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Side-A 消失少女と喪失少年
消えゆく君が波に乗れた日
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翌朝、いつもより早い時間に起きて海に向かった。ちょうど夜が明ける時間帯だった。
サーフボードを抱え、スポーツバッグを肩にかけ、遠くまで続いているアスファルトを駆けていく。
夏の暑さは相変わらずだけど、日が出てからまだ間もない。風を切って走ると、いつもより涼しく感じられた。
海に行っても、サキはいないかもしれない。
でも、今日だけはいるんじゃないかって思えた。想いを馳せ、願えば、それが現実になる気がする。サキの顔を思い浮かべて、俺は祈った。
海に到着した。息つく間もなく、砂浜に視線を這わせる。右から左へ、視界をスライドさせていく。
サキは海から少し離れたところにいた。いつもと同じで、黒いタッパーとグレーのサーフパンツという格好だった。彼女は両足で砂浜に立ち、静かに海を眺めている。もちろん、白いサーフボードのガッちゃんを抱えている。
突然、サキは海に向かってダッシュした。
「……サキ?」
俺は慌てて駆け寄った。
しかし、サキは止まらない。海に入り、ゆっくりと前に進んでいく。途中でボードの上に腹を乗せ、パドルを開始する。
「サキぃー!」
海に入る手前のところで、腹の底からサキの名前を呼ぶ。
「おりゃー」
俺の声に応えるように、いつもの間の抜けた声が砂浜に返ってくる。
サキはぐんぐん進んでいき、やがて止まって波を待ち始めた。
納得のいく波が来ないのだろう。波が来るたびに、水中にボードを隠して波をスルーしている。
その様子を俺は静かに見守った。たぶん、今だけは彼女に声をかけてはいけない。まるでサキが神聖な儀式に挑んでいるように思えたから。
再び波がくる。しかし、乗れそうな波ではなかったらしい。サキは数十秒前と同じように波を見送った。
五回、同じことを繰り返した。
そして、六回目。
サキはくるっとターンした。
「行くぞぉぉー! ガッちゃぁぁぁん!」
海を裂く、怒号にも似たサキの叫び声。でもたしかに、その声は自分のボードと自分自身を勇気づける叱咤だった。
後ろから迫りくる大きな波に、ボードを滑り込ませる。
瞬間、サキを乗せたガッちゃんが浮き上がる。
そして――サキが立った。
今まで乗れなかったのに、このタイミングで乗れるなんて出来過ぎている。俺は嘘じゃないかと疑った。
しかし、目を擦っても眼前の光景は色褪せない。消失したりない。いずれは消えてしまうサキだけど、俺の胸を焦がすこの熱だけは、たしかに存在する。これからもずっと生き続ける。
「サキぃ! やった、サキぃー!」
気づけば、何度も名前を繰り返し呼んでいた。叫ばずにはいられない。心の内側でのたうち回る熱量を放出しなければならなかった。そうしないと、嬉しすぎて心がパンクしそうだったから。
両手を掲げ、大きく手を叩く。そして子どもみたいに飛び跳ねた。
サキ。見えてるか。俺、自分のことのように嬉しいんだ。
ふと初めて波に乗れたときの記憶が蘇る。
ああ、そうだったのか。
今ならわかる。
あのとき、姉ちゃんもすごく喜んでくれたっけ。
姉ちゃんもきっと、こんな気持ちだったんだな。
やがて波は崩れ、白波になる。
サキはバランスを崩して海に落ちた。
「おーい! サキぃー!」
海に向かって手を振ると、サキは陸へ向かってパドルする。足が着くほどの浅い場所まで来ると、陸に上がり、ボードを腕で抱えて俺の元に駆け寄ってきた。
「ふはははっ! どうだ蓮! 見たかー!」
サキはガッちゃんを砂浜にぶん投げて馬鹿笑いした。ボードの扱いが酷すぎる。名前をつけるくらいだから、愛着があるのかと思ったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「すげぇな! マジで波に乗ったじゃないか!」
「すげぇっしょ! マジで波に乗ったもん! あはははは! 乗った、乗ったぞぉぉ!」
俺たちはタチの悪い酔っ払いみたいに大騒ぎして、歓喜の声を交わした。
他人から見れば、不毛な会話なのかもしれない。だけど、それでもこのやり取りは俺たちには必要だった。
何故なら、サキの透過した手を取ることはできないから。こうして言葉で喜びを分かち合う以外、どうしていいかわからない。
「どう? 私、プロサーファーになれる?」
「ははは! 調子に乗るな。お前じゃ無理だ」
「調子には乗ってないよー。ただし、波には乗ったけどね」
「上手いこと言ったつもりか。面白くねぇんだよ」
「あははは、蓮は厳しいねぇ」
サキはケタケタ笑った。濡れた髪から雫が滴り落ちる。
「あっ――」
俺は異変に気づいた。
……サキの髪が透過している。体全体が完全な透明に近づいている。
サキの異変が、残された時間が少ないことを雄弁に物語っていた。
サーフボードを抱え、スポーツバッグを肩にかけ、遠くまで続いているアスファルトを駆けていく。
夏の暑さは相変わらずだけど、日が出てからまだ間もない。風を切って走ると、いつもより涼しく感じられた。
海に行っても、サキはいないかもしれない。
でも、今日だけはいるんじゃないかって思えた。想いを馳せ、願えば、それが現実になる気がする。サキの顔を思い浮かべて、俺は祈った。
海に到着した。息つく間もなく、砂浜に視線を這わせる。右から左へ、視界をスライドさせていく。
サキは海から少し離れたところにいた。いつもと同じで、黒いタッパーとグレーのサーフパンツという格好だった。彼女は両足で砂浜に立ち、静かに海を眺めている。もちろん、白いサーフボードのガッちゃんを抱えている。
突然、サキは海に向かってダッシュした。
「……サキ?」
俺は慌てて駆け寄った。
しかし、サキは止まらない。海に入り、ゆっくりと前に進んでいく。途中でボードの上に腹を乗せ、パドルを開始する。
「サキぃー!」
海に入る手前のところで、腹の底からサキの名前を呼ぶ。
「おりゃー」
俺の声に応えるように、いつもの間の抜けた声が砂浜に返ってくる。
サキはぐんぐん進んでいき、やがて止まって波を待ち始めた。
納得のいく波が来ないのだろう。波が来るたびに、水中にボードを隠して波をスルーしている。
その様子を俺は静かに見守った。たぶん、今だけは彼女に声をかけてはいけない。まるでサキが神聖な儀式に挑んでいるように思えたから。
再び波がくる。しかし、乗れそうな波ではなかったらしい。サキは数十秒前と同じように波を見送った。
五回、同じことを繰り返した。
そして、六回目。
サキはくるっとターンした。
「行くぞぉぉー! ガッちゃぁぁぁん!」
海を裂く、怒号にも似たサキの叫び声。でもたしかに、その声は自分のボードと自分自身を勇気づける叱咤だった。
後ろから迫りくる大きな波に、ボードを滑り込ませる。
瞬間、サキを乗せたガッちゃんが浮き上がる。
そして――サキが立った。
今まで乗れなかったのに、このタイミングで乗れるなんて出来過ぎている。俺は嘘じゃないかと疑った。
しかし、目を擦っても眼前の光景は色褪せない。消失したりない。いずれは消えてしまうサキだけど、俺の胸を焦がすこの熱だけは、たしかに存在する。これからもずっと生き続ける。
「サキぃ! やった、サキぃー!」
気づけば、何度も名前を繰り返し呼んでいた。叫ばずにはいられない。心の内側でのたうち回る熱量を放出しなければならなかった。そうしないと、嬉しすぎて心がパンクしそうだったから。
両手を掲げ、大きく手を叩く。そして子どもみたいに飛び跳ねた。
サキ。見えてるか。俺、自分のことのように嬉しいんだ。
ふと初めて波に乗れたときの記憶が蘇る。
ああ、そうだったのか。
今ならわかる。
あのとき、姉ちゃんもすごく喜んでくれたっけ。
姉ちゃんもきっと、こんな気持ちだったんだな。
やがて波は崩れ、白波になる。
サキはバランスを崩して海に落ちた。
「おーい! サキぃー!」
海に向かって手を振ると、サキは陸へ向かってパドルする。足が着くほどの浅い場所まで来ると、陸に上がり、ボードを腕で抱えて俺の元に駆け寄ってきた。
「ふはははっ! どうだ蓮! 見たかー!」
サキはガッちゃんを砂浜にぶん投げて馬鹿笑いした。ボードの扱いが酷すぎる。名前をつけるくらいだから、愛着があるのかと思ったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「すげぇな! マジで波に乗ったじゃないか!」
「すげぇっしょ! マジで波に乗ったもん! あはははは! 乗った、乗ったぞぉぉ!」
俺たちはタチの悪い酔っ払いみたいに大騒ぎして、歓喜の声を交わした。
他人から見れば、不毛な会話なのかもしれない。だけど、それでもこのやり取りは俺たちには必要だった。
何故なら、サキの透過した手を取ることはできないから。こうして言葉で喜びを分かち合う以外、どうしていいかわからない。
「どう? 私、プロサーファーになれる?」
「ははは! 調子に乗るな。お前じゃ無理だ」
「調子には乗ってないよー。ただし、波には乗ったけどね」
「上手いこと言ったつもりか。面白くねぇんだよ」
「あははは、蓮は厳しいねぇ」
サキはケタケタ笑った。濡れた髪から雫が滴り落ちる。
「あっ――」
俺は異変に気づいた。
……サキの髪が透過している。体全体が完全な透明に近づいている。
サキの異変が、残された時間が少ないことを雄弁に物語っていた。
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