従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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9話 健やか新婚生活へのススメ 1

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 アルグとの関係を他者に公表することについて、流石に腹を括ったとはいえ、ルスターも多少なりとも不安におもわなくもなく。
 まずは必要最低限の相手から。その後は都度タイミングによって公表しましょう。――なんて事をアルグと打ち合わせたのが若干虚しくなるほど、今回の事件でアルグとの婚約、結婚の事が明るみに出てしまった。
 従者の仕事には戻りたい。しかしながら流石に晒されるだろう好奇の視線を考えると気分は重くなるものだ。とはいえそんな感情を表に出せば、アルグはこれ幸いと「無理をしなくても良いのでは」と、心配とわずかにほの暗い期待の目を向けてくるだろう事は想像に難くなく。「これもいつか通る道」と気合いを入れた、従者復帰の朝のこと。

「良かったー!! ほ、本当にっ、よがった!! 無事で!! またあえて良かったあ゛あ゛あ゛ぁ~~~!」
「!?」

 今後は護衛として、エンブラント隊の者が迎えに来る、とは聞いていたが。
 約束の時間通りにドアノッカーとモルトレントの声が響いてドアを開ければ、そこにはモルトレントから一歩引いた後ろに、まるで階段のようにモルトレントより頭一つ低い小柄な若者と、対象的に頭が一つ背の高い男が立っていた。
 自己紹介を、と思ったとたん、明るいくせのある栗毛の小柄な若者が崩れ落ちて、ルスターは目を丸くする。

「はいはい、ほらディテル氏に迷惑だからなジョゼ……あーもう、すみませんね騒がしくって」
「いえ、あの、大丈夫ですか……?」

 こんな反応をもらうほど、ルスターはこの若者に見覚えが無いのだが。
 べし、っとモルトレントに頭を軽く叩かれ、ジョゼと呼ばれた青年は膝を突いたまま顔を上げて赤くなった鼻をすする。

「すみまぜん、オレが、弱っちいから、ちゃんと助けられなぐて、むりで、死ぬんじゃないかと、隊長もブチギレて殺しそうだし、助けたはずなのに、隊長やべえし、ほんとオレのぜいで、ずみまぜん……」

 鼻水を啜りながらの、とぎれとぎれの言葉に困惑しつつ、ルスターは半ば助けを求めるようにモルトレントに視線を投げる。それにモルトレントが苦笑をしながら頭を掻いて補足をしてくれた内容によると。
 実はこのジョゼこそが、ルスター誘拐の救出が早くなった功労者らしい。
 諜報部隊ではないものの、彼はその小柄な身と勘の良さをから、監視、尾行、隠密を得意としている隊員で。偶然にもエンブラント隊庁舎のそばで怪しい動きをする男を見かけ、気になってちょっと監視をして見たらまさかのそれがルスター誘拐犯だった、というわけだ。
 ただ基本的にジョゼは騎士と言っても実戦部隊ではないことからわかるように、その腕っぷしはあまり芳しくない。
 まさか目の前で誘拐が起こるなんて思いもせず、単独だったために1対2、しかも意識を失ったルスターを守って立ち回るという選択肢を選ぶのは彼には重荷だった。
 結果、荷車でルスターを連れ去る相手に気づかれないように、見失わないようにと死にものぐるいで尾行をして、拉致先の確認と応援要請をした後は精神的プレッシャーからぶっ倒れてしまった。そして次に目を覚まして、慌てて救助がどうなったのかを確認しに出たら、人を今にも殺しそうな形相のアルグとその腕の中でぐったりした顔色が悪いルスターが運ばれてゆくところだった、と言うわけで。

「うちの小隊は基本的に実戦部隊じゃないし、こいつも元々は八百屋の息子なもんだから、被害者の従者さんには悪いけど、今回の事は仕方がないって言うか、向き不向きもあって十分動けた方なんだけどね……」

 アルグの様子は明らかにピリついているし、ルスターは戻ってこないしで、ジョゼは己の力不足に自責の念を拗らせてしまったらしい。

「そんな訳で謝罪したいって聞かなくて」
「オレっ、ホント、すみませんっ、もっと頑張って、次は、訓練、頑張るので……っ」
「いや、だから。お前が頑張るのは戦闘じゃなくて良いって言ってるでしょ」

 モルトレントがチラリと、申し訳なさそうにルスターに視線を寄越す。
 その視線の意味する内容を正確に読み取って。

「ジョゼさん、この度はありがとうございました」
「うぇっ!?」

 膝を折ったジョゼと目線を合わすようにルスターはしゃがんでジョゼの手を取る。

「貴方が私の誘拐に気づいて下さり、早々に隊へ通報して下さったおかげで大変助かりました」
「で、でも、オレ、オレが、もっと強かったら……」
「確かにその場で助けて頂けていたら一番でしたが、はたしてそれが出来る人間はエンブラント隊にどれ位いますか?」

 ルスターの言葉に、ジョゼの視線がふよふよと惑う。
 一対一でも、人を制圧する事は難しい。それが一対二、さらに誰かを守るなんて捨て身を覚悟したとしても非常に困難だ。不意打ちや罠を張れば出来ないこともないだろうが。
 それらを有効な形で実践するのにも技術がいる。一朝一夕で身につけられる物でもない事を、きちんと訓練をしているなら余計に分かるはずで。
 ジョゼの頭の中には、遂行可能だと思われるエンブラント隊の精鋭陣の顔が浮かぶが、それらに並ぶのはそれこそ毎日訓練を死に物狂いで頑張ってもいつ追いつけるか。そもそも体格から素養の部分でジョゼから酷く遠い存在だった。

「正直な話、もしこれが私とジョゼさんが逆の立場でしたら、きっと私は誰が誘拐したなど突き止めることも出来なかったでしょう」
「それは、ディテルさんは従者さんだから……」
「そう、私は騎士ではなくアルグ様の従者です。そしてあなたも実戦部隊の隊員ではなく補給部隊の隊員です。人にはそれぞれ役割があり、多くのことが出来ればそれは素晴らしい事ですが、すべては手に入らない」
「……」

 ルスターがなにを言いたいか分かったのだろう、ジョゼはぎゅっと唇を引き絞って。

「ごめん、なさ……いや、すみません、取り乱して」
「いえいえ、こちらこそこの度はご迷惑をおかけしました。そして、尽力して頂き、本当にありがとうございます」
「……っ、どう、いたしまして。良かったです、ちゃんと助けられて」

 憑きものが落ちたようにほっとした顔をして、よろよろと立ち上がるジョゼの肩をモルトレントが叩く。そしてその横から大きな手が伸びてきて。

「っひょ!? あ、アルル!! お前、急にやめろって!」
「……自分、護衛です。もしもの時、抱えて逃げます」

 モルトレントの後ろでじっと見守るように佇んでいた男が、唐突にジョゼの腰を掴み、小麦袋を扱っているかのように肩に担いだ。小柄とはいえ成人男性のジョゼを持ち上げるのに全くよろけることもなく、しかし体格の割に小さな声だった。
 アルルとは、可愛らしい名前だが彼の名前らしい。
 ジタバタと控えめだが抱えられた状態に抵抗するジョゼをまるで気にした様子もなく、短い灰色の髪の男はケロリとしている。ジョゼの腰を掴んだ浅黒い肌の腕にはみっしりとした筋肉が乗っていて、なかなかの力自慢らしい。

「あー、紹介が遅れましたが、コイツはアルル。従者さんの護衛です。腕っ節は強くないですが、このなりで足がべらぼうに速くて、見ての通りの怪力なんで。たぶん従者さんとジョゼぐらいなら余裕で抱えて大抵は逃げ切れるかと」
「もしかしてジョゼさんも、ですか?」
「ええ、普段こいつら二人で組んでるんで。あと、ジョゼは目も勘も良いから、事前に危険予防が出来るかと」
「オレの勘と隠れ方は野生動物並みってよく褒められます!」

 元気にアルルの肩の上からジョゼがサムズアップしてくるが、若干それは本当に褒められているのだろうか、と思いつつ。
 身を守るのに一番効果的な対策はとにかく素早い逃亡だ。
 腕っ節にどんなに自信があっても、数の差の前には勝てない。だから不利な状況になる前に気づき逃げる、と言う方針で選ばれた人選らしい。
 ルスターの護衛任務で下手に隊の戦力を削るわけでもなく、かと言って対策を甘んじる訳でもなく。そもそも標的にされる確率は少なく、自ら危険を冒すような事をするつもりも無ければ、極めて合理的な判断だ。この人選はアルグよるものというより、サーフの采配だろうか。

「そうだったんですね、これからどうぞよろしくお願いします」
「はい! 絶対やべー奴を従者さんに近づけないっすから!」
「……っス」
「アルル、お前ね……」
「……頑張ります……」
「あーうん、ジョゼ、頼んだ」
「頼まれました! アルルは恥ずかしがり屋なんでしゃべるの苦手ですけど、めっちゃ良い奴ですから! 大丈夫ですよ!」
「って、事なんで。すいません、癖が強い奴ばっかで」

 へらり、と笑うモルトレントと(ジョゼの事、ありがとうございます)(いえいえ、そもそもは私の油断でご迷惑をかけて)(いやいやいや……)と、目だけで会話する。

「……ところで、隊の方はどうでしょうか」
「ははは、うん、何というか、まあ色々……色々とあったと言うか、現在進行形であります、ねぇ……」

 さて顔合わせもすんだことだし、エンブラント隊の庁舎へと向かいますかと、歩みを始めたところで。
 思いがけず賑やかなやりとりで緊張は吹き飛ばされたが、またじわじわとプレッシャーがにじり寄ってくるのを感じながら、ルスターは話を向ける。
 するとモルトレントは乾いた笑いをして、なんと言ったら良いのか分からないというように視線を泳がせるものだから、申し訳がない。
 アルグとの関係についても十分に驚かせただろうし、ルスターを悩ませたアルグの様子でもおおいにエンブラント隊を混乱させてしまったのは間違いないだろう。
 もとより反発や批判があがるだろうと思っていたが、さらに今回の事件でアルグとの結婚と従者としての資質についても何かしらの傷を付けてしまっただろうな、とルスターは思いを馳せる。

「いやま、ここ数日やっと隊長が元の調子に戻ったんで落ち着くかと思ったんですが、ちょっと調子にのったアホがいまして」
「……?」

 モルトレントは落ち着きなく己の顎をさすりながら苦笑する。

「従者さんも予想はされているとは思いますが、結婚ってのは最終的に本人同士の問題じゃないですか。一応親族になるからとはいえ、身内ですら口を出すのは憚れるもんなのに、外野のくせにケチを付けたがる人間が、隊長が元の調子に戻ったら急に元気に口を開くようになりまして」

 気づかう視線をモルトレントが送ってくる。それに、分かっています大丈夫ですよと頷き返す。

「まあ、その手の輩をまるっと全員、副長と隊長が今日、呼び出してるんですよね」
「はい?」

 ヒクリと、笑顔の頬を引き攣らせたルスターに「その顔はやっぱり話を聞いて無いですよね」と、モルトレントは肩を下げた。

「俺んとこで調べたざっくりとした情報ですが、本当は昨日のウチに呼び出しを済ませておきたかったけど、流石に難しかったみたいで」
「私の復帰前に片付けようとして、ですか」
「多分そうですね。ちなみにアルルはともかく、ジョゼとの顔合わせは庁舎でしようと思ってたんですが、わざわざ先に連れて行くように言われまして」
「……時間稼ぎに?」
「でしょうねぇ」

 気の回るモルトレントの事だ。ジョゼの様子をサーフやアルグへ報告していないはずがない。それを知った上でそんな指示をしたというなら、わざわざエンブラント隊へ来る前に時間を取らせようとしているとしか思えない。
 アルグはともかくサーフまで、一体、何を考えているのか。

「しかし、話しても良かったんですか……?」
「マズイでしょうけど、どうせ後で絶対従者さんの耳に入るでしょうし、お気持ち的に先に知っておきたいでしょう? 俺の勝手なお節介ですが」
「助かります」

 ルスターの言葉に、モルトレントは「臨機応変は大切ですが、サプライズは楽しいこと以外では心の準備をしておきたいですよね」なんて少し疲れた目をして、気遣い屋の彼の苦労を垣間見る。

「それで、急ぎます?」
「いえ、下手に横から状況も分からず飛び込む訳にもいかないので。このまま予定通りに」
「流石に隊長たちが何をどうするつもりかは俺にも分からなくって。中途半端でスミマセン」
「モルトレント様は十分にして下さってます。……でも、サーフ様がいるなら大丈夫、でしょうか」
「ええ、うん、隊長も調子が戻っているし、大丈夫だと思いますよ、きっと」

 うっかり「アルグとルスターを支える方向で頑張ったらいいんじゃないですか」なんて、直近でサーフを焚きつけたのを思いだして、モルトレントは目を泳がせる。冷静で頭の切れる年下上司が、以外と人間くさく拗らせて、年相応に青くたまに抜けている事を最近知ってしまったので、今回の件に対して贖罪にと暴走していないか、ちょっぴり心配だが、多分きっと大丈夫、大丈夫……と自分に言い聞かせる。
 そんなモルトレントと同様にルスターもまた。

「……ここ数日、アルグ様を甘やかし過ぎてしまいましたからね……」

 そっと視線をあさってに飛ばし、従者への復帰が決まってから、張り切り過ぎてやらかした己の所業と、その結果引き起こされた状況を思い出し、自分を誤魔化すように呟いた。

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