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78.マスターを守らなきゃ

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 早く帰らなきゃ。レヴェリルインにここに来たことがバレたら、つまみ出されちゃう。

 来た道を戻る。

 すると、僕が走ってきた突き当たりの廊下を、一人の男が横切って行くのが見えた。

 あれは……

 ぞっとして、立ち止まる。あの男……背が高くて茶色い髪の、どことなく人を見下すような目をした男……僕の兄で、家の次男のデーロワイルだ。

 やっぱり……ここにいたんだ。横切っている時、何か魔法具みたいなものを持っているのが見えた。

 何であいつが魔法具を持っているんだ? やっぱり、あの兄も魔法具の回収に関係したのか? まさか、レヴェリルインに何かしたのか? 彼にまで、何か無理な要求をしたのか?

 僕のマスターが、あの男にひどい目に遭わされるような気がしてくる。魔法具を取り返さなきゃならないマスターに、兄が何かしていたら……

 ゾッとした。今でも、あの時のことを思い出す。あの屋敷で、必死に兄たちの魔法から逃げていた時のことを。

 僕は、兄が去って行った方に振り向いた。こんなことをしていたらダメだ。ギルドへ戻らなきゃ。レヴェリルインにだって、待ってろって言われてるんだ。彼の無事はもう確認したんだし、魔法具の回収だって、うまくいったように話していたじゃないか。

 僕は、ここにいちゃいけない。

 それなのに、どうしても動けない。あの男がレヴェリルインのそばにいる。それがなんでなのか知らないと、怖い。

 レヴェリルインが傷つけられたら……そう思ったら怖くて、僕は、デーロワイルの去っていった方に走っていた。

 突き当たりを曲がると、奥にある扉がちょうど閉まるところだった。そこがパタンと音を立てて閉まるのを見て、僕もそっちに走った。

 ドアの前で立ち止まる。すぐにドアを開けるつもりが、開けようとした手が震えて、ドアノブに触れることすらできない。

 また、あの日の記憶が僕を止める。また酷い目にあいたくないという生存本能で、体が動かなくなってしまったようだ。

 自分から、自分を追う人間のいる場所に飛び込むなんて、馬鹿げてる。

 だけど、レヴェリルインに手を出されたくない。レヴェリルインは、僕のマスターだ。僕が守る。彼を誰かが傷つけるなんて許さない。それが何であってもだ。

 まだ震えてる手で、僕は、ドアノブに触れた。

 心臓が強く早く打って、全身が緊張する。恐怖に耐えて、僕は扉を開いた。

 そのドアの向こうは、暗い部屋だった。カーテンが全部閉められているんだ。誰かの部屋なのか、それとも客のために用意された部屋なのか、使った様子のない、シーツが綺麗にかけられたベッドと、一輪挿しが置かれたテーブルがあった。

 そこにいた男が、ノックもなしに勝手に入ってきた僕に驚いて振り向く。

「誰だっ……!? 勝手に…………コフィレグトグス?」
「兄様……」

 僕を見下ろす姿は、僕が最後にあの屋敷で別れた時と同じだ。

「何でこんなところに…………ここへ来たのは、レヴェリルイン様だけじゃなかったのか?」
「……」

 どうしよう……怖くて、声が出ない。ここで何をしているのか聞くつもりだったのに、怖くてたまらない。

 何してるんだ僕……さっき、レヴェリルインを守るって言った時の勢いはどうしたんだ。それでも、自分でも呆れるほど怖くて仕方ない。

 デーロワイルは、僕の様子が気に入らなかったらしく、僕に近づいてきた。

「何を黙っている? 答えろ。なぜここにいる!?」
「……あ、あの……っ!」
「……なんだ? 早く言え!」
「……ぼ、僕は……っ! か、勝手に……つ、ついて来ただけ、です……」
「勝手に? まさかお前、レヴェリルイン様のところで勝手な真似を……いや、そんなことより、お前がクリウールト殿下を怒らせたというのは本当か!?」
「……」

 怒鳴るように聞かれて、僕は恐怖で声が出ない。

 怖くて怖くて、仕方なかった。

 レヴェリルインを守るはずだったのに、恐れは僕の体を縛り上げて、簡単にその自由を奪ってしまう。

 兄は、僕を冷たい目で見下ろしていた。僕が黙っているから、その話は本当だと思ったらしい。

「本当なのか……この役立たずがっ!!」

 叫んだ兄が飛ばした魔法の玉が、僕を弾き飛ばす。激しい痛みと共に、僕はその場に倒れた。

 兄が飛ばしたのは、いつも僕を殴り飛ばしていたものと変わらない。魔法で作ったボールのようなもので、それで腹を打たれた僕は、苦しくて、一瞬、声が出なかった。息ができない。死んでしまいそうだった。

 倒れたままの僕に、兄が迫ってくる。立たなきゃ。何をされるかわからない。けれど、膝がガクガク震えて、僕は立てないまま、後退りするのが精一杯だった。

 何をしているんだ。昔はもっと上手く、ちゃんと逃げられたのに。それなのに、今は怖くてたまらないなんて。

 後退りしていたら、すぐに、背中に壁がぶつかった。

 追い詰められた僕に向かって、再び魔法の玉が飛んでくる。それは僕の頬を打って、口の中が切れた。だらだら血が出てくる。

「余計なことをして……お前、毒の魔法も失敗したんだろう!? このっ……失敗作がっ!!」
「……ごめんなさい……」
「どういうつもりだ! お前がさっさと処分されていれば、ことが大きくなることもなかったんだ!」
「…………ごめんなさい……」
「それなのに、お前がだらだらと生き延びているせいで、俺たち一族の悪評まで広まっているんだぞ!! さっさと死ねばいいものをっ……!」
「………………ごめんなさい……すべて、僕の……責任です……」

 いつのまにか繰り返していた言葉は、かつて、僕がレヴェリルインに連れて行かれる前に繰り返していた言葉と、まるで同じだった。

 僕は、あの時と変わっていないんだ。相変わらず、臆病で情けないまま。

 苛立った様子の兄が、僕の胸ぐらを掴む。

「グズのお前でも唯一、家族の役に立つチャンスがある……禁書はどこだ?」

 禁書……?

 それを聞いて、僕は微かに反応してしまった。

 やっぱりこの男は、禁書のためにきたのか? あれは、魔物に有効な手段らしいし、遠くまで足を運んでも欲しいものかもしれない。

 だけど……それなら尚更、この人に禁書のことは話せない。あれは、レヴェリルインのものだ。

「どうなんだ? レヴェリルインにくっついていたお前なら、分かるだろう!?」

 僕は、首を横に振った。

 禁書のことは話せない。レヴェリルインは、それを手に入れるために来たんだ。

 震える声で、知らないと繰り返した。だけど、その態度は余計に相手に変な疑いを持たせてしまったらしい。

 兄は、嫌な顔で笑う。

「お前……知ってるだろう?」
「……し、知り……ません……」
「話せ。役立たずのお前でも、魔物に対する有効な手段が必要なことは理解できるはずだ」
「はい……」
「それなら、さっさと話せ。禁書はどこだ? 結界に関する本のことだ。話せ!!」
「……で、できません……」
「なんだと?」
「あ、あれは……れ、レヴェリルインのものです……」
「あ?」

 怒ったのか、兄はまた魔法を放とうとする。けれど、すぐに手を下ろした。諦めたのかと思ったけど、違ったようだ。

 兄は、僕の口を塞いで、ドアの向こうの様子を窺っていた。

 ドアの向こうから、レヴェリルインの声がする。さっきの人と話しながら走っているようだけど、声が聞き取れない。兄が、この部屋全体に結界を張ったからだ。
 デーロワイルは、この魔法が得意。よく僕は、この魔法で誰も来ない空間に連れ込まれて、魔法で何度も体を打たれた。

 しばらくして、レヴェリルインの声は聞こえなくなった。

「レヴェリルインたちが部屋を出たか……今なら……チャンスだ」

 そう言って、兄は僕に振り向いた。

「俺と来い。禁書を探すんだ」
「……」

 絶対に嫌だ。誰がこんな奴のために。こんな男に、力を貸したくなんかない。

 けれど黙っていても、兄はドアを開けて、部屋を出て行こうとする。
 僕は、その男に飛びついた。この男の目的は魔法具だ。レヴェリルインたちの邪魔をする。そんなこと、させない。

 足止めをしなきゃ……この男に、禁書は探させない。だけど、どうやって?

 恐怖で半ば混乱した頭のまま、僕は、口を開いた。

「……あ、あ、あの……僕、し、知って……ますっ……!」
「なんだと?」
「……僕、き、禁書のことっ……知って、ます……あ、案内……しますから……」

 レヴェリルインを守らなきゃ。今、この兄をここから出すわけにはいかない。少しでも時間稼ぎしなきゃ。その間に、レヴェリルインの手に禁書が渡ってくれれば、兄だって、手出しできないはず。

 そいつは、僕の顔を覗き込んで、恐ろしい顔で笑った。

「分かった。禁書が見つからなかったら、ただじゃ置かないぞ」
「…………はい」

 この男に嘘をついたらどうなるか、僕だってわかってる。もう……もしかしたら、レヴェリルインにも会えないかもしれない。彼に会えなくなるんで嫌だ。ずっと、彼のそばにいたい。離れたくない。

 だけど、レヴェリルインが傷つけられるのを黙って見ているなんて、できない。精一杯仕えるって、決めたんだ。僕が今もこうして生きているのは、全部、レヴェリルインのおかげなんだから。

「それで? 禁書はどこだ?」
「あ、あ、案内……します……」

 声は震えていた。でも……僕は、レヴェリルインを守るんだ。

 決意して、僕はドアに振り向いた。すると、すでにそこには、レヴェリルインが立っていた。

「マスター……」

 なんで、ここに……

 レヴェリルインの背後のドアが開いている。兄が結界を張っていたはずなのに。それすら、あっさり破ってしまったらしい。

 レヴェリルインは、僕を見下ろしていた。

「コフィレグトグス……」
「あ、あの……僕…………」

 ど、どうしよう…………まさか、こんなに早く見つかるなんて思わなかった。

 慌てるばかりの僕の頬に、彼が触れた。僕が勝手について来たことを知って、怒っているかと思ったのに、彼の手はすごく優しかった。
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