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第十話
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「へー、下手人は自分ですって、自ら名乗り出たの」
「まあ、ちょうどしょっ引こうとしていたところだったけどな」
「もう逃げられないと観念したのね」
「それもあるのかも知れないが、何というか、これまでの逃げてばかりの人生に区切りを付けたい、というような事を言っていたなぁ」
「結局同じことじゃないの」
頼方がお真美の茶屋で酒を飲んでいる。
清二に対する取り調べはすぐに終わった。洗いざらい正直に答えて、奉行所で調べ上げたことと、殆どが整合した。
お真美が徳利を差し出した。
「これで一件落着ね」
頼方が注がれた酒を一気に飲み干し、胸を張った。
「ああ、三日後に裁断を申し渡す」
「どうせ大甘の裁断でしょ」
「そりゃあ、すんなりとお縄について深く反省もしていることは、考慮するよ」
お真美がまた頼方に酒を注いだ。
「殺しに至った事情もあるでしょうが。あの卑怯な取り立て屋に脅されて、やむにやまれなかった訳だから」
頼方が猪口を持った手を止めた。
「そこがなぁ、ちょっと難しい」
「どう難しいの」
頼方が頷きながら猪口を開けた。
「脅されていたのは、小田原での行い、つまり、瀕死の旅人を見殺しにして金品まで奪っていることだ。この事をバラされたくなければ金を出せと言われていた。しかし、知られたくないとはいえ、自分がやった悪事だからな」
お真美が、急に不機嫌そうに冷めた目で頼方を見た。
「それで?」
頼方がオッと上体を引き、上目遣いにお真美を見た。
「だから・・その、番頭は市蔵に対して「奉行所に言うのなら言って下さい、潔く罪を償います」と言う事も出来た訳だ。であれば、金など払わなくて済む。殺しも無かった。自分がやった悪事をバラされるのが困る、という気持ちを考慮するのは、ちょっとなぁ」
お真美が呆れたというように首を振った。
「何にも分かっていないのね、頭の硬い役人たちは」
頼方は、何かを予感したように首を竦めた。
「そんな事が出来るなら、その取り立て屋みたいな脅しは無くなるでしょうが。揉め事や殺しもね。世の中は善人だらけよ。そんなのは役人の理屈。番頭がそんな事できる訳ないわよ。あんたの亭主が死ぬのを黙って見ていました、金品は頂きました、とかおかみに言えると思うの?」
頼方がたまらずに右手をあげた。
「わかった、そうだ、その通りだ・・」
お真美がジロリと頼方を睨んで、グイッと酒をあおった。
「わかりゃあ良いのよ」
頼方がフウとため息をつきながら頷いた。
「うん、まあ、人の気持ちとしては、確かにわかるよ」
お真美が徳利を差し出す。
「世の中ねぇ、人の気持ちが全てでしょ」
お真美は歌舞伎に入れ込んでいた。演目において描かれる悲喜劇の中心は、登場人物たちの感情とそれによりひき起こされる因果である。それらの行動の全てにおいて、愛情、対立、誤解、あるいは期待や失望といった、人の心理が根底にあるのだ。
酒を注がれながら、頼方がお真美を見つめた。
「なるほど。その気持ちってぇのが、皆が皆違うものだから、争いや揉め事が絶え間ないというのは、その通りだろうな」
頼方が納得するように頷いた。
過ちをおかさない者などいない。誰もがそれを傷として人目に触れぬように抱え込む。知られれば、その後の生き方に影響するからだ。良い方向に影響する事は無い。場合によっては、他人に弱みとして利用されることにもなる。
「どんな刑罰にするつもりなの」
「まあ、殺しに追い剥ぎだからな、どう甘くしても、島流しは避けられないな」
「あら、それでも結構厳しいのね」
「ここは譲れないところだ。どういう理由があるにせよ、殺しを大目に見るような裁断は下せない。ただし、数年で戻すよ」
流罪は死罪に次いで重い刑罰である。刑期が定められていないことから、通常は終身刑になる。ただし、島での行いが良好であれば、赦免されて内地に戻される事はあった。
「数年って、どれくらいなの」
「そうだな、通常は、四、五年ほどかな」
お真美が徳利を持ったまま考え込んだ。
「それって、どうなのかなぁ・・」
「どう、とは」
お真美が徳利を置いた。
「番頭は良いわね、それで戻れて。おかみさんとしても、おそらく番頭を待っているかも知れない。でも、問題はお店よ。また上手くいかずに借金をすることになるわよ、きっと」
「そこは、番頭が誰かを雇うようにおかみに言ったらしい」
お真美が軽く首を振った。
「誰も来ないわよ、殺しに関わった店なんかに。結局、潰れるわね。何もかも台無しじゃないのよ」
頼方が腕を組んだ。
「そういうものかなぁ・・」
「そうしたら、あんたが店を潰したことになるわよ」
「おいおい、脅かすなよ」
「まあ、少なくとも、世間の噂になるわね。せっかく上手く行きかけた小間物屋を奉行所が潰したって。それで、江戸中の商人を敵に回すことになるかも」
頼方が頭を抱えた。
「勘弁してくれよ・・」
この時代、士農工商という階級制度は純然として存在するが、幕府を頂点とする武士による為政社会を支えているのは、あくまでも商人が生み出す金の力である。幕府だけでなく各藩においても、有力な商人を如何に囲い込むかが、その政を大過なく行うための重要な要素となっていた。
お真美が徳利を差し出した。
「ゆっくり考えなさい。裁断まで、まだ三日もあるんだから」
「まあ、ちょうどしょっ引こうとしていたところだったけどな」
「もう逃げられないと観念したのね」
「それもあるのかも知れないが、何というか、これまでの逃げてばかりの人生に区切りを付けたい、というような事を言っていたなぁ」
「結局同じことじゃないの」
頼方がお真美の茶屋で酒を飲んでいる。
清二に対する取り調べはすぐに終わった。洗いざらい正直に答えて、奉行所で調べ上げたことと、殆どが整合した。
お真美が徳利を差し出した。
「これで一件落着ね」
頼方が注がれた酒を一気に飲み干し、胸を張った。
「ああ、三日後に裁断を申し渡す」
「どうせ大甘の裁断でしょ」
「そりゃあ、すんなりとお縄について深く反省もしていることは、考慮するよ」
お真美がまた頼方に酒を注いだ。
「殺しに至った事情もあるでしょうが。あの卑怯な取り立て屋に脅されて、やむにやまれなかった訳だから」
頼方が猪口を持った手を止めた。
「そこがなぁ、ちょっと難しい」
「どう難しいの」
頼方が頷きながら猪口を開けた。
「脅されていたのは、小田原での行い、つまり、瀕死の旅人を見殺しにして金品まで奪っていることだ。この事をバラされたくなければ金を出せと言われていた。しかし、知られたくないとはいえ、自分がやった悪事だからな」
お真美が、急に不機嫌そうに冷めた目で頼方を見た。
「それで?」
頼方がオッと上体を引き、上目遣いにお真美を見た。
「だから・・その、番頭は市蔵に対して「奉行所に言うのなら言って下さい、潔く罪を償います」と言う事も出来た訳だ。であれば、金など払わなくて済む。殺しも無かった。自分がやった悪事をバラされるのが困る、という気持ちを考慮するのは、ちょっとなぁ」
お真美が呆れたというように首を振った。
「何にも分かっていないのね、頭の硬い役人たちは」
頼方は、何かを予感したように首を竦めた。
「そんな事が出来るなら、その取り立て屋みたいな脅しは無くなるでしょうが。揉め事や殺しもね。世の中は善人だらけよ。そんなのは役人の理屈。番頭がそんな事できる訳ないわよ。あんたの亭主が死ぬのを黙って見ていました、金品は頂きました、とかおかみに言えると思うの?」
頼方がたまらずに右手をあげた。
「わかった、そうだ、その通りだ・・」
お真美がジロリと頼方を睨んで、グイッと酒をあおった。
「わかりゃあ良いのよ」
頼方がフウとため息をつきながら頷いた。
「うん、まあ、人の気持ちとしては、確かにわかるよ」
お真美が徳利を差し出す。
「世の中ねぇ、人の気持ちが全てでしょ」
お真美は歌舞伎に入れ込んでいた。演目において描かれる悲喜劇の中心は、登場人物たちの感情とそれによりひき起こされる因果である。それらの行動の全てにおいて、愛情、対立、誤解、あるいは期待や失望といった、人の心理が根底にあるのだ。
酒を注がれながら、頼方がお真美を見つめた。
「なるほど。その気持ちってぇのが、皆が皆違うものだから、争いや揉め事が絶え間ないというのは、その通りだろうな」
頼方が納得するように頷いた。
過ちをおかさない者などいない。誰もがそれを傷として人目に触れぬように抱え込む。知られれば、その後の生き方に影響するからだ。良い方向に影響する事は無い。場合によっては、他人に弱みとして利用されることにもなる。
「どんな刑罰にするつもりなの」
「まあ、殺しに追い剥ぎだからな、どう甘くしても、島流しは避けられないな」
「あら、それでも結構厳しいのね」
「ここは譲れないところだ。どういう理由があるにせよ、殺しを大目に見るような裁断は下せない。ただし、数年で戻すよ」
流罪は死罪に次いで重い刑罰である。刑期が定められていないことから、通常は終身刑になる。ただし、島での行いが良好であれば、赦免されて内地に戻される事はあった。
「数年って、どれくらいなの」
「そうだな、通常は、四、五年ほどかな」
お真美が徳利を持ったまま考え込んだ。
「それって、どうなのかなぁ・・」
「どう、とは」
お真美が徳利を置いた。
「番頭は良いわね、それで戻れて。おかみさんとしても、おそらく番頭を待っているかも知れない。でも、問題はお店よ。また上手くいかずに借金をすることになるわよ、きっと」
「そこは、番頭が誰かを雇うようにおかみに言ったらしい」
お真美が軽く首を振った。
「誰も来ないわよ、殺しに関わった店なんかに。結局、潰れるわね。何もかも台無しじゃないのよ」
頼方が腕を組んだ。
「そういうものかなぁ・・」
「そうしたら、あんたが店を潰したことになるわよ」
「おいおい、脅かすなよ」
「まあ、少なくとも、世間の噂になるわね。せっかく上手く行きかけた小間物屋を奉行所が潰したって。それで、江戸中の商人を敵に回すことになるかも」
頼方が頭を抱えた。
「勘弁してくれよ・・」
この時代、士農工商という階級制度は純然として存在するが、幕府を頂点とする武士による為政社会を支えているのは、あくまでも商人が生み出す金の力である。幕府だけでなく各藩においても、有力な商人を如何に囲い込むかが、その政を大過なく行うための重要な要素となっていた。
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