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100.こんな風じゃなく好きになりたかった

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 僕は、足元のロウィフを見下ろした。

「……な、何してるんですか……!?」
「僕、お前を見張れって言われてるんだよ。話しただろ……」
「……僕、何もしません」

 嫌だな……ロウィフまで、敵なのか? 彼のことは、疑いたくないのに。僕とレヴェリルインが一緒にいればいいって、そう言ってくれる人なのに。

 ロウィフは、僕を見上げていた。

「……その杖、お前のなんだろ?」
「え……?」

 杖って、僕がフードにつけている、これ?? これなら、確かに僕のだけど……なんで今更そんなこと聞くんだろう。これは、レヴェリルインにもらった、大事なものなのに。

 ロウィフまで、彼に興味があるのか? レヴェリルインに近づかないでほしいのに。レヴェリルインに何の用なんだ。

 ダメだ。どうしても、レヴェリルインのことになると、僕の感情は余計に吹き出す。やっと見つけた大事な彼を、奪われてしまう気がするんだ。いざとなれば逃げ出すくせに……どれだけめんどくさいんだ。僕。

 ロウィフは、俯いてため息をついていた。

「そんな顔しなくても、お前の杖を奪う気はないよ……もちろん、お前からお前のマスターを取ろうなんて、夢にも思わないし、心底いらないから。安心して」
「え……?」
「お前しかその杖の力を使えないのは本当だ。レヴェリルインの奴、本当にお前に魔力を返すことしか考えてない…………おかしいんじゃないのか?」
「マスターはおかしくなんかありません!!」
「あー……うるさい。叫ぶなよ。かと言って、お前を連れて行ったらレヴェリルインに何されるかわからないし…………もうここにいるのも怖い」
「……な、何か、怖いことがあるんですか?」
「あるよ。いろいろ。特に、お前」
「えっ!? 僕……? ぼ、僕は、ロウィフに……何もしません」
「……今はね。もう素直にレヴェリルインに、コフィレに手を出さないから魔物を何とかしてって言うのが一番早いような気がしてきた。毒の魔法は惜しいけど……その杖、貸してくれない?」
「だめです」
「ちょっとだけ」
「マスターが許可しない人に、これは渡せません! 欲しければ……マスターに許可をもらってください!」
「……これだよ。困ったな……」

 彼はため息をついているけど、僕はたとえ許可があっても、これを渡したくはない。

 やっぱり……この杖を狙う人は多いのかな。これは、レヴェリルインの大事なものなのに。デーロワイルも、やっぱり……

 腹から湧いた感情に突き動かされ、僕は立ち上がった。

 そのままレヴェリルインを追いかけそうになったけど、僕の最後に残った理性が、僕を止める。

 落ち着け。デーロワイルは、レヴェリルインを呼びに来ただけだ。レヴェリルインに用事があるのはドルニテットで、デーロワイルは、それを伝えにきただけにすぎない。気にすることなんかない。

 なんとかそう思い込んで自分を納得させようとした。

 ロウィフが呆れた目で「なにやってるのー? 怖いよー」って言っている。

 だけど僕の頭はレヴェリルインのことばかり考えてる。

 ちょっと廊下を見るくらい、いいんじゃないか? そもそも、なんでデーロワイルが、僕のマスターであるレヴェリルインのそばにいるんだ。

 レヴェリルインには休めって言われているけれど、少し、部屋の外に出てみるだけだ。ちょっと出て、それからすぐに帰ってくればいい。

 僕は、デーロワイルが去って行った方に走った。ロウィフもウサギの姿のままついてくる。

 廊下を走って、階段を降りる。受付があるところから奥に行くと、裏庭に出ることができるんだ。

 けれど、受付まで来た僕は、そこで足を止めた。
 ドルニテットが受付の人と話していたんだ。

 何をしているんだ?? さっき、デーロワイルがドルニテットが呼んでるって言ってたのに。レヴェリルインの姿はどこにもない。

 僕は、慌ててドルニテットたちに駆け寄った。

「あ、あのっ……!」

 するとドルニテットは、怖い目で僕に振り返る。

「なんだ……? 貴様程度が俺に話しかけるなど、図々しいにも程があるだろう」
「あのっ……! マスターは……あ、会いに来ていませんか!?」
「貴様……ついに俺の言うことを無視するようになったか……」
「ご、ごめんなさいっ……でもっ……あの! ま、マスターが騙されているかもしれないんです!! マスターは、あなたに会いに来ませんでしたか?」
「……兄上とは会っていない。どういうことだ?」

 ……じゃあ、デーロワイルが言っていた、ドルニテットが呼んでいるっていうのは……うそ??

 なんでそんな嘘をつくんだ。

 こんなのおかしい。

 僕は、裏口のドアの方に急いだ。裏庭に出て走ると、そこは芝生が広がり、美しい花を咲かせる庭木が並んでいる。その木の下で、デーロワイルが立っていた。

 その男は、右手に何か持っている。禁書じゃないか。あれは、レヴェリルインの大切なものなのに。

 また、来た。

 あいつが、僕のことを奪いに来た。

 微かにまだ、その男に対する恐れは残っていた。散々追い回された恐怖は、僕の奥底に根を張っている。少しだけ残ったそれは、まるで僕の中にできた古傷のようで、僕を湧き出す恐怖で縛る。

 けれど今は、それを餌に育ったそれ以外の感情だって湧いてくる。

 僕はレヴェリルインのそばにいたいだけ。レヴェリルインだって、そばにいてくれるのに。

 それなのに、あいつは何度でも、僕の邪魔をする。
 それだけなら我慢できたのに、今度は、レヴェリルインの大事なものまで奪いに来た。

 なんで……?

 禁書を持った男は、僕に振り向いた。いつかそいつが僕を見た時と、何も変わっていない目で。

「コフィレグトグス……? もう気づいたのか?」
「気づく……? ……何にですか……? 兄様……」
「……」
「……禁書……返してください。それは、マスターのものです」
「……これは、お前たちなんかが持っていていいものじゃない」
「…………それはマスターのものですっ……! 返してください!」

 叫ぶ僕に、そいつは魔法の弾を放つ。けれどそれは、僕がフードから引き抜いた杖で振り払うと、すぐに消えた。

 兄は、ひどく驚いていた。

 まだ微かに、その男に対する恐れはあるはずだった。
 けれど、一歩踏み出したその後は、早かった。

 僕は、魔法で短剣を呼び出していた。魔法が戻ってきた。できることが増えた。こうして刃を握ることだって、簡単にできるようになってしまった。相手に、削り出されたままの敵意を向けることも。

 刃を握りしめ、走る。いつしか、僕はただじっと、その男の喉笛を見つめていた。

 デーロワイルが顔色を変える。僕が襲ってくるなんて、思わなかったんだろう。今はもうその顔すら、僕を突き動かす。

 僕と、僕の大事な人の今を脅かすものは、許さない。

 何か言いかけたそいつに、僕の手が届いた。

 驚く男に飛びかかり、地面に押さえつける。存外簡単に、相手は倒れた。

 兄は、僕が振り上げた短剣の下で、震えて真っ青な顔をしていた。

「な、なんだよ! お前!!」
「…………返してください……禁書。それはマスターのもの……マスターだけの……マスターの大切なものです! 勝手に触れないでください!」
「はあ!? な、何言ってるんだよ!! 何なんだよお前! 何がマスターだよ! あいつは失敗したんだ!! お前は、失敗作なんだよ!!! 何勝手に懐いてんだよ……気持ち悪い!! お前……一体……少しおかしいぞ!!」
「え……?」

 おかしい? 僕が?

 どういうこと……?

 そう思って驚くのに、こんな風に感じることは初めてではなかったようで、僕の腹の中で微かな声を上げている。

 それを呼び覚ますような兄の言葉に僕が固まっていたら、兄はさらに続けた。

「おかしいだろ!! 急にキレたり飛びかかって来たりっ……! しばらく会わないうちに頭おかしくなったのか!? お前っ……ずっとレヴェリルインのこと見てるだろう! チョロチョロ鬱陶しくまとわりついて……な、なんなんだよお前っ……気持ち悪い!!!!」
「……」

 気持ち悪い……? 僕が?
 ……おかしい? 僕が??

 なんだよ。それ。

 そんなの、僕だって自覚してる。何度も。だけど、気づかないふりしてた。自分は従者だって、何度も繰り返して。

 だけど、レヴェリルインに向ける思いは、ずっと歪な形のまま膨らんで、もう自分でも持て余すようになった。

 何度も苦しくて、レヴェリルインのことだって、困らせて。

 僕だって、こんなの嫌だよ。僕だって、まっすぐに恋がしたかった。ただその人を好きになって、その人を大切に思って、自分のことだって、一生懸命磨いて、そんな自分でその人の前に立って、ただ好きだって、思いを伝えてみたかった。隣にいて、幸せだって言って、笑うレヴェリルインの隣で、僕も笑顔でいたかった。その人のために一生懸命で、その人からの愛だって、笑って受け取って、同じものを僕も返して。そうやって、好きになった人と並んで、微笑んで、愛していますって、言ってみたかった。好きになって、愛して、愛されて、それを素直に受け取ってみたかったよ。

 だけど、愛するにも愛されるにも、僕の胸は、もう穴だらけで、動くのが不思議なくらい、あちこち崩れているんだ。

 僕だって、愛した人を大切にしたかったのに。恋をして、好きな人ができて、好きな人のことを考えていたかった。こんなふうにならずに生きてみたかった。

 体の中に、何かが広がる。

 僕の中に巣食ったものが僕を支配する。

 これは、何だ。

 僕の奥にずっと巣食って、僕の土台に食いついて、同化している、これは。いつも僕の意志に纏わりついて、枷のように、僕を止める。

 僕を傷つけるものはもうないはずなのに、レヴェリルインに大事にされて、屋敷からも城からも連れ出されたのに、まだ、僕の中に住んでいる。中から僕を食い破る、僕を否定するもの。それは僕の心に侵食して、大事だった受け取るはずのものを、僕の手から払い落とす。

 いつのまにか、僕の動かなくなった目から、涙が落ちていた。開きっぱなしの唇から、微かに涙が入ってくる。
 感情に支配されて、もう、体はまともに動かなくなっていた。

 兄は、僕に背を向け、魔法の羽を作って空に飛び上がった。禁書を持ったまま。

 魔力が戻ってきた。できることが増えた。今だって、魔法を使って逃げるものを追うことができる。

 僕は、魔法で空を飛んで、兄を追いかけた。
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