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chap11.深く暗く賑やかな森
191.一匹の狼
しおりを挟む二人の兵士は、シグダードたちに協力する気などないようだし、これ以上は無駄だろう。そう思ったシグダードは、一同に振り向いた。
「とりあえず、屍だけでいいらしい……これから」
言いかけて、確かに、何かの気配を感じた。シグダードの背後の草木が揺れて、何かが近づいてくる。
シグダードは、そばにいたバルジッカに目で合図をした。彼とジョルジュ、フィズも、既に気づいているらしい。先ほどの小さな狼の子とは違う。大きなものが、こちらに近づいてくる。
しかし、草むらから飛び出してきたものは、見知った顔だった。小さな、少年のような男で、狐色の髪と目をして、頭には狼の耳が生えていて、お尻には大きな狐の尾がある。以前、シグダードとフィズを森の中で襲った狐妖狼族のタトキだ。
またこちらを餌にしようと、仲間を引き連れて狩りに来たとかと思い、シグダードは構えた。しかし、今度は事情が違うようだ。
タトキの服はあちこち薄汚れ、彼自身も、身体中に擦り傷やアザを作り、髪もボサボサだ。その上、彼のものではない血がついている。
おぼつかない足取りで、草むらから出てきた彼は、フラフラとその場に倒れてしまう。それをフィズが抱き止めた。
「タトキっ……! なんでっ……!?」
タトキは一人で、他に群れの仲間のようなものはいない。
それでも、周りにこちらを狙う捕食者がいるかもしれない。
バルジッカが立ち上がり、俺は周りを見てくると言って、タトキが出てきた草むらの方へ入っていく。
ジョルジュは、不思議そうにタトキを見下ろしていた。
「狐妖狼族……? 初めて見た……」
彼は、倒れたままのタトキにそっと触れて、生死を確かめている。致命傷になるような傷はないように見えたが、随分衰弱しているのか、タトキはぐったりとして目を閉じたまま動かない。
シグダードは、もしかしたら過去に彼らを騙し討ちしたことを恨んで出てきたのではないかと思ったが、そんな様子でもない。たった一人で出てきたタトキは、何日も狩りをしていないのか、ひどく痩せていた。
フィズと二人で森の中に入った時に、彼らがフィズを襲ったことは、今でも許せないが、こうして寝ていると、獣の耳と尻尾があること以外、彼は人族の男と変わらない。
シグダードが、ぐったりしているタトキの頬に触れると、彼は苦しそうに呻いていた。油断してしまいそうになる自分を戒める。
タトキがボロボロの服の中に何か隠し持っていないか、ジョルジュが確認し始めたので、シグダードは彼に注意を促した。
「……大人しいふりをしてとんでもない奴らだ……気をつけろよ。ジョルジュ」
「分かっている。しかし……随分傷だらけだな……何かに襲われたか? 咬み傷のようなものもある」
「…………手当てできるか?」
「やれるだけやってみよう。もしかしたら、トゥルライナーに襲われたのかもしれない。何か知っているなら、聞き出したい」
「トゥルライナーに、歯はなかったような気がするがな……」
シグダードが、タトキの腕や脚にある噛み跡を見て言うと、ジョルジュも難しい顔をしていた。
*
タトキは特に何も持っていなかった。倒れたままのタトキを、ジョルジュが手当てし、その後はリリファラッジとフィズが協力して介抱することになった。
タトキが目を覚ましてフィズたちに襲い掛からないよう、シグダードはそばでタトキを見張ることにした。
シグダードたちが、自らが襲われた時のことと、二度目に彼らにあった時のことを話すと、バルジッカとジョルジュは、野営の焚き火の周りを確認しに行ってくれた。しかし、周りには狐妖狼たちの姿はなく、本当に、周りに群れの仲間はいないようだ。
タトキに二度目に会った時、タトキはシグダードたちを逃したことを咎められ、狩りに成功するまで帰るなと言われたと、尻尾を垂れて途方に暮れていたが、今回はそれとも違うようだ。
「やはり……トゥルライナーなのか?」
考え込んだシグダードが、独り言のように言うと、そばでタトキの体を拭いていたリリファラッジが首を横に振る。
「そうは見えません。シグさんたちの話では、彼らは群れで人を襲う狩りを行うようですし、群れのお仲間と仲違いでもしたんでしょう。こんな小さな体をこんなふうに傷つけるなんて、酷いことをするものです」
「……なりが少年のように見えるだけだ。そいつらは危険だぞ」
シグダードが言うと、リリファラッジは、あなただって危険ですと言って、タトキの汚れた頬を布で拭っている。
「……それにしても、ずいぶん気持ちよさそうに寝ていますね……」
彼の言うとおり、タトキはフィズに膝枕をされてぐっすり眠っている。起きた時に暴れ出さないよう、ジョルジュが彼の両手を後ろ手に縛っているが、そんなことはまるで気になっていないようだ。
シグダードは、フィズの膝枕で寝る彼のことがだんたん腹立たしくなってきた。膝枕なんて、シグダードですらしてもらったことがないのに、フィズをエサと言い切った者が、フィズの膝の上でのうのうと寝ることが許せない。
「……おい……いつまで寝ている気だ? そいつ」
「え? 朝までじゃないんですか。だって今は夜ですから」
当然のことのようにフィズは言うが、まだ日が昇るまではかなり時間がある。その間、ずっとタトキがぐうぐう眠っているのかと思うと、それには耐えられないよう気がしてきた。
「……起こすぞ。そのチビ」
「は!? し、シグっ……!! ダメです!! せっかく寝てるのにっ……!」
フィズが止める間もなく、シグダードは、寝ているタトキに向かって、そばにあった、小指の爪くらいの大きさの小石を投げた。それはタトキの肩に当たっただけだったが、すぐにフィズとリリファラッジから猛烈な非難が飛んでくる。
「シグ!! 何てことするんですか!! 無防備に寝ている人に石を投げるなんて!!」
「本当に、見下げ果てた下衆です!! フィズ様、あんな男にはあくびでもした隙に、口に岩でも投げてやりましょう!」
二人してタトキを庇うので、シグダードは我慢できずに立ち上がった。
「そのチビが図々しいんだ! たたき起こしてやる!」
*
声を荒らげたリリファラッジとフィズの声が聞こえたのか、タトキは呻いて瞼を苦しそうに動かしている。
目を覚ます、そう思ったシグダードは、フィズの手を取り、自分の背中に隠した。リューヌも、シグダードの背後で震えている。リリファラッジには離れろと言って、シグダードは、剣の柄に手をかけた。
相手はこちらを餌だと認識している。目が覚めた途端、襲ってくるかもしれない。手負いの獣は危険だ。
ことの成り行きを見守っていたジョルジュとバルジッカも、すぐに臨戦態勢をとり、背後では、先ほどまで寝ていた白竜の長、リアンが鎌首をもたげていた。
そんな中、タトキは苦しそうに呻いて、目を覚ました。
「う……っ!! あ……お前たち!!」
こちらに気づいたタトキは、驚いて飛び退く。そしてその爪で、あっさり自分を縛る縄を切ってしまった。縛り方が緩かったわけではない。なにも武器は持っていなかったが、タトキの爪は、長く伸びていた。それで縄を切ったらしい。
そして、不思議そうに自分の体を見下ろしていた。怪我がすっかり治っているのが不思議なのだろう。
「なんで……」
「私たちが治療しました」
リリファラッジに言われて、タトキは顔を上げる。
ジョルジュとバルジッカ、シグダードは、タトキに対し警戒の姿勢を崩さなかったが、フィズは彼に心配そうな目を向け、リリファラッジは優しげに微笑んでいる。
「あなたが怪我をしていたので。もう、痛いところはありませんか?」
リリファラッジに優しく聞かれて、タトキは恐る恐るといった様子でうなずいていた。それでもこちらに対する、とりわけ、シグダードに対する警戒は緩めない。
彼はじっとシグダードを睨みつけて言った。
「なんでお前たちがこんなところにいるんだ!! あ、あの、化け物たちもっ……!」
「化け物?」
シグダードがたずねると、タトキの体がびくんと震える。やはり彼はトゥルライナーに襲われたのだと、シグダードはそう思った。
タトキはすでに、自分を縛る縄を切っている。こちらに向ける目からも、敵意しか感じない。シグダードは、彼がいつ襲いかかってきてもいいように、神経を尖らせ、口を開いた。
「群れはどうした? トゥルライナーにやられたか?」
「何を白々しい!! お前たちが森を奪うために、あの化け物を使ったんだろう!! お陰で群れは散り散り……みんなどこにいったのか……」
涙ぐみながら、ガタガタ震えだす彼は、よほど怖い目にあったのだろう。可哀相にも見えたが、警戒を解くわけにはいかない。
そんな張り詰めた中で、リリファラッジが前に出て、彼にそっと手を伸ばし、抱き寄せた。
シグダードは驚いて止めようとしたが、リリファラッジは、鋭い目でシグダードを睨む。そうして、シグダードたちの動きを止めてから、抱きしめたタトキを見下ろした。
「落ち着いてください。私たちは、あなたを傷つけるつもりはないんです。私たちは、森で暴れる、トゥルライナーの討伐のために、ここへ来ました」
優しく抱きしめられ、タトキは驚いて、リリファラッジを見上げている。
「トゥルライナー……? あれを……? でも……じ、じゃあ、あの化け物は、お前たちじゃないのか?」
「化け物とは、なんのことでしょう? 私たちは、森のことをほとんど知りません。どうか教えてくださいませんか?」
「………………」
俯くばかりのタトキが、シグダードはだんだん焦ったく感じてきた。どうやら、トゥルライナーに襲われたのではないようだが、だとすれば、彼ら狐妖狼を襲うようなものが、森をうろついていることになる。
「おい、タトキ。お前はトゥルライナーに襲われたのではないのか?」
シグダードが聞くと、タトキは震えて尻尾の毛を逆立てる。
そのおびえたような様子を見たリリファラッジが、彼を抱きしめ、シグダードに冷たく言った。
「シグさん。脅かさないであげてくだい。こんなに小さい子を」
「……なりが小さいだけだ。お前は、狐妖狼に襲われたことがないからそんなことを言えるんだ」
「馬鹿を言わないでください。シグさん……」
リリファラッジの目が、冷たさを増す。彼は、周囲を見渡して言った。
「ここを見てください。私たちは、あちらのイウィールさんたちを除いても、五人。それに、白竜の方々。対して、この小さな小さな狼さんはお一人です。その上、普段どんな群れを率いているか知りませんが、今は群れは散り散りだとか。今ここで暴れれば、例えば私を殺せたとしても、その後はどうするのです? 手を上げた途端、あなた方に剣で突き殺されてしまうではありませんか。そんなリスクを冒してまで、今ここで牙を剥くことに意味があるとは思えません」
冷気を孕んだ声で、囁くように言われて、タトキは悔しそうに歯噛みしている。リリファラッジの言うことはもっともで、いくらタトキが狩猟能力に長けた種族と言え、今は多勢に無勢。
それはタトキ自身にも分かっているのだろう。動かないタトキの首元に、リリファラッジの手が絡む。その片手には、いつのまにか短剣が握られていた。
「タトキさん……私は踊り子のリリファラッジ・ソディーと申します。非力で、剣の扱いにも慣れていませんが、抱きしめた相手の首を切ることは、なぜか得意なのです。例えば今、あなたが私を振り払おうとしても、致命傷とはいかないものの、あなたのどこか一つくらいは切り付けることができます。だって、これだけ近くにいるのですから。フィズ様たちにうかがったところによると、あなた方は私たちを餌と見て、狩ってきたとか。人を食う獣の肉は、どのような味がするのでしょう?」
「あ…………」
「そんなに震えないでください。私たちは、あなたのような、群れからはぐれた小さな狼をいじめるために来たのではありません。あなたは化け物に襲われたと言いましたが、どうやら私たちにとっても、その情報は有益なようです。どうか話してください。せっかくこうして会えたんです。協力しませんか?」
言われて、タトキは震えながらも頷く。しませんか? と優しく問いかけてはいるが、頷くしかないのだろう。
うまいものだと、シグダードは思った。彼を優しく眠らせたのも、彼に優しく話しかけたのも、油断を誘い背後に回るための作戦だ。
しかし、そうでもしなければ、恐怖と敵意に駆られたタトキは、襲いかかってきたかもしれない。そうなれば、殺すしかなくなる。
シグダードは、剣から手を離し、タトキに近づいた。
「話してくれ。この森のトゥルライナーを破壊しなければ、私たちは殺されるんだ」
「……」
タトキは、しばらく黙って、耐えきれなくなったのか、ガタガタ震えながら口を開く。
「トゥルライナーじゃない……み、見たことないものが襲ってくるんだっ……! 水の塊みたいなものがっ!!」
「水だと?」
シグダードが聞き返すと、タトキはますます震え出す。
「そ、それに触れたら、みんな苦しみ出して……どれだけ切り付けても、襲ってくるんだ!! 僕らはみんな逃げて……群れも……どこに行ったのか分からないんだ!!」
そう言って、彼は泣き出してしまう。嘘はついていないようだが、トゥルライナー以外にも、正体の分からない敵がいると知り、誰もが驚きを隠せないようだった。
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