従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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9話 健やか新婚生活へのススメ 2

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 時は少し遡って。

「お前の復帰についてサーフに話してきた。ただ護衛の準備や週末も挟む関係上、正式な復帰は4日ではなく6日後、という事に……」
「そうですか、分かりました」

 いつも真っ直ぐと正面から相手を見据えて話すアルグの視線が、それは気まずげにゆれているな、と思ったら。告げられた内容にああなるほどと納得してルスターは頷き返す。

「……」
「アルグ様、上着を……?」
「っ、ルスター、俺はお前の早々の復帰を望んではいないが、しかしワザと日にちを伸ばした訳では」
「わかっております、大丈夫ですよ」

 アルグの帰宅を玄関にて出迎えながら。上着を受け取ろうと差し出してきたルスターの手をとり、真面目な顔をしてそんな事を宣うアルグに、ルスターは隠さず苦笑する。
 一日でも早い復帰をと、アルグに日にちの交渉をしたものの。ルスターとて、それがそのままエンブラント隊組織相手に通るとは思ってはいなかった。
 アレはあくまでもアルグに対する己の意欲のアピールであり、あまり準備がズルズルと長引かないようにという牽制を込めたのだ。
 だからまったく疑いを持ってはいないが、アルグとしてはルスターの復帰を渋っていた手前、日にちが延長したことに、己が関与しているのではないか、と恐れたのだろう。

「アルグ様は間違いなくサーフ様へ4日という希望をお出ししてくれたと、私は信じております。そうですよね?」
「あ、ああ。それは間違いない」
「ならばなんの問題はありません。むしろ予想より早く復帰が出来る様で良かったです。有り難うございます」

 ルスターが本心からそう言えば、やっとアルグはほっとした顔をして、思いだしたようにいそいそと上着を脱いだ。

「本日は湯浴みをされますか、それともお食事にされますか」
「食事を先に。湯浴みは後にする」
「わかりました。……ああアルグ様、一つ言い忘れておりましたが」
「なんだ?」
「昨夜のことと、今後の事を踏まえまして、本日より夕食後の時間は恋人としての振る舞いの練習をしようかと」
「?」

 廊下を並んで歩くルスターの言葉に、アルグの頭にクエスチョンマークが浮かぶのが見えた。

「今朝方、お話しましたでしょう? 経験が無いから自制が効かないと。それに私自身、考えてみれば色恋事にはブランクがありますので、改めて恋に落ちた若者の様な行いをしてみようかと」
「それは、そう言ったが。しかし、どういう……」

 まるで世間話をする様子で、ダイニングテーブルの椅子を引き、どうぞご着席をと促すルスターに対し、アルグは忙しなく瞬きをする。困惑したような、それでいて期待をしている顔だった。

「本日はとりあえず一緒に湯浴みでもいたしましょうか」
「!?」
「とは言え、申し訳ありませんが私をお抱きになるのは本日はご遠慮いただきたく。我慢のラインも確認いたしましょうか」
「????」
「では、食事をお持ちいたします」

 アルグは何度ルスターの言葉を頭の中で反芻しても意味が理解出来ずに固まっていた。
 その間にもルスターは庶民的でアルグ好みの夕食をさっとテーブルへ並べ、始めの頃は戸惑いがちだった同じテーブルの自分の席へと今はもう慣れた調子で腰掛けた。
 そのあまりの自然な様子に、アルグは先ほどの言葉は一瞬、白昼夢でも見たのだろうかと思う。行為のあと、寝台の上で意識を失ったルスターの身を清めながら、一緒に入浴するなどといった恋人同士の戯れをいつかしてみたいと夢想したことはあるが、まさかその欲が見せた幻か。

「アルグ様」
「っ」
「心の準備を、と思って先に言ってみたのですが、やはり本日は止めておきましょうか」
「やめ、る……とは、何を……?」
「湯浴みの件ですが」
「い、いや! 止めない」
「そうですか」

 完全に理解のキャパシティを越えて動きの止まったアルグに、ルスターは己の提案があまり良くなかったかもしれないなと、取り下げを申し出る。しかしアルグはルスターの言葉に「夢じゃなかった!」と改めて認識し慌てて首を振った。

「ちなみに本日も寝室は一緒ですが大丈夫ですか?」
「………………」
「他人の気配があって眠れないと言う事もありますでしょうから、寝室は別でも……」
「だいっ、丈夫、だ。……問題は無い、大丈夫…………いや、お前は良いのか……?」

 他人の気配がしたら眠れない等といった繊細さなど、定期的に野営訓練をする職業だ。そんなもの持ち合わせているはずがない。気を張って周りを警戒している様な状況でも無ければ、寝れるときに寝て体力を回復するのが最優先で、固い地面で雑魚寝するのに比べたら、同じベッドの上に人がいるのなんて地獄と天国ぐらい差のある些細な問題だった。
 いや、それよりも、だ。
 確かに昨日、ルスターはアルグの不眠を心配して一緒に寝るというそんな事を言っていた。その件についてアルグは一切の不満は無いどころか、むしろルスターがこの家に来た時から望んでいたくらいだから構わないのだが。
 問題は、昨晩から今日の明け方までに及んで己のしでかした事だ。
 身のこなしから今はすっかり回復したようだが、前回の反省も虚しく素面だったにもかかわらず随分と無理をさせてしまった。その事を踏まえると「やはり寝室は分けましょう」と言われるのではないかと思っていたのだ。

「私も若い頃は大部屋でしたので特に問題は無いですよ。寝相も恐らく悪くはない、とは思っていますが、寝ている間の事なので自覚出来てないかも知れませんが」
「いや、そうではなく。昨日のような事になると……」
「……一緒に寝るだけでは我慢が出来そうにありませんか?」
「そんな事は無い」
「ならば、問題はないのでは」

 ルスターの言っていることに間違いはない。間違いはないのだが、あまりにも信用をされるのも複雑だ。
 決して無理強い等はしないと、アルグは固く心に誓って思うが、いかんせん今まで自制と理性が強いと思っていた自己評価を、ここ最近は木っ端微塵に砕く様な事ばかり起きているので自信が無い。断じて性欲のままに抱きたいという欲ばかりではなく、穏やかにルスターを抱きしめ、寄り添って眠りたいという欲求もあるのだ。しかしながら自分でも制御が難しいくらいルスターの一挙一動に煽られ、簡単に情欲のスイッチが入ってしまうのだから困るもので。

「まあ、無理そうでしたら元の部屋もありますし、その時は別に寝れば良いかと」
「それはそうだが……」
「アルグ様、難しく考えないでください。コレは訓練で、予行練習みたいなモノなのです」
「?」

 未だ上手く己を律する事ができなかった2度の失敗が尾を引いているのか、色々と思い悩んですんなりと提案を受け入れられなくなっているアルグに、ルスターはあえてアルグが慣れ親しんでいる言葉で例え話をする。

「自分の実力を知らなければ、無謀な行動か否か、正しい判断が出来ないものでしょう。その為に予行練習をして確認をしたり、実力を付ける訓練をすると」
「……つまりは、今回の添い寝と入浴も?」
「はい。私は必要以上に緊張や羞恥を感じ疲れないようにする訓練と、アルグ様はどれくらいだと我慢ができるのか把握して、慣れて頂くための訓練をと」
「なるほど」

 今回、どうしてこんな提案をしたのか、改めてその趣旨を噛み砕いた説明にアルグはやっと納得したように頷く。

「いかがでしょうか」
「確かに今の自分たちには、特に俺にとって必要な事だな」

 訓練、練習とは恋人同士のやりとりとしては何とも色気のない言葉だが、逆に意識しすぎてしまうアルグにとっては上手く頭を切り替える事になったようだ。
 アルグは曇りが晴れた表情で、滞りがちだった食事の手がいつも通り動き出し、ルスターより2倍以上の量がある夕食は、先に消えてしまった。

 ――そうして。

 まずはお互いに裸体に慣れようと。
 寝室ではどうしても閨事を思い出すし、だからと言ってリビングやその他の場所では非日常過ぎて違った意味で恥ずかしい。しかし入浴というシチュエーションであったなら。裸であるのも自然だろうと、そう思ったルスターの目論見は。

「……すまなぃ……」
「いえ、むしろ大丈夫ですか……?」

 半分、この展開を予想はしていたのだが。
 アルグの屋敷の風呂場は前の持ち主が風呂好きだったのか、小振りな町屋敷の割には一般的なシャワールームの他に、もう一つ、大人二人が並んで浸かれるだけの広々としたタイル敷きの浴槽と洗い場があった。
 だからこそルスターは「本日はあくまでも接触はせず、互いの裸になれる練習をしましょう」という目標を話して、それにアルグはとても神妙な顔で同意したのだ。
 ただ触れはしないと言っても、今までの出来事を踏まえればアルグが全くの無反応で済むだろうとは思ってはいなかった。
 思ってはいなかった、のだが。

「その、お聞きするのもアレなのですが、……痛みは?」
「……………………大丈夫だ」

 入浴開始時から身体を洗って湯船に入ろうとする今まで、元気に天を向くアルグのイチモツの持続時間に恐れを通り越してやや感心しつつ、しかし心配になって尋ねた言葉にアルグの返事は股間とは反対に項垂れて小さい。
 果たしてコレを「元気ですね」という感想で済ませて良いものなのか、とルスターは思いつつ。
 身体を洗ったりしているうちに落ち着いてくるだろうか、という見込みは残念ながら外れてしまった。本当は背中を流すぐらいのスキンシップは取ろうかと思っていたのだが、どう考えても状況が悪化しそうなのでそっと口を閉じて、少しでも刺激を減らすべきかとルスターは腰に洗い布を巻いた。
 この状態で風呂に浸かるのはと、アルグが躊躇ってのいま現在。

「例えばなのですが、目をつぶって見るのは」
「先ほどやってみたのだが、すぐ側に全裸のお前がいるという気配が逆効果で」
「気配でも駄目ですか」
「やはり水でも被るか……」
「それはあまりお体によろしくないのでお控えいただけると」
「股ぐらだけになら大丈夫だろう」
「早まらないでください」

 思い切りが良すぎるのもどうなのか。
 浴室は壁のタイルに埋め込まれた魔道温石で、ある程度は暖かいが。それでも冷たい水を被ると言うのは頂けない。しかもそれを股間にかけようなんて、同じ性を持つからこそ間違いなく静まるだろうが、その痛みとも言えぬ衝撃たるや、想像するだけでもゾッとして。
 水をだそうと蛇口に手を伸ばすアルグの腕を掴んだ。

「っ、…………俺のことは気にせず、お前は湯に浸かってくれ」
「そんな、……いえ、そうですね先に湯を失礼します」

 ここでアルグ様を差し置いてそれは出来ませんと遠慮してしまえば、そちらの方が逆に追い詰めてしまいそうだ。そう思って湯船へと身を沈めれば、アルグは溜め息をついて風呂椅子へと腰を落とした。

「……ままならぬ、己の身の上が情け無い」
「あまり気になさらず、もう湯船にはいってしまいませんか」
「これ以上身体を温めるのは、な……」

 言い淀んだ言葉の先を知りたい様な知りたくないような。
 いずれにせよ、今朝方と同じ感じで弱り果てた様子のアルグに、ルスターは「さてはて、どうしましょうか」と思う。
 理性を失ったアルグと対峙するのは流石に戦々恐々とするが、あくまでもこうやって理性の内で葛藤するアルグに対しては、ルスター本来の面倒見が良さと庇護欲がおおいに擽られてしまうモノだった。
 しかもアルグのそれが、初恋故の青くままならぬモノだと知ってしまえば己の昔を思いだし、更に色々と生ぬるい目で見てしまうと言うもので。今や、尊敬の念を脇に置いた普段のアルグにおいては、実際の年齢よりも年下の者のように思い始めていた。

 ルスターは基本的に腹を決めると潔い。
 そして懐に入れた者には甘い。
 だがそれをいまいち自覚がないのが玉に瑕であるルスターが「とりあえず、今日はココまでにしましょう」と、先に浴室を出るという最良の選択肢をとれるかと言えば、それは難しく。


 結果、ルスターがとった行動は――


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