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第十二章 告白
第四話 ご愁傷様
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駒井が少し前に出て、ビルの自動ドアを開けたあと、道を右に折れた時、古びたビルの物陰から、男がぬっと現れた。長身で体にしっかりとした厚みがある。
「……圭吾」
目を見開いた麻子の行く手を圭吾が阻む。
次に折り畳みナイフがパチンと開く音がした。
右肘を上げた圭吾の獣じみた唸り声は、繁華街の雑踏に紛れてしまう。
麻子は咄嗟に駒井の肩を掴んで背後に突き飛ばす。
歩道に尻餅をつかされて、したたかに尻でも打ったのか、苦痛で呻く声がした。
「何なの、今更!」
まだ人通りのある裏道で、女一人と男が二人言い争って揉めている。ここではそれは、よく見るありふれた情景だ。だから圭吾は見咎めにくい小型のナイフを選んでいる。
小型とはいえ、急所を狙われ、刺されたりしたら命に関わる。
圭吾は整体院の院長だ。
人体の急所を熟知している。
「やっぱりお前。こいつに乗り換えたんだろう?」
「二股かけたクズ男のくせに、うっせーんだよ! あんたなんかに関係あるのか!」
啖呵を切ったが、麻子は冷たい汗をかく。
次第に息が上がってきた。
通行人に警察を呼んでもらう間もない気がした。たとえ呼んでもらえても、このうちの誰かが刺されている。
にやつくような笑みを浮かべた圭吾は、まるで別人だ。
思慮深かった圭吾は、どこにもいない。手の中でナイフを回して繰りながら、圭吾が近づく。
体臭に汗が混ざったような圭吾の匂いが鼻につく。
麻子が半歩退いた、その時だ。
歩道の常緑樹の枝がしなり、枯れ葉が大量に降ってきた。
「ぐあっ」
と、叫んだ圭吾の首に、スウェットを着た人の足が絡んでいる。
「柚季君!」
「どいてろ、先生!」
太い枝にぶら下がり、圭吾の首に柚季の足が十字に絡んだ。そして柚季が半身をよじると、圭吾も捻じられるようにして転がった。上半身が回旋した分、頭を強打したらしい。路上で頭部がバウンドした。
直後に木から下りてきて、歩道を滑ったナイフを拾い、圭吾の右手を踏みつけた。
「待って!」
と、思わず制していた。整体師の圭吾にとって、右手は命だ。商売道具だ。頭を抱えて転げ回る圭吾に麻子は近づいた。
「私なんかに執着している場合じゃないでしょ。明日にでも式、挙げそうな勢いで退社したのよ? 畑中さん」
「……あいつのせいだ……」
「えっ? なんて言ったの? 聞こえない」
圭吾の顔の前に麻子は屈む。その手を握られそうになり、麻子は瞬時に振り払う。
「陽子の奴……。ずっと金、金、言いやがって……」
跳ねのけられた左手を、ぎゅっと握って圭吾は続けた。
「式は海外でしたいとか。新居は港区にしたいとか。タワーマンションに住みたいだとか。そんな金、俺にはないって言ってるのに、俺の実家に頼ればいいとか、ぬかしやがって」
怒りに任せて、圭吾は歩道に拳を打ちつけ、獣のように吠え立てる。
「おかわいそうに」
少しも気持ちの入らない慰めの言葉を投げかけた。
別れたくても、粘着質の極みの彼女は首を縦に振ったりしない。慰謝料をふんだんに積めば、また別の話になるのだが。
「それでヨリを戻そうなんて、出来ると思うの? 私が許すと思ってた?」
せいぜい陽子の、夫という名のキャッシングマシーン人生を全うしてくれ。
頭を抱える圭吾の周りに人だかりが出来ている。あの中の誰かが救急車を呼ぶだろう。それよりと、麻子は駒井を振り返る。
「先生! すみません。大丈夫ですか? 先生。私……」
「いやぁ、僕の方こそ全然力になれなくて」
眉尻を下げた駒井は路上で座り込み、頭を掻いて笑っている。
「……圭吾」
目を見開いた麻子の行く手を圭吾が阻む。
次に折り畳みナイフがパチンと開く音がした。
右肘を上げた圭吾の獣じみた唸り声は、繁華街の雑踏に紛れてしまう。
麻子は咄嗟に駒井の肩を掴んで背後に突き飛ばす。
歩道に尻餅をつかされて、したたかに尻でも打ったのか、苦痛で呻く声がした。
「何なの、今更!」
まだ人通りのある裏道で、女一人と男が二人言い争って揉めている。ここではそれは、よく見るありふれた情景だ。だから圭吾は見咎めにくい小型のナイフを選んでいる。
小型とはいえ、急所を狙われ、刺されたりしたら命に関わる。
圭吾は整体院の院長だ。
人体の急所を熟知している。
「やっぱりお前。こいつに乗り換えたんだろう?」
「二股かけたクズ男のくせに、うっせーんだよ! あんたなんかに関係あるのか!」
啖呵を切ったが、麻子は冷たい汗をかく。
次第に息が上がってきた。
通行人に警察を呼んでもらう間もない気がした。たとえ呼んでもらえても、このうちの誰かが刺されている。
にやつくような笑みを浮かべた圭吾は、まるで別人だ。
思慮深かった圭吾は、どこにもいない。手の中でナイフを回して繰りながら、圭吾が近づく。
体臭に汗が混ざったような圭吾の匂いが鼻につく。
麻子が半歩退いた、その時だ。
歩道の常緑樹の枝がしなり、枯れ葉が大量に降ってきた。
「ぐあっ」
と、叫んだ圭吾の首に、スウェットを着た人の足が絡んでいる。
「柚季君!」
「どいてろ、先生!」
太い枝にぶら下がり、圭吾の首に柚季の足が十字に絡んだ。そして柚季が半身をよじると、圭吾も捻じられるようにして転がった。上半身が回旋した分、頭を強打したらしい。路上で頭部がバウンドした。
直後に木から下りてきて、歩道を滑ったナイフを拾い、圭吾の右手を踏みつけた。
「待って!」
と、思わず制していた。整体師の圭吾にとって、右手は命だ。商売道具だ。頭を抱えて転げ回る圭吾に麻子は近づいた。
「私なんかに執着している場合じゃないでしょ。明日にでも式、挙げそうな勢いで退社したのよ? 畑中さん」
「……あいつのせいだ……」
「えっ? なんて言ったの? 聞こえない」
圭吾の顔の前に麻子は屈む。その手を握られそうになり、麻子は瞬時に振り払う。
「陽子の奴……。ずっと金、金、言いやがって……」
跳ねのけられた左手を、ぎゅっと握って圭吾は続けた。
「式は海外でしたいとか。新居は港区にしたいとか。タワーマンションに住みたいだとか。そんな金、俺にはないって言ってるのに、俺の実家に頼ればいいとか、ぬかしやがって」
怒りに任せて、圭吾は歩道に拳を打ちつけ、獣のように吠え立てる。
「おかわいそうに」
少しも気持ちの入らない慰めの言葉を投げかけた。
別れたくても、粘着質の極みの彼女は首を縦に振ったりしない。慰謝料をふんだんに積めば、また別の話になるのだが。
「それでヨリを戻そうなんて、出来ると思うの? 私が許すと思ってた?」
せいぜい陽子の、夫という名のキャッシングマシーン人生を全うしてくれ。
頭を抱える圭吾の周りに人だかりが出来ている。あの中の誰かが救急車を呼ぶだろう。それよりと、麻子は駒井を振り返る。
「先生! すみません。大丈夫ですか? 先生。私……」
「いやぁ、僕の方こそ全然力になれなくて」
眉尻を下げた駒井は路上で座り込み、頭を掻いて笑っている。
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