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第二章~恋人扱編~
030 私だけの場所
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私とフェルディナンは先刻のやり取りから数刻経過した今も、二人っきりでベッドの上にまったりと寛いでいた。
やっと訪れた平穏な時間――
しかし、それまでに至るやりとりが非常に大変だった。何故ならそれはフェルディナンの理性を再び強要することだったからだ。
<俺が普段無理強いしないその意味を分かっているのか?>
先程フェルディナンに言われた言葉を頭の中で復唱しつつ、私は困惑する自分の頭を抱えて込んでしまいたくなった。
意味は何となく分かる……
きっと、多分、フェルディナンは私が自分からフェルディナンに身を捧げる覚悟が出来るようになるまで待っていてくれているということなんだと思う。
着ていた薄い夜着をフェルディナンに引き裂かれて上半身を裸にされてしまった私は、下半身の下着一枚というとんでもない恰好でいまもフェルディナンの部屋にいる。先程の行為が終わって少し落ち着いた雰囲気の中で、彼と向かい合う恰好で私はその腕の中に抱き締められていた。
でも、その覚悟っていつ頃出来るものなんでしょうか……
などとフェルディナンの胸元で考え込んでいたら、私を抱きかかえていたフェルディナンが少しだけ私を身体から離した。そして突如、フェルディナンは何を思ったのか目の前で衣服を脱ぎ始めた。
……――えっ!? あの、……いま、ですかっ!?
私の覚悟が出来るのを待っている、というのは私の勘違いっ!?
本気、なのか……?
と、普段あまり使わない言葉を頭の中で吐き出すくらい私は混乱していた。
フェルディナンは着ていた白いシャツを脱いで半身を惜しげもなく外気に晒した。彼の肉体美に目を奪われながらも私はしっかりまた逃げ腰になっていた……
「こらっ、逃げるな」
警告するように発せられたフェルディナンの制止の声に、私は大人しく従うつもりはなかった。
「いえ、でもですね……こんな状況、普通は逃げますよっ!」
逃げますって、逃げるでしょっ! 脱兎のごとくっ! 覚悟してなかったらっ!
いくらフェルディナンが超絶美形の伊達男だからっていまの私には無理なんですよ――っ!
ヒクッと口の端を引きつらせて、私は全力でフェルディナンの言葉を否定した。剥き出しの上半身を手で隠しながら、ベッドの上を這うようにして彼がいない方向にじりじりと後退してしまう。
そんな私を見てフェルディナンはハァッと溜息をついた。
「勘違いをするな、同じ日にそう二度も三度も襲えるか」
「……でも」
「少しは俺を信用してくれ……今日はこれ以上何もしない。だからおいで月瑠」
困ったようにそう言ってフェルディナンは手を差し伸べてきた。
う~っ! そんな顔されたらこれ以上拒否するなんて出来ないじゃないですか!
仕方なく私は差し出された手におずおずと自身の手を重ねた。おっかなびっくりといった感じでビクビクと警戒している私を見て、フェルディナンは安心させるように紫混じった青い瞳を優しく細めている。
普段から壊れ物を扱うように優しく私に触れてくるその手が、先程まで大人の男として私に触れていたと思うと何だが顔から火が出そうだった。フェルディナンのモノを布越しに擦り合わせるだけで何とか未遂に終わったけれど、先程までのことを思い出してしまった気恥ずかしさに、私は思わず口元に手を当てて必死に感情を抑えようと試みた。しかし最終的にはどうにも抑えきれなくて私は自分の頬が赤くなるのを止められなかった。
「月瑠……頼むからそんな顔をしてこれ以上俺を煽るのはやめてくれ」
「?」
「といっても無自覚なんだよな。君は……」
諦めたように呟いてフェルディナンは金髪をガシッと掻き揚げると、紫が混じった青い瞳ですうっと私を一瞥してからまた困ったようにふっと笑った。
その笑った顔が45歳の大人の男にしてはあまりにも可愛くて綺麗で、私は自身の黒い瞳の中心部にある瞳孔がフェルディナンをもっと見ようと大きく開いていくのを感じていた。
そうして一時的に警戒を解いてしまった逃げ腰の私に、フェルディナンは一気に近づいた。流石軍人だけあってその動きの俊敏さに私の目は追いつけなかった。フェルディナンが一瞬で私の前まで詰め寄ったその瞬間、私の視界は白一色に染まった。そして元のクリアな視界に戻った時には温かい何かに私は包まれていた。
「えっ?」
驚いて自身の体を見るとフェルディナンの大きな白いシャツを被せられていた。
「目の毒だからな……」
そのフェルディナンの言葉に私は引っ掛かりを覚えて、思わずジトーと半眼で非難の目を彼に向けてしまった。
「……そうだな、俺のせいだ。俺が悪かった」
降参だと両手を上げて苦笑するフェルディナンをこれ以上責めることは出来なくて、私は彼のシャツに手を通してちゃんと身なりを整えた。こうしてフェルディナンが着ていた服を着用して改めて彼の大きさに気付く。白いシャツはあまりにも大きくて私が着るとダボダボになって生地が余ってしまう。それにフェルディナンの白いシャツにはふわっといい匂いがした。すんすんと嗅ぐ仕草をして何となく白いシャツに鼻を当ててみる。
「このシャツ、フェルディナンの匂いがする」
フェルディナンの匂いに何だかすごく安心してしまって、その心地の良さに私は思わずゴロンとベッドの上で横になって、シャツに顔を埋めながら猫みたいにゴロゴロと転がった。
「これはこれで、目の毒だな……」
フェルディナンがまた困ったように笑ってこちらを見ている。すっかり私を甘やかす顔に戻ったフェルディナンに、私は這い寄ってその強靭な鍛え抜かれた男の体にキュッと抱きついた。
「好き……」
フェルディナンに抱きついて告白する私に、彼はあやすようにポンポンと背中を優しく叩いて答えてくれた。
「ああ、分かっているよ」
フェルディナンの匂いがする白いシャツと彼の腕に抱かれながら、私はようやく落ち着ける場所に戻れたことに喜びを感じていた。
*******
時刻は真夜中の十二時をとうに過ぎていて、それでも先刻のやりとりによる興奮からなのか目がすっかり覚めてしまっている。
「他にも聞きたいことがいろいろとあるが……もう深夜だ。月瑠はもう部屋に戻って寝なさい」
私に自身の服を渡して上半身に何も纏っていないフェルディナンは、その剥き出しの厚い胸板へ直に抱きついていた私の手を外しながら、いきなり大人の顔をして私を冷たく突き放した。
それに私はムッとして思わず唇を突き出して反論してしまう。
「やだっ」
ダボダボのフェルディナンの匂いがする白いシャツの袖先を手でキュッと握りしめて、膨れっ面をしてぷいっと横を向く私に、フェルディナンは慌てたような声を出した。というよりも、フェルディナンは本当に慌てているようだった。
「おい!?」
フェルディナンの紫が混じった宝石のように青い瞳が大きく見開かれて、驚いた表情で私を見ている。まさかこんな状況で駄々を捏ねられるとは思ってもいなかったのか、彼にしては珍しくその表情は本当に焦っているようにも見える。
「……私このままフェルディナンと一緒にいたい」
「何を言っている!? 駄目に決まっているだろう!」
フェルディナンにこれ以上、理性を強要することは酷だと分かっている。けれどそれとは反対にフェルディナンと何事もなく、ただ安心して傍で触れ合いながら過ごしたいという願望が私の中で沸々と沸き起こってきた。
「フェルディナン、私もう少しだけ貴方の傍にいたい……」
安心出来るそのフェルディナンの逞しい腕と胸の中にいたい――私は普段からその場所を手に入れたいと思っていたことに今になってやっと気が付いた。
思えばずっと私はこの乙女ゲーム世界に転移してから自分の居場所と呼べるものを探していた気がする。はっきりとした居場所はなく簡易的に作られた仮初の居場所に滞在して宙ぶらりんのまま過ごす心細さ。不意に襲われる虚無感に何度足元から崩れ落ちていくような痛みを感じただろう。
フェルディナンが無条件にその場所に受け入れてくれることを私は知っている。けれどそれにはまだ確信のようなものが何もない。少しのことでもろく崩れてしまうような、確約されていない曖昧な逢瀬に身を任せていられるほど私は強く出来ていなかった。
今がその想いを伝える絶好のタイミングだと、私は何となくそう感じてフェルディナンにその想いを素直にぶつけてしまう。今言わないときっとこれ以上の関係に踏み出す勇気が出せなくなる。遠慮し続けていたらきっと何処かで我慢した分の蟠りが出来てしまうそんな気がしていた。だからもう一度、戸惑いの表情を浮かべたままこちらを見ているフェルディナンに私はお願いした。
「フェルディナンお願い、傍に置いてほしいの」
「駄目だ」
「……フェルディナン」
頑なに拒絶するような態度のフェルディナンをジーと見て目で訴えてみる。
「そんな風に見ても駄目なものは駄目だ。諦めなさい。何度聞かれても返事は変わらない」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「……分かりました」
そう私が返事をするとフェルディナンは酷く安心したような顔をした。けれど次に私が起こした行動に、ギョッとしたように再び驚きの声を上げてグッと私の腕を掴んできた。
「――君は! 分かったと言いながら何で布団に潜るんだ!?」
ガサゴソと布団の中に潜り込んだ私を、フェルディナンが慌てて布団の中から引っ張り上げた。簡単に布団の中から引っ張りあげられてしまって、狼狽して頭痛に耐えるように額に手を当てているフェルディナンに、私は少し不満そうな顔を向けた。
「フェルディナンの言っていることは分かりました、という意味です。でも私は納得してません」
「――っ! 月瑠! 駄目だといっているだろう!」
「やだっ! 私はフェルディナンと一緒にいたいんだもんっ!」
「月瑠!」
「いやっ!」
興奮し過ぎて言葉遣いが幼い子供のようになってしまった。けれど私は怒ったように語尾を荒げて私の名前を呼ぶフェルディナンを前にしても引くことなんて出来なかった。
「……分かった。なら、俺が出て行く。月瑠は此処にいればいい」
淡々と無表情で冷たくそう言って、フェルディナンはさっさとベッドを下りて扉の方に向かって歩いて行ってしまう。
「!?」
いきなり出て行くと言われて、私はそのショックに言葉が出なかった。
フェルディナンに置いていかれる……
私は一人にされることの寂しさに思わず目頭が熱くなって涙をぽろぽろと流してしまった。
「……フェルディナン、……私、貴方と一緒にいたい。お願い行かないで……私を一人にしないで……」
感情が昂り過ぎて振絞る様な、か細く小さく震える声しか出てこない。これ以上声が震えないように、緊張と不安に震えてしまう喉元を堪えるように両手で押さえこんだ。私の声を聞いて様子がおかしい事に気付いたフェルディナンが扉に手を掛ける寸前で振り返った。
私はフェルディナンが傍から離れていく心細さに、ベッドに両膝をついて祈る様な格好で泣き濡れた顔を彼に向けてしまった。自分がいまどんな表情になっているのか分からないくらいに、あまりにも必死過ぎてフェルディナンしか見えていなかった。
「月瑠……」
「フェルディナンお願い、私は貴方と一緒にいたい……突き放さないで……」
呆然とした様子でフェルディナンは私の瞳から次々と零れ落ちていく涙を見つめていた。そして拳を握って壁にそれをドンッと叩きつけてから、チッと舌打ちをして苛立たし気な顔をこちらへ向けてきた。
「くそっ! ……分かった。少しの間だけだぞ? だから頼むから泣き止んでくれ……」
フェルディナンは語尾を緩めると、そのまま私の方に戻って来てくれた――
――それから私はフェルディナンの膝に頭を乗せて、ベッドの上でゴロゴロと猫のように寝転がっていた。フェルディナンは半身だけを起こした状態でそんな私の頭を撫でている。フェルディナンの匂いがする大きな白いシャツを着ていると、フェルディナンに抱き締められているような感じがしてすごく安心する。守られているという安心感に浸ってついつい思う存分フェルディナンに甘えてしまう。
そして私に思う存分甘えられているフェルディナンはというと、甘える私をそのまま受け入れて甘い焼き菓子以上に甘く、存分に甘やかし続けていた。
フェルディナンは自身の膝に私の頭を乗せたまま、書類をサイドテーブルから取り出して黙々と軍務をこなしつつ、空いた方の手で私の頭を撫でながら時々そっと輪郭をなぞってくる。
日常的な穏やかで互いを慈しむような一時の触れ合い。心地が良過ぎてそのまま溺れてしまいそうでちょっと困る。と、贅沢なことを考えてしまうくらいにフェルディナンによって満たされてしまう。
フェルディナンはそのゴツゴツとした武骨な男の指先からは想像出来ないくらい優しく触れてくる。そのくすぐったさに私は思わず目を閉じて彼の手に頬を寄せた。
「気持ちいい……」
「……まるで猫だな」
「猫、ですか?」
私はフェルディナンの膝から少し頭を持ち上げてキョトンとした顔で彼を見た。
「こうして気を許したように擦り寄って来たと思ったら、直ぐに何処かへ行ってしまう。突然こちらが思ってもいない行動を取る。やっと君を分かりかけてきたと思っていたら、また何を考えているのか分からなくなって君を見失う。自由奔放で――異邦人の君は制限なく何処へでも行けるのに、こうして俺の元に留まる君は気まぐれな猫にそっくりだよ」
フェルディナンの心地よい低音に耳を傾けながら、私はもっとフェルディナンの温かい体温に引っ付いていたくて、今度は戸惑い嫌がる彼の反対を押し切って何とか彼の胸の中に入り込んだ。
先程までフェルディナンが手にしていた書類を取り上げて彼の両手に指を絡める。にこにこ上機嫌の私とは正反対にフェルディナンは渋い顔をしながらも、私の体に手を回して後ろから抱きしめてくれている。きっと必死に理性で抑えてくれているのだと思う。
ベッドの上でフェルディナンに背中を預けて彼の胸の中に身を預けている格好はすごく気持ちよくて自然と顔が綻んでしまう。フェルディナンの匂いがする白いシャツを着て、彼の剥き出しの胸元に体を預けていると。安心しきっている私の長い黒髪をフェルディナンの武骨で優しい大人の手がそっと壊れ物を扱うように触れてきた。その私に触れてくる指先は私を思う愛しさに溢れている。
そうして私の長い黒髪を梳き始めたフェルディナンの表情は先刻までの険しいものと打って変わってとても穏やかで落ち着いた様子だった。フェルディナンは私の髪を梳きながら時折私の頬に唇を落としてくる。そのくすぐったさと居心地の良さに段々と強い眠気に襲われて、フェルディナンの力強い腕に抱かれながらこくりこくりと首を揺らして眠りに落ちていく。私は薄れていく意識の中で、やっと私だけの場所を手に入れた事に満足しながら意識を手放した。
やっと訪れた平穏な時間――
しかし、それまでに至るやりとりが非常に大変だった。何故ならそれはフェルディナンの理性を再び強要することだったからだ。
<俺が普段無理強いしないその意味を分かっているのか?>
先程フェルディナンに言われた言葉を頭の中で復唱しつつ、私は困惑する自分の頭を抱えて込んでしまいたくなった。
意味は何となく分かる……
きっと、多分、フェルディナンは私が自分からフェルディナンに身を捧げる覚悟が出来るようになるまで待っていてくれているということなんだと思う。
着ていた薄い夜着をフェルディナンに引き裂かれて上半身を裸にされてしまった私は、下半身の下着一枚というとんでもない恰好でいまもフェルディナンの部屋にいる。先程の行為が終わって少し落ち着いた雰囲気の中で、彼と向かい合う恰好で私はその腕の中に抱き締められていた。
でも、その覚悟っていつ頃出来るものなんでしょうか……
などとフェルディナンの胸元で考え込んでいたら、私を抱きかかえていたフェルディナンが少しだけ私を身体から離した。そして突如、フェルディナンは何を思ったのか目の前で衣服を脱ぎ始めた。
……――えっ!? あの、……いま、ですかっ!?
私の覚悟が出来るのを待っている、というのは私の勘違いっ!?
本気、なのか……?
と、普段あまり使わない言葉を頭の中で吐き出すくらい私は混乱していた。
フェルディナンは着ていた白いシャツを脱いで半身を惜しげもなく外気に晒した。彼の肉体美に目を奪われながらも私はしっかりまた逃げ腰になっていた……
「こらっ、逃げるな」
警告するように発せられたフェルディナンの制止の声に、私は大人しく従うつもりはなかった。
「いえ、でもですね……こんな状況、普通は逃げますよっ!」
逃げますって、逃げるでしょっ! 脱兎のごとくっ! 覚悟してなかったらっ!
いくらフェルディナンが超絶美形の伊達男だからっていまの私には無理なんですよ――っ!
ヒクッと口の端を引きつらせて、私は全力でフェルディナンの言葉を否定した。剥き出しの上半身を手で隠しながら、ベッドの上を這うようにして彼がいない方向にじりじりと後退してしまう。
そんな私を見てフェルディナンはハァッと溜息をついた。
「勘違いをするな、同じ日にそう二度も三度も襲えるか」
「……でも」
「少しは俺を信用してくれ……今日はこれ以上何もしない。だからおいで月瑠」
困ったようにそう言ってフェルディナンは手を差し伸べてきた。
う~っ! そんな顔されたらこれ以上拒否するなんて出来ないじゃないですか!
仕方なく私は差し出された手におずおずと自身の手を重ねた。おっかなびっくりといった感じでビクビクと警戒している私を見て、フェルディナンは安心させるように紫混じった青い瞳を優しく細めている。
普段から壊れ物を扱うように優しく私に触れてくるその手が、先程まで大人の男として私に触れていたと思うと何だが顔から火が出そうだった。フェルディナンのモノを布越しに擦り合わせるだけで何とか未遂に終わったけれど、先程までのことを思い出してしまった気恥ずかしさに、私は思わず口元に手を当てて必死に感情を抑えようと試みた。しかし最終的にはどうにも抑えきれなくて私は自分の頬が赤くなるのを止められなかった。
「月瑠……頼むからそんな顔をしてこれ以上俺を煽るのはやめてくれ」
「?」
「といっても無自覚なんだよな。君は……」
諦めたように呟いてフェルディナンは金髪をガシッと掻き揚げると、紫が混じった青い瞳ですうっと私を一瞥してからまた困ったようにふっと笑った。
その笑った顔が45歳の大人の男にしてはあまりにも可愛くて綺麗で、私は自身の黒い瞳の中心部にある瞳孔がフェルディナンをもっと見ようと大きく開いていくのを感じていた。
そうして一時的に警戒を解いてしまった逃げ腰の私に、フェルディナンは一気に近づいた。流石軍人だけあってその動きの俊敏さに私の目は追いつけなかった。フェルディナンが一瞬で私の前まで詰め寄ったその瞬間、私の視界は白一色に染まった。そして元のクリアな視界に戻った時には温かい何かに私は包まれていた。
「えっ?」
驚いて自身の体を見るとフェルディナンの大きな白いシャツを被せられていた。
「目の毒だからな……」
そのフェルディナンの言葉に私は引っ掛かりを覚えて、思わずジトーと半眼で非難の目を彼に向けてしまった。
「……そうだな、俺のせいだ。俺が悪かった」
降参だと両手を上げて苦笑するフェルディナンをこれ以上責めることは出来なくて、私は彼のシャツに手を通してちゃんと身なりを整えた。こうしてフェルディナンが着ていた服を着用して改めて彼の大きさに気付く。白いシャツはあまりにも大きくて私が着るとダボダボになって生地が余ってしまう。それにフェルディナンの白いシャツにはふわっといい匂いがした。すんすんと嗅ぐ仕草をして何となく白いシャツに鼻を当ててみる。
「このシャツ、フェルディナンの匂いがする」
フェルディナンの匂いに何だかすごく安心してしまって、その心地の良さに私は思わずゴロンとベッドの上で横になって、シャツに顔を埋めながら猫みたいにゴロゴロと転がった。
「これはこれで、目の毒だな……」
フェルディナンがまた困ったように笑ってこちらを見ている。すっかり私を甘やかす顔に戻ったフェルディナンに、私は這い寄ってその強靭な鍛え抜かれた男の体にキュッと抱きついた。
「好き……」
フェルディナンに抱きついて告白する私に、彼はあやすようにポンポンと背中を優しく叩いて答えてくれた。
「ああ、分かっているよ」
フェルディナンの匂いがする白いシャツと彼の腕に抱かれながら、私はようやく落ち着ける場所に戻れたことに喜びを感じていた。
*******
時刻は真夜中の十二時をとうに過ぎていて、それでも先刻のやりとりによる興奮からなのか目がすっかり覚めてしまっている。
「他にも聞きたいことがいろいろとあるが……もう深夜だ。月瑠はもう部屋に戻って寝なさい」
私に自身の服を渡して上半身に何も纏っていないフェルディナンは、その剥き出しの厚い胸板へ直に抱きついていた私の手を外しながら、いきなり大人の顔をして私を冷たく突き放した。
それに私はムッとして思わず唇を突き出して反論してしまう。
「やだっ」
ダボダボのフェルディナンの匂いがする白いシャツの袖先を手でキュッと握りしめて、膨れっ面をしてぷいっと横を向く私に、フェルディナンは慌てたような声を出した。というよりも、フェルディナンは本当に慌てているようだった。
「おい!?」
フェルディナンの紫が混じった宝石のように青い瞳が大きく見開かれて、驚いた表情で私を見ている。まさかこんな状況で駄々を捏ねられるとは思ってもいなかったのか、彼にしては珍しくその表情は本当に焦っているようにも見える。
「……私このままフェルディナンと一緒にいたい」
「何を言っている!? 駄目に決まっているだろう!」
フェルディナンにこれ以上、理性を強要することは酷だと分かっている。けれどそれとは反対にフェルディナンと何事もなく、ただ安心して傍で触れ合いながら過ごしたいという願望が私の中で沸々と沸き起こってきた。
「フェルディナン、私もう少しだけ貴方の傍にいたい……」
安心出来るそのフェルディナンの逞しい腕と胸の中にいたい――私は普段からその場所を手に入れたいと思っていたことに今になってやっと気が付いた。
思えばずっと私はこの乙女ゲーム世界に転移してから自分の居場所と呼べるものを探していた気がする。はっきりとした居場所はなく簡易的に作られた仮初の居場所に滞在して宙ぶらりんのまま過ごす心細さ。不意に襲われる虚無感に何度足元から崩れ落ちていくような痛みを感じただろう。
フェルディナンが無条件にその場所に受け入れてくれることを私は知っている。けれどそれにはまだ確信のようなものが何もない。少しのことでもろく崩れてしまうような、確約されていない曖昧な逢瀬に身を任せていられるほど私は強く出来ていなかった。
今がその想いを伝える絶好のタイミングだと、私は何となくそう感じてフェルディナンにその想いを素直にぶつけてしまう。今言わないときっとこれ以上の関係に踏み出す勇気が出せなくなる。遠慮し続けていたらきっと何処かで我慢した分の蟠りが出来てしまうそんな気がしていた。だからもう一度、戸惑いの表情を浮かべたままこちらを見ているフェルディナンに私はお願いした。
「フェルディナンお願い、傍に置いてほしいの」
「駄目だ」
「……フェルディナン」
頑なに拒絶するような態度のフェルディナンをジーと見て目で訴えてみる。
「そんな風に見ても駄目なものは駄目だ。諦めなさい。何度聞かれても返事は変わらない」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「……分かりました」
そう私が返事をするとフェルディナンは酷く安心したような顔をした。けれど次に私が起こした行動に、ギョッとしたように再び驚きの声を上げてグッと私の腕を掴んできた。
「――君は! 分かったと言いながら何で布団に潜るんだ!?」
ガサゴソと布団の中に潜り込んだ私を、フェルディナンが慌てて布団の中から引っ張り上げた。簡単に布団の中から引っ張りあげられてしまって、狼狽して頭痛に耐えるように額に手を当てているフェルディナンに、私は少し不満そうな顔を向けた。
「フェルディナンの言っていることは分かりました、という意味です。でも私は納得してません」
「――っ! 月瑠! 駄目だといっているだろう!」
「やだっ! 私はフェルディナンと一緒にいたいんだもんっ!」
「月瑠!」
「いやっ!」
興奮し過ぎて言葉遣いが幼い子供のようになってしまった。けれど私は怒ったように語尾を荒げて私の名前を呼ぶフェルディナンを前にしても引くことなんて出来なかった。
「……分かった。なら、俺が出て行く。月瑠は此処にいればいい」
淡々と無表情で冷たくそう言って、フェルディナンはさっさとベッドを下りて扉の方に向かって歩いて行ってしまう。
「!?」
いきなり出て行くと言われて、私はそのショックに言葉が出なかった。
フェルディナンに置いていかれる……
私は一人にされることの寂しさに思わず目頭が熱くなって涙をぽろぽろと流してしまった。
「……フェルディナン、……私、貴方と一緒にいたい。お願い行かないで……私を一人にしないで……」
感情が昂り過ぎて振絞る様な、か細く小さく震える声しか出てこない。これ以上声が震えないように、緊張と不安に震えてしまう喉元を堪えるように両手で押さえこんだ。私の声を聞いて様子がおかしい事に気付いたフェルディナンが扉に手を掛ける寸前で振り返った。
私はフェルディナンが傍から離れていく心細さに、ベッドに両膝をついて祈る様な格好で泣き濡れた顔を彼に向けてしまった。自分がいまどんな表情になっているのか分からないくらいに、あまりにも必死過ぎてフェルディナンしか見えていなかった。
「月瑠……」
「フェルディナンお願い、私は貴方と一緒にいたい……突き放さないで……」
呆然とした様子でフェルディナンは私の瞳から次々と零れ落ちていく涙を見つめていた。そして拳を握って壁にそれをドンッと叩きつけてから、チッと舌打ちをして苛立たし気な顔をこちらへ向けてきた。
「くそっ! ……分かった。少しの間だけだぞ? だから頼むから泣き止んでくれ……」
フェルディナンは語尾を緩めると、そのまま私の方に戻って来てくれた――
――それから私はフェルディナンの膝に頭を乗せて、ベッドの上でゴロゴロと猫のように寝転がっていた。フェルディナンは半身だけを起こした状態でそんな私の頭を撫でている。フェルディナンの匂いがする大きな白いシャツを着ていると、フェルディナンに抱き締められているような感じがしてすごく安心する。守られているという安心感に浸ってついつい思う存分フェルディナンに甘えてしまう。
そして私に思う存分甘えられているフェルディナンはというと、甘える私をそのまま受け入れて甘い焼き菓子以上に甘く、存分に甘やかし続けていた。
フェルディナンは自身の膝に私の頭を乗せたまま、書類をサイドテーブルから取り出して黙々と軍務をこなしつつ、空いた方の手で私の頭を撫でながら時々そっと輪郭をなぞってくる。
日常的な穏やかで互いを慈しむような一時の触れ合い。心地が良過ぎてそのまま溺れてしまいそうでちょっと困る。と、贅沢なことを考えてしまうくらいにフェルディナンによって満たされてしまう。
フェルディナンはそのゴツゴツとした武骨な男の指先からは想像出来ないくらい優しく触れてくる。そのくすぐったさに私は思わず目を閉じて彼の手に頬を寄せた。
「気持ちいい……」
「……まるで猫だな」
「猫、ですか?」
私はフェルディナンの膝から少し頭を持ち上げてキョトンとした顔で彼を見た。
「こうして気を許したように擦り寄って来たと思ったら、直ぐに何処かへ行ってしまう。突然こちらが思ってもいない行動を取る。やっと君を分かりかけてきたと思っていたら、また何を考えているのか分からなくなって君を見失う。自由奔放で――異邦人の君は制限なく何処へでも行けるのに、こうして俺の元に留まる君は気まぐれな猫にそっくりだよ」
フェルディナンの心地よい低音に耳を傾けながら、私はもっとフェルディナンの温かい体温に引っ付いていたくて、今度は戸惑い嫌がる彼の反対を押し切って何とか彼の胸の中に入り込んだ。
先程までフェルディナンが手にしていた書類を取り上げて彼の両手に指を絡める。にこにこ上機嫌の私とは正反対にフェルディナンは渋い顔をしながらも、私の体に手を回して後ろから抱きしめてくれている。きっと必死に理性で抑えてくれているのだと思う。
ベッドの上でフェルディナンに背中を預けて彼の胸の中に身を預けている格好はすごく気持ちよくて自然と顔が綻んでしまう。フェルディナンの匂いがする白いシャツを着て、彼の剥き出しの胸元に体を預けていると。安心しきっている私の長い黒髪をフェルディナンの武骨で優しい大人の手がそっと壊れ物を扱うように触れてきた。その私に触れてくる指先は私を思う愛しさに溢れている。
そうして私の長い黒髪を梳き始めたフェルディナンの表情は先刻までの険しいものと打って変わってとても穏やかで落ち着いた様子だった。フェルディナンは私の髪を梳きながら時折私の頬に唇を落としてくる。そのくすぐったさと居心地の良さに段々と強い眠気に襲われて、フェルディナンの力強い腕に抱かれながらこくりこくりと首を揺らして眠りに落ちていく。私は薄れていく意識の中で、やっと私だけの場所を手に入れた事に満足しながら意識を手放した。
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