播磨守江戸人情小噺(二) 小間物屋裁断

戸沢一平

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第五話

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 神田は神保町にある小間物屋「奄美屋」は、店構えは小さく地味ではあるが、品揃えは豊富で扱う品物もしっかりしており堅い商売をしている。

 五、六年前に主人とおかみの夫婦二人で始めた店である。評判もそこそこで、商売も順調だった。

 ある時期、主人が上方に仕入れに行ったきり行き方知れずとなった。そのため、おかみ一人では商売が上手くいかなくなった。次第に資金繰りに行き詰まり、金貸しに手を出してしまう。やがて、毎日のように店に来る取り立て屋に、店はそう長くないだろうと世間は見ていた。

 だが、その後、今の番頭を雇いどうにか店を立て直す。借金も返し終わったようで、やがて取り立て屋が姿を見せることも無くなった。

 番頭は、歳の頃四十過ぎの上背のある男で、名を清二という。小田原にいたということだが、若い頃は江戸の老舗の店で働いていたらしく、商売上手のやり手と思われている。

 どこか陰のある口数の少ない男であった。

 夜の闇が神田界隈を包んでいる。遠くで犬が吠えている。

 奄美屋の灯も落ちた。

 番頭の清二は、店を閉めると今日一日の帳簿の整理をして、それが終わると自分の部屋に戻った。
 膝に手をつきながらゆっくりと腰を下ろした。大きく息を吐き、右手で煙草盆を引き寄せたときだった。

「番頭さん、ちょっといいですか」
「はい」

 清二が姿勢を正すと、襖を開けて奄美屋のおかみお菊が入ってきた。

 ゆっくりと腰をおろし、両手で襖を閉め、体をひねって清二に正対した。そして、おもむろに優しい眼差しを清二に向けた。

「今日も一日ご苦労様でした」

 清二が無言で頭を下げた。

「昨日、考え直して欲しいと頼んだことです。どうですか、暇が欲しいという気持ちは変わりませんか」

「はあ・・」

 数日前、清二が店を辞めたいと申し出た。

 市蔵を殺したからである。

 しかし、人を殺してしまったから店を辞めたいなど言える訳が無い。

 お菊が何かを求めるようにじっと清二を見つめた。その視線を避けるように清二が煙草盆に眼を向ける。
「訳も・・、教えてもらえないのね」

 清二が体を固くし、頭を下げた。
「すみません。勘弁してください」

 無論、市蔵を殺したことには、止むに止まれぬ理由があった。

 清二が抱えている人には言えない秘密を暴露すると脅されて、金品を要求されたのである。しかも、一度だけでは無く、ずっと払い続けろというのだ。

 店の売り上げの多くを市蔵に払い続けることなど、到底応じられない。この状況から逃れるための取るべき手段は、市蔵を殺すことだった。

 当然ながら、奉行所とて見逃してくれる訳が無い。遅かれ早かれお縄になるに違いない。

 いずれにしろ、このままでは店に迷惑がかかる。辞めるしかなかった。

 静かな時間が流れた。

 お菊が小さくため息を吐いた。
「そうですか、仕方がありません」

 お菊が、うなじから綺麗に結った髪にかけてゆっくりと手を触れ、悲しい顔で清二を見た。

「主人が行方知れずとなり、この店も上手くいかず借金が増えて、一時はどんなにか心細かったか。そこへあなたが来てくれて、店のほうも上手く運ぶようになり、どうにか借金も返すことが出来て、本当に助かりました。あなたには感謝の気持ちで一杯です」
「あっしは、そんな良い人間ではありません」
「あなたが此処に来たときから、何か訳があるとは思っていました。それを知りたいと思ったときも正直ありました」

 清二が体を固くした。

 その訳こそが人には言えない秘密だった。これを、市蔵の口から暴露されることだけは、何があっても避けなければいけなかった。

 特に、お菊の耳には、決して入れてはならないことだった。

 何故ならば、行方知れずとなった奄美屋の主人はすでに死んでおり、その死に、清二が関わっていたからだ。

 お菊が肩の力を抜いて体を揺すって座り直した。
 そして、清二を見つめながら、ゆっくりと体を寄せて行った。

「でも、この頃は、そんなことより、いつまでもこの暮らしが続いてくれればと思うようになったのです。あなたが、ずっと一つ屋根の下で私の側にいてくれれば、それだけで・・」

 清二が思わず体を引いた。
「おかみさん、あっしは、あっしはそんな暮らしを望んではいけない男です」

 お菊が更に体を寄せた。
「あなたにはあなたの事情があるでしょう。でも、私にだって、私にだって女の気持ちがあります」

 清二が右手を突き出し、お菊を遮った。

「か、勘弁してください」

 夜が更けていく。

 何処かで猫が鳴いている。
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