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第四章~大人扱編~

093 甘えられる存在

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「――それで、月瑠はフェルディナンに尻をひんむかれて注射をされてからずっとああなのか?」
「……まあな」

 書類に目を通しながらフェルディナンはイリヤに言われた通り、先程からずっと部屋の片隅でうずくまってプルプル震えている私に目をやった。ベッドから持ち出した毛布の中にすっぽりと包まってフェルディナン達に背を向けている私の後ろ姿を見る度に、フェルディナンがため息を付く気配がする。

「それにしても、頭は綺麗に隠してるのに肝心の尻は出たままなのな……あっ引っ込めた」
 
 イリヤが指摘した通りはみ出たお尻と尻尾を毛布の中に収納する。それからまたフェルディナンに容赦無くお尻に注射(栄養剤入り)された衝撃にシクシクと落ち込んで、壁に頭を打ち付けていたらイリヤが余計な事を言い出した。

「ところでさ、マタタビはまだ出来ないの? 月瑠がずっとあんな調子だと流石さすがにフェルディナンもキツいんじゃない? 何というか……何時いつになくボロボロだぞ」

 イリヤに言われた通り、フェルディナンはあちこち引っ掻き傷だらけだった。一番酷いのは手の甲にある噛まれた傷で、どれも軽傷ではあるものの一悶着ひともんちゃくあったことは隠しようがない。

「それにどうして癒しの魔力でその傷治さないんだよ?」
「別段問題は無い」
「……まあいいけどさ、そんなに相手をするのが大変なら一層のこと首に鈴でも付けたらどうだ? 何してるのか音聞いてれば何となくでも分かるし」

 鈴!? 冗談じゃない。私は一度毛布の中に隠した尻尾をニュッと出して床をベシベシ叩いた。

「お前の言う案を彼女は相当に嫌がってるみたいだが……」
「そうだね。というか関心なさそうでしっかり話は聞いているみたいなのがまた悩みどころだったりする?」
「子供は小さくても知恵はある。思わぬ事をしでかすのも致し方ない」
 
 子供と聞いて子供じゃない! と、またベシベシ床を叩いて抗議しようとした時、フェルディナンでもイリヤでもない別の誰かに名前を呼ばれたような気がして私は毛布から猫耳だけをぴこんっと出した。暫くピクピクと猫耳を動かして物音を立てないように耳をませ意識を集中する。けれど、そうしていても何も聞こえてこないからやっぱり気のせいかと猫耳を毛布にしまい込もうとして、

 ――月瑠ちゃん?

 今度こそハッキリとそう聞こえた。

「にゃん!」

 その声はずっと私が探し求めていた何かだと直感した次の瞬間、素早く毛布から抜け出すと私は猛ダッシュで部屋を出て行った。そして後に残されたフェルディナンとイリヤがいったい何が起こったのか理解出来ず、唖然あぜんからになった毛布を見つめている最中にも私は声のする方角へと走り続けていた――



「にゃんにゃ~」

 どこをどうして行き着いたのか。私は今まで見たことがない場所に行き着いた。透明な水晶のようなもので出来ている壁の中の物を確かめたくてカリカリカリと壁を爪で掻いて何度も中にいる人達を見上げて。どうしてお話が出来ないのか。どうして中の人達は動かないのか。知りたかった。
 お行儀良くチョコンと猫がするように座って、尻尾を緩く振りながら返事が返ってくるのを待っていたら、あの人の声が聞こえてきた。

 ――月瑠ちゃん、月瑠ちゃんはまだここに来るのは早いの。だからもう少しだけ待っててね。もう少ししたらきっと……

「にゃんっ!」

 猫語で話掛けたらクスクス笑う気配がした。

 ――そう、月瑠ちゃんは今猫になってるのよね。でもこのままだと不便だし、お腹の赤ちゃんにも良くないから元に戻してあげる。フェルディナンも珍しく手を焼いているようだし、丁度良い子育ての予行演習といったところかしら?

「にゃ~ん?」

 ――かなり幼児化が進んでいるから、元に戻った時はわたしに会ったことはきっと忘れてしまっていると思うの。それに普段なら私の声は月瑠ちゃんに届かないはずなんだけど……

 相手の声のトーンが落ちて困惑が伝わってくる。

 ――あらっ? どうやらお迎えがきたようよ? それじゃあわたしも……もう戻らないと。

「にゃん! にゃん! にゃん!」

 もう行っちゃうの? お行儀良く座ったまま寂しさに震える声でにゃあにゃあ鳴き続けていたら、突然後ろからふわりと誰かに抱き上げられた。

「にゃん?」
「月瑠、帰るぞ?」
 
 私が散々引っ掻いて暴れて八つ当たりして傷付けたその人は、傷付けるばかりの私と違って壊れ物を扱うように優しく触れてくる。

「どうやってここへ来たんだ?」
「にゃ」

 近づいてきたその顔にある三本の引っ掻き傷をペロペロ舐めると、その人はわずかに肩を揺らして目を細めた。機嫌を悪くしていたことをすっかり忘れて私はその人に甘えてひっついた。たくましい首筋に手を回して頬を擦り寄せたらキュッと抱きしめられた。大切にされていることが嬉しくてもっとふにゃふにゃ甘えてみたらポンポンと背中を叩かれた。
 そうしてしがみついて甘えている私を抱えて、もと来た道を戻っていくその人が切なく瞳をらし表情を曇らせていることに私は気付いていなかった。



*******



 朝起きるとフェルディナンは私の横で静かに寝息を立てていた。顔に綺麗な金髪が掛かり陰る顔にほどこされた造作は見事なもので彫刻のように整っている。その容貌はいつ見ても感嘆のため息しか出てこない。
 少しだけ口を開けている無防備な寝顔はまるで無垢むくな子供のようでこんなに綺麗な人なのにすごく可愛いく見えるから困る。

 これって普通は逆のパターンだよね……?

 ベッドを共にした場合、疲れ切って寝ているのは女の子のパターンのはずだ。なのに何故先に私が起きているのだろうか。そこまで考えてからふとした疑問が頭をぎった。

 ――ん? えっとぉ~あれっ? わたし昨日はどうしてたっけ? 

 フェルディナンとエッチをした記憶はない。それなのにどうして服を着てないのだろう。

「とりあえず、おはようございます?」
 
 一応隣で寝息を立てている夫に話掛けてみたもののやはり返事はない。狸寝入りも難無くこなす夫を警戒するにこしたことはないが、今回はちゃんと寝ているようだった。それもがっちり私の腰に手を回したまま。

「どうしてこの人ってこう……心配性なのかしらね」

 治らない捕獲癖。そして治らない逃亡癖。それらがあだとなり最終的には寝ている間も私の身体に腕を巻き付けて離れなくなった夫の頬を撫でる。少しだけ上体を起こしてそれからフェルディナンの身体を見て愕然がくぜんとした。
 
「ふぇ、フェルディナン!? なにこれ!? どうしたの? なんでこんなに傷だらけになってるのっ!?」

 朝っぱらから大声を上げて肩を揺さぶる妻とは対称的に、フェルディナンはのんびりしたものでゆっくりとした動作で少しだけ身体を動かすと重たげにまぶたを開いた。それから数度まばたきを繰り返すと再び目を閉じてしまった。

「ね、寝ちゃダメだってばっ! フェルディナン起~き~てぇ~! ――ってえぇっ? きゃっ」

 しっかりと説明してもらうまでは眠らせてなるものかと必死に夫の肩を揺さぶり続けて、ようやく目を開けたと思ったら今度は押し倒されてしまった。
 両手の指をからめてベッドに押し付けるような体勢に驚いて目を丸くしている私を余所にフェルディナンは奪うように唇を重ねてくる。
 しっとりと長く熱いキスにクラクラして目眩めまいを起こしそうになったところでやっと解放された。

「ふあっ、……あっあの……どうしちゃったの?」

 何だか良く分からないけどフェルディナンの様子が明らかにおかしい。
 何かを確かめるように重ねられた唇。そうして唇を合わせている間も私の反応を見るように紫混じった青い瞳は開かれたままで。今のキスはすごく何というか私に対する不審に満ちていた。

「あのぉフェルディナン? どうしてそんなに怖い顔してるの? というか本当にその傷どうしたの?」

 フェルディナンの身体中あちこちいたる所に引っ掻き傷のようなものがあり、そして先程はせって見えていなかったけれど顔にも引っ掻き傷があることが分かってビックリした。
 
「戻ったのか?」
「えっ? 戻ったって……あれっ? そういえば尻尾がない。それに猫耳もない。言葉も猫語じゃないし。元に戻ってる~!」

 何がどうしたのか分からないが元に戻っている。

「んっ? でもわたしどうして……何だか分からないんだけど。記憶が……」

 ――ない。それも途中から綺麗さっぱり無くなっていた。

「覚えてないのか?」
「う、うん。何だかね。猫の獣人になってククルちゃんとお話したところ辺りまでは覚えてるんだけど……」

 つまりは初っぱなの部分以外は全ての記憶が丸っとなかった。

「わたしどうしちゃったんだろう? フェルディナン、わたし記憶が無いとき何してた? 何だか感覚的にも微妙な感じがしてあまり楽しく過ごしたって感じじゃないんだけ、ど……」

 そこまで言ってフェルディナンの頬にある傷に目がいく。ん? そういえばこの傷って……

「……まさか、わたし、何かやった? というかこのフェルディナンの傷ってまさか、全部、まさか……!?」

 フェルディナンは気まずい顔をしてそれからコクリと首を縦に振った。

「キャー! ごっごめんなさい――っ!」

 サーッと顔から血の気が引いていく。こんな綺麗な人の身体と顔に傷を付けてしまった。

「平気だ。見た目ほど酷くはない」
「ぜ、全然平気じゃないっ! 平気じゃない~っ! こんな綺麗な顔に傷がぁ! 責任とって嫁に――じゃなかった夫にしてるし……ほ、他にどう責任を取ればっ!?」

 大切なお嬢さんの身体に傷を!? ではなく、大切な夫の身体に傷を負わせてしまい私は少々混乱していた。

「……そんなもの取る必要はない」

 どうしてそう立場が逆転するんだとフェルディナンが頭を悩ませている。

「あれっ? そういえば癒しの魔力で治せるんじゃ?」

 ピンッとひらめいて、未だにフェルディナンの指にからめ取られているままの指先に力を入れる。そうして早く治すようにうながすと複雑な顔をされてしまった。

「もしかして自分の傷はあまり治したくないの? 軍人だし上官だから沽券こけんがどうのって感じのこと前にも話してたけど、ひょっとしてそういうことだったりする?」

 そう聞いたらフェルディナンはまたコクリと頷いた。聞く度に素直に頷くその仕草しぐさ随分ずいぶんと子供らしくて可愛いなと思いながら、妙なところでこだわりをもっているフェルディナンにどうやって癒しの魔力を使い傷を治させる方向へと誘導するか。そんなことを考えていたらまたキスされた。どうやら獣人化していた時の私はよっぽどフェルディナンを不安にさせるような何かをやらかしてしまったらしい。

「えっとぉ……あっ! じゃあおわびにその傷全部舐めるからっ!」 
「……舐めなくて良い。それは君が獣人化しているときに十分して貰った」
「やっちゃったの?」
 
 またもコクリとフェルディナンは頷いた。
 そんなことまでしてしまったのかと我ながら感心する。それは私がしたかったことだ。先を越されたようでむ~んと眉間みけんしわを作りながら次の手を考えていたら首筋の辺りをフェルディナンがハムッと甘噛みしてきた。

「もしかしてフェルディナン、エッチしたいの? あっ、そういえばわたし何で裸なんだろう?」

 脱いだ覚えがないけどもしかしたらやっちゃった? でもフェルディナンとエッチした覚えもない。とするとこれは? ハテナと首をかしげていたところでまたも衝撃の事実をフェルディナンの口から聞かされて、私は今度こそ卒倒しそうになった。

「君が脱いだんだ」
「わたしが?」
「熱いと駄々をこねてイリヤ達がいる前でも構わず脱ごうとしたから俺が止めた」
「…………」
「仕方が無い。君は幼児化の影響で最終的には完全に子供……というより猫になっていた。本能的に自然体の姿でいる方が楽だと思ったんだろう」
「…………」
「何度言っても聞いてくれなかったから仕方なく最後は寝る時だけなら脱いでも良いということにした」
「…………」
「君の裸を見慣れているとはいえ、幼児化している君を抱くのは気が引ける。そんな状況で一糸いっしまとわぬ姿の君ととこを共にすることになるとは思ってもいなかった……それでも君は遠慮無く抱きついて絵本を読めとせがんできたので相手をしていたんだが、お陰で明け方まで寝付けなかった。今回ばかりはなかなかの苦行をいられた気がするんだが」
「えっと、つまりフェルディナンは獣人化して幼児化しちゃった私のこと抱かなかったってこと?」
「唇を合わせただけでも鳴いて大暴れされた。そんな相手を抱くなんてことが出来ると思うか?」
「鳴いて大暴れ……」
「魚を与えたら大人しくなったが、栄養が偏るからと注射をしたらさらに酷くなった」
「魚……」
「それも最後は注射された恨みで君は引きこもりになった」
「引きこもり……あのっ」
「ん?」
「……エッチする?」

 一通りの出来事を聞き終わり。それからようやく私の口から出てきた一言を耳にした瞬間、フェルディナンがこれ以上はないくらい面白そうにくすくす笑っているのを見て、相当に苦労させたんだろうなぁと他人事のような感想がぼんやりと頭の中に浮かんだ。
 それに今のところ思いつく最大限の仲直りというか謝罪の方法を、私はこれ以外に思いつかなかった。何より答えるかわりにフェルディナンがコクリと頷いたのを見て、フェルディナンに素直に甘えられる存在が紛れもなく自分だけなのだと思うとただただ嬉しかった。
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