締めつける。

 そのとき、角の向こうから、見覚えのある姿が現れた。

「おい!」

 俺の声に、彼女が振り返る。

「……あ、リック様。用事、終わりました?」

 手には紙袋。中には本が数冊入っていた。

 俺は駆け寄り、思わずその肩を掴んだ。

「いたっ……」

「貴族令嬢が、1人で外に出るなんて……あんた、頭おかしいぞ!」

 彼女は目を瞬かせ、きょとんとした顔で言った。

「え? 貴族って……元ですし。今は髪も短いし、それに……もう若くもないので」

「そういう問題じゃない!」

 声が少し、荒くなった。

 彼女は少しだけ目を伏せ、ぽつりと呟いた。

「……でも、夜逃げしてからは、ずっと1人で生きてきたので……」

 その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 気づけば、俺は彼女を抱きしめていた。

「……あんたは、もう1人じゃない」

 ジュヌヴィエーヴの肩が、わずかに震えた。  
 俺の胸元で、彼女の呼吸が静かに揺れていた。

 ──今度こそ、ちゃんと守る。あの時、出来なかった分まで。




 陽射しがやわらかく、温室のガラスに光が反射していた。  
 用事が全て終わり余暇となって、植物園に来た。
 ジュヌヴィエーヴは、色とりどりの花々に目を輝かせていたが、ある一角でぴたりと足を止めた。

「わっ……!」

 肉厚な葉が、ぱくりと動いた。  
 肉食植物。獲物を捕らえるための仕掛けに、彼女は思わず後ずさり、足をもつれさせた。

「危なっかしいな」

 俺はすかさず腕を伸ばし、ジュヌヴィエーヴの腰を支えた。

「す、すみません……」

 彼女は頬を赤らめ、姿勢を整える。

 俺はそのまま、彼女の手を取った。  
 元妻は驚いたように見上げたが、何も言わず、手を握り返した。

 手を繋いで、園内を歩く。  
 花の香りと、鳥のさえずりが、ふたりの間を満たしていた。

「それにしても……広いですね」

「ああ。なかなかの規模だ」

「楽しいです。ありがとうございます」

「……うん」

 思わず、目を逸らした。  
 照れくさくて、まともに顔が見られなかった。

 俺が、浮気なんかせず、ちゃんとした婚約者だったら……。
 そんな“もしも”が、心の奥で泡のように浮かんでは消えた。



 それから2人で観光しまくった。

 市民劇場の夜。
 仮面劇の終幕、恋人たちが再会する場面。  
 ジュヌヴィエーヴの瞳に、光るものがあった。  
 俺はそれを、見逃さなかった。


 音楽会の午後。
 バロックの旋律に包まれ、彼女は目を閉じていた。  
 その横顔は、まるで別人のように静かで、穏やかだった。  
 この人は、音に触れると、まるで別人みたいに静かになる。


 絵画見学。
 レンブラントの陰影に見入る彼女。
「この人の目……何かを隠してる」  
 それは、お前自身の目だよと、俺は心の中で呟いた。


 運河めぐり。
 小舟に揺られながら、ふたり並んで座る。  
「ほら、あの橋、ハートの形に見えません?」  
 見える。……お前が言うなら、何だって見える。


 東インド会社の商館。
 香辛料、絹、陶器。  
 エーヴは小さな香水瓶を手に取り、  
「これ、元同僚たちへの、お土産にしたいです」  
「……自分の分は?」  
「私は、もう十分もらってますから」  
 その笑顔に、何も言えなくなった。




 オーランド国の港が遠ざかる。  
 甲板の上、風が髪を揺らす。

「……夢みたい1週間でした。たくさん遊びましたね」

「ああ、でも夢じゃない。ちゃんと、現実だ」

 彼女は微笑んだ。

「夢みたいに楽しかったです」

「……そうか」

 ──そう。俺も凄く楽しかった。



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