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第十一話
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裁断の日がきた。
驚くべき事に、奉行所の御白州の間の周囲には多くの群衆が詰め掛けていた。
外部から裁断の現場を目にすることが出来る場所は限られている。その僅かな好位置となる場所には何重にも人だかりが出来ており、そこに入り切れない者が周囲を取り囲むように屯している。
これ程までに江戸の民の注目を集めるとは、頼方をはじめとした奉行所の誰もが予想もしていなかった。
人々の関心を呼んだ理由は社会正義を実践した番頭への称賛であった。
庶民の間では人の弱みにつけ込んで暴利を貪る者への反発は強く、その手先となっていた陰湿な小悪党が殺された事に溜飲を下げた者も少なくなかった。良くやってくれたと、皆が心の中で喝采を送ったのだ。
それは、番頭に対する温情ある裁断への期待にも繋がった。
「まあ、しかし、あまり期待は出来ないな。何しろあの奉行だからな」
「確か、国定忠次を死罪にしやがった奴か」
「そうだよ。情け容赦のない鬼の奉行ってぇ評判だ」
「流石に死罪は無いとしても、島流しは免れ無いだろうな」
「そうだろうなぁ、一応は殺しだからなぁ・・」
「人の為になる事をして、島流しとは辛いな」
「これで、もう店は駄目だな」
「ああ、すぐに潰れるだろう」
「おかみはどうするのだろう・・」
ザワザワとした群衆のささやきが周囲を取り囲み、物々しい数の役人が目を光らす緊張感と相まって、御白洲の間は異様な空気が支配していた。
ここに、違った意味で複雑な心境のお菊が座っていた。
お菊は、清二が奉行所に出頭したと聞き、矢も立てもたまらずに面会を申し出た。とにかく会いたかった。そして、これで清二の全てが明らかになる、という予感がした。
逃げるように去ったのは奉行所に行く為だったのだ。そこで、何か過去に犯した罪を申し出たのだ。例え、それがどのような行為でも、お菊はそれを受け入れようと思った。この男の全てを知りたかった。
一方の清二は、既に何の蟠りも無かった。もう、これからは、何があっても逃げない、真っ当な生き方をする、そう心を固めていたからだ。
したがって、お菊が面会に来ると知った時は、何もかも正直に話そうと決めていた。もはや、失うものは無かった。
面会が許されたのが昨日である。二人は牢屋の格子戸越しに対面した。
お菊が役人に付き添われながら入って来た。清二を見ると安心したように微笑み、指示された場所に座った。
清二の様子を確認するようにジッと見詰めて、軽く頷き、風呂敷に包んで持ってきた弁当を取り出して差し入れた。
「お腹が空いているでしょう、さ、食べて」
「おかみさん、こんな物まで頂いて、恐縮です」
清二が弁当を手に持って蓋を開けると、鰆の味噌焼き、ゴボウの太煮、蒲鉾、蓮根などが綺麗に並んでいる。心を込めたものであることが伝わった。
清二の胸に、グッとこみ上げるものがあった。
これほどまでに自分を思ってくれている女がいる。その女に、これから、その思いを裏切る残酷な事を言わなければならないのだ。ヒリヒリとした痛みが胸を刺していく。
しかし、もう逃げる事は出来ない。いや、逃げるべきでは無いのだ。
清二が箸を置いて弁当の蓋を閉めた。
目を瞑りゆっくりと深呼吸をして、顔を上げてお菊を見詰めた。
「おかみさん、私がやった事の全てを話したいと思います」
お菊は予想に反して困惑した。
望んでいた事とはいえ、やはり、暗いものに触れるのを躊躇うような戸惑いが起きていた。
更に、清二の表情に、自分に向けた覚悟のような鋭さを感じたのだ。これは予想外だった。ザワザワとした胸騒ぎが起きていた。
「はい・・」
驚きはある程度予想し、当然ながらそれによる戸惑いも覚悟したが、最初に耳に入った一言はそれを超える衝撃だった。
「実は、ご主人の死に、私が関わっております・・」
お菊は動揺した。
何と政吉は既に死んでいて、あろう事か、この清二がその死に関わっていたのだ。
何処かに置き去りにしていた主人政吉の顔がはっきりと浮かんで来た。
そして、政吉の死んで行った状況が清二の口から詳細に語られて行くにつれて、政吉への思いが蘇り、徐々に清二に対する心が乱れ、崩れて行った。
お菊は心の整理が出来ないままに、放心状態で話を聞き終えた。
しばらくは、何も考えることが出来なかった。
清二にとっても、一言一言が辛い告白だった。
徐々にお菊の表情が変わって行く様を見ながら語る辛さは、真っ当な生き様へ向けた苦痛なのだ、と割り切りながら必死に耐えた。
だが、その先に待ち受けている、心から思う女の気持ちが離れて行くという冷酷な現実には、耐え難いほどの切なさが込み上げて来た。
語り終わった時、何かを成し遂げた達成感と、極度の緊張から解放された虚脱感が清二を支配した。
「あっしは、そういう男です。汚い奴です。もうすぐ、お奉行の沙汰が下りるでしょう。どのような裁断か分かりませんが、全て受け入れます。御正道に背くような生き方はやめました」
清二は大きく息を吐いて、視線を下げた。
手に持った弁当を見ながら、お菊が何かを言うのでは、と期待した。何もかもをさらけ出した自分に対しての、女の反応が気になったのだ。
だが、お菊は無言のままだった。牢屋を静寂が支配している。
清二は、おもむろに顔を上げてお菊を見た。青白い憂いを含んだ顔が、茫然と自分を見ている。
その自分に向けられた感情のない視線は、この女の気持ちが元に戻る事は無い事を示していた。
全てが終わった、清二はそう感じた。
「もう、お会いすることも無いでしょうが、おかみさんにしていただいた事は忘れません。あっしの宝です。ありがとうございました」
清二は深々と頭を下げた。
その耳には、お菊が牢役人に促されて、立ち上がり、去って行く音が入って来た。
それが昨日ことである。
その余韻を引きずって、お菊はお白洲に座っていた。
お白洲にドンドンという触れ太鼓が響き、裃に身を包んだ播磨守頼方が入って来た。
ザワザワと周囲が騒つくが、やがて静寂が場を支配する。
頼方が座につき、周囲を見渡した。
驚くべき事に、奉行所の御白州の間の周囲には多くの群衆が詰め掛けていた。
外部から裁断の現場を目にすることが出来る場所は限られている。その僅かな好位置となる場所には何重にも人だかりが出来ており、そこに入り切れない者が周囲を取り囲むように屯している。
これ程までに江戸の民の注目を集めるとは、頼方をはじめとした奉行所の誰もが予想もしていなかった。
人々の関心を呼んだ理由は社会正義を実践した番頭への称賛であった。
庶民の間では人の弱みにつけ込んで暴利を貪る者への反発は強く、その手先となっていた陰湿な小悪党が殺された事に溜飲を下げた者も少なくなかった。良くやってくれたと、皆が心の中で喝采を送ったのだ。
それは、番頭に対する温情ある裁断への期待にも繋がった。
「まあ、しかし、あまり期待は出来ないな。何しろあの奉行だからな」
「確か、国定忠次を死罪にしやがった奴か」
「そうだよ。情け容赦のない鬼の奉行ってぇ評判だ」
「流石に死罪は無いとしても、島流しは免れ無いだろうな」
「そうだろうなぁ、一応は殺しだからなぁ・・」
「人の為になる事をして、島流しとは辛いな」
「これで、もう店は駄目だな」
「ああ、すぐに潰れるだろう」
「おかみはどうするのだろう・・」
ザワザワとした群衆のささやきが周囲を取り囲み、物々しい数の役人が目を光らす緊張感と相まって、御白洲の間は異様な空気が支配していた。
ここに、違った意味で複雑な心境のお菊が座っていた。
お菊は、清二が奉行所に出頭したと聞き、矢も立てもたまらずに面会を申し出た。とにかく会いたかった。そして、これで清二の全てが明らかになる、という予感がした。
逃げるように去ったのは奉行所に行く為だったのだ。そこで、何か過去に犯した罪を申し出たのだ。例え、それがどのような行為でも、お菊はそれを受け入れようと思った。この男の全てを知りたかった。
一方の清二は、既に何の蟠りも無かった。もう、これからは、何があっても逃げない、真っ当な生き方をする、そう心を固めていたからだ。
したがって、お菊が面会に来ると知った時は、何もかも正直に話そうと決めていた。もはや、失うものは無かった。
面会が許されたのが昨日である。二人は牢屋の格子戸越しに対面した。
お菊が役人に付き添われながら入って来た。清二を見ると安心したように微笑み、指示された場所に座った。
清二の様子を確認するようにジッと見詰めて、軽く頷き、風呂敷に包んで持ってきた弁当を取り出して差し入れた。
「お腹が空いているでしょう、さ、食べて」
「おかみさん、こんな物まで頂いて、恐縮です」
清二が弁当を手に持って蓋を開けると、鰆の味噌焼き、ゴボウの太煮、蒲鉾、蓮根などが綺麗に並んでいる。心を込めたものであることが伝わった。
清二の胸に、グッとこみ上げるものがあった。
これほどまでに自分を思ってくれている女がいる。その女に、これから、その思いを裏切る残酷な事を言わなければならないのだ。ヒリヒリとした痛みが胸を刺していく。
しかし、もう逃げる事は出来ない。いや、逃げるべきでは無いのだ。
清二が箸を置いて弁当の蓋を閉めた。
目を瞑りゆっくりと深呼吸をして、顔を上げてお菊を見詰めた。
「おかみさん、私がやった事の全てを話したいと思います」
お菊は予想に反して困惑した。
望んでいた事とはいえ、やはり、暗いものに触れるのを躊躇うような戸惑いが起きていた。
更に、清二の表情に、自分に向けた覚悟のような鋭さを感じたのだ。これは予想外だった。ザワザワとした胸騒ぎが起きていた。
「はい・・」
驚きはある程度予想し、当然ながらそれによる戸惑いも覚悟したが、最初に耳に入った一言はそれを超える衝撃だった。
「実は、ご主人の死に、私が関わっております・・」
お菊は動揺した。
何と政吉は既に死んでいて、あろう事か、この清二がその死に関わっていたのだ。
何処かに置き去りにしていた主人政吉の顔がはっきりと浮かんで来た。
そして、政吉の死んで行った状況が清二の口から詳細に語られて行くにつれて、政吉への思いが蘇り、徐々に清二に対する心が乱れ、崩れて行った。
お菊は心の整理が出来ないままに、放心状態で話を聞き終えた。
しばらくは、何も考えることが出来なかった。
清二にとっても、一言一言が辛い告白だった。
徐々にお菊の表情が変わって行く様を見ながら語る辛さは、真っ当な生き様へ向けた苦痛なのだ、と割り切りながら必死に耐えた。
だが、その先に待ち受けている、心から思う女の気持ちが離れて行くという冷酷な現実には、耐え難いほどの切なさが込み上げて来た。
語り終わった時、何かを成し遂げた達成感と、極度の緊張から解放された虚脱感が清二を支配した。
「あっしは、そういう男です。汚い奴です。もうすぐ、お奉行の沙汰が下りるでしょう。どのような裁断か分かりませんが、全て受け入れます。御正道に背くような生き方はやめました」
清二は大きく息を吐いて、視線を下げた。
手に持った弁当を見ながら、お菊が何かを言うのでは、と期待した。何もかもをさらけ出した自分に対しての、女の反応が気になったのだ。
だが、お菊は無言のままだった。牢屋を静寂が支配している。
清二は、おもむろに顔を上げてお菊を見た。青白い憂いを含んだ顔が、茫然と自分を見ている。
その自分に向けられた感情のない視線は、この女の気持ちが元に戻る事は無い事を示していた。
全てが終わった、清二はそう感じた。
「もう、お会いすることも無いでしょうが、おかみさんにしていただいた事は忘れません。あっしの宝です。ありがとうございました」
清二は深々と頭を下げた。
その耳には、お菊が牢役人に促されて、立ち上がり、去って行く音が入って来た。
それが昨日ことである。
その余韻を引きずって、お菊はお白洲に座っていた。
お白洲にドンドンという触れ太鼓が響き、裃に身を包んだ播磨守頼方が入って来た。
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