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第四章~大人扱編~

092 猫だから

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 フェルディナンは意地悪だ。優しいのに優しくない。そう思っていたら彼は本当に欲しい言葉をくれた。
 不安が一気に消え去って平和な感覚を取り戻すと、それに次いで湧き出る幸福感に猫耳をピンと立てて尻尾をフリフリしてしまう。だって私は猫だから~。
 桜色の瞳の瞳孔が開きっぱなしになるくらいフェルディナンをガン見してとりあえず一時停止。これでもかというくらい目を大きく見開いてちぎれんばかりに尻尾をブンブン振り回す。ここで素直に飛びついたら犬と同じになってしまう。私は猫だ。だから嬉しい気持ちを抑えて表現するに留めた。

「にゃんにゃん」

 ちょっとだけ鳴いて唇をアヒル口にしてカワイイを演出。そうしてわざとおどけた顔を作り上げた。
 後はただひたすらでっかくした目で見る。見る。見る。見る。見る。 
 ひたすら同じ表情を維持してジーッと見つめる。
 
 そうして微動だにせずフェルディナンの膝上にチョコンと乗ったまま大人しく良い子にしていたら、フェルディナンが何かご褒美をくれるんじゃないかという根拠のない期待に胸をワクワクさせてまたにゃんにゃん鳴いて待機する。そうしたらフェルディナンも同じようにピタリと動きを止めてしまった。

「何か欲しいのか……?」

 真面目な顔をして私を観察しているフェルディナン。私が何を考えているのか探ろうと息すら止めてしまいそうなくらい真剣に頭を悩ませている。彼は今自分が何故こんなに見られてるのかを知りたがっていた。
 それが分かっているのに気持ちを教えてあげないのは私がフェルディナンのことを大好きだから。もっと私のことを見て欲しいからあえて気持ちを教えない。それにこうして黙って尻尾を振って見つめ合っているのは楽しい。相手の顔が真剣過ぎる程、好意を感じて嬉しくなってしまう。

「にゃんっにゃんっにゃんっにゃん」

 思わず嬉しいを身体と鳴き声で表現する。ご褒美ちょうだいご褒美ちょうだい。それか何かもっと嬉しいことして欲しいなぁ。そう期待を込めたキラキラ輝く瞳で見つめながらひたすら尻尾を振って、私はフェルディナンの膝上から下りた。
 そしていっちにいっちにと両手両足をリズミカルに出しながらフェルディナンの周りをまたつんいになってぐるりと回り出す。



 ――そうしてグルグル回ること数周。丁度フェルディナンの膝上に戻ってきたタイミングで、

 ポンッ

 何の前触れもなく頭の上に手を置かれた。
 しかしそれは何時いつものように撫でるためでもなく。
 めるためでもなかった。
 
「そろそろ眠るか?」
 
 当然ご褒美もなし。

「やにゃ」

 即答した。
 だって何か期待していたのと違う。もっと嬉しいことをしてくれると思っていたのに。それに何だか妙に中途半端な妥協案を提示されたような気がする。
 裏切られた気分になって不満に唇をとがらせながら不審な目を向ける。そうして無言で不満を訴えると、顔面が凍り付いたように固まってしまったフェルディナンがぎこちない様子で目をらしたので、半眼でジーっと疑心をあらわに顔をグイグイと近づけたら彼は「うっ」と息を詰まらせた。

「……そんな裏切られたような目で見ないでくれないか」

 やっぱりこの人何か隠してる。楽しいこと隠してる――っ!

「にゃんっ! にゃんっにゃんっにゃんっにゃぁ――にゃぁぶっ!?」
 
 激しく鳴きわめいたら途端に口を押さえ付けられてしまった。

「月瑠! 頼むから少し落ち着い……」
「ぶんにゃぁぁぁっ!」

 ガブッ

「――っぅ!」

 フェルディナンを疑っていたところにいきなり口を押さえつけて言葉を封じられてしまったのだから、何だか分からないけどこれはもう完全に裏切られたのだと頭に血が上ってしまった。だから落ち着けと言われた瞬間、落ち着いていられるかぁ――っ! と、口に当てられた手に思いっきり噛みついた。

 獣人化した猫の牙を突き立てられたフェルディナンの手からポタポタと赤い滴が落ちていく。とんだ流血沙汰にフェルディナンは顔をしかめたものの反撃に殴ったりはしてこない。怒るどころか狭いカウチソファーの上で暴れたからフェルディナンの膝上から地面に落下しそうになった私を難無く拾って大事にその胸元へ抱えてしまった。

「……突然口をふさいだりしてすまなかった。謝るから、だからそんなに怒らないでくれないか?」

 フーフーと未だに興奮冷めやらぬ私の息遣いにおくすることなく、フェルディナンは流血していない方の手で支えてくれている。けれどまだ気が収まらなくて鼻先でグイグイ押してその腕を遠くへ追いやった。そして邪魔だと言わんばかりに尻尾の先っちょでペシッとはたいて邪険に扱ってやるとフェルディナンは目をしばたたかせた。

 プイッと後ろを向いてフェルディナンからツーンと顔をそむけた。それから何度名前を呼ばれても私は無視し続けた。
 不機嫌だと尻尾を振ってフェルディナンの胸元にベシベシ当てると少しだけ躊躇ためらう気配のあとで再び名前を呼ばれた。それでも返事を渋っていたらフェルディナンはりずにまた私の頭に手を置いてきた。どうやら私に噛みつかれるかもしれないリスクよりも優先したいことがあるらしい。
 そして私も、こんなに酷く怒っているのにフェルディナンの膝上から下りようとはしなかった。それが出来なかったのは正直悔しい。でも何故かは分からないけれどやっぱり彼から離れたくなかったのだ。


「月瑠……?」

 もう一度フェルディナンが私の頭に手を置いたのはきっと、私の考えていることが分からなかったから。手を置かれた時に私がどう反応するのかフェルディナンは見て確かめたかったのかもしれない。
 
「いらにゃーの!」

 手なんかいらない。ムキになってそう言い返してしまった。けれどその勢いのままこの優しい手をはね除けるのはどうにも気が引ける。

「本当にいらないのか?」
「…………」

 確かめられるように聞かれて、そうやって猶予ゆうよを与えられると何だかしくなる。
 虚勢きょせいってあんなに怒っていたのに、段々と時間が経つにつれ怒りの度合いが小さくなっていく。そうして冷静を取り戻し勢いがなくなってくると、後悔と罪悪感で頭が一杯になってきた。

「月瑠?」
「……にゃ」

 短く返事を返して、それから悩んだ。
 どうしよう、仲直りした方がいいのかな? チラッとフェルディナンを振り返る。
 そう言えばフェルディナンは私が暴れたせいであっちこっち傷だらけになっているし、よくよく見なくても手なんか血だらけ……になってる。
 確かに噛んだけど。思いっきりやっちゃったけど! 
 でもまさかそこまで酷い状態になっているとは思っていなかった。だってフェルディナンはそんなに痛がる風をみせていなかったし……でも、

 ――もしかして、やり過ぎた?

 そう思ったら背中から大量の汗がダラダラと吹き出してきた。

「はんにゃ~」

 どうしよう、どうすればいいの? ここまでやっちゃったら仲直りしましょうなんて自分から言えないし、何よりこの状況はとっても気まずい。

 とりあえず、フェルディナンに背を向けたままちょっとだけ距離を取るようにいそいそと膝の端っこに移動してみた。うつむきがちに両手を太股の間に挟んで座り込む。

「どうするにゃどうするにゃどうするにゃどうするにゃどうするにゃどうす……」
「月瑠? 何をそんなに悩んで……落ち込んでいるんだ?」
「はにゃぁっ!」

 しまった! 考えが口から漏れていた。尻尾がピーンと立ってしまう。
 そう言えばフェルディナンは私に何をされても反撃をしてくる気配はない。何でだろう? そう思ってまたチラッとだけ振り返ると目が合った。

「……にゃ、にゅ、にょ……」

 何と言って良いのか分からない。謝った方がいいんだろうな。でも八つ当たり気味に攻撃して沢山怪我させておいて今更素直に謝るのは難しい。というか出来ない。のでもう一度そそそっと膝の端っこの端っこに移動した。

「月瑠そんな端に座ったらまた落ちるぞ? というか……いったい君は先程から何をしているんだ?」

 右に左に悩む度にフェルディナンの膝上を移動していたからとうとう聞かれてしまった。

「わ、わにゃしおんちじゃにゃぃにょよ?」
「ん? また歌いたいのか?」
 
 切り出す話題が見つからず。とりあえず当たり障りのない話をするとフェルディナンは普通に返事をしてくれた。

「にゃ、ちにゃうのにゃ! あのにゃあのにゃ、わにゃしにゃ、そのにゃ、あのにゃ、そのにゃ……」

 ごめんなさいがどうしても言えなくてまごまごしていたら、不思議な顔をしたフェルディナンがわずかに首をかしげた。

「何だがよく分からないが発声はっせい練習でもしているのか?」
  
 は、発声練習とか言われてしまった。耳をへにょんとしてうつむくと頭をまたポンッとされてよしよしと撫でられる。どうやらフェルディナンには私が落ち込んでいる時が分かるようだ。そう思ったらやっと素直に言いたかった言葉が出てきた。

「ごめんにゃさぃ……」
 
 後ろ向きで目を合わせないようにして何とか言えた。

「そうか」

 分かっているならいい。そうしてまた優しく猫耳ごと頭を撫でられてた。

「フェルディニャンおこっにゃ? わにゃしわるいこにゃにょよ? きらいににゃーにゃ?」
「月瑠は良い子だよ。今のは俺が悪かったんだ。すぐに噛みつくのはよくないが、それを君は分かったから俺に謝ってくれたんだろう?」

 返事の代わりに近寄ってそのたくましい胸元に頭を擦りつける。もう誰かに噛みつくのは止めよう。そう思ってフェルディナンの身体にひっついてすりすりしていたら段々と眠くなってきた。
 そう言えばもうすっかり時間帯は深夜を回っている。夜の静けさの中に漂う冷たく涼しい空気が当たるとちょっと肌寒い。

「にゃんっ!」

 考えが決まったのでとりあえず一鳴ひとなき。
 寝よう。このまま甘えて寝てしまおう。というか寝てしまえ。何だか話をしているのが面倒臭いと思う位眠くなってきた。

「ふわ~にゃ」

 アクビを噛み締めると涙が出てきて襲ってくる睡魔と涙でぼやける視界に誘発されて、目がとろんと溶けちゃいそうなくらいに眠くなる。何も食べてないのに緩んだ口元をムニムニと動かしながらちょっと伸びして「きゅぁ~」ともう一鳴き。
 混濁する意識と飛び飛びになる思考を我慢するにも限界があった。

「もうそろそろ寝るか?」

 フェルディナンの声に後押しされて、ウトウトしながらフェルディナンの厚い胸元にくっつく。でも服の上からだけだと何だかもの足りない気がして自然に手が動いていた。フェルディナンの服をまくり上げてゴソゴソと服の下に入ろうとしたら止められた。

「月瑠、駄目だ」
「やぁにゃぁ~」

 とっても眠い。それに直ぐそこに丁度良い場所があるのにポジション取りが出来ないなんてなんの冗談だ。目を擦りながら必死に眠い頭で考えてもう一度フェルディナンにひっついて服の下に入ろうとしたらまた止められてしまう。

「……ふにゃぁ……」

 何でダメなの? 強い眠気にふらふら頭を揺らしながらまたフェルディナンに意地悪されたと思って涙ぐむ。フェルディナンは駄目と言うことが多すぎる。そんなに沢山制限されてしまってはどうすればいいのか分からないじゃないか。
 何となく頭にきて尻尾の先でベシベシとフェルディナンの腕を叩いて無言の抗議で応戦しても気が変わる気配は微塵みじんも感じられない。そのまま嫌がらせ目的でひたすら同じ場所をビシビシ尻尾でずっと叩いていたらしまいには尻尾をむんずとつかまれてしまった。

「にゃん! にゃん! にゃぁ~ん!」

 尻尾を離せと鳴きわめいてもフェルディナンは口を閉ざしたままだ。穏やかな水面みなものように静かな表情をたたえて見つめてくる。今度は私の方がフェルディナンの考えている事が分からなくなる。怒っているのか、それとも私と一緒で眠いだけなのか。
 その綺麗な顔に浮かぶ表情は平坦で落ち着きすぎていて何も読み取ることが出来ない。だから最後には心細くなって猫耳がへにゃんと力無く垂れてしまった。

 また調子に乗ってあんまり我が儘を通していたから遂に堪忍袋かんにんぶくろが切れてしまったのだろうか。眠いし、寒いし、何だか心細くて寂しいし。でも怒られるのは嫌だなと思ってちょっとだけ距離を取ることにした。尻尾を掴んでいるフェルディナンの手を噛むのはもう出来ないから代わりに掴まれている自分の尻尾をガジガジ噛んで手を離すように意志を伝える。

「こらっ自分の尻尾を噛むな! 噛むならせめて俺の手で我慢してくれ」
「やぁ~にゃ~」
「月瑠!」

 噛むのを止めないでいたら尻尾をフェルディナンに取り上げられてしまった。

「ふわぁっ!? わにゃしのしっぽっ! しっぽぉ~!」
 
 意志を伝えたはずだったのに、何故だか趣旨がズレて尻尾の取り合いのようなことに発展してしまった。そうして狭いカウチソファーの上で尻尾の奪い合いを繰り広げていたら、最終的には有無を言わせずフェルディナンに抱っこされて部屋の中に戻されてしまった。



*******



 部屋の中に戻った後で、何とか尻尾を取り戻した私は自分の尻尾をヒシッと胸元に抱えて広々としたベッドの上でゴロゴロしていた。

「月瑠、もう子供は寝る時間だぞ? そろそろ尻尾を離して布団に入りなさ……」
「やにゃ」
「どうしてそうすぐに嫌がるんだ?」
「にゃ……やにゃやにゃやにゃやにゃやにゃやにゃやにゃやにゃ」
 
 反抗してヤダを繰り返していたらフェルディナンが大人しく待っていろと言って部屋を出て行ってしまった。待っている間も口寂しさに自身の尻尾をガジガジしていたら、フェルディナンは直ぐにあるものを持って戻って来た。

「月瑠尻尾を離しなさい。離すならコレをやってもいい」
「はにゃ! それにゃぁ!」 

 フェルディナンが手にしているのは美味しそうなお魚だった。

「おさかにゃぁ~」

 なるほど、コレがご褒美だったのか。長く待った甲斐かいがあったと、無理矢理当初のご褒美ちょうだいの思考に繋ぎ合わせる。
 
「にゃんにゃぁ~!」

 ちょうだいちょうだい。はやくちょーだい。
 そう言いたいのを我慢して口をつぐみ瞳を輝かせながらジーッとお魚を見つめた。それから嬉しさのあまり甘えてフェルディナンに思いっきりひっつこうとしたら待ったが掛かった。

「にゃうっ? にゃうにゃうっ!」

 なんで駄目なの? そう言ったつもりが魚を見た影響か、猫語ばかりが口から出てくる。段々と本物の猫に近づいてきているような気がするのはきっと気のせいじゃない。

「君はもうすっかり猫だな」
「フェルディニャンはにゃこきにゃいにゃぁの?」

 猫は嫌いかと尋ねたら、フェルディナンは少しだけ目を細めて笑った。

「嫌いではないがどうやら得意ではないらしい」

 ほうほうそうなのか。そうなのか。ところでお魚はまだ? と、返事の内容そっちのけでまた尻尾が引きちぎれそうなくらいに左右にブンブン振り回す。
 まだ? まだダメなの? にゃうにゃう鳴いて必死に訴える。我慢するのは大変だ。大好きなのに欲しいのにもらえないのは辛い。どうして我慢しなくちゃいけないの? う~もう我慢できないヤダァッ!

「ふんにゃ――っ!」

 私はとうとう突進してしまった。そして猫特有の俊敏さと優れた運動神経で華麗にお魚をゲット。
 
「にゃんっにゃんっにゃんっにゃんおさかにゃ~」

 ふんふんご機嫌でまたフェルディナンの周りを四つん這いに歩いていたらフェルディナンの顔色が何故だかちょっと暗くなった。

「ああ、それとこれは栄養剤入りの注射だ。獣人化してから君は魚しか食べていないからな。それでは栄養が偏るという医師の判断だ」

 悪く思うな。と言われてももちろん悪く思うに決まっている。

「にゃっ? にゃっ? にゃぁぁぁぁぁぁあっ!? ふんぎゃ――――――っ!」

 お魚をくわえて逃げる格好でフェルディナンに捕まった私は、物に釣られた間抜けな格好のままパンツをひんむかれて容赦無くブスッとお尻に痛恨の一撃を食らい。そうして再び本日最後の大喧嘩が幕を開けたのだった――
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