嫌われた王と愛された側室が逃げ出してから

迷路を跳ぶ狐

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chap4.堕ちる城

54.存在しない罪悪感

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 夜が明け、リーイックは、早朝からグラスの街を歩いていた。人通りは少ないとはいえ、早めに戻った方がいいだろう。自然と早足になっていく。

 昇ったばかりの朝日では、人の目を覚ますには力不足なようで、街道にはリーイック以外に人影はない。

 もう冬が近い。

 冷たく澄んだ朝の中で、リーイックの靴の音だけが響いていた。

 誰もいない商店街を離れて、しばらく行ったところに、目的の屋敷がたたずんでいた。キラフィリュイザ最有力貴族の親族の屋敷にしては、少しこじんまりした感じだが、それでも周りの貴族の屋敷にひけはとらない。

 様々な色の蘭がいくつも咲いた庭を抜け、玄関の呼び鈴をならすと、先触れしておいたわけでもないのに、すぐに執事姿の初老の男が出てくる。執事のセディだ。

 彼はリーイックを見て、美しく一礼した。

「これはこれは。リーイック様。グラスにお越しとは、珍しいですな」
「シュラはいるか?」

 リーイックが問いかけると、彼は突然の訪問に不快な顔をすることもなく、すぐに屋敷の中に案内してくれた。

 広い屋敷には、彼と屋敷の主しか住んでいないにもかかわらず、塵一つ落ちていない。
 屋敷に極力人をおきたくないという主の意向で、掃除や食事など主の身の回りの世話は、すべて執事であるセディが一人でこなしているはずだ。

 窓から入り込む朝日では、屋敷を明るくするには全く足りず、どこか薄暗い廊下を歩きながら、執事は淡々とした声で、心にもないことを挨拶代わりに話し出した。

「キラフィリュイザは大変な事態のようですが、リーイック様がご無事で何よりです」
「ふん。何を白々しい」
「おや、リーイック様。白々しい、とは?」
「お前は相変わらずとぼけるのが仕事か」

 二人の話を遮って、屋敷の中にリーイックを呼ぶ声が響いた。

「リーーーイックーー!!」

 甲高い歓声を上げ、駆け寄ってくるのは、薄い茶髪に細い四肢をした青年だ。彼は、二階から長い階段を下りてくると、そのままリーイックに抱きついてきた。

「リーイック! ひさしぶり!」

 彼に抱きつかれても嬉しくもない上に暑苦しい。押しのけながら離れろと告げても、彼は離れようとしない。

「リーイック、相変わらず冷たい」
「分かっているなら、必要以上のスキンシップはやめろ、シュラ。暑苦しいだけだ」
「リーイックが嫌でも僕がしたいの! ねえ、リーイック、おいしいお茶があるんだよ。ガズラアルドから取り寄せたんだ! 一緒に朝ごはん食べよう!!」
「そんなことをしに来たんじゃない」
「えー、いいじゃん。ね、おいしいお菓子も用意するから!」

 しつこくリーイックの腕を引くシュラは、諦めそうにない。

 リーイックは大きはため息をつくと、仕方ないなとつぶやいた。

「やったー! ねえ、セディ、お茶をお願い!」

 執事に朝食の準備を頼むと、この屋敷の主人、シュラ・スジック・イドライナは、リーイックを屋敷の奥の部屋まで引っ張っていった。







 食卓に案内されたリーイックは、出されたものには手を着けず、向かいに座るシュラの顔を見た。
 彼は、以前に会った時と変わらない、青白い顔をして、金髪に近い茶髪は窓から注ぐ朝日に照らされて光っている。

 執事のセディが、テーブルに朝食を所狭しと並べ、シュラはそれに手を着けながら、リーイックに向かって微笑んだ。

「本当にひさしぶりだね。リーイック。元気だった?」
「ああ」
「ふふ。リーイックが訪ねて来てくれるなら、もっといろいろ用意しておけば良かった」
「いらん。そんなことより、聞きたいことがある」
「えー、もう本題に入るの?」
「キラフィリュイザにまかれた毒はどんなものだ?」
「……すぐにそういう話を始めるんだから……」

 シュラは少し困ったように眉を垂れるが、口の端は笑っている。何よりもそういう話が好きなのは彼の方だからだ。

 リーイックは、その不気味な男から目を離さないようにして続けた。

「お前が作ったんだろう?」
「僕がっていうより、僕が率いた研究チームが作ったの」
「どうせお前以外は寄せ集めだろう。お前の指示を聞くだけの木偶に興味はない」
「リーイックは僕にも興味ないでしょ? あるのは毒の方だ」
「コーリゼブル・キリゼブルの毒をまねたのか?」
「あれ、魔族にしか効かないじゃん。人族の国にまくなら、人族に効かなきゃ意味がない」
「致死性はあるのか?」
「そうしろって、あのクソ豚はうるさかったけどね」
「クソ豚?」
「チュスラス。馬鹿みたいに力をふるって、威張り散らすしか能がないなんて、この世のどの生物より下劣だよ。あれのそばにいると、吐き気がする」
「よくそんな奴の依頼を受けたな」
「不本意ではあったけど、イルジファルアにまで言われちゃ、断れないよ」
「叔父上か……」

 ある程度予想はしていたとはいえ、自国の城にまく毒の製作を、よりにもよってこの男に依頼したのが、自分の叔父だと思うと嫌気がさす。

 シュラは、身を乗り出して聞いてきた。

「ねえ、リーイック。イルジファルアに毒は効いた?」
「まさか。叔父上は城を出ていた。今はもうグラスにいるんじゃないか?」
「ふーん。僕が毒を作ったことで、イルジファルアのグラスでの株、あがっちゃったしねー。なーんか悔しいなー」

 すねたように口をすぼめながら言うシュラには、罪悪感など、微塵も感じられなかった。







 シュラは、笑顔でパンにバターを塗りながら今更の謝罪を口にした。

「イルジファルアに言われたとはいえ、リーイックを巻き込んで、ごめんねー」

 この言葉になんの意味があるのか、全く分からないリーイックは、セディにコーヒーを頼んでから、シュラに向き直り、話を続けた。

「心にもない戯れ言はいい。それより、毒の詳細を知りたい」
「あれ? リーイックならもうとっくに分析済みかと思ったのに」
「無茶を言うな。毒がまかれてからすぐに俺はこっちに引っ張ってこられたんだ。そんな時間はなかった。毒が仕掛けられていた時計はルイが持ち去ったしな。なぜあんな時計を使った?」
「そう! そこだよ! 時計! それがポイントなんだよー!」

 どうやらそれを聞かれたことがよほど嬉しかったらしく、シュラは目を輝かせながら、満面の笑顔を浮かべた。

「あの時計は、ゆーっくり毒を放出することができるんだ!」
「逃げる暇を与えられるということか……」
「違うよ。あのね、毒は時計から出て、時間がたつごとに強いものになるようにしてあるんだ!」
「非効率的だな。標的全員に、一律に効いた方がいいだろう」
「リーイックには分からないんだよねー。いい? あれは時間がたつと、最初の毒よりずーっとこわーい毒になるんだ! 毒に捕まると眠っちゃうけど、それからみんな目を覚ますんだよ! だけど起きてからしばらくすると、だんだん毒がきいてきて、そのうち死んじゃう人も………………あれ? リーイックはなんで元気なの?」

 シュラは、やっと気づいた矛盾点に首を傾げる。

 今更そんなことに気づくあたり、この男の頭は、どこかの大切な回路が停止しているようだ。いつものことだが。

「俺は解毒薬を飲んだからな」
「げ……どくやく……? な、なんで持ってるの? 僕しか持ってないはずなのに……」
「持っているのか?」
「クソ豚チュスラスに作れって言われたから! そんなことより、なんで解毒薬なんて持ってるの!?」

 解毒薬まで作れと言ったなら、毒をまいた後に、自分に従い、役に立つ輩だけを助けるつもりだったのだろうか。それとも、最初から殺す気はなく、解毒薬で脅し、開城を迫るつもりだったのか。そうでなければ何か事故が起こったときの対策かもしれない。

 いずれにしろ、ルイのことは想定外だったはずだ。ルイがグラスで毒をまけば、水魔族の二の舞になる。

 リーイックにしてみれば、グラスが勝っても、キラフィリュイザが勝っても、どちらの国にも影響力を持つイドライナの地位は揺らがないのだから、どうでもいい。しかし、ルイのことだけは捨て置けない。

 考え込んでいると、シュラがほとんど悲鳴に近い声音で叫んでくる。

「リーーイックっッ!! 聞いてるのっ!? まっ、まっ、まさか……僕の屋敷から盗んで……リーイック! 僕の作った薬、盗んだの!? そんなに僕の手作りの薬を飲みたかったの!? 嬉しい! やっぱり僕たち、両思いなんだね! リーイックに飲ませたい薬なら地下の部屋に百個以上並んでいるよ!」
「俺がお前程度が作ったものを盗むはずがないだろう。お前が毒を作る前に、俺が解毒薬を作っていただけだ」
「なっ……! う、うそだー! 毒の前に解毒薬があるなんて」
「現に、俺は今こうしてお前の前にいる」

 リーイックが否定できない事実を口にすると、シュラはがっくりと肩を落とす。

「そ、そんなあ……毒が回ってぐったりしているリーイックをここに運ばせて、意識がないうちにいろいろイタズラする僕の計画が……」
「残念だが失敗だな」
「じゃ、じゃあ……目が覚めて、毒でふらふらのリーイックを解毒薬片手に脅して鎖につないで毎日いじめちゃう僕の目的は……」
「残念だが果たせない」
「うう……そんな……そんな…………じゃ、じゃ、じゃあ……散々弄んだ挙げ句、結局殺して、きれいな死体を永久保存薬につけて、毎日屍姦する僕の夢は……」
「残念だが成就しない」
「そんなあああああああああっっ!!」

 到底看過できない目的を次々並べ立てたシュラは、それをすべて否定され、テーブルに顔を伏して泣き出した。

 彼のリーイックに対する迷惑な愛は相変わらずのようだ。
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