嫌われた王と愛された側室が逃げ出してから

迷路を跳ぶ狐

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chap1.押し付けられた恋心

7.不思議な逢い引き

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 鳥の声が聞こえた気がして、フィズは、重たい体を起こした。

 小さな窓の外は、もう明るくなり始めている。
 早起きの小鳥が、のんきに飛んでいくのが見えた。

 泣きすぎたせいで、喉はカラカラだ。けれど部屋を見渡してみても、飲み水らしいものはない。

 潜っていた布団から出て窓を開けると、窓際に小鳥がとまった。
 羽を繕い始めた鳥を見ていると、昨日、どこかへ行ってしまったルイのことを思い出した。

 一人では心細い。早くルイが帰ってきてくれないかと思いながら、小鳥に向かって手を伸ばし、小鳥と遊んでいると、足音が聞こえた。

 全身を恐怖が包む。もう誰にも会いたくない。

 そんなフィズの願いを無情に打ち砕いてドアが開く。

 そこに立っていたのはシグダードだ。

 なぜだか分からないが、昨日と同じ格好をしている。妻になると言ったのに、まだ何か気に入らないことがあるのだろうか。不機嫌そうにフィズを睨んでいた。

「あ……の……」

 なぜそんなに怒っているのか分からない。まだ何か要求があるのだろうか。

「フィズ……」
「ひっ!!」

 名前を呼ばれると、ますます恐怖が増した。

 近づいてくるシグダードに跪く。

 一体何を怒っているのか、必死に考えを巡らせると、一つだけ思い当たることがあった。きっと昨日の夜の続きをしに来たのだろう。

「フィズ」
「あ……」

 片手で顎をあげられ顔をあわされると、無意識のうちに涙が出てきた。

 怖かった。

 相手は、自分を殺しかけた上に襲ってきた男だ。その上、従わなければ奴隷にするか殺すとまで言いだした。今度は何をするか分からない。

 そしてシグダードが口を開く。

「なく……」
「あ! あの! あの……あ、い、言うとおりに……しますから……その! ……そういうことがしたいなら、い、いくらでも……し、して……いいですから…………っゥっ……っ……し……けいと、どれ……ぃは……ぃやっ…………」

 何か言われる前に、最低限の望みだけでも伝えておこうと思ったのに、後半は嗚咽が混じって何を言っているのか分からない。泣いたって仕方がないのに、涙は止まらない。

 なぜ、自分がこんな目に遭わなければならないのだろう。

 勝手にこの国に入ってきたことは悪かったと思っているが、だからといって、奴隷か死刑か、そうでなければ言いなりになれなんて、あんまりだ。

 顔を合わせる相手が怖い。ここから今すぐに逃げ出したいのに、何もできない。いっそ死んでしまえば楽なのかと考え出したとき、思考は中断された。

 シグダードが、痛いくらいの力で抱きしめてきたのだ。

「泣くな」

 それだけ言って、ますます彼は力を強めてくる。

「……く……るし……」

 潰れそうになる肺から無理やり声を出すと、やっと彼は力を緩めてくれた。

 一体この王は、何がしたいのだろう。殺そうとしてきたと思ったら、次は求婚、その後は強姦しようとして脅迫して、その次は絞め殺す気なのか。
 なんだかもう滅茶苦茶で、意味が分からなかった。

 ゆっくりと体を離し、顔を合わせながらシグダードが呟く。

「すまない……」

 フィズは、何を言われたのか分からなかった。ただ、さっきまでひどく怒っていると思っていたシグダードの顔が、今度はとても悲しそうになっている。

「悪かった……だから…………泣かないでくれ……」

 昨日の傲慢な態度とは打って変わって、自信なさげで消えそうな声を聞くと、ますます訳が分からなくなりそうだ。

 彼に、そっと頬に触れられて、フィズは涙が止まっていることに気づいた。
 怖くなくなったのではなくて、相手の豹変ぶりに驚いたからだ。

 シグダードが口を開いた。

「あ、さ、さっきは、じゃないな。昨日か。昨日は…………………………」

 言い出したかと思えば、彼は目をそらして口ごもる。

 何が言いたいのだろう。昨日のことで何か言いたいことがあるのだろうか。昨日、できなかったことを怒っているのだろうか。また怖いことを言い出す前に自分から誘った方がいいのか。
 どうせ避けられないのなら、さっさと終わらせた方が楽かもしれない。

「あ、あの……ぬ、脱いだ方が……いいですか?」
「は?」
「え? あ、あの……し、しにきたんですよね? あ、ぬ、脱いだ方が……いいなら…………ッ……う……」

 途中まで言って、また涙が漏れてきた。いくら身の安全のためとはいえ、こんな風に体を差し出さなければならないことが、悔しくて悲しかった。

 するとシグダードは、そっとフィズの頭に手を置いた。

「泣くな。何もしない。頼む……泣かないでくれ……何もしないから……」

 幼子をなだめるようになでられて、フィズは顔を上げた。

 泣かないでくれ、と言いながら、シグダードの方が泣きそうな顔をしていた。そんな顔をされたのでは、泣いている自分の方が悪者みたいだ。

「あの……」
「奴隷だの死刑だのと言ったのは……その……冗談だ」
「は?」
「その……妻になるのが嫌なら、ならなくても…………よくはないが、とりあえず保留にする。だから泣くな」
「え……? と……」

 シグダードは、気まずそうに目をそらしながら、たどたどしく伝えてくる。

 その態度に、少し恐怖が和らいだが、代わりに怒りがこみ上げてくる。散々人を脅しておいて、冗談だとは、どういうつもりなのか。
 文句の一つも言ってやりたいが、そんな度胸はない。情けない自分が嫌になる。

 優しい手つきで頭をなでられると、フィズはだんだん恥ずかしくなってきた。

「怖がらせて悪かった」
「……」
「……何か……したいことはないか?」

 帰りたいです今すぐ帰りたいです、そう叫びたくなる口を必死で噤む。

 そんなことを言っても帰してくれるはずはないし、また怒り出しでもしたら、今度は何をされるか、考えたくもない。

 帰る以外にしたいことを考えていると、のどが渇いていたことを思い出した。

「あ、その……のどが……渇いて……その……何か飲み物……」
「そうか」

 恐々と自分の望みを言うと、シグダードはやわらかく微笑んだ。
 その笑顔に、少し緊張がほぐれた。

「外へ出るか?」
「え?」
「こんな所にずっといるのは辛いだろう。外へ出ないか? 冷たいものでも用意させる」







 フィズ達が塔の外に出ると、まだ早朝だというのに、じっとりと暑い空気が絡みついてくる。

 これだけ暑いのに、塔の中の狭い部屋が蒸し風呂になっていなかったのが不思議だ。近くで水が流れる音がする。芝生の向こうに水路があるようだ。

 昇りはじめの日が眩しい。この熱波さえなければ、気持ちのいい天気になりそうだ。

 フィズは、暗く気持ちが沈みそうになることばかりが起こる中、せめて天気だけでも明るいものであってほしいと思った。

「行くぞ」

 そう言って、シグダードはさっさと歩き出す。
 どこへ行くのかくらい教えて欲しかったが、聞くのも怖くて、黙って後ろについて行った。

 しばらく歩いていると、太陽のことが嫌いになりそうだ。

 暑い。グラスよりも数倍暑い。

 フィズは、暑さでくらくらしてくる頭を支えながら必死にシグダードについていった。彼の方が歩くのがずっと早い。ぼうっとしていたら置いて行かれそうだ。

 けれど、彼に合わせて歩くスピードをあげると余計に暑くなってくる。

 体が重い。

 ついにフィズは歩けなくなって、その場に座り込んでしまった。
 石畳の上に手をつくと、それすらも熱い。

 体から力が抜け、倒れ込みそうになったが、シグダードが抱き留めてくれた。

「フィズ! しっかりしろ!!」

 また無茶な要求がきた。

 ずっと飲まず食わずでいたのに、散々なことをされて、夏の暑い中歩かされて、しっかりしていられるわけがない。
 怖い人だと思っていたけれど、この人、本当はただのバカなんじゃないかと思ってしまう。

 呼びかけに答えられないでいると、シグダードに、そっと胸に手を当てられた。

 全身が涼しさに包まれる。自分の周りだけ一気に気温が下がったようだ。これが魔法の力なのだろう。
 額に当てられた手が、冷たくて気持ちよかった。

「体が熱いな」

 シグダードが片手をあげると、その手を中心に霧のようなものが集まってくるのが見えた。近くの水路の水を呼んでいるようだ。霧は水滴になり、集まって水路から空にのびる川を作る。

 冷たい風が吹いた。

 空を流れる水は小さな粒になって、きらきら光りながら落ちてくる。
 小さな水がフィズの頬にふれ、熱をさらう。まるで空から光る宝石が落ちてきているようだ。

「ほら」

 シグダードがフィズの口元に、冷たい水の球をあててくれる。それを口に含むと、すっと溶けてのどを潤してくれた。

 涼しげなせせらぎが聞こえた。降り続ける水の粒は、芝生に落ちては消えていく。不思議な光景だった。綺麗だと思えた。

 いつの間にか、フィズもシグダードもぐしょ濡れになっていた。

 ぼやけていた意識が少しはっきりしてくる。

 シグダードは、フィズを横抱きにして言った。

「すぐに医術士に診せよう」

 そう言ったシグダードの胸は冷たく濡れていて、そこにフィズの耳が当たり、自分を抱きかかえる男の心臓の音が聞こえた。

 ますます恥ずかしくなってくる。フィズは、恐る恐る言った。

「あ、あの……もう、歩けます……」
「遠慮しなくていい」
「あ、いえ……遠慮じゃなくて……」
「なんだ?」
「ぅ……あ、その……は、恥ずかしい……」

 そんなことを口にすること自体が恥ずかしかった。顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。

 そんなフィズの気持ちをくんでくれたのか、シグダードはフィズをおろしてくれた。そして早足で先に歩き出してしまう。
 また怒らせてしまったのかもしれないと思ったフィズは、慌ててその後に続いた。

「あの……」
「あまり……かわいいことを言うな……」
「え?」

 怒らせてしまったことを謝罪しようとしたのに、シグダードは、顔もあわせずに意味の分からないことを言ってくる。

 かわいいこととは何のことだろう。おろしてくれと言っただけなのに、何をそんなに怒ることがあるのか分からない。本当に怒りっぽい人だと思った。

「ふあっっ!!」

 急いで歩き始めたせいで、濡れた芝生に足を取られた。転んで尻餅をうつと、冷たい水の感触がした。

「いた…………あ……」

 打ったお尻をなでていると、シグダードが手を差し伸べてくれる。
 その手を取ろうとすると、空から降ってきた水の球が、二人の手の甲に落ちてくる。

「きれい……」

 無意識に、言葉が出てしまった。
 そうしてしまうくらい、幻想的な風景だった。

「そうか? ただの水だ」

 意外そうにこんな言葉を返してしまうシグダードの方がおかしいと思った。

「はい。とても……きれいです……」
「フィズ……」

 シグダードが何かを言いかけた時、急に、二人の周りだけが日陰になる。

 これも魔法かと思ったが、違うようだ。

 空に巨大な咆哮が響いて、陰を作った張本人が空から舞い降りてくる。

 それは、フィズがいた塔ほどの体長の銀竜だった。
 血走った目で、口からよだれを垂らしている。その恐ろしい姿を見て、シグダードは驚いたようにつぶやいた。

「銀竜……なぜここに……」

 フィズの体に、一気に緊張が走る。

 銀竜は金竜と違って獰猛な竜だ。肉食で肉になるものなら何でも襲う。鼠でも、馬でも、家畜でも、もちろん人でも。
 始末に負えないのはそれが群れを作ることだ。城の上空には、竜の陰がいくつも現れる。大群だ。

 こんな状況なのに、フィズはまためまいがしてきた。
 今、気を失えば竜の餌だ。けれど体は動きそうにない。立ち上がろうとしても足に力が入らない。

「離れるな」

 そう言って、シグダードはフィズを後ろにかばうと、目の前の竜と対峙する。

「へ……いか……」
「しゃべるな。お前はすぐに医務室につれていく」

 そうは言っても、銀竜の群れがそれを簡単に許してくれるはずもない。

 禍々しい竜の咆哮が響く。

 シグダードの魔法が竜を襲うが、巨体の割に素早い竜は、ことごとくそれを避けて二人に襲いかかってくる。

 フィズを庇っていては、いくら魔法の力を持っていても戦うことは無謀だろう。何とかしたくても、意識は遠のいていくばかりだ。

 銀竜が二人に向かってつっこんでくる。
 シグダードが剣を抜く。
 真っ赤な血が飛ぶのが見えた。

 そこでフィズは、気を失ってしまった。
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