156 / 290
chap9.先へ進む方法
156.二つ目の駒
しおりを挟むその日の朝は、快晴だった。
イルジファルアが、城の窓から明るい朝日を眺めていると、待っていた男が戻ってくる。
背後で音もなく、男が跪く気配がした。それはやめろと言ったはずなのに。
「ティフィラージ…………背後に立つときは合図をしろと言ったはずだ……」
「…………次は必ずそう致します」
そう言って、ティフィラージは深く頭を下げた。
「例の奴隷は?」
畳み掛けるようにして聞いた一言に、ティフィラージが答えるまで、少し時間がかかった。それだけで結果は知れたが、少し遅れて、ティフィラージの短い返事が返ってくる。
「失敗しました」
「殺し損ねたか……」
「…………はい……」
イルジファルアが振り向くと、頭を下げたままのティフィラージの体が、びくっと震えた。
「シグダードか?」
「……はい。それと、もう一人に邪魔をされました」
「もう一人? 誰かそばにいたのか?」
「はい。バル、と呼ばれていました」
「バル…………バルジッカ・ロイドハントか……」
「…………それと、もう二人……」
「まだいるのか?」
「はい。シグダードを誘き出し、そこで首を切るつもりでしたが……ヴィザルーマと、それを支持すると思われる者が現れ、それ以上追うことができなくなりました」
「…………支持……ヴィザルーマを……? そうか……」
思わず、笑いが漏れる。それが聞こえたらしく、ティフィラージが顔を上げた。
「……イルジファルア様?」
「…………ついに、ヴィザルーマ側も動き出したか…………遅すぎたぐらいだ。それで、それを支持する者とは何者だ?」
「……分かりません。どちらも、相手の名前を呼ばず、顔も隠していました」
「そうか…………」
答えて、顎に手を当て考える。
この城にいたヴィザルーマ派は、殆どが城から追い出され、地方の閑職に飛ばされている。今もここに残っている者は数えるほどで、彼らは皆、チュスラスの傘下に入った。
未だにヴィザルーマを支持している者は、イルジファルアの知る中ではほんの少しだ。
「カルフィキャット……あれか…………」
かつてヴィザルーマの忠臣であったその男は、今もまだ、ここにいるはずだ。
白竜の暴走があったときに、フィズを救ったのも、カルフィキャットだった。
カルフィキャットは通りかかっただけだと話していたが、白竜たちを退けるような真似は、フィズだけではなし得ないはず。とすれば、おそらくは、カルフィキャットがヴィザルーマの力を借りていたのだろう。
街の広場では、ヴィザルーマが帰ってきたと騒ぎになっている。
イルジファルアにとって忌々しい、魔法の力が舞い戻ってきた。それも、イルジファルアの予測通りだ。
ヴィザルーマが城から消え、キラフィリュイザが落ちた時、ヴィザルーマ派はほとんど、城から放り出した。
しかしチュスラスは、その中で唯一、カルフィキャットにだけは触れなかった。
そして、チュスラスのそんな特別扱いとも言える処分を、陛下のおっしゃるとおりでございますと言って後押ししたのは、他でもない、イルジファルアだった。
ヴィザルーマは死んだはずだ。
しかし、イルジファルアは念には念を入れるタイプだった。
相手は、イルジファルアをずっと煩わせてきた魔法の力を持つ頭の切れる男だ。
そんなものが、そう簡単に仕留められるとは思えない。
そう考えたイルジファルアは、もしもの時のために、鼠捕りの罠を用意することにした。鼠を捕らえるには、檻と、それを誘き出す餌が必要だ。
こうして、餌として残したのが、カルフィキャットだった。
ヴィザルーマの腹心で、特にヴィザルーマへの忠誠にあつかった男を残したことで、ヴィザルーマは、ここへ戻るときには必ずあれを使うはずだ。
案の定、ヴィザルーマは生きていた。そして、ついに動き出した。カルフィキャットという隙を、この城に残したまま。
「テフィラージ…………」
「はい…………」
「ジョルジュが、夜遅くに城を出ている。シグダードの元へ向ったのではないのか?」
「はい……シグダードとともに、町外れの屋敷に向かい、負傷したようです。しばらくは動けないのではないかと……」
「負傷? 何があった……?」
テフィラージが、あの町外れの屋敷で見たことを全て話すと、イルジファルアは顔をしかめた。何しろ、最も腹立たしいアリフィールドの息子の話が出たのだから。
アリフィールドは、貴族として生まれながら、そういったことに囚われない、自由な男だった。それどころか、魔力と魔法の排除を目指してきたイルジファルアの前で、魔力だのなんだの、そんなものに囚われるなんて、くだらないとは思わないか、と言い放ったのだ。イルジファルアにとって、それは、存在の否定にも等しいことだった。
リーイックがララナドゥールに戻れば、そこにいる一族の庇護を受ける。そうなれば、二度とリーイックを殺すことはできない。
すでに、ララナドゥールから使い魔が来ている。
もう、一刻の猶予もない。いずれここには、ララナドゥールからの使者が来る。それが来れば、自由に動くことは難しくなる。
動くなら、今しかない。
しかし、どうしたものか。リーイックは最も殺したい男ではあるが、下手に動けば、これまで積み上げたものが台無しだ。
「…………なるほど…………ナルズゲートが……それで、リーイックはどうした?」
「ナルズゲートの屋敷に、何かが仕掛けられていたようで、今はまだ、まともに動けないようです。今は、リブという男の酒場で体を休めているようです」
「そうか……」
「いかがいたしましょう?」
「…………捨ておけ」
「……よろしいのですか?」
「今殺せば、ヴィザルーマ派は、お前を私の仕向けたものと気づき、警戒して動かなくなる。ヴィザルーマは、必ず葬り去る。この国に、もう魔族の遺したものは必要ない」
「はい……」
「奴隷に関しては、刺客は差し向けたのだろう?」
「はい……」
「それなら、もういい。しばらくは様子を見る。お前はシグダードを見張れ」
「……はい…………」
「その前に…………二度失敗したお前は、躾け直しだ」
「……え…………」
「どうした? まさか、嫌だとは言わないだろうな?」
「いえ……処分されると思っていたので……」
「馬鹿を言うな。こんな時に、駒の入れ替えは出来ない」
「……」
「寝ろ」
「はい……」
ティフィラージは素直に従ったが、まだ動揺しているようだ。本当に処分されると思っていたのだろう。
まだ、取り替えるわけにはいかない。しかし、もう一つでは、足りない。
イルジファルアは、部屋の扉に振り向いた。
「入れ」
するとすぐに、扉を開けて一人の男が入ってくる。ティフィラージより、背の高い、鋭い目をした短い黒髪の男だった。
ティフィラージは、首を傾げた。イルジファルアが部屋に入れる駒は、特別な駒。それは普段はひとつだけだったからだ。
驚愕するティフィラージに、イルジファルアは珍しく、楽しげに笑った。
「ヴァルケッドだ。新しい駒になる」
「新しい……?」
「勘違いするな。まだお前は捨てない。これからは、お前とヴァルケッド、二つ使う。それだけだ」
「……」
「ヴァルケッド」
呼ばれて、ヴァルケッドと呼ばれた男は、イルジファルアの前に跪いた。
満足気にそれの前に立ったイルジファルアは、ヴァルケッドに鞭を渡す。
「最初の命令だ。その男を躾け直せ」
ティフィラージは、これまでにない動揺した表情を見せた。
これまで、ティフィラージの躾はずっとイルジファルアが行ってきた。
しかしそれは、ティフィラージがこの部屋にいるときは、イルジファルアとティフィラージの二人だけだったからであって、他に意味があったわけではない。
駒のくせに、何を勘違いしているのか。
これは、徹底的に自分の立場を教え直したほうがいい。そう感じた。
「やれ。ヴァルケッド。私が良いと言うまで」
0
あなたにおすすめの小説
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。
竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。
あれこれめんどくさいです。
学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。
冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。
主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。
全てを知って後悔するのは…。
☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです!
☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。
囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる